せめて器だけでも
さまざまな理由により、スーパーやコンビニで
出来合いの惣菜や弁当を買って、食卓に乗せている
家庭も少なくない。

 よその家庭の事やから、俺がごちゃごちゃゆうのは
筋違いやけど、せめて皿に移し変えてください。
 それも、プラスティックではなく、陶器の皿に。


 特にこどものいる家庭では。

 故米原万里さんの死後編集されたエッセイ集
『心臓に毛が生えている理由』(角川学芸出版)
における「プラスチックの器に盛られるや、
どんな料理も餌に成り下がる」(83頁)という指摘は
さすがだ。


 出来合いの惣菜・弁当を、プラ容器のまま食べさせられ
続けたこどもたちは、食材を作った人たち・調理した人たち
に対して思いをはせることもなく、食材=「いのち」への
感謝の気持ちも抱くことなく、食べ物を平気で捨てる「大人」
になってしまうのではないだろうか。 
by kase551 | 2008-06-16 22:51 | 雑感 | Trackback | Comments(3)
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Commented by 禁止キーワード at 2008-06-19 23:53 x
普通の内容なのに「禁止キーワードが~」て出ますが・・・
Commented by 言論封殺ですか at 2008-06-19 23:55 x
都合の悪いことは言論封殺ですか。
Commented by 谷山 at 2008-06-20 00:05 x
いのちを大切にする心と、プラ容器そのまま出すこととは何も関係ないではないか。
不用意な発言で我が家のライフスタイルおよび我が子の将来を全否定する人が朝日のコラムに噛みつく権利などないと思います。
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