愛媛県四国中央市新宮村の「あじさい祭り」
「臓器漂流」を読んで(3)
-「いのち」を求め、世界をさまよう人びと-
(続きです)
『第三章 病腎移植の是非』
先の一、二章が中国の死刑囚からの臓器移植をテーマとしたもの、またフィリピンでの肝臓移植手術中に亡くなった鶴田選手の後半生の実話であるが、第三章以降は、全国初の臓器売買の摘発事件、それに引き続く万波誠医師らの修復腎移植問題の発覚、第四章の遅々として進まぬ臓器移植法の改正問題、第五章・ドナー不足の状況、中国、フィリピンでの移植医療の実態等へと続いていく。
とりわけ第三章の修復腎移植問題は、私にとっては非常に身近なことであり、その解決の行方はまだ不透明な現在進行形の問題である。従ってどうしても言いたいことが多くなることをお許しいただき、以下に若干述べたい。
修復腎移植問題は、18年11月4日の宇和島徳洲会病院、万波医師らの記者会見をきっかけに、夕方、翌日からの地元新聞紙、全国紙、テレビ、週刊誌等が一斉に問題視する論調で連日大見出しで報道を行った。その後の報道の過熱ぶりは今考えると異常ではなかったかというほかないと思っている。
私はその時の衝撃は一生忘れることができない。
何が忘れられないかと言うと、つい数日前に万波医師にあってきたばかり、また20年以上もお世話になっている医師が、突如として何か怪しい不透明な手術をしていたのではないかとの疑惑の目で突然世に出たからに他ならない。
私と家族は2回の腎臓移植手術を宇和島市立病院で万波医師の執刀により受け、その後の月1回の検診も松山市からわざわざ100㎞ある宇和島市まで車で通っている。約20年となる。
松山市にも立派な先生がおられるが、手術を受けた患者にとっては万波医師が一番頼れる医師なのである。患者には非常に評判のいいやさしい先生であることを断言しておく。また、その移植技術は現在日本でも他の移植外科医が口をそろえて認める優秀な医師の一人であることは間違いのない事実である。
また万波医師が犯罪者でもなければ悪魔の医師でもないことはもちろんである。
しかし、神でもなければ完璧でもない。全てがそろっているわけではない。
インフォームドコンセントを書面でしていなかったと今でも批判される方がいるが、当時の口頭での説明に実質上誰も被害を被っていないのである。患者が一番そのことを知っている。そこにあるのは万波医師への信頼だったのであるから・・・それが紙より何より一番大切なのではないでしょうか。
実際に治療を受けた患者や地元の人間の感覚と、遠く離れた大阪、東京等での学会の教授、厚労省の役人や各識者・評論家、新聞社・デスク、テレビのコメンティーター等とのギャップはそこにあるのだと思う。
現在必要とされる手続きについては、今後遵守していけば足りることである。
過去の手術の手続き漏れを指摘し、万波医師の医療行為を否定している方々とは、なかなか溝は埋められないのかも知れない。冷静にご判断願いたいと思っている。
また私ども支援者をまるで宗教団体の信者だという心ない人がいるが、それは全く違うと改めて言っておきたい。
患者といってもそこまで盲目ではないのである。
皆さんが医師を選ぶ・評価する条件の一つに、医師に対する世間の評判・うわさというものが多いにありはしないだろうか。
医師への評価・評判というのは、言い換えれば、やぶ医者かそうでない名医かは、すぐに伝播するものだと言うことは誰もが経験上知っていることだと思う。
不正を働いたり、腕の悪い医師は、黙っていても自然と周囲に分かってきて自ずと世間から敬遠・排除されていくのである。
なぜなら直接、診察、治療を受けている患者は、まさに自分自身の身を持って体調の具合・治療状況を体験していくからだ。だから患者の口からでる医師への評価は厳しく、また真実性の高いものとなる。
しかしながら万波医師はどうだろうか。
あれだけの非難報道があったにも関わらず、医師を支援する署名は、患者だけでなく一般の住民からも10万人にも及んだ。
悪い医師をだれが擁護しようか。
また、保険医登録取り消し寸前まで行ったにもかかわらず、現在も立派に活躍されていることが何よりの証明ではないのだろうか。
理不尽な処分を世間が許さなかった結果だと思う。世間の良識の結果だとも言える。
とんでもない医師なら、とっくの昔に医師を止めなければならなくなっているはずである。
本の概要に戻るが、著書は、修復腎移植問題の経過を、当時の産経新聞記事・社説「主張」等に沿いながら、平成19年3月31日の移植関連学会の「現時点では妥当性がない」、続いて7月12日の厚労省の「臨床研究以外は原則禁止」へと続いていく。内容は下記社説を参考にされたい。
(参考)
産経新聞2007年04月03日(火)付
【主張】「病腎移植 ドナー不足解消が本筋だ」
http://hiro110732.iza.ne.jp/blog/entry/146009/
しかし報道の公平さも配慮され、「万波医師の反論」も4ページに渡り取り上げている。
なお、1995年6月7日付の、ある全国紙朝刊が発端の「欠陥US腎報道」の概要も併せて取り上げている。ジャーナリストとして、報道の過熱ぶり・有様が、欠陥US腎報道と修復腎移植問題報道とが重なり、似たような様相・空気を感じ取られたのだろうと私の勝手であるが想像する。
(本書は、この欠陥US腎報道については新聞社名を伏せて経緯だけが掲載されている。なお当方ブログは、当時の報道の代表的新聞記事を下記に掲載しているのでよろしければ参考にしていただきたい)
(過去ブログ20.3.12付
「US腎移植」問題報道をご存じですか
そして著者は言う。欠陥US腎報道により日本移植学会理事長の座を辞さなければならなかった太田医師は臨床の現場を大切にする医師であり、患者からも非常に慕われていたと。
同様に、万波医師は『自分の患者を救うことに全力投球するという点では万波医師の病腎移植もむげに否定できないのかもしれない・・・』と
新聞記事にはない記述に救われた思いである。
しかし、これに続く次の記述と、第4章で再びでてくる同様な著者の記述に、私は、これだけはどうしても納得できないでいる。
それはこの部分だ。
『しかし、・・・脳死、心停止後の善意のドナーを増やす努力を忘れてことさら病腎移植に傾倒するのはいかがなものだろうか。この点については今後考察していく』
そして第四章の『本末転倒』の項へと繋がる。
(続きます)
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