黒夜如果不黒暗 美夢又何必嚮往
破曉會是堅持的人最後獲得的獎賞
黒夜如果太黒暗 我們就閉上眼看
希望若不熄滅就會亮成心中的星光
(S.H.E.「星光」より)
律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(ヨハネによる福音書8:3〜11)
2008年06月20日
■昨日までの人力検索

怒濤の質問をしております。ポイント多めに配分しますので回答よろしく。
■司法修習生のブログ

読売の記事をもとに、「司法修習生」のブログを探したら、すでに閉鎖されていたので(当たり前か)、そのキャッシュから拾った過去ログを再録しておいた。
やっぱりこういうとき、報道のみを鵜呑みにしてちゃいかんよ。ニュアンスが全然違うもの。
新聞記事
同29日付では、取り調べ中の容疑者について、刑務所の出所後5日目の犯行だったとし、「刑務所でしかうまく生きていけないんじゃないか」と書いていた。
ブログの実際の文章
諫早プリズン
2008-02-29 | 修習
刑務所に行ってきました。
検察修習の一環で。
工場作業をしているところや,独房,雑居房,保護房などいろいろ見て回ったが,
ぼくらが工場に足を踏み入れたときの,受刑者たちの視線が痛かった。
自分たちの縄張りに土足で外の者が入るな。と。
ただ,工場で作業をしている受刑者たちは,なんだかロボットのようで,
彼らの心が読めなかった。何を考え生きているんだろうか。
なんか,刑務所って,やたらめったら厳しくて,そりゃ,犯罪者たちの
刑罰として,彼らを立ち直らせるための場所だから,緩くてはダメなんだろうが,
生きていけない人間に育てているようにも感じる。
偶然にも,いま自分が取り調べ中の被疑者は,刑務所出所後5日目に,
この人は刑務所でしかうまく生きていけないんじゃないかと感じた。
ただ,そうは言っても,刑務所の中では,受刑者は塀の中にはいるが,
身柄の拘束はなく,それと比較すると,未決の取調べ中の被疑者が
腰縄に結ばれて,手錠をはめられて,調べ室に来たり,裁判所に来たりする姿を
見ると,その姿があまりにも人間扱いされていない感じがするので,
悪いことをしたら,捕まる。
これは自然な発想かもしれないが,腰縄に手錠というのは,最近違和感を感じまくる。
人間に対する仕業か?と。
ニュアンスが全然違う。原文に当たれ、とか、全体を読め、というのはこういうことがあるからだ。
なお、このブログを読んだ限りだが、「守秘義務は守れよ」と思いつつ、言ってる内容についてはかなり共感できる部分が多い。いい司法関係者になると思うのだけどな。
http://blogs.yahoo.co.jp/musinoda/55336614.html