米軍捕虜恐れ「自決」/玉城の壕 体験者証言
【南城】沖縄戦中、南城市玉城糸数の自然壕「ウマックェーアブ」で避難してきた住民らが「集団自決(強制集団死)」に追い込まれた状況が体験者らの証言で明らかになった。日本軍が繰り返してきた「米軍の捕虜になれば辱めを受ける」との言葉を信じ、九人が犠牲になったという。字誌編さんのため、地元で聞き取り調査を続けてきた同市玉城糸数の知念信夫さん(74)は「遺族の多くは今でも苦しみを負い、戦争を語ろうとしない」と話している。(仲本利之)
知念さんや体験者の証言などによると、「集団自決」は一九四五年六月三日に起きた。
同年三月二十三日からアブチラガマ周辺に点在する十一カ所の壕には住民七−十人ごとに身を潜め、「ウマックェーアブ」でも九世帯、三十七人の住民が隠れていた。六月に入り米軍が集落まで侵攻し投降を呼び掛けた。
捕虜になることを恐れた住民ら十一人が二発の手を取り囲んで信管を榴弾
引き、九人が即死したという。当時を知る住民らは、アブチラガマには日本軍がいて、周辺のすべてのガマ(壕)には防衛隊を通じて日本軍の手榴弾が配られていたと話す。
家族五人で「ウマックェーアブ」に身を潜めていた当時十代の男性は、父親が発した「どうせ死ぬなら太陽が見える明るい所で死のう」との言葉を合図に全員で壕を脱出した。一緒に出た住民二十七人は米軍の捕虜となり、生き延びることができた。
十七日、玉城小学校で講演した知念さんは「平和な日本を次世代に受け継ぐためにも、戦争の悲惨さ、みじめさについて学んでほしい」と子どもたちに呼び掛けた。
「ウマックェーアブ」はアブチラガマ西方約三百bに位置する壕。現在は農地や道路が広がり、入り口などはなくなっている。