45歳にもなれば、それなりの分別も身に付くだろうに、死刑囚はひと言の謝罪も悔いの言葉も残していかなかった。幼女連続誘拐殺人事件が結末を迎えた 事件から20年もたっているのに、死刑囚の心は最後までかたくなに閉ざされていたのだろうか。記憶に残るあの目は、最後まで無気力な光を帯びていたのだろうか。哀れな話である 事件は、「おたく族」という耳障りな言葉を生んだ。奇妙な流行語は、すたれていくどころか逆に増殖を繰り返し、そう呼ばれていい気になる若者まで大勢出てきた。揚げ句、「おたく文化」の街で、無差別殺傷事件まで起きる始末である あの後、秋葉原へ足を運んだ知人によると、献花台で涙を流す人たちから一歩離れると、いつものような奇態なアキバの光景が続いていたという。事件を教訓にと、事あるごとに叫ばれるが、そんな話を聞くと、むなしさが先に立つ 罪の償いに1つの命ほど重いものはないと言われる。が、社会を目覚めさせる謝罪や悔悟を残さず、中には死刑願望をあらわにして消える命が少なくない。また、救いのない結末があった。
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