私事をお許しいただきたい。10年の間に両親を、共に東京都内の超有名大学病院で亡くした。
骨折で入院した父は院内感染し、点滴を外さないようベッドに縛り付けられた。ストレスによる胃かいようで、ある日突然吐血。1年近く薬で眠らされ、とうに意識はない。何時間もの輸血と吐血をただ見ているうち「おやじの体が輸血の管と同じだ」といら立った。
胸中を見透かしたように、医師が言った。「輸血を止めたらご臨終です。決断を」。「私が?」。立ちすくんで、さらに1時間。「私が止めます」。別の一番若い医師の助け舟(?)で、ようやく父は死を迎えることができた。親を亡くしたというのに、ほっとしている嫌な自分がいた。
肺がんを患った母は、大手術を4度受けた。その都度、強い痛みに耐えてリハビリを繰り返し、8年間の闘病の末、世を去った。昭和ひとケタの意志力に舌を巻く一方、生を終えるまでの激しい日々にたじろいだ。
高名な担当医が母の訴えに何時間も耳を傾ける姿勢にも頭が下がったが、他の患者の診察はどうなっていたのだろう。
会社での昇進を断って看病に打ち込んだ妹は、今も両親のいない家で一人暮らしている。
社会保障政策の政府方針が続く。長寿万歳。でも、私は考える。これなら父と母も安らかに逝くことができただろうか。妹に別の人生はあっただろうか。【伊藤智永】
毎日新聞 2008年6月18日 東京朝刊