2007年6月14日(木)
始まり
リアルな形で映画の一部のような記憶。
私の記憶の始まりで裏が取れているものは、3才と6ヶ月からである。
当時家族と共に海水浴に行ったとき、イトコに海に浸けられた。
「ほら、良一、トールが怖がってるから、もう止めなさい」
私は海が怖いなんて思っていない。
海が冷たくて嫌だったのだ。
この時の抗議は、言葉では無いような、或いは嫌だのような声だったような気がする。
とにかく、私の感覚と、相手(この時は母)の理解とが、
3才の時からすでに違っていたのが印象的だった。
私は、2才になってようやく歩き出したらしいのだが、
言葉は、この3才の時きちんと出していたのだろうか。
私の事については、妻が聞いても誤魔化すばかりで、とにかく話さない母は、
この辺の事情も一度として私に話したことは無い。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月14日(木) 07:48
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2007年6月13日(水)
記憶の形3
記憶は今作られると言うのは定型発達の人の場合で、
私達自閉症のグループは違うということを下の記述で分かってもらえただろうか。
しかし、私達でも年齢と共に記憶の「解釈」は変わる。
かつて母が至極当然の決まりであるかの如く、
或いは世界共通のルールであるかのように言っていたこと、
私に強要していたことは、実はそんな事では無かったこと。
例えば「あんな偉そうに言い切っていたけど、今の俺より10以上若くて、
世間知らずの専業主婦のくせに、よくあんなにもっともらしく言えたもんだな。
俺だったらこの年になっても、畏れ多くてとても言えないよな」
とか、
「35にもなって、あんな事も知らないで、そのくせよく俺にはあんな事言えたな。
言ってて恥ずかしくならないのかな」
と言うように、かつて言われた事の解釈は、年齢と共に、社会経験と共に、
解釈は変わっていく。
そんな自分を顧みると、今はやりの発達障害の子供の生活指導の学習塾なんて、
怖ろしくて怖ろしくてとてもじゃないけど、関われないよ。
みんな度胸があるよな。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月13日(水) 04:27
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2007年6月12日(火)
記憶の形2
記憶の形について異論を述べたい方は是非コメント入れて下さい。
しかし、私の記憶の形は下に述べたようなもので、
さらに詳しく言うと、ハイビジョンの映像を見るようなものである。
あれに、音と感触が加わる。
恐怖の時に見た記憶は時々コマ送りになって、断片の繋がりになる。
さらに、進むとどうしてもそこの部分だけは開けない。
開けないことが、逆にどんな恐ろしいことがあったんだろうと、恐ろしくなる。
妻の記憶も私と同じ様だ。
そして、PTSDの人の蘇る記憶の話を聞くとまさしく私達の普段の記憶の話しと同じ様で、
私達はつまらない、給食室の前の廊下と臭いなどをすぐ思い出してしまう。
これは、いわゆるフラッシュバックと同じ。
だから、嫌な記憶はいつも日常的に思い出してしまう。
フラッシュバックの毎日だと考えてもらって良い。
しかし、私達は時々脂汗を流したり、足の裏がギューーっと硬直したり、
手から冷や汗がジワッと出るぐらいで、日常の事だからさほど騒がない。
知能の低い自閉症の人が、何かを頑なに受け入れられないっていうのも、
そこの場に問題があるのでは無くて、彼の過去の記憶の中に問題があると考えれば、
彼らの日常で扱いにくいことを解消できないのも頷けるのではないか。
わたしはそう考えています。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月12日(火) 09:23
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2007年6月11日(月)
記憶の形
私達のエピソードはほとんどが自分自身の記憶による。
通常ある記憶の記述はあきらかに定型発達の人たちの記憶の形である、
私達自閉症に属する異常者の記憶ではない。
「記憶は今作り出される」とあるように、人の記憶はその時その時によって、
形を変えると言われている。
私達夫婦が夫婦になったきっかけも、私達の記憶の形が「同じ」だった事にある。
二人とも、幼児の記憶から克明に憶えていて、その内容が具体的である事が特徴だ。
今思えば、その記憶は事実文によって構成されていて、
その事実を比べ合って面白がっていた。
その記憶の形に沿って、私達の話は成り立っているが、
その記憶の認識こそが過ちだと言うなら、すべてこの話は成立しなくなる。
しかし、現実にこんな記憶をしてしまう人間が居るのである。
これは、一度見た景色をペン画で綺麗に書く青年の記憶の形や、
定型発達の人でも、PTSDに陥った人の記憶と同じと私は考える。
そうなんです。 私達自閉症は 歩くPTSD なのです。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月11日(月) 09:33
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2007年6月10日(日)
自己 (SAM)
下に書いた、目に紙をこすり付けるのも、
ただひとり体操で逆向きで体操するのも、
相手が指さしするのと逆を探るのも、
他の生徒が運動会当日の服の相談をしてるのに気づかないのも、
すべて、自己(SAM)の目覚めが来ないことに起因する。
だから、18ヶ月以前の幼児が、
手のひらを自分の方に向けてバイバイするのは何の問題もなく、
22ヶ月を大幅に過ぎているのに、
まだ手のひらを自分の方に向けてバイバイするのは、怪しいのである。
では、なぜ自閉症の子供は自分に手のひらを向けてバイバイするか。
それは、誰もが自分の方に手のひらを向けてバイバイするから、
自分も他の人と同じ様に、手のひらを自分に向けるのである。
自閉症の子供が他人を見ないというのは、
余りに狭義に囚われた解釈であり、
彼らもきちんと、他の人がどの様にしているか観察しているのである。
ただ、私の体操向きと同じように、
それぞれの、主語のあるところ(捉え方)が、
自己を確立している定型発達の人と違うのである。
この違いは、理論的に理解しなければ、
「元々自己を持たない状態」を
「元々自己が自動的に作動しあること自体を意識していない人」が
考えている。
これは、ロジック的、脳の構造的、プログラムとして、考えると、
実は理解する事は不可能であると思われるのだが、
とにかく、理解しなければいけない事になるのだ。
私達は、元々無い所から、自動的に自己が働くとはどういうことかを考えている。
ロジック的には、こちらの方が「不可能ではない」と思われるのだ。
みなさんは、これぐらい困難な、NASAの連中が研究しているの以上に
難しい事をやっているのです。
本当にご苦労さまです。ハイ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月10日(日) 19:56
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2007年6月9日(土)
700 対 1
体操の合同練習での「突飛な行動」は上級生おおよそ360人の中の出来事だが、
私の人生で、同じ様な事をしてきた「剛」の者がひとりだけ居る。
それは「妻」である。
小学一年生のやはり春の運動会。
毎日のように練習。
当時は、ブルマに黒い厚手のストッキングをはいて練習に励んだ。
その運動会当日。
妻の母親は、「寒いから着て行きなさい」と
いつも通り黒いストッキングを履かせて送り出した。
運動場で全校生徒が集まり整列。
「なんか変だ」
なにか、いつもと違う。
気付くと全校生徒すべて白いソックスに運動靴。
練習の時と同じ黒いストッキングを履いているのは自分だけ。
さすがに「いやーな気持ち」になったそうだ。
小学校の一年生の話だから、ストッキングを履かせた「親」の問題とも考えられるが、
全校生徒対1の話は、二人で夜を徹して話すほどいろいろなエピソードを二人とも持っていたのだ。
全校生徒の中でたった一人素っ頓狂な行動をする子供。
そんな子供がいたら、その子は本当に自閉症のグループに属する子供かもしれません。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月9日(土) 14:16
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2007年6月8日(金)
いわし
この体操の練習の時にもう一つ思い出がある。
「みぎむけー、右!」
号令に合わせ向きを変える練習が続く。
私の頭の中に、海でいっせいに向きを変えるイワシの群が思い浮かんだ。
「みぎむけー、右!」
(あれっ?みんな、イワシのようにこっちを向いてるのかな)
ふと、私の頭の中をイワシの群がよぎった。
「みぎむけー、右!」
私は、一人左を見てみんなの様子を観察した。
「みぎむけー、右!」
一斉にみんなこちらを向いた。
みごとに全員がこっちを見ている。
本当にイワシの群の方向転換のようだ。
しかし、あせっているのが、ひとり。となりの列の子だ。
(むこう!むこう!はんたいだ!あっちむけ!)
身振り手振りで、必死の形相だ。
私は、ひとり、納得して、何事もなかったかのように、平然と後を向いた。
全員号令と共に同じ動きが出来るようになったのに、
突然反対を向くヤツが出てきたから、先生もビックリしただろうな。
おまけに、その生徒は、勉強だけは良くできるから、始末に悪い。
あなたの学校に、こんな手に負えない子供が居たら、
その「アンバランス」な子供が居たら、それは本当に自閉症のグループかもしれません。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年6月8日(金) 09:52
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2007年6月7日(木)
ごはんつぶ
これも小学4年生の事であると認識した上で読んで下さい。
「トール、ほらここ!ついてる」
「ここ?」
「こっち!」
「ここ?」
「ちがう、ここ、ここ!」
「なーんだ。ここか」
「トール、ほらここ!ついてる」
母が私の顔をみて、自分の顔を指さす。
「ここ?」
私は、母が右手で右の頬を指さしているので、
右手で、右の頬を探る。
「ちがう、ここ、ここ!」
母は逆の頬を指さす。
「なーんだ。ここか」
私も逆の頬を捜して、ようやく顔についたご飯粒を探り当てる。
本当は、もっと長いやりとりで、
二人で顔を見ながら、右手を出したり、左手をだしたり、
コントのようなやりとりの後、ようやく目的を達するのだ。
何十回も同じ様なやりとりの後、母も根負けしたのか、
私の右頬についているときは、自分の右頬を指すようになった。
丁度同じ4年生の春の運動会シーズン。
校庭で生徒が集まって体操をするようになった。
教師が壇上に登り模範演技をする。当然こっちを向いて体操する。
私は、腕の右旋回、左旋回の時、教師がするのと全く同じ形で体操した。
他の生徒は、教師と鏡の形で動くが、私一人は教師と全く同じに動く。
当然みんなと体操の形は逆だ。
「なんで、みんな分かんないんだろう。俺のやり方が正しいんだ」
合同練習の度に、私だけ体操の動きは逆だ。
(注:ここから先はやはり最近思い出した事)
ついに、号令を掛ける先生の横で、鳥居先生が背中を向けて立った。
「鳥居先生は皆さんの体操の手本を示します。 皆さんは鳥居先生と同じ動きをしましょう」
私は「ほら、みんな分からないから、ついに鳥居先生が手本になった」と思い、
「今日はようやくみんな合ったな」と一人納得して帰った。
実は、みんなが間違っていたのではなく、私一人が「考え違い」していただけだったのだ。
これは、人が対峙したとき、無意識に(自動的に)鏡の動きをするのだろう。
しかし、私には自動で動く「SAM」のプログラムが無いから、
理屈で考えそれに従い行動していたのである。
当時職員室では、如何に山岸を上手く体操させるかが議題だったんだろうね。
こんな生活を振り返ると、とてもアスペルガー症候群が6%も居るとは思えない。
だって、一クラス一人居ることになっちゃうからな。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月7日(木) 09:02
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2007年6月6日(水)
理論SAM
理論SAMとは私が便宜上使っている言葉で、認知はされていない。
しかし、4才児のこの頃から私は、まさしくSAMによって行動すべき所を
すべて理由付けを行いながら憶えていった。
私が、紙から顔を離した方がよく見えると気付いたときから、
人間の行動をすべて、物理的に考えて理解し始めた。
つまり、指さしはどの様にしているか。
目線はどの様に見るか。
勿論、4才当時そのように理解していたわけではない。
ただ考え、知識、知恵として会得していったのである。
それに気付いたのは、妻と出会い、妻が指さしを40過ぎまで理解していなかったからである。
完全に指さしを「誤解」していた妻は、以前から指さしがおかしい事には気付いていた。
しかし、本人は自分こそが正しいと信じている。
アスペルガー症候群の診断を受け、今度はどちらがより自閉症の度合いが強いかという話題になった。
妻は私が「指さし」が出来ないと主張する。
「だって、指さす方向がおかしいもん」
わたしは、多くの人はどの様に指さししているか、論理的に話し、
さらに、指の代わりに軽い竿を持ち、実験してみた。
この、「一つの疑問」に突き当たったとき、すぐに答えられるのは、
実は無意識下に於いて年中考えているからである。
私自身もかつて疑問に思い、理論的に獲得できたから、
今理論的に説明できるのである。
それから一週間ほど、さんざん指さし実験を繰り返し、
妻はようやく自分が今まで指さしが出来なかった事を理解した。
「だから、小学4年の工場見学で、先生が指さして、みんなも分かったのは、本当だったのか。
みんな分かった振りしてるだけかと思った」
自分に欠けているモノは、余程でない限り永遠に気付かないものなのだ。
そう考えると、「私が出来ずに困っているのは**です」
なんて自己申告する連中の胡散臭さが良く分かるだろう。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月6日(水) 11:51
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2007年6月5日(火)
理論SAMの芽生え
昨日書いたSAMを私達自閉症は持っていない。
その代わりに私達にも知能はある。
持ち合わせていないSAMは、知能で、知識として獲得するのである。
それと思われる一番初めの記憶を話そう。
当時、私は横浜に引っ越したばかりでもう4才になっていた。
だから、これからは4才児の行動だと確認しながら読んで欲しい。
ある日、私は新聞のチラシのようなモノの中になにか、興味深いものを見つけた。
「おかあさん。見て。ねーねー見て。」
とても小さい文字だったので、良く見えるように、目の所に持っていった。
「見える?」
「見えない。見えない」
「見えない?」
私は、字が小さいからだと思い、一生懸命母の顔に紙をすりつけた。
「見える?」
「そんな顔に近づけたら見えないでしょう。どれ」
母は私の手を掴むと、見える距離まで紙を顔から離した。
「あー。そう。そーね。」
母は紙を見て、空返事をしてどこかへ行った。
私はその時大変ショックを受けていた。
見えないと言うから、よく見えるように、目にすりつけたのに、離した方がよく見えるなんて!
そこで、その紙を自分の目にすり付けてみた。
真っ黒なだけで、確かに見えない。
少しずつ顔から離していくと、20センチぐらい離したところが、一番よく見える。
母が顔から離した距離もそうだった。
この体験は、「目にはちょうど見えやすい距離がある」と云うことなのだが、
其処には、「自分は普段どのくらいの距離で見ているか」と知っていなければいけないということが含まれている事で、
こんな事は教わる事ではなく、幼児が簡単に会得している事であり、
私の場合は、4才を過ぎてから、それも理論的に理解した事実が、驚きなのである。
私の記憶の中で、理論的にSAMを獲得した初めての記憶である。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月5日(火) 11:17
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2007年6月4日(月)
自己を持つ能力
実例の前に、
自己を持って初めて人間である。
自己が無ければ動物と同じである。
鏡を見て不思議そうに裏側に回る。
自己が無いということはその状態のままであるということである。
では、脳内でいったいどういう能力によって自己を獲得出来るのか。
それについて、科学的に解説したものが「自閉症とマインド・ブラインドネス」
サイモン・バロン・コーエン(青土社)
その中の「SAM」の働きによるものである。
この「SAM」については、自閉症の根幹を為すものであるから、
何度も繰り返して話しているつもりだが、
初めて聞いた人は、私のホームページの「都通研」の講演内容を読んで欲しい。
私の記述の中で、最も詳しく書いているはずである。
とにかく、脳内で「SAMチェック」の自動プログラムが生成されて、初めて人間が「ヒト」になるのである。
この「SAMチェック」のプログラムは、誰もが持っていて、
全く意識しなくても、完全自動で動くプログラムだから、誰一人意識する事は無い。
人間、初めから持っているモノは無いのと一緒で、余程の知識と知能が無ければ理解出来ない。
逆に言うと、私達自閉症は「SAM」に欠陥があるから、
この本で説明されると、目から鱗がはがれるように、
過去の出来事の謎が、がらがらと音を立てて崩れ解けるように、
はっきり理解出来るのである。
そして、この説明を聞けば、パソコンが如何に記憶力が良くても、
22ヶ月の幼児の域に届いた程度の幼い科学であることが分かると思うし、
自閉症の人たちは、知能が如何に高くても、脳の一部は18ヶ月の幼児と同じレベルであることが理解出来ると思う。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月4日(月) 13:12
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2007年6月3日(日)
自己の確立の実験
自己の確立の実験はどのようにされたかを紹介しておく。
18ヶ月から22ヶ月の子供に鏡を用意する。
母親があやしている間に、トレーナーが鼻の頭に赤い色を付ける。
18ヶ月前の幼児は自分の顔が鏡に写っていることを意識せず、時には鏡の裏側を覗き込む。
22ヶ月を過ぎた幼児はすぐに自分の鼻の頭に赤い色が付いていることに気づき、時には自分でぬぐい取ろうとする。
人間はわずか18ヶ月から22ヶ月の4ヶ月の間に、「自分」というものに気づくのである。
この4ヶ月は、4ヶ月かかるということではなく、人によってその程度の獲得時期の差があると言うことである。
この時点で、我々自閉症は獲得すべき「自己」を獲得できない。
しかし、その後の成長には差が出てくる。
何による差か。
これから先は、残念ながら、知能による差なのである。
自閉症である我々にも知能はある。
しかし、そのレベルは千差万別。広く分布している。
将来きちんとした統計が取れるようになったとしたら、
多分定型発達の人たちと同じ分布を示すことが予測される。
「自己」を無意識に、脳の中にある自動プログラムで獲得出来る定型発達に対し、
私達自閉症は「知能」の助けを借りて少しずつ獲得していくのである。
その一つの例はまた明日。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月3日(日) 10:01
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2007年6月2日(土)
自己の確立
自己の確立こそが、自閉症の根幹を為すものである。
過去の自閉症の診断は経験則によって成り立っていたから、
自閉症でさらに知能の後れを伴う子供達の赤ん坊時代の記憶から、
「自閉症の赤ん坊は抱こうとしてものけ反る」とか、
「自閉症の赤ん坊は全く泣かない」或いは
「自閉症の赤ん坊は泣き止まない」と言うことで憶測した。
しかし、これらの事は、どの赤ん坊にでもありうることで、
親にしてみれば、そう思えばそうなってしまう。
現実に、自閉症の赤ん坊時代を知っている人が見れば、
それが思い過ごしか、そうでないかは一瞬にしてわかるが、
そもそも、親が相談にのる保育士や医者が、ほとんど自閉症の赤ん坊時代を現実に見ていない訳だから、
相談しても心配が募るだけなのである。
だから、「自己を確立」する22ヶ月以前の診断は意味を為さないのだ。
ノイローゼになりそうなお母さんを見かけたら、そう教えて上げて下さい。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月2日(土) 06:13
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2007年6月1日(金)
研究者の姿勢 2
研究者の姿勢について書こうと思ったのは、
やはりアメリカのTVを見ての事である。
CS、又はケーブルTVの番組で、ディスカバリーチャンネルという局がある。
先日この番組で、幼児の成長の過程を表した番組があった。
これは、アメリカのどこかの大学での研究をそのまま放送したもの。
その研究方法は、誠に科学と言うべき正しいサンプル、検証の仕方。
それを、余計な編集をすることなく分かり易い形で放送していた。
私が見た回はまさしく、幼児が18ヶ月から22ヶ月において如何なる発達をするか。
自己の確認はどの時期に行われるか。
その様子はどのように確認できるか。
をすべて的確に表したものだった。
素晴らしい研究と、素晴らしい編集は、あらゆる研究の素材となり得る。
私からすれば、それはまさしく自閉症の研究の為の実験とも言うべきもので、
自閉症の子供を持つ親たちが、
「赤ん坊の時は普通だったのに、ワクチンを打ったら自閉症になった」
「赤ん坊の頃は問題無かったけど、2才で高熱を出してそれで自閉症になった」
と訴えるまさしくその時期に、幼児が「自己」を獲得する瞬間を捉えた研究であった。
18ヶ月以前は「自己」を獲得していないために、「自閉症」との差異は少なく、
22ヶ月以降は「自己」を獲得するので、「自閉症」とは明らかに異なる。
自閉症とは、この「自己」の有無に起因している事を理解している研究者は何人いるか。
私は日本でそれを理解しているのは本当に僅かで、
さらに、心理士に至っては「辻井正次」を筆頭に誰もそれすら知らずに、
「平気で診断をしている」
本当におめでたい。
作成者
おっさん 山岸徹 もう50
: 2007年6月1日(金) 08:39
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