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F-Taro |
348 |
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06/19 06:41 |
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個人主義
根底には「競争社会」「個人主義」が「集団主義」よりも良いこと、という価値観の変化があると思います。個人主義の社会で生きていくためには、他人の揚げ足をとってでも他人を競争から蹴落とし、自分に否があっても否は認めず、自分が蹴落とされそうになったら、自分を抑えるのではなく、攻撃してきた他人を攻撃する、ということが必要になるからです。これをお互いにやりあう社会こそが個人主義の社会でしょう。 かつては個人の抑圧の結果として「悲しみ」という感情を見ることが多かったけれど、最近は「怒り」の感情を多く見るようになりました。人間同士の闘争に多くのエネルギーを使う社会は、非効率な社会である、と言えると同時に、その非効率を許すことができるほど、豊かな社会になった、ともいえます。 「モンスター・ペアレント」はじめ、加藤のような「モンスター」は、こういった社会の競争からはからずも脱落したと感じた人間が、最後まで自らの存在を「怒り」でアピールし続けた結果として存在するような気がします。だからこそ、加藤の今回の犯罪をも、どこかしら肯定的にとらえる人間も多いのだと思います。こういった人たちにとっては、自分の身の回りのことがすべてであって、その外にある「国」「社会」は、敵でしかなく、他人の迷惑を考えることや法律を無視することは、当たり前に行われます。 国がどうなろうと、オレ一人生き残ればいいんだ、という「個人主義」は、いまは誰の胸にもどこかにある。 全国で増えつつある加藤に共感する人間の多さと、模倣犯の続出は、この価値観が世の中にかなり浸透しきっている、ということを示していると思います。 日本人はこの「新たな価値観」を、戦後の60年をかけて、豊かさとともに営々と積み上げてきたのです。簡単にはこの価値観はなくならないでしょう。 ひと言へのコメント
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ヨッシー |
370 |
12 |
06/18 23:38 |
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Ronnie |
386 |
7 |
06/18 21:07 |
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行雲 |
400 |
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06/18 20:34 |
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梅沢 清志 |
473 |
17 |
06/18 15:47 |
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F-Taro |
613 |
3 |
06/18 11:50 |
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