2007年5月15日(火)
栄枯盛衰
我が家の近くに有名な中華飯店の社長の邸宅があった。
邸宅と言うのに誠にふさわしい風情で、当時うわモノだけで2億。
フランスだかヨーロッパから取り寄せた住宅でステキとしか言いようのない家。
丁度、建て始めだったので、家の中もくまなく探索。
ユニットバスの付いているメイド部屋があり、
応接間には2階の台所からオードブルを降ろせるように専用の小型のエレベーターリフト。
さらに、地下室には地下金庫が納められるとおぼしきスペース。
サッシは、分厚い木製サッシで、手触り暖かく2重扉。
ホールにはエッチングされた巨大な磨りガラスで階段を目隠し。
それはそれは、見たこともないような美しく、機能的で且つ豪華、
しかしシンプルという、成金趣味とは異なる、まあ素晴らしい家だった。
その豪華な家が取り壊された。
10年も経っただろうか。日本では、耐震構造だの、防火構造だの、コンクリなら30年大丈夫とかいうけど、
我が家の近くの立派な建物は、みんな15年内外で壊してしまう。
長持ちにする意味無いじゃん。
結局、建築物には一切価値を認めず、土地にしか価値を見いだせない。
かといって、あれ程の豪邸を引き取れる個人も居るとは思えない。
これで、文化が育つのかなぁ。 さみしい限りだ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月15日(火) 10:53
[
コメント
: 0]
2007年5月14日(月)
ガセネタ
自閉症の子供が人の表情を理解出来ないと言うのはガセネタである。
勿論バロンコーエンやウタフリスがきちんとデータを取って結果が出ているのも知っているが、
その結果を「鵜呑み」にして、子供達に当てはめている人たちの認識がほとんど間違っていると言うことである。
自閉症の子供達が人の表情を見て「あること」を判断する。
定型発達の子供達が人の表情を見て判断する。
その断片だけを捉えると、「表情が分からない」となるが、実は定型発達の子供達は、その表情に至る細々とした出来事、
さらに、「彼は今機嫌が良いか悪いか」迄を含めて判断をしているのである。
だから、単純に自閉症の子供に「この表情は怒った顔」「この表情は笑った顔」
なんて教え込むなんて本当のナンセンス。
人間という者は、悲しいときでも笑うし、嬉しいときに泣くこともある。
だいたいは、腹の底から煮えくり返っている時に限って、笑いながら
「いいのよ、いいのよ。私は何とも思ってないから、気にしないで」
と言うモノである。
それを聞いて「ああ、そうか良かった」と言うと怒られ、
「でも、でも・・・」と言うと、
「何時まで言い続けるんだ!いい加減にしろ!!」と怒られる。
つまり、人間の社会は、簡単な質疑応答で判定出来る程、簡単じゃあ無いと言うこと。
しかし、不思議と「そういうときは、こうすればいいのよ」なーんて
お為ごかしを言うのが好きな「サッチー」見たいな連中は多いんだよな。
特に、社会経験の無い中年女性。
彼女たちの自信は世界をも動かすのだ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月14日(月) 11:12
[
コメント
: 0]
2007年5月13日(日)
アスペの塾
どこかの女子大だか女子短大の実践の場として、アスペの子供を集め塾を開くそうである。(もう出来た?)
同じ様な試みは、佐賀でもやっていて良くテレビに出てくる。
しかし、子供に人としての行いはどうあるべきかを説く内容は、概念ばかりで私には理解出来ない話だ。
私が分からない事を子供が理解出来るのだろうか。
そもそも春日部に開く塾の運営者は、概念の意味するところを完全に理解した上で子供の教育にあたるのだろうか。
いったい何を根拠に教育指導にあたるのだろうか。
わざわざ春日部に塾を開くと言うことは、森口奈緒美もアドバイザーか何かで参加しているのだろうか。
そうであれば、先ず森口奈緒美にアドバイスをしてやるといい。
彼女は昔から働くことが念願で、新聞配達にチャレンジしたが挫折した。
そんな彼女が、立派に会社員として働けるスキルを与えられたなら、
これは素晴らしい成果だ。
きっと、多くの自閉症者の、施設関係者の参考になるはずだ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月13日(日) 01:20
[
コメント
: 0]
2007年5月11日(金)
見える不安
45才検診から、毎年行政による検診を無料で受けている。
社内検診の無い個人事業では、これだけが目に見える健康診断である。
妻はこの検査結果に非常に厳密である。
私がいくら個体差があると言っても聞き入れて貰えない。
年々増える数値に反比例して、食事のメニューが質素化していった。
これには2つの利点があった。
一つは私の体重。もう一つは妻の食事作りの簡素化である。
食事作りのバリエーションは多岐にわたる。
特に、日本の家庭の食事は異様に種類が多く、煩雑な手順が必要である。
その食事を、必要に合わせ、オートミール、トースト、サラダ、少しのタンパク質。
と種類を減らすことで、毎日のルーチンワークとしての食事が成り立つ様になった。
ところが、検査前に私が調子に乗って、毎日ピーナッツバターをたっぷり喰っていたものだから、
中性脂肪の数値が跳ね上がり408になってしまった。
私としては、ルーチン化された食事に大変満足であったのに、
妻には数字で見えた不安は消えない。
投薬か、運動か、ダイエットかの選択を迫られ私は減食を選んだ。
妻としては中性脂肪の不安からは逃れられたのに、
今度は食事を減らした私をみて不安にかられているようだ。
何故なら、食事の回数を朝晩2回にしたのに、何かに理由を付けて多く喰わそうとするのである。
勿論本人は無意識だと思う。しかし、おやつを薦めたり、お菓子を買おうとしたり、本来の目的と逆の事をしようしようとする。
妻の頭の中で、色々な不安が戦っているのだ。
しかし、そこには質素な食事を3食、心から楽しく食べていた私の幸せだった気持ちは無いのである。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月11日(金) 15:22
[
コメント
: 0]
2007年5月10日(木)
受動型の中身
妻は知能が高いにもかかわらず受動形を示す。
受動型のその姿を見れば、中身は退屈なのではないかと他人は勘ぐる。
しかし、妻の中身は不安と恐怖でいっぱいだ。
その不安をより少なくするための防御が受動形として現れる。
では、知能の低い受動型の自閉症の青年達はどうだろう。
施設では、気分転換の為にレクレーションを企画する。
気晴らしに、みんなでカラオケに行く。
年に一度の団体旅行を楽しみにしている。
多くの所員は、それらを大変喜ぶ。
勿論、カラオケが大好きな自閉症の青年もいる。
しかし、受動型の青年の中身が妻のように不安で満たされていたらどうだろう。
果たして本当の喜びを感じるのだろうか。
彼なりに身に付けた社会性で、「楽しかった」と言うだけではないのか。
私も何処にも行きたがらない妻を気張らしとして、旅行や買い物に連れ回した。
勿論妻は喜んだが、その喜びは本当だったか。
平穏な日常生活のルーチンに戻るまで1週間かかり、それでようやく安心出来たのではないか。
妻の場合はそうだった。
だから今では何処にも行かないし、たまに「箱根に行こうか」なんて言うのは、
回り回って私への気遣いで、本心から言っているのでは無い。
受動型の自閉症者はどうだろう。
もし彼の中に不安がぎっしり詰まっていたとしたら。
私は彼をそっとして置いてあげたい。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月10日(木) 09:20
[
コメント
: 0]
2007年5月9日(水)
知能の高い受動型
妻は知能が高くIQ127である。
しかし、知能が高いのに自閉症の受動型を示すことはあり得るのだろうか。
自閉症の研究はまだまだ未開であり、さらにアスペルガー症候群に至っては、極一部の研究者しか知り得ないものだ。
当然疑問視出来るのだが、これについては妻を見るしかない。
現実に存在していることを認めるしか無いのだ。
アスペルガー症候群で議題に上るのはほとんど「積極奇異群」である。
教育現場でも問題なのは「積極奇異群」の突飛な行動である。
しかし、妻のような「受動型」の子供達は大人しく、従順であるから問題になりにくく、発見されないのだ。
自閉症の発生率については、男子優位と言うのは良く知られているし、
色々な研究者がサンプルを取る度に裏付けられる。
トニーアトウッドは、裏付けは無いが、実は男女同率で自閉症が発生しているのではないかと問題提起して帰国した。
実は私も同感で、女子の場合は求められる集団での社会性が、幼い頃から高度であるために、
男子に比べ遙かに早く、多くの事を学ぶために、知能が高い自閉症の子供は知識として社会性を身に付けるのではないか。
何故かと言うと、受動型を色濃く示す妻が、形ばかりの社会性(日常のあいさつ等)は、
私の何十倍も上手く身に付けていて、条件反射的に出来るからである。
見かけ上の社会性を身に付け、従順であれば、ほとんど見つからないと言うのも頷けるであろう。
この話が分かるのは、トニーアトウッドぐらいかなぁ。 わっかるかなー?
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月9日(水) 14:35
[
コメント
: 0]
2007年5月8日(火)
大人の受動型
自閉症を「孤立」「受動」「積極奇異」の3つに分類したのはウイングである。
しかし、初めに発表したのは1979年で、対象は知能の遅れを伴う自閉症児が対象だった。
しかし、この分類はその後の「知能の高い自閉症児」にもきっちり当てはまる。
詳細は後に置くとして、
私の妻はまさしく「受動型」の特徴を示すのである。
しかし、前述の「喧嘩腰」を見ると矛盾するようであるが、
それはあくまでも断片を切り取って判断したことで、
当人の生活状況をくまなく記録すれば、まさしく受動型と言うのがふさわしい。
特に、不安から解放されている状態、例えば「パソコンに熱中」しているとしよう。
普通なら、何かに集中している時に用事を言いつけられるのは嫌だろう。
しかし、彼女の場合は違う。
「お茶入れてくれる。」 「うん」
今まさにパソコンに向かって集中している時に、平気で中断してお茶を入れに行く。
食い入るように本を読んでいるとき、「窓を開けてくれる」「うん」
本をすぐ置き窓を開ける。
用事が終わると、何事も無かったかのように元の姿に戻る。
これは周囲の人間を混乱に陥れる。
一方では、「異常に素直」片や「喧嘩腰」で頑固。全く聞く耳を持たない。
この矛盾に満ちた行動は、自閉症者を世話する施設の関係者なら頷けるだろう。
しかし、会社ならどうか。
辞めて貰った方が良い。 これが大多数の意見だろうな。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月8日(火) 16:19
[
コメント
: 0]
2007年5月7日(月)
家での不安
妻は家に居ても常に不安にさいなまれている。
窓を開けなければ、「ペットが熱中症にならないかな」と不安で、
窓を開ければ、「ペットが猫に襲われないかな」と不安である。
日が陰れば「ペットが寒くないかな」
ひなたぼっこをさせてやると「ペットが暑くないかな」
不安はその時目にしたモノ、聞こえたモノから反射的に発生するもので、論理的ではない。
その証拠に、私が窓を開けて外を眺めているのに、
突然ペットを部屋の中に出そうとしたりするのである。
論理的構成から発生した不安ならば、その不安を取り除けば良いのだが、
反射的に脳内に発生した不安であるから、論理的にそれを取り除く事が出来ない。
もしそれを望むなら、「ペットを殺す」しか無くなってしまう。
ところが、ペットが目の前から無くなっても、反射で不安を作り出すから、
今度は対象が別に移るだけで、何の解決にもならない。
解決するのはたった一つ、本人が無意識下で一番良く知っているようだ。
それは、本を読んでいるとき、寝ているとき、インターネットで調べごとをしているとき等はそれら(不安)からは一切離れていられる。
それこそ、2時間でも3時間でも平気で熱中していられるのだ。
実はその姿こそ、「受動型の自閉症児」そのものなのだ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月7日(月) 14:10
[
コメント
: 0]
2007年5月6日(日)
不安の中身
妻はいつも不安にさいなまれている。その不安はいったい何か。
実はその不安は日常生活の中で常に「反射」で脳内に発生するのであって、
残念ながら論理的なモノではない。
例えば外出するとき、おしっこがしばらく出来なくなるであろう不安から小便をする。
しかし、一旦外出してしまうと、当然目の前からは便所が無くなる。
そうなると不安でいっぱい。「おしっこ」となる。
外出するといつもおしっこがしたくなるので、家にいるときはどうなのかと観察すると、
2時間や3時間平気でおしっこをしないでいられる。
外出してしまったから、我慢が出来なくなるのである。
おしっこをするとお腹がへこむから、「お腹空いた」となる。
いつもいつも外食しているとお金が足りなくなるから、100円マック等で誤魔化す。
すると腹が膨らみ「眠い」になる。
この順番でなくても、家にいても不安になる刺激がそこら中にあるのに、
外出すると、その刺激が閾値を超え無感というか防御というか眠くなる。
これは、幼稚園の頃からそうだったらしく、学校の様なモノはとにかく忍の一字で、
ひたすら終わるのだけを待つ修行の場であったという。
とにかく私の妻と外出すると、「眠い」「おしっこ」「腹減った」
の繰り返しなのである。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月6日(日) 16:30
[
コメント
: 0]
2007年5月5日(土)
ちょっと寄り道
またNHK教育で発達障害の放送があったようだ。
チャンネルを変えていた時に、偶然視聴者の投稿を聞いてしまった。
欧米の専門書には必ず書いてあり、さらに日本の自称研究者も後追いで書いてある事に、
自閉症(アスペルガー障害等含む広義)は感想文を書けない。
その特徴的な文章は、事実文によって構成される。
となっている。
これは、物事を「概念化」出来ないために、簡単な言葉にヒトくくり出来ない事から来る。
身近にそんな子供がいる人は多いに頷ける話だと思う。
当然私の文章を読んで頂いてもその特徴がありありと窺えると思う。
ところがだ。NHK教育っていうのは不思議なんだよね。
私が排除されるのもそうだけど、
掲示板の書き込みや、投稿についても、
事実文によって構成されている文章は片っ端から棄てられ、
概念だけで構成されている、厳密に追求すれば「意味不明」な文章を
ありがたがるんだよね。
「私は自分を高機能自閉症と感じている人間です。
わたしは、みんなの理解でなんとか働いています。」
私が出来ない「概念化」のテクニックを駆使して作ったのが上の例文。
こんな感じの毒にも薬にもならないコメントが大好き。
いったい世の中どうなっているんだろう。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月5日(土) 10:06
[
コメント
: 0]
2007年5月4日(金)
異形の者
プロレスラー、ボクサーという特殊な職業がある。
そこは身体自慢の猛者が集まるだけの単純な集団ではない。
興業という世界で人気という目に見えないモノを相手に仕事をしている。
そこには、蓄積されたノウハウと深い繋がりの興行主というネットワークの中での生活である。
そこで仕事をするのは極端に少ない選ばれた人間たちだ。
その少ない人間の中にもさらに「異形の者」が居る。
彼らはある程度の逸脱は良しとされる世界の中でも、
仲間はずれにされ、強ければ担ぎ上げられるが、
ひとたび人気、実力が低迷するとすぐに排除される。
ある療育関係者に、
「自閉症の専門ホーム」っていうのはどうだろうと、提案してみたが、
現場の人は鋭い。
「自閉症の場合、一度感情的な行き違いが起きると修復出来ない。
そんなことは考えない方が良い。」
たしかにそうだ。
意固地の固まりのような自閉症。
出来るだけ累が及ばない程度の距離が一番いいんだ。
成る程奥が深い自閉症の世界だ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月4日(金) 17:03
[
コメント
: 0]
2007年5月3日(木)
喧嘩腰 2
妻が喧嘩腰なのには理由がある。
妻の脳の中は恐怖でいっぱいだ。
考えられるありとあらゆる恐怖が詰まっていていつも不安でいっぱいだ。
(これは本人の感想ではなく、いろいろな場面を考察しての結論)
その恐怖の大きさは、個人の脳内で出来ていることだから、他人とは比較出来ない。
もしかしたら、普通の人がホラー映画を見た500倍ぐらいなのかもしれない。
とにかく彼女の頭の中は、恐怖と嫌なことでぎっしりだ。
大人になって、「強迫神経症」と診断を受け、投薬を受けてから大分良くなったが、
それでも一般の人より強い恐怖感を持っていると思う。
だから、別に非難している訳でもなく、咎めている訳でも無いのに、
先に危険を察して防衛防御のため喧嘩腰になる。
実はこういう人は妻だけじゃ無い。
男だったらもっとやっかいで、言葉のやり取りだけで殴り合いになる。
それが、無法松であり、寅さんである。
その昔の文学は謎を解き明かすべき素材を提供してくれる。
そして、無法松もまた実在の人物だったのである。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月3日(木) 16:16
[
コメント
: 0]
2007年5月2日(水)
喧嘩腰
妻に何かを言うとすぐ喧嘩腰になるので困る。
「この間**してたけどあれ違うんだよ」
「なんで今になって言うんだ!その時言えばいいじゃないか!
今頃いうなんてひきょうだ!!」
そうか、確かにそうだ。大いに反省して今度は言い方に気を付けよう。
「それ**しちゃあいけないんだよ。うまくいかないじゃない。」
「今言うことないじゃないか!一生懸命やっている人の気にもなってみろ!!」
そうか、確かにそうだ。大いに反省して今度は言い方に気を付けよう。
「あれ、それ・・?」
チョット待て。
その場で言わなきゃひきようだと怒られる。
しかし、今言えば何でこんな時に言うと怒られる。
矛盾じゃないか。
やっと気がついたのは、やっぱり最近。
おれは本当に馬鹿なんだな。
きっと普通の人は、一月で気がつく。
だから会社首になっちゃうんだなぁ。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月2日(水) 09:56
[
コメント
: 0]
2007年5月1日(火)
多いの反対
CBSドキュメントでサバン症候群のアスピーの青年のドキュメントがあった。
サバン症候群とは、世界で10人程しかいないそうである。
(ところが日本のアスペの会には何人ものサバンがいるそうである。住む{世界}が違うのか?)
そのドキュメントで、彼が毎日オートミールを量りで測って作っていた。
それを見た妻は「そんなことみんなやっているよ。ねえ!」
と、当然の如く言っていたが、私はそう思わない。
実は我が家の主食はオートミールなのだが、
妻は、毎日毎食量りで測って作らないと気が済まないのである。
気が済まないというか、自己防衛でもあるのだ。
毎日一人一食60グラムなのだそうだが、ある日本当に山程サラダを作った。
サラダで満腹になってしまった私は、オートミールを半分残した。
翌日、どう話すか考え巡らしていたのだが、なるべく刺激しないように「ちょっと多いんだよ」と言ったら、
激怒し、「多いなら多いって先に言えばいいじゃないか。少なくっていいんだね!」
「うん。もう少し少なくしてよ」
その時から、オートミールは30グラム。丁度今までの半分になった。
そうじゃ無いんだよ。少し少なくすればいいんだよ。
ところが彼女には通じない。
60グラムより少なくは、30グラムなのだ。
大体60グラムになる前は、120グラムだったのだ。
あれ以来オートミールは毎食30グラム。
おかずが多かろうと、少なかろうと関係ない。
きちんと量りで測って作っている。
それは、前出のアスピーの青年と一緒だ。
これが、私達の本当のリアルな生活です。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年5月1日(火) 13:11
[
コメント
: 0]
|