和田幹男神父の教え
昨日の教会のミサで、
和田幹男 大阪大司教区司祭様が たいへん
素敵なお話を されました。 とても感動しました。
和田幹夫神父は
和田神父様はたいへん慎み深い方で、われわれ信徒の意見を
いつも尊重される方で
まさに つねに謙遜であられ ご自分を低くされる方です。
そして いつも
ミサの中で ラテン語を唱えられます。
和田幹夫 大阪大司教区 司祭
ホームページより
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/profile.html

プロフィール
1938/04/26(昭和13年)
神戸市にて父 和田 実、母マリアの長男として生まれる。
父は宣教師に仕える伝道士。
1938/04/29(昭和13年)
カトリック住吉教会 にて受洗、霊名パウロ三木。
洗礼はパリ外国宣教会のJ・デラ神父による。
1961/03(昭和36年)
上智大学文学部哲学科卒業。
1961/04(昭和36年)
上智大学大学院哲学研究科入学。
1963/03(昭和38年)
上智大学大学院哲学研究科卒業。
1962/10(昭和37年) ローマ留学。
教皇庁立プロパガンダ・フィデ神学校、
教皇庁立ウルバノ大学神学部入学。
1966/01(昭和41年)
教皇パウロ6世により司祭叙階。
1966/06(昭和41年)
神学修士課程を修了。
1967/12(昭和42年)
教皇庁立ウルバノ大学にて、神学博士論文公開審査
(主査R・マジ師、副査Ch・メラー師、C・モラーリ)、
論文題名は、"Eucharistia in Ecclesiologia Concilii Vaticani II"
(「第2ヴァティカン公会議の教会論における聖体」)。
1968/01(昭和43年)
西ドイツ、ケルン大司教区ジーグブルグ市St.Joseph教会にて
助任司祭として勤務。
1968/10(昭和43年)
ローマ、教皇庁立聖書研究所聖書学部入学。
1971/06(昭和46年)
同学部卒業、Licentiatus in Sacra Scriptura(聖書学修士)。
修士論文はM・ダフード師の指導のもとで北西セム比較言語学から主題を選ぶ。
1971/09(昭和46年)
エルサレム、エコール・ビブリックにて研修。
1972/02(昭和47年) 帰国。
1972/04(昭和47年) 英知大学文学部神学科講師。
1972/04夏(昭和47年) 新共同訳聖書旧約聖書の
翻訳作業兼担(1987年の完成まで)。
1974/04(昭和49年) 英知大学文学部神学科助教授。
1975/02(昭和50年)
1975/04(昭和50年)
尼崎教会助任を兼務(1977年3月まで)。
同志社大学神学部嘱託講師(2004年3月まで)。
1980/04(昭和55年)
東京カトリック大神学院、
モデラトール兼任(1983年3月まで)。
1982/04(昭和57年)
英知大学教授(2005年3月まで)。
1995/04(平成07年)
岡山ノートルダム清心女子大学大学院嘱託講師
(2004年3月まで)。
1996/04(平成08年)
英知大学大学院人文科学研究科教授(2005年3月まで)。
2002/04(平成14年)
毎日文化センター講師(2003年9月まで)。
2004/04(平成16年) サバチカル。
2005/04(平成17年)
カトリック 大阪大司教区 箕面教会主任司祭
聖書研究の権威でいらっしゃいます。
著書
1.『聖パウロ』−その心の遍歴− 、
女子パウロ会発行、平成8(1996)年、345頁。
2.『創世記を読む』、
筑摩書房、平成2(1990)年、198頁。
3.『聖書Q&A』(合本)、
女子パウロ会発行、平成2(1990)年、179頁。
4.『聖書年表・聖書地図』、
女子パウロ会発行、平成元(1989)年。
5.『私たちにとって聖書は何なのか』、
−現代カトリック聖書霊感論序説−、
昭和61(1986)年、女子パウロ会発行269頁。
共著・翻訳・共同翻訳・学術論文と雑誌への記事 そのエネルギッシュな著述活動は ここには とても書ききれません。
ホームページを ぜひ御覧になってください。
http://mikio.wada.catholic.ne.jp/list.html
次のページに お教えいただいた
「長崎大浦天主堂 プチジャン神父
そして 日本の殉教者と 日本での外国人宣教師の歴史
隠れキリシタンの発見
『サンタ・マリアのご像はどこ』の言葉」
などについて 書きたいと思います。
ブログに書くことも お許しいただき、
「歴史を伝えることは いいこと」と
資料も お貸しくださいました。 感謝いたします
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2008-04-14 09:34
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キリスト教 カトリック |
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和田神父様の教会だったのですか。それは、すばらしいですね!
私が中2の秋から、大学の夜間の神学講座を受け持たれていた、と記憶しています。ローマから帰国された年です。当時の大阪カトリック時報は、帰国のニュースを詳しく伝えていました。私は当時神父様の大学から走って何分の所に住んでおり、そこから神戸の学校に通っていたのです。担任の先生が和田神父様のその講義の話を生き生きと伝えてくださったことをよく覚えています。その先生は、翌年修道会に入られました。
お若い頃はライオンヘアではなく、・・・・でした。
質問なのですが、ミサの中で、どの部分にラテン語を入れられますか?
予想としては・・・・、Sanctus(聖なるかな)の前の叙唱前句かな・・・と。(心を込めて神を仰ぎ、賛美と感謝を・・・)あの部分、日本語が正しくないから・・・。
または、主の祈りかな・・・と。
実家に帰ったとき、神父様の教会にうかがうのが一番てっとり早いですね。ああ、でも、うらやましい・・・。
いつか、うかがえたら・・・、と思います。ではまた・・・!
和田神父様と 後藤神父さんとの
お二人の神父様の 交代のミサですが
私は この教会で よかったなーーーと
心から 思います。
前の 赤波江神父も 素敵な方でしたし。
123さんのコメントのことも
お知りになったら 和田神父様 喜ばれると思います。
和田神父もときどき、この おつるのブログを
読んで下さってるので笑
ミサでは 奉納の歌の途中で 聖変化の前、
パンと葡萄酒をかかげて お祈りをおひとりで
される時に よく ラテン語で唱えてらっしゃいます。
おひとりでの お祈りの時で、ささやくように
ラテン語を唱えてらっしゃるので
信徒に向かって 大きな声で というのではないですけれど
とても 厳かで 私は大好きです。
ご実家が 近いのでしたら
ぜひぜひ 和田神父に会いに いらしてくださいね
123さんに いつか お会いできるのを楽しみにしています。
今、タントゥム・エルゴ(一番)
を 聖歌隊特訓中です。
私の心の師もずっとなさっていますよ。
聖務日課(教会の祈り)も、修道院で共同でされるときは日本語だけど、
出先で個人でされるときはラテン語でなさっています。
そうしないと、ラテン語忘れちゃいますよねーー
ラテン語の祈祷書のほうがコンパクトで且つ、祈りが綺麗だと聞きました。
小声で流れるように唱えていらっしゃいますよ。
なんせ、昭和30年頃にローマに留学して、はじめの頃イタリア語ができなかったから、
ラテン語で意思疎通を。
でも、すぐにイタリア人神学生が切れたーー
それで慌てて
ラテン語を大切になさってる神父様は、ごミサのたてかたも何となく違いますよね。
荘厳さと心から祈っている感じが