アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2007年1月28日(日)

幼児誘拐 2

下記 幼児誘拐 から2つの事が思い浮かぶ。

1つは、当時から自分は大人と同じなんだ、という強い思い。
これについては後日詳しく述べよう。

もう1つは、コミニュケーションのレベルである。
当時、相手の子はほとんど会話をしない幼児だった。
しかし、私にははっきりこの子の一緒に遊びたいという意想(声)を聞いた。
全く同時期に、犬の声も聞いた記憶がある。
犬の声(意想)は、後にも先にもその時一度だけで、
その後は犬の「意志(意想)」を推理して、分かるとした。

この時期、私のコミニュケーション能力は、丁度幼児、
或いは犬と同じレベルに達していたのではないだろうか。

表面上は少ないながら言葉を話すようになっていたし、
言葉を話すことはコミニュケーション能力が高いと周囲からは判断されるだろうが、
現実にはようやく1才児、或いは犬のレベルだったのではないか。

この私のエピソードから推論すると、
吉岡君のコミニュケーション能力の本質は、

2〜3才児のレベル

しかなかったのではないか。
自閉症が身近に居る人なら、吉岡君が警察の取調室で、

取調官が言うとおりオウム返しで答え、
そうだなと念押しされると、そうですと答えている

事を容易に想像出来ると思う。

だから、自閉症児が被疑者になった事件については、
マスコミ報道を簡単に信じるわけにはいかない。

私は、吉岡君は見掛けはおじさんでも、コミニュケションのレベルでは
2才児のままで、町で稀に話が合う人に会い、遊んでいるようにしか思えない。

しかし、数少ない話せる友達とは、近づかないように周りの大人が妨害する毎日。
それなら一層そんな友達なんか要らない。

私が考えた「幼児投げ捨て事件」は、こういうものである。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月28日(日) 06:41 [ コメント : 0]

2007年1月26日(金)

幼児誘拐

吉岡一郎君の事を考えていたら、なんと私も幼児誘拐騒ぎを起こした事を思い出した。

あれは、鎌倉の海岸に住んでいた頃の事件だ。
私はまだ幼く満4才になったばかり。
お向かいにはヨチヨチ歩きの1才ぐらいの子供がいた。
私と姉などでその子供をあやすと、
「遊んでくれてどうもありがとう。また一緒に遊んで頂戴ね。」

その翌日か、とにかく日を置かずに、お向かいに行った。
近所の子供達は幼稚園や学校に行って居ないから多分午前中だろう。

ガラガラ、「ごめんください」家の中からは何も声がしない。
すると奥からその子がヨチヨチ歩いてきた。
「誰もいないの?遊びに行く?」
その子は頷いた。
4才児には玄関の高さは腰ほどにある。
「おんぶしてあげるから、乗って」
その子は私の背中に乗った。
「よいしょっと」
子供を土間に下ろすと靴を履かせ、手をつないで玄関を出た。
玄関の前の国道(当時は車は少なかったんだな)を横切り
砂浜に降りた。
幼児と4才児が砂浜を歩くのは大変だ。
本当にヨチヨチ二人で歩いて海を見ていた。

気が付くと、母が大層大きな声でわめきながらこちらに来た。
奥さん連中がどんな事をわめいていたかは憶えていないが、
「よかった、よかった」
という雰囲気は分かった。

「どうして連れてきたの?」
「遊びたいって言ったから」(その子はまだ言葉をそんなに話さないのだ)
「ああ、そう。今度から一人で遊びに行っちゃだめよ」

いつもなら大層怒られるのに、その時は怒られなかった。

しかし、私がつかの間の幼児誘拐事件を起こしていたことは、
いつからと無く分かっていた。

私はバツが悪くて二度とその子の家には近寄らなかった。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月26日(金) 15:38 [ コメント : 0]

2007年1月19日(金)

吉岡一郎君

幼児投げ捨て男の様子が報道され、吉岡一郎君と分かった。
顔もニュースに出て、名前も分かり、さらに良いことに
施設の対応の様子等もきちんと報道された。

今から35年程前から吹き荒れた言葉狩りが、
今になってようやく下火になり、
自閉症の子供が、不可触選民から、人権を与えられ、
一般の社会人として扱われた。

知恵遅れでも、自閉症でも、きちんとした人間だ。

犯罪を犯せば当然罰は受けなければならない。

ただし、量刑については定型発達の立派な人たちで決めてくれ。

吉岡君の事もハイジャック事件の中島君と共に憶えておこう。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月19日(金) 10:39 [ コメント : 0]

2007年1月18日(木)

幼児投げ捨て男

大阪八尾市で男が幼児を歩道橋から投げ捨てた。
前科は多数あり、精神病院への通院歴があり、
現在グループホームに居て、授産施設で仕事をしている。

未だ状況は不確定であるが、どうも自閉症のグループの人間のようだ。

こういう人間こそ、辻井正次(どこかの教授、心理士)に教育して貰いたい。

この辻井正次と言う人間は、本当に脳天気な人間で、
フジテレビのスーパーニュースでも、
「(アスペやLD)これらの子供達は、(私がしている)この様な
専門教育を施せば、決して犯罪を犯すことはありません。」

などとのたまった。
理論的な検証はそのうちやるとして、
こんな事を平気で言える事が「チョー驚き!」ってかんじ?

コミニュケーションの困難な発達障害児を犯罪を犯さないように教育できるんだ。
だったら、その狭いカテゴリーに閉じこもらず、
刑務所に行ってその「おまじない」を受刑者に掛けてくれば、
みんな犯罪を犯さなくなる。

この男にもおまじないを掛けてやれよ。
彼も子供を投げ捨てなくて済んだものを。

しかし、世の親は、辻井正次みたいのが好きらしくて、
アスペ系の集まりではスターだね。

つまり、彼は自閉症児の為に居るのではなく、
アスペエルデの「親」の安心の為に存在するんだな。

子供のことなんか二の次だ。             この話どこまで理解できるかな?

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月18日(木) 07:58 [ コメント : 0]

2007年1月17日(水)

死にたい病 2

死にたい死にたいと言っても、口に出す訳じゃ無い。
たしかに、大学生の頃はみんなもそう思っていると考えていたから
結構口に出していたフシはあるけど、
特に結婚してからは絶対口には出さなくなった。
なんせ奥さんが余計な心配をするからね。

ただ心の中にはいつも常駐する言葉である。

ホンマの話。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月17日(水) 10:14 [ コメント : 0]

2007年1月16日(火)

死にたい病

私の死にたい病は今に始まった訳じゃない。
思えば小学5年生の夏には強くそう思っていた。

そこに至るまで、3才の記憶からたどり5年生の夏まで記述してある。

こんなのって、最高の研究材料になるのではないかと
数人に見せたが、誰も興味を示さない。

俺達が面白がるモノと、普通人が面白がるモノが違うみたいなんだなぁ。
しょうがないから、これも死蔵してある。

何れにしても死にたい病はもう40年以上つき合っていて、
当然当時から「児童のうつ病」であったと思われる。

だから、今更死にたいと言うなと言うのは無理な話で、
生き続ける限り、私の死にたい死にたいは口癖のごとく続くのであーる。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月16日(火) 16:57 [ コメント : 0]

2007年1月15日(月)

単語 タンゴ その意味

これは後々書こうと思っている「セントラルコヒーレンスの障害」に由来している。
(このセントラルコヒーレンスを理解している人間は、日本では皆無と考えてよし)

私たちは、生まれてこのかた言葉を得て、その言葉の意味を得る。
言葉の意味は、その言葉を指して大多数がほぼ同じ意味に理解すれば成立する。
ここがミソ。
定型発達であれば相手の気持ちを(無意識下で)汲み、
この「表現」が自分が意図したモノと近ければ、
(無意識下)で多数が使用している言葉に変更する。

だから、あるグループ下で「アスペ」と使っているのを知れば、
自分もそのグループ下に属する事を示す意味でも、
自動的に「アスペ」と使用し始め、より一体感を求める。
この事から好んで「アスペ」を使用する人は、定型発達の可能性が高い。

しかし、アスペルガー症候群の場合「字義通りに受け取る」という特性も持つ。
これが、日常の言葉の使い方にも現れる。
だから、「アスペルガー症候群」を伝えるとき、
「アスペ」では意味を為さなくなってしまう。

であるから、アスペルガー症候群は決して「アスペ」ではあり得ない。

そして、「単語」と書くとつい「タンゴ」を思い出し、
漢字が踊り出すようで、一人含み笑いしてしまうのである。

わかんねーだろーなー。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月15日(月) 20:00 [ コメント : 0]

うつ病 その後

うつ病が改善したからと言って、死にたくならなくなった訳では無い。
いまだに、いつも死にたいのには変わりはない。
自殺するほどの欲求が無くなっただけで、
死ねるものなら、今すぐにでも死んでも構わない。

この現実の世界で生活をしている者としては、中途半端に生き残るのが大変困るのである。
だから、当然交通事故には気を付けるし、自殺などとんでもない。
疾病による休業にでもなれば、本当に地獄の世界が待っている。
あるのは、生活(日々の収入)が立ち行かないときの恐怖だけである。

ホントうちの奥さんには悪いけど、ポンと消えるように死ねるなら、
こんな楽なことはない。
しかし、現実にそんなことはあり得ないから、生きているのである。
働いているのである。

引きこもりが出来る優雅で、裕福な家庭の子供達は、親がそれを許してくれているのだから、
引きこもっているのがいい。
ただ自称「アスペルガー症候群」になって、変な書き込みをするのだけは止めて頂戴。

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月15日(月) 09:13 [ コメント : 0]

2007年1月13日(土)

うつ病の心の中

うつ病の時、人の心の状態はどうなっているのか。
実はこれを書き表した書物は「無い」。

皆うつ病から回復してから、改めて思い返しているだけで、
リアルタイムの状態は分からないのである。
だって書けないんだもん。
書く元気があれば、飯でも食うし、小便のひとつでもする。
風呂にも入るし、着替えもする。
何もできないからうつ病だ。

ではそこを無理に思い返すとどうか。
私の場合は、夕暮れの部屋の中の状態のような状態。
薄暗く、鳥も鳴き止みやたらと静か。

こんな感じで時間だけはやたらと過ぎる。

だから、心の状態と言われても本当に表現のしようが無いんだよな。

私が言えるのはこれだけ。

どぉ? リアル?

作成者 おっさん 山岸徹 もう50 : 2007年1月13日(土) 06:29 [ コメント : 0]

2007年1月12日(金)

副作用

私はアスペルガー症候群の診断名などよりも、抗うつ剤投与の恩恵は計り知れない。

あの時薬を飲んでいなければ、当然仕事(生活費)の維持が出来ないし、
どんな日常生活を送っていたか考えるだけでも恐ろしい。

しかし、そんなすばらしい抗うつ剤でも当然副作用はある。
医者も投薬時に認識していなかった?私に出た副作用。
それは、目のピント調整能力の低下である。

具体的にどうなったかというと、老眼になったのである。
初めはそれに気が付かず、ブルーベリーのサプリなど一生懸命飲んでいたら
軽いめまいのような、妙な感じが消えなかった。
どうも目の機能を上げようとするアントシアニンと、抗うつ剤の作用が
体の中で綱引きをしているようで、
ブルーベリーを止めたらすぐ直った。
しかし、老眼はひどい。ピント能力が固定している感じなのだ。

そこは大人。
使う場面に応じて眼鏡を作ることにした。
曲折を経て、やっと私のためのような眼鏡屋を探しあて今は快調。

眼鏡は先ず眼科医に処方箋をもらうに限る。
眼鏡屋でそこらのアルバイトに視力を測って貰ってもダメ。
処方箋は2000円前後で手に入る。

その綿密に作ってもらった処方箋によって、
ネットで注文。
私はここで、単焦点レンズの眼鏡を、違う度で5台も作ってもらいました。

遠近とか、薄型とか言うけど、結局此処の単焦点レンズが一番見やすいのが不思議。
同じような悩みがある人はお試しあれ。

http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/megameganetjp?alocale=0jp&mode=1

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月12日(金) 06:57 [ コメント : 1]

2007年1月10日(水)

自称 うつ病

ネットの書き込みを見ると、うつ病と自己申告する人間が増えた。

私の体験からすると、それは「大ウソ」だ。
何故なら、うつ病ならとても書き込みなんかするエネルギーが出ない。
自殺したくたって自殺する力も出ないんだ。

しかし、うつ病で自殺する人はいる。
私の経験からすると、やはり繰と鬱が交互に来るタイプで、
繰に近いときに突発的にうつ状況(嫌なこと、手形の締め切り)等が
重なり合ってやってしまうのでは無いかと思う。

自殺はだめ と言っても本人の心の中には入り込めないんだろうな。

兎に角、自称うつ病で書き込みをしているのは眉唾物。

うつ病だけど、投薬が効いて書き込みが出来るようになったって言う人は「リアル」
リアルな話にはなかなかお目にかかれない。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月10日(水) 09:11 [ コメント : 1]

2007年1月9日(火)

あっというまに40年

NHKBSで昭和42年の特集をやっていた。
昭和42年なんてつい昨日の話のよう。
私が自閉症について初めて知った頃だ。

なんとあれから40年。
私は50。

自閉症の研究は本当に進歩していない。
しかし、彼らの保護先(作業所等)は、「保護者」の努力で、
ずいぶん増えたようだ。

他の仲間がホームレスになること無く、
やくざにはめられて犯罪者にされること無く、
或いはすでに刑務所に入っている仲間が無事解放される事を
私は願う。

その為には明確な自閉症の「判定法」が
研究者によって見出される事なんだけど、
こっちは、イタールの時代から進歩無しって感じだな。

イタールもあっという間に200年経って
「科学はもっと進むかと思った」と草葉の陰からこちらを見てるだろう。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月9日(火) 06:20 [ コメント : 0]

2007年1月8日(月)

ホントに一流か?

映画 翻訳の 戸田奈津子

おすぎがやたらに持ち上げるが本当に一流か?
我が家ではあの翻訳にいつも非難囂々。
さっぱり分からない。それどころか明らかに違うじゃん。

年を取ってようやく英語にも慣れてきて、言葉が聞き取れると、
「違うじゃん!」「そういう意味じゃ無いだろう!」の連発。
意訳もいいところで、全然感じが違う。
最近じゃあ戸田奈津子翻訳映画は避けるようになってきた。

歌手 和田アキ子

リーブ21の宣伝を聞けば一目瞭然。
音程は外れてるし、鳥の喉を締め付けたような声は、こっちの息が苦しくなる。
若い頃から♭しっぱなしだけど、良く「私は歌だけは上手い」って言ってたんだなぁ。

誰かそろそろ本当の事を教えてやる時期なんじゃないか?
言わないにしても、取り上げるのを止めるか、
もっと上手い、伊東ゆかりだの白鳥恵美子(元トワエモア)を
取り上げるとか、多少の良心を持って紹介して貰いたいものだ。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月8日(月) 14:23 [ コメント : 0]

同じだが違う 2

クリニックに通うアスペルガー症候群の子供達と会ったが、
皆、確かにアスペルガー症候群なのだが、大人しく且つ聞き分けが良く、
教育現場で問題になりそうな子供は見受けられなかった。
それどころか、この集まりの中で、際立って「おかしな子供」は、
「私」だったと妻が教えてくれた。

確かに私が少年だった頃の雰囲気を持つ子供は居なかったし、
敢えて言えばその場の協調を乱すのは、「私」だった気がする。

個人的に悩みを抱え、クリニックに辿り着き、アスペルガー症候群の
診断を受けた子供達の中には、「私」を見ることは出来なかった。

しかし、なんと不思議なことに、ギルバーグがサンプルとした
「ちびっ子教授」はまさしく私の子供の頃そのもので、
「どこで見てたんだ?」と言う感じなのだ。

日本では未だ「ちびっ子教授」がクリニックに来るまでの状況では無いのかもしれない。

興味のある方は 自閉症とアスペルガー症候群(東京書籍)P247

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月8日(月) 14:02 [ コメント : 0]

2007年1月6日(土)

同じだが違う

アスペルガー症候群の子供達12人程と同席する機会があった。

お楽しみはその後。
ロビーで何人かが私たち夫婦を取り巻き、誰ともなく話が始まった。

他人が聞けば話の内容は各自バラバラ。
とても関連があるとは思えない話が次から次に出てくるのだが、

私たちにとっては、
すべて関係のある話で、皆自分の手持ちのカードを、
いつ切るか、いつ切るかと言うようなきもちで、

相手が今夢中の話なら、こっちの夢中の話。
その中で、騙されの話が出たら、こっちの騙され話。
その中で、友達話が出たら、こっちの友達話。

全く関係の無いような話でありながら、話している私たちは、
不思議と共感でき、自分たちそれぞれの身の回りで起きた、

「同じだけど違う話」

を、延々と話し次いだ。
残念ながら、相手は保護者同伴の子供なので、
あるところで話を切り「また今度」と分かれた。

しかし、あの話をした子供達にまた合うことが出来るだろうか。
それとも、各自の夢を実現した大人になって、
再会する事ができるのだろうか。

誰か此処を探し当て訪ねて来るだろうか。 私には分からない。

作成者 おっさん 山岸徹 : 2007年1月6日(土) 12:41 [ コメント : 0]
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