オーマイニュースの記事にもある通り、いわゆる「青少年ネット規制法」案がこの6月6日、衆議院を通過した。
この法律では、特に未成年者の携帯電話等でのネットアクセスの危険を低減することを目的として、罰則は書かれていないものの、かなり多くの禁止事項が書かれている法律となった。 拙記事でもご紹介した通り、この法律ができるまでに、さまざまな関係者との懇談の場が持たれ、そこでは、青少年へのネット「害」をいかに防ぐか、ということが問題にされている。 ところで、子供はずっと子供でいるわけではない。アッという間に大人になる。そして親から離れ、社会を一人で生きていかなければならない。子供の時期、保護者がいる時期というのは、一人の人間にとってもっとも多くの知識を吸収し「成長」していく大切な時期でもある。 社会に出て一人前の人間として生きていくためには、社会で使われている「道具」を使いこなし、悪い筋の誘惑に打ち勝ち、人のウソを見抜き、ダメージを受けても大丈夫な強い自分を作っていくことも必要になる。 ダメージを受けない人生なんてものは、誰でも、ありえない。病気もあれば貧困もあるだろうし、事故や災害に会うことだってないわけではない。 かつては、だからこそ親から見て「可愛い」と思える子供を、リスクを承知であえて旅に出し、子供を「悪」「危険」に晒したのだ。 子供自身に「危険」を察知して回避する力や、ダメージを受けたときに立ち直る力をつけてやることが親のすべき義務の1つである、と考え、あえて「可愛い子には旅をさせよ」と言ったのだ。 わが子を危険にあえた晒すことについて迷う親心を、この格言が後押しした。もちろん、旅に出た子供が帰ってこない、などのリスクだって、昔から十分承知されていたはずだし、実際にそういうことだってたくさんあったことだろう。 いま、古い世代が使っていなかった、新しいメディア「携帯電話」「インターネット」を多くの子供が当たり前の「コミュニケーションツール」として使う時代になった。一方、それは大人が社会を生きていく道具の1つでもあることは論を待たないだろう。そして、そこに多くの危険がはらんでいることも、また多くの方がご承知の通りだ。 便利な道具はまた悪意を持つ人間にとっても便利な道具である。道具が便利であればあるほど、悪意もまたその道具で拡大されうる。しかし、その「悪い面」を抑制することにはもちろん最大限の努力を払ったうえ、あえて子供に携帯を持たせ、危険について「強い」人間を作る、ということも本当は必要なのではないか? いまの親は、わが子可愛さのために、子供を「守る」ことだけを考えていないか? 1人の成長していく人間として子供を信じて認め、リスクも十分承知したうえ、必要なときには子供に手を差し伸べ、遠くから子供の成長を暖かく、厳粛に見守る親は、そんなに日本には少なくなったのだろうか? この法律やそれを考える人たち、そしてこの法律を肯定する人たちには「人を信じて任せる」という、社会の成立にとって重要な視点が欠けている人もいるのかも知れない。 責任回避ばかりする大人、リスクがとれない大人、困ったときにお互いに助け合えない大人、管理ばかりして成長がまるでない大人、人を信じて仕事を任せられない大人……など、見本としたくない大人を見ることが多い。 やがて大人となる「子供」。「子供は守られるもの」だけでよいのだろうか? この時代にあえて、リスクを承知のうえ、「可愛い子にはケータイをさせよ」と、記者は思う。
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