三カ月前のこのコーナーで、日本の食料自給率の低さ(39%)について触れました。そして、一九九三年の不作で、店頭からしばらく国産米が姿を消したと。
当時の勤務地は香川県の丸亀支局。ほどなく本社に転勤が決まったとき、忘れ難い出来事がありました。
「お前は田んぼをやっとらんから、これがええやろう」。取材で何度もおじゃました町おこしグループのリーダーからの餞(せん)別(べつ)は、麻袋に入った十キロほどのコメでした。
兼業農家ではあっても、水不足に頻繁に見舞われる讃岐平野で、代々田を耕してきた。そんな心意気が伝わり、ありがたく受け取りました。
ただ、くだんのリーダーも、仕事と地域活動に多忙で、農作業ができる時間はごくわずか。コメの生産調整が続く中で、手間のかかる野菜などへの転作はままならなかったでしょう。
「減反」として、一九七一年から本格的に始まった生産調整。過剰作付けは米価の下落を招くため、国は各都道府県に目標を割り当ててきました。
いま、世界的な食料危機が指摘されています。このままで五年後、十年後、食料を安定的に確保できるでしょうか。生産調整の問題は、どうすれば増え続ける耕作放棄地を解消できるか、という視点と切り離しては考えられません。
農家の意欲が下がってしまっては、食料基盤は崩れます。国も地方も財政難の中、農家への補助金のあり方も含め、農政に消費者ももっと関心を持つべきでしょう。
(経済部・大森知彦)