アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2006年12月31日(日)

年末年始のお楽しみ

自閉症と言えば猫も杓子も「レインマン」この物真似をして自称自閉症になるヤツまで出てくる始末。
このブログを見るぐらいの人にはもう少し高等な映画を紹介しよう。

先ず ケロッグ博士(The Road To Wellville)/('94 米)

健康研究家だった米国の奇人ケロッグ博士。
一方集まったお金で恵まれない子供の面倒を見ていた篤志家でもある。
その中にまさしくアスペルガー症候群の子供が出てくる。
そのエピソードがまさしくそのものズバリ。

次は中級、「ジュラシックボーイ」そこには身近な人間であればのけ反るほどの超リアルなエピソードの連続。

次は「心の扉」(ハウス オブ カード)これは少しロマンチックに、
しかしきちんと子供が描かれているので、
米国映画の実力を本当に感じる映画。

上級としては「シザーハンズ」まさしく「アスペルガー症候群」当事者の置かれた状況を上手く表現している。

と私は思う。
一度御覧在れ。  アンド ア ハッピー ニュウ イヤー。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月31日(日) 12:44 [ コメント : 0]

2006年12月25日(月)

自閉症ビジネス

自閉症が商売のネタになるとはとても思わないが、世の中頭のいい人が居るんだよね。
浅見純子と浅見昇吾の二人。この二人の狡賢さは脱帽もの。
二人で架空の自閉症の天才「翻訳家 ニキリンコ」を創り本を出版。
浅見昇吾がせっせと翻訳、その間浅見純子はニキリンコになりきり、
ネットというネット上で自画自賛の嵐。
要望があれば、カツラを被りサングラスを掛け変装した上で、
テレビにでものこのこ出てくる。

ネットの情報を真に受けた自閉症の子供を持つ親の不安につけ込み本を買わせる仕組み。

このネット情報の操作は、マスコミに対しても大変有効で、
NHK教育テレビや、毎日新聞、その他媒体担当者も
元々情報が少ないから、みんな飛びつく。
それをまた再利用する。(頭いいねぇ)

勿論自分の所でも花風社という出版社を持っているが、
自分のところで出版してもうまみは無い。
大手出版社に持ち込み出版させるのが目的。
ところが、一度は騙された(掴まされた)出版社も、
その評判を知る事となり、2度目は無い。

そろそろ花風車の悪名も業界では知れ渡ったようで、
今度は「スペクトラム出版」へ衣替え。
今回の営業担当者の氏名は知らない。
結局浅見純子がまた偽名を使って暗躍しているのは見え見えなんだけど、
何れにしても、やがて情報に疎い私の所にも、
また新たな名前が聞こえてくるだろう。

しかし、それまでまたこの詐欺師夫婦を「不安を抱えた親達」が一生懸命喰わしてやるのかと思うと本当に複雑な思い。
まあ、本の中身には罪は無いんだから、どうしても見たい人は誰かに借りるとか、立ち読みでもして下さい。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月25日(月) 17:05 [ コメント : 0]

2006年12月24日(日)

TEACCHは?

今一番もてはやされているのがTEACCH。
人によってはこれで何もかも問題が解消されてバラ色のような表現を
する人間まで居るが、これは誤解も良いところ。

他の療法と同じで、何かのきっかけを掴む人もいるが、
良いきっかけにならない人もいる。
その程度の事なのである。

つまり、私たち夫婦にとっても、20年間生活していて、
ごく簡単な「きっかけ」が2つあった。
それを思い返すとこれこそが成る程TEACCHかと感心した。

20年掛けてたった2つ。
これが多いか少ないかは自閉症児と生活している親御さんなら分かると思う。
過大評価する必要はなく、かといって過小評価をすることもない。

だいたい歯の矯正だって4年かかってもほんの少し歯並びを変えるだけ。
人間の根本を矯正しようなんて事は不可能に近いだろう。

ただただ、本人さらに周りの人間がいかに平静に暮らしていけるか、
それだけである。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月24日(日) 10:40 [ コメント : 0]

2006年12月23日(土)

自閉症の中の自閉症

18世紀最後の年フランス、ラ・コーヌの森でオオカミ少年(野生児)が捕らえられた。言葉を発さぬこの少年はパリで大変有名になる。
曲折を経イタールの保護下に置かれ観察されたのである。
それが、自閉症児を論理的に解説した初期の本「アベロンの野生児」である。
フランスパリと言えば大都市であり、人間も数百万人は居ただろう。
そうであれば、現実には居たはずの自閉症児なのだが、
「野生児」として特別なモノとして脚光を浴びた。

昭和43年NHKがドキュメンタリーで自閉症児を紹介したが、
その時は本当に珍しい存在であったはずなのである。

ところが、村瀬学氏の「自閉症」ちくま新書 によると、
どうも自閉症児は、それを自閉症と信じる人間の自閉によって
創り出されているらしい。
確かに私もそれは強く感じる。

昔から自閉症の教育関係者は、常にその時一番新しい療法を最高として、それを推し薦める。(勿論検証されていない)。
やがて日が経ち、新しい考えが出ると、その情報を聞き入れた人は、
すぐその療法の信者になる。
古い療法を続けている人はというと、頑なにその療法を続けている。
その次の理論を受けた人は、また頑なにその理論を守り続ける。
彼らに新しい理論を受け入れる余地はなく、自己を正当化するだけである。
だから、自閉症の新しい理念を謳うセミナーの出席者は、常に若者だ。
ベテランは来ないんだよね。

では、そんな彼らが運営する自閉症の教育機関はというと、
自閉症でも「学習し成長する」という部分の「彼自身の成長」を
ことさらに大きく取り上げ、教育効果であると大きく宣伝する。(私はイノブタ療法を考案した)

しかし、現場の施設等の関係者は冷めている。
何故なら、そんな効果が有るはずの教育施設を追い出される「自閉症児」が居ることを
知っているからである。
自閉症の教育施設からもはじき出される「自閉症児」。

本当は彼こそが、「自閉症もどき」ではない正真正銘の「自閉症児」
であるはずなのだが、実は本物にはお手上げなのが現実なのだ。

私がネット上でどこへ行っても結局排除されるように、
自閉症児が自閉症と認められるには、ある程度社会性を持って、
みんなが仲良く自閉症をやっていられる集団になじめなくては、
自閉症を名乗ることすら出来ないのだ。

自閉症の中でもはじき出される彼の障害名はなに?

私は彼こそ本物の自閉症と言う。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月23日(土) 19:24 [ コメント : 0]

2006年12月22日(金)

NHKからのいじめ

いじめと言えば、私は今まさにNHKからイジメを受けている最中だ。
それは、イジメの中でも高等手段の「シカト」
ハートのネットワークだかの書き込みの何かが気に障ったらしい。

以下は却下の嵐。何を書いてもシカト。
記事の内容には係わらず、名前で却下。

だったら、名前を変えて書きゃいいじゃん。と言うとこだが、
そんなその都度名前を変える「浅見純子」のような器用な真似は出来ないし、
不特定多数の意見なんか必要なのではない。
きちんとバックボーンがあり、現実に生きている人間の
つまり、私という人間の意見でなければ意味が無いのである。

「私の子供もアスペですが、私もそう思います」なんて意見は意味を成さない。
ところが、このハートのネットワークの意見は意味を成さないどうでも良い書き込みだらけ。
中には立場を明確にした上で、意見を述べる人も僅かながら居る。
その場合は、皆真摯で真剣な意見だな。

まあ、NHKが私の意見が不真面目と捉えて排除するのも止む無し。
私は実社会でもネット上でもまさしく排除されるべき、
異形の「アスペルガー症候群」の大人です。

名誉だ。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月22日(金) 09:21 [ コメント : 1]

2006年12月21日(木)

はやりのイジメ問題

やや収まったがまだ流行りのイジメ問題。
別の場所でも書いたが、私や私の妻はよく考えればイジメの対象だった。
しかし、その当時はその状況がよく理解出来ていなかった。
だから、それ程ダメージを受けずに、逆にクラスのガス抜きとして存在していた。
でも、それは昭和40年前半の長閑な時期の話。

森口奈緒美の年代になると社会問題化する直前で、物質的にも、肉体的にも、精神的にも痛めつけなければならなかったようで、それは酷いありさまだ。

よく苛めても良い人間が居る。とされるが、
そうなったときにターゲットにされるのは私たち鈍感な人間だ。

この場合は凄惨を極め、時には殺人にまで至る。
黒磯の日産自動車に居た子が、連れ回され、自分が入る穴まで掘らされたあげく、殺されたのは、彼の特性(自閉症のグループ)にあったのではないかと私は考えている。

どんな動物でもイジメがあるように、人間にイジメがあるのは当然である。
要は、相手が死に至るまで、自殺するまで周りの人間が放置していることにある。

どんな形でもいい。どこかでイジメの持続を切る事が大事。
となると、やはり身近な教師が気が付くことが重要である。

兄弟も減ったし、遊びの世界も狭くなっているし、
今の子供も親も大変だね。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2006年12月21日(木) 11:09 [ コメント : 0]
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