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【社説】

宮崎死刑囚 若い心の闇が解けぬ

2008年6月18日

 人形を扱うように四人の幼女を殺害し、人骨を遺族に送る異様な事件だった。死刑執行された宮崎勤死刑囚からは、謝罪もなかった。心の闇は解けず、やり場のない怒りと、もどかしさが残る。

 事件発生から二十年。東京と埼玉で四人の女児が連れ去られ、殺害された。死刑執行により、非道でむごたらしい事件の記憶を呼び起こした人も多かろう。いまだ癒やされぬ遺族の悲痛は、察するに余りある。

 宮崎死刑囚は被害者宅に人骨を送ったり、「今田勇子」の名前で犯行声明を出すなど劇場的でもあった。性的欲求や自己中心などの言葉では説明が足りない。それ故に、社会を言いようのない不気味さの底にたたき込んだ。

 自室はおびただしいビデオテープであふれていた。「オタク」という流行語で、自己の趣味世界に埋没する若者像を言い表したりする社会現象も起きた。

 だが、なぜこのような凶悪犯が出現したのか。初公判から上告棄却まで、十六年間に及ぶ裁判では、その解明が望まれたが、核心部分にほとんど迫れなかった。宮崎死刑囚は法廷で「ネズミ人間が出た」「さめない夢の中でやった」などと、意味不明の証言を繰り返していたからだ。

 最大の争点も刑事責任能力だった。精神鑑定では人格障害、統合失調症、多重人格という三種類に分かれた。一審から最高裁まで責任能力を認めながら、「なぜ」の全容解明はできなかった。司法の限界がさらされた。

 鳩山邦夫法相になり、四回目計十三人の死刑執行だ。死刑は罪の償いではあるが、宮崎死刑囚からは謝罪も反省も聞かれなかった。自ら犯した異様な行為に一瞬でも向き合ったのか。

 事件は社会の裂け目や、時代の矛盾を映すともいわれるが、どんな教訓が得られたのかを考えると、もどかしい。

 今月の東京・秋葉原での無差別殺傷事件では、容疑者は携帯電話サイトの掲示板に「孤独」の文字を残していた。無慈悲さと人とのコミュニケーションがとれない人間像には、宮崎死刑囚と共通性が感じられる。対話ができない性格や境遇が、事件の背景にあることは否めない。

 ビデオから携帯電話に至る、時代ごとのツールや環境が、犯罪とどうかかわるのか。さまざまな分野の登山口から、「宮崎的」なる世界の本質へ迫らないと、現代社会に潜む不安がぬぐえない。

 

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