Shinya talk

     

 

2008/06/18(Wed)

加藤智大や酒鬼薔薇聖斗にならずひっそりと死んでいった無数の青年

 今回のアキハバラ事件の加藤智大は私が八十年代に描いた「乳の海」の主人公である透君にそっくりだという説がある。確かに加藤智大と母親の関係をつぶさに検証すると、あれから20年の歳月を経て、乳の海の主人公が完璧とも言える姿で登場しとの感が否めない。
 その後の加藤智大の書き込みによれば、彼の母親は智大が着る服まで管理していたという。
 乳の海の1シーンに透青年がブティックに行ってコートを選ぶシーンがあるが、スクランブルジャンパーを選ぼうとして母親から止められ、むりやりにベージュ色のお行儀の良いコートを選ばされ、ついにキレた透青年は、そのコートを地面に叩きつける。
 母親から脱出した透青年はその後社会に出るのだが、ここでも現代社会という母性管理的な環境の中で徐々に骨抜きにされて行き、最後は透明な僕になって行く。
 ご承知のように透明な僕とは神戸の酒鬼薔薇聖斗の吐いた言葉だが、その事件の起こる十年前に乳の海ですでに透明な僕は登場しているわけだ。
 透青年そっくりの加藤智大が酒鬼薔薇聖斗と同じ歳とすればここに見事なトライアングルが完成するわけだ。だが透青年は透明な僕になって消えるが、加藤智大と酒鬼薔薇聖斗は爆発する。この消えることと爆発することは紙一重であり、この社会の抑圧構造の中で透青年のように消えた青年は加藤智大の何十倍いや何百倍も存在すると見るべきだろう。
 その消えるとは自殺のことである。
 いわゆるネットの出会い系自殺とも言うべき、練炭による他人同士の心中や薬物による心中である。孤独と社会的抑圧の中で加藤のように爆発せずひっそりと死んで行った青年群のことを思うと暗澹たるものがある。
 ところで私のところにきたメールの告発で読売新聞の論説委員が書いたこの事件に関する記事の中に「社会に絶望したなら他人に迷惑をかけずひっそりと死ねばいいものを」というおそるべき論調があった。
 この論理は他者の存在が念頭にないネットのゴロつき論調とまったく同じ論理であり、そのようなゴロつき論調が日本で一番部数を誇る大新聞の編集委員が書いているということに驚きを禁じえない。
 彼がのぞむ「ひっそりと死ねばいい」青年たちは加藤智大にならず、日常茶飯事に私たちのかたわらで人知れず死んでいるのである。
 

     

 

2008/06/14(Sat)

若者の労働力を搾取するマクドナルドに若者が金を落とす図の滑稽を若者は自覚してほしい

 映画その他が昼夜を問わず進行しているので、アキハバラのその後の状況を把握していないが、今帰宅してみると夕刊に「日雇い派遣禁止へ」という小見出しが三面に載っている。

 枡添厚生労働相の「気持ちから言えばやめる方向で行くべきだと思っている」という談話からこのような見出しに発展したものだと思えるが、どうものどかな感じが否めない。
 派遣法を禁じた場合、ただでも職のないフリーターに失業の危機が訪れるのは目に見えており、禁じるからにはそれをフォローする政策を新たに打ち出さねば「政策」とは呼べない。
 それに彼はそもそも派遣社員制度が八十年代からはじまったアメリカによる規制緩和への圧力に押し切られる形で成立したということを知っているのだろうか。
 それを知っているとすればあまりのどかな発言は出来ないはずだ。今度はアメリカを敵に回すことになるからである。
 この日本の若者を資源とみなすアメリカ資本の象徴はマクドナルドのような企業であり「名ばかり店長」という巧妙な搾取形態が全国の店舗でなされていることがそれをよく表している。こういった若者を搾取する外食産業が若者の購買で成り立っていることはおそろしく皮肉な図である。

 調べて見るとアメリカ資本を中心とした日本への企業進出はすでに上場企業の3割を占めるという。この数字は恐るべきものだ。彼らは日本の若者を1「資源」と見なし、いかに資源としての労働を安価に確保すべきかという雇用政策を立て、それを日本に押し付けたわけだ。この雇用政策は日本の企業にとっても都合のよいもので日米の企業が手に手をとって若者の労働力を搾取しはじめることとなった。
 そして2004年、アメリカ子飼いの小泉政権のもと製造業への派遣がいよいよ解禁され、派遣業の黄金時代が始まったわけだ。私はそのころ新宿副都心の高層ビルの42階にある用事で行ったことがあるが、赤絨毯にゴージャスな飾りつけの企業がそこにあって、これどこの企業と聞くと「人材派遣業」という答えが返って来て大変驚いたことがある。
 ピンはね業と言えばかっても私たちの青年のころにもあったが、せいぜい土方の親分がピンはねするくらいのもので、彼らもまたちょっとましな程度のアパート暮らしに過ぎなかった。それが御殿のようなフロアーを誇るピンはね業とはこの時代をよく表している。

 以上のように製造業派遣法や後期高齢者医療保険制度や身障者の労働賃金カットをはじめとするさまざまな弱者切捨ての悪法は小泉政権下で成立したものであり、福田政権はそのわりを食っているに過ぎない。その福田政権の疲弊を見て、またぞろ小泉待望論が出てくるのは本末転倒であり、小泉元首相も鬼の首を取ったようにはしゃいでいる図はまるでコミックを見ているようである。

 
 

     

 

2008/06/11(Wed)

秋葉原事件と現政権の演繹的な関係

 四国から帰ってきて忙殺されていた7月に出る単行本がやっと手を離れつつある。
 現在は2年前に出版された「渋谷」(東京書籍)の映画がちょうど撮影されている最中だが、低予算、短期間の製作とは言え、よくこんなテーマのものに予算が下りたものだと思う。
 それにしても「渋谷」のテーマは親の過干渉によって自己を失った少女の物語だが、今回の秋葉原通り魔殺人を犯した加藤智大容疑者もまた中学生になるまで親の考えられないほどの過干渉の中に置かれていたようだ。小学校時代には絵や作文を親が描いたり手を入れたりして成績優秀に無理やり仕立てていたというからこれは過干渉を通り過ぎて、変わった種類のネグレクトと言える。
 中学になると親の介在ではおっつかなくなり、智大の成績も愕然と落ち、親は智大を見捨て、成績のよい弟の勉学に全力を尽くすことになる。
 こんな状況の中、智大という名づけも彼にはプレッシャーであっただろう。
 おそらく加藤家では大学も出ず、派遣社員として末端の労働に携わっていた智大のことは家の恥でその存在すら外にあまり知られたくなかったのではないか。今回の事件はそんな両親への復讐という伏因が臭う。親を殺さず無関係の他者を殺すことによって遠回りに親に復讐する犯罪は案外多いのだ。そして智大の思い通り、両親は全国民の前で謝罪会見をするという針のむしろに置かれている。

 また私は外国人労働者が日本に入って来はじめた二十年前、そ差別的環境からいつかこういった者の中から日本人を巻き込んだ犯罪が生まれるのではないか(当時は犯罪があっても彼ら同士の中だけだった)とエッセイに書いたことがあるが、それから7,8年後にそのことが現実のものとなり、今では当たり前のことになっている。

 その延長線上で、今日本の社会を覆っている、というより若者の生活を覆っている派遣社員、契約社員という人間をモノ化したピンはね使い捨てシステムの中からなんらかの犯罪が生じるのではないかと考えたことがあったが、今回の秋葉原の事件はまさにそれを絵に描いたような出来事である。

 そういうことで加藤容疑者の犯した罪はエクスキューズ出来るものでは到底ないが、こういう若者の使い捨てシステムを容認して来た、というより作り上げた現政権の罪は重い。
 無残な形で殺された7人の殺害に演繹的に現政権が加担していることになるからである。

     

 

2008/04/28(Mon)

88寺全走破

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今月の5日に出発して24日間休みなく走り続けて今日やっと88番寺大窪寺に到着。この月は雨風が多く、かなり難儀したが、なんとか無事故で切り抜けた。走る途中で眠気のさすこともあったが、そういうときは路肩にバイクを止め、10分くらい空き地に大の字で仮眠し、またすっきりと走るということが続いた。
満願寺ではチベットの無辜の民のあの無残な死に対する弔いの意を込めた祈りをした。私のチベットの友人の家族も無残な殺され方をしているから、身の引き締まる思いがある。

これまで私は四国巡りを部分的にしているが通しで全寺を巡ったのは初めてのことだ。というよりこれまでの旅は寺と寺の間の風物に気持ちを寄せていたのだが、今回は寺のみの空間に何が見えるかという試みをしたわけだ。
88寺もまた人間と同じようにオーラの消えた空っぽの寺空間、まだしっかりと空気を持ちこたえている寺空間と、その落差の激しさにおののきを覚える。

また十年ほど前に訪れた寺がすっかり気の抜けたような場になってしまっているところもあった。正直なところオーラをまだ持ちこたえている寺は10寺くらいだと思う。
遍路路を世界遺産にという運動がある昨今。
もしそのようになったあかつきには観光化され、やがて88寺も空っぽの空間になるだろう。
ひょとしたら今回がぎりぎりのところだったかも知れないという思いが、やり終えての感想だ。

     

 

2008/04/23(Wed)

「悟り仕様」のバイクで四国を巡っている。

4月の頭からバイクで四国巡りを始めた。徳島から入り、ぐるっと一周して昨日は今治まで来た。遍路とは春の季語でもあるが、これまで私は秋や夏の四国を部分的に巡っているが春の四国を巡ったことはなかった。4月は1ヶ月ほど空けていて本来メキシコに行くはずだったが、間抜けなことに直前になってパスポートが切れていることが発覚し、新たに更新しなおすとかなりの日数をロスするので、急遽、かねてより1度はやらねがならないと思っていた春の四国巡りに切り替えたわけだ。
四国には何度も行っているが、八十八ヶ所を通しですべて訪れたこともなく、それを実現する意味もあった。当初は歩くことも考えたが、5月にどうしても外せないことがあり、バイクにしたのだが、出発の前にある人にバイクで四国を巡るとメールしたら「かっこいい」という言葉が返ってきた。おそらくハーレーの1200ccくらいのバイクでさっそうと走る姿を想像したものと思われる。私は返事をしなかった。人の夢は壊したくないからだ。
ただしここで臆面も無くその夢を壊してしまうことになるのだが、私は今回きわめて「かっこ悪い」旅をしているのだ。バイクと言ってもハーレーやBMWなんかではなく、よく街のピザ屋が出前で乗り回す屋根つきボックスつきの50cc原付バイクでエッチラオッチラと走っているからだ。
なぜこれにしたかというと雨がしのげる。荷物が載る。そして普通のバイクでは荷物を載せると重心が高くなり不安定だが、このホンダのジャイロアップというのは荷物を載せると逆に重心が低くなり安定する。そんなにスピードを出す必要のない四国巡りにはもってこいではないかと思ったのだ。というよりこれは車体も装束のように真っ白だし(ちなみに四国巡りの装束が白いのは死に装束の意味がある。黄泉の人間となって寺を巡るのだ)四国巡りのためにあるようなバイクだと合点した。

ところがこれが旅をはじめてみると、なかなか過酷である。
だいいちあのバイクはピザ屋が近くの誰かにピザを配達するために出来ているようなもので、一ヶ月もの長丁場のツーリングをするために出来たような代物ではない。1日100キロも走るとものすごく疲れる。振動が体にこたえるのだ。普通大きなバイクでも一ヶ月も続けて走るというのは神経をすり減らし、かなり疲れるはずだが、このバイクは振動がある上に時速が最高4、50キロしか出ないために車の流れに乗れず絶えず後ろからやってくる車をバックミラーで注視しておかなくてはならない。普通のバイクなら車は横をするする抜けて行くだろうが、中途半端に車幅を取るために後ろに車が溜まってしまう。だから頃合を見計らって路肩にギリギリ寄り、スピードを落とし後続の車たちをやり過ごすという余計な作業を常にやる必要がある。これが地図をたよりに寺を探しならがということもあり、二重三重に神経を使うわけだ。一日の行程を終えると体と頭がボーッとしていることもある。
歩くとはまったく別の過酷さがあるのだ。
とくに四国ではアップダウンが多く、荷物を載せたこのバイクで峠を登るのはかなりの技術を要する。いままで最高800メートルの峠越えをやったが、はっきり言ってこの荷物を載せたバイクで一気に800メートルも登るというのは無謀だ。エンジンが焼けるので時速10キロくらいでだましだまし走らねばならない。走っているというより歩いていると言った方がいい。それも時々クールダウンのために休ませるから歩いているようなものだ。
そんなこんなで、まあよくここまで無事故で走ったものだと思う。
ただし長丁場で走るとこの不恰好な車にも何か友達のような愛着が沸くもので、一日の行程を走り終えて、止まっている姿を見ると妙にかわいい。
というより自分としてはハーレーなんかを乗っている者とすれ違っても逆にこっちの方が粋でかっこよく感じはじめたから不思議だ。あれはいかにもって感じでベタすぎるのだ。かっこ悪い、イクオール、かっこいい、のである。
まあ、これもひとつの境地、悟りの姿と言えないこともあるまい。


     

 

2008/03/15(Sat)

今回のチベット抗議活動について

20年前のチベットの抗議活動のおり、当時20万のチベット人が虐殺された。

一口に20万というが、一個の市の人口のすべてが殺戮されたと考えればむな怖ろしい。広島の原爆投下による死者は10万人前後とされるから、広島の死者の倍という勘定だ。20万人という数が途方もない数であることが知れる。
また中国側の主張する南京の虐殺30万人説と比しても、同等のチベット人が中国軍によって殺されているということになる。
それはあくまで抗議活動時の死者の数であって、1949年から10年間にわたる中国のチベット占領時に120万人ものチベット人が虐殺されている。
ただし、中国はチベット占領時にアメリカのように大量殺戮兵器を使ったわけでもなく、ナチスのようにガス室で一気に大量に人を殺したわけでもない。
人海戦術で120万、そして20万人を殺したわけだ。この途方もない負の人間力は驚愕に値する。

さてその20年前のチベット抗議活動時に鎮圧の陣頭指揮を執ったのが現国家主席の胡錦涛氏であることは歴史的事実として誰もが知るところのものである。
胡錦涛氏は1990年10月、チベット軍区中国共産党委員会の第一書記に任命され、チベット人を大虐殺の末、抗議活動を鎮圧したわけだ。 これが評価され、のちに国家主席の地位に就くわけである。私は胡錦涛氏が国家主席になったとき怖ろしい人が主席になったものだなと当時そのように思った。その怖ろしいという意味は胡氏のその穏和で紳士的な面相と過去に行ったことの大きなギャップの怖さである。

そのように胡錦涛政権はチベット弾圧と虐殺という血塗られた過去の大きな負の遺産の上に成り立っているということを忘れてはならない。

今回のチベットの抗議活動(マスコミは「暴動」という言葉を使うべきではない)は胡錦涛政権の元でのオリンピックを照準としたものであることはほぼ間違いないだろう。というのは中国でオリンピックが開かれるということは、それに参加する世界の国々が半ば中国を民主国家として承認するに等しいからである。
そして胡錦涛氏の過去の負の遺産をも忘却の彼方に押しやってしまいかねないからである。

その意味においても、マスコミはそれを暴動という言葉で括るべきではない。暴動という言葉には無分別、無思慮という意味合いがある。
今回の出来事は歴史的事実の上に立ち、現状を見据えた上に起きた抗議活動に他ならないからだ。

     

 

2008/03/05(Wed)

手に入りにくい藤原新也特集

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Photo GRAPHICA」という雑誌で私の特集が組まれている。
全74ページ 写真と絵に関するインタビュー2編。
小さな出版社から出されている雑誌だが、手作りの気持ちの良い雑誌だ。
手に入りにくい雑誌だと思うので、編集部から送ってもらった販売店のリストを上げておく。

青山ブックセンター 本店 六本木店

旭屋書店 大阪本店 札幌店 池袋店 なんばCITY店

あゆみブックス 仙台店 仙台青葉通り店

大垣書店 烏丸三条店

紀伊國屋書店

新宿本店 札幌本店 横浜店 新宿南店 国分寺店 本町店 梅田本店 大津店

福岡本店 久留米店 長崎店 鹿児島店

三省堂書店 有楽町店 神保町本店 名古屋高島屋店

ジュンク堂書店

大阪本店 盛岡店 仙台ロフト店 新潟店 大宮ロフト店 新宿店 三宮店

梅田ヒルトンプラザ店 京都店 京都BAL店 福岡店

TSUTAYA TOKYO 六本木店

TSUTAYA 横浜みなとみらい店 三軒茶屋店 あべの橋店 福岡天神店

ブックファースト ルミネ新宿1店 ルミネ新宿2店 銀座コア店 京都店

丸善 丸の内本店 津田沼店 ラゾーナ川崎店 名古屋店 福岡ビル店

有隣堂 戸塚モディ店

リブロ 渋谷店 吉祥寺店

※Webサイトでの販売はこちら

http://direct.ips.co.jp/book/Template/Goods/go_BookstempMDN.cfm?GM_ID=340804&CM_ID=&SPM_ID=2&HN_NO=00405&PM_No=&PM_Class=


     

 

2008/03/01(Sat)

相当イナバっとるな。落ちそうで落ちない親子ともどもなかなかできない難易度の高い技である。

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2008/02/22(Fri)

自動操舵その他

車ではハンドルを切らない限り、車体は直進する。
海では様々な波が行く手を阻むため舵の角度を一定にしておいても、船は直進せず、常に左右に振れ、波の具合によっては時にはとんでもない方向に進んでしまう。だから手動操舵で常に舵を微調整する必要がある。
自動操舵とはこの微調整を自動で行うものと思えばいい。
つまり目的地点に針度を合わせ、そのままスイッチオンで船は自ら左右の振れを調整しながら直進するわけだ。
今回のイージス艦「あたご」はこれをやっていたわけで、つまり漁船軍団の中を有無を言わさず直進するという態度が濃厚。
無神経である。

また今回漁民側が公開した魚船の動きについてだが、船のGPSには航跡を記録するシステムが備わっている。私もこの航跡の記録をたよりに元の位置に戻ったりすることがあるのだが、イージス艦も当然このシステムが機能しているわけである。
だから漁民側と同じようにGPSに残っている航跡の記録を公開する必要があるが今のところ公開していないようだ。
航跡を公開すればたちどころに彼らが衝突を回避するために舵を切ったか否かが分かってしまい、具合が悪いからだろう。

また、見張りに関しては情報によると彼らはキャビンの中からガラス窓を通してやっている。
この場合、ガラス越しの場合、視認能力は極端に低下する。
よく陸に近いところでボートが岸壁に衝突することがあるが、これもキャビン内操縦のガラス越しのために視認が難しいためである。

さらにかりにキャビン内に明かりが灯っていたとするなら、外洋の視認はほとんど難しいに等しい。電気を消し真っ暗にすると海は見える。
だから見張りの際にキャビン内の明かりが灯っていたかどうかという検証も必要になる。



     

 

2008/02/22(Fri)

常に命の危険に曝されているという海の男の生体感覚を失った海の男たち

今回の海難事故は他人事ではない。
海では陸と違った意味で乗船者は常に死と隣り合わせにあるからだ。
特に私のようにたった一人で船を操縦することが多い者は自分の命は自分で全責任を負わねばならないが、複数で乗船している漁師さんたちも基本的には同じことだ。
そして同じ環境にある者同士の中で海独特の見えない意識の交流のようなこともある。
以前、普通なら絶対釣りなどしない、かなり荒れた海の中で釣りをしていたことがある。私の船は17フィートと小型だが波に強い船であるためについこういう危険を冒してしまうわけだが、釣りをしていると、彼方遠くから全速力で一艘の漁船がこっちに向かってきた。
一体何事かと見守っていると、近くまでやってきた船の漁師がこっちを覗き込んでいる。それで釣りをやっていることを確認し、ユーターンして帰って行った。
つまり、漁師は私が遭難しているのではないかと全速力で近づいて来たわけだ。

今回の事故に関して勝浦漁協の漁師さんたちが記者会見し、イージス艦側の言っていることに反論していたが、私はこのような場面でも日常的に命の危険に曝されている彼らのシビヤーな一面を見る。
黒板に船の位置や航跡などを書きながらの彼らの説明は非常にロジカルで穴がない。
それとは対照的に海上自衛隊側の説明がきわめて曖昧で鈍感なのに驚かされる。

その二つの人間の佇まいの違いはおそらく事実を隠蔽しょうとするというような政治的なもの以前に、巨大な船に乗っている者の生体感覚と、小さな船に乗っている者の生体感覚の違いのように思える。100メートル以上もある鋼鉄製の船に乗っている感覚はおそらくかなりバーチャルなものではないか。
その上に、海ではなぜか大きな船の方がえらいという妙な感覚がある。大きな船はあたかも航路の占有権を持っているかのごとく、遠くに小さな船を見つけるとそこどけそこどけと言わんばかりに直進し、こちら側の回避にすべてをゆだねるわけだ。
特にこれが軍艦となるとさらに横柄でエマージェンシー時でもないのに海全体を自分が支配しているかのような航行をする。
漁船軍団の中にありながら自動操舵に任せていたという今回の信じがたい一件がそのことを良くあらわしている。
どだい感覚が違うのである。
そういった漁師と艦船乗務員のメンタルの違いという観点から今回の事故を検証するまなざしも必要ということだろう。


余談だがつい最近このホームページを管理する者から通算アクセス数が1千万を越えたという報告があった。あまりそういうものを数える趣味はないのだが、弱小のサイトながら思うにこれはやはり大変な数だと思う。ブログの更新を私ほどさぼる人間もあまりいないだろうが、これを機会にせっせといつもアクセスしていただいてがっかりしている方たちにお礼を申し上げたい。べつに1千万を越えたからといって本の売り上げのように大金が転がり込んでくるわけではないが(笑)まあ、無償だから尊いということもあるわな。

     

 

2008/02/19(Tue)

衝突事故の周辺の自然に鈍感な空論の横行

 個人的な意見を述べるなら、イージス艦は最新鋭の機器にたよって見張りを怠ったとしか考えられない。

 私は一級免許を所有していて早朝の暗いうちから何度か外洋に出たことがあるが、普通船のことを知らない人は夜の海というのは真っ暗でなにも見えないと考えがちだ。
だが夜の海というのは陸とはくらべものにならないくらい周囲がよく見えるものである。
ライトも必要がない。海というのは広大なためにライトをつけても何の役にもたたないし、むしろほのかな海の光をかき消し、邪魔になるくらいのものだ。

 また今回の衝突事故は午前4時に起きたことになっているが、19日の月はほぼ満月に近い状態にある。計算すると月の入りは5時6分であるから、西の水平線上約30度の角度に月は煌々と照っていたことになる。
 たまたま私も昨日は夜更かしをして房総の海を見ていたが、空は晴れ、遠くの波頭さえ見えるほどの惚れ惚れとするようなすばらしい月の海だった。かりに現地の空が曇っていたとしても月夜の曇り空は案外明るく、むしろ満遍なく明かりが拡散して、海は明るい。
 いずれの場合でも海では目視によって相当遠くのものまで確認できるはずだ。
 またかりに月夜でない場合は見張りは暗視眼鏡を装着するはずだ。だから月夜でなくとも目視は可能なのである。

 テレビ報道を見ていると専門家まで以上のような基本的な海の状態に言及する者がいず、評論をする者がいかに実践経験に乏しいかが知れてしまう。

 またレーダーに映らないかもしれないという人もいたが、外洋に出る場合レーダーリフレクターというものをつけており(私の船も装備しているが)遭難した船もこの装備をしていたとある。リフレクターはそんなに大きなものではなく、数十センチ程度のものだが、この威力は大きく、もしレーダーでも確認できなかったとするなら、最新鋭の軍艦というものが一体何かという疑問も生じるわけだ。
 
 いずれにしても、こういうだらしない事故を起こすようでは(やってもらっても困るが)日本は戦争なんかできっこない。

     

 

2008/02/15(Fri)

前回トーク修正

ウインナー → 魚肉ソーセージ

     

 

2008/02/04(Mon)

毒を食わされても仕方がないよな日本人。

食の話のついでに、問題になっている中国食品の件について少々。
昨年の私の周辺で起こった十大ニュースのひとつに謎のウインナー事件がある。
上海に行った知り合いがそれなりのいいホテルの朝食の記念にと自分の犬のために数本のウインナーを持って帰った。
だが犬が食わないというのである。
「やはりカリカリばかりやっているのでだめなのでしょうか」と差し出したウインナーにウムッと負のオーラを感じた私はこれをもって帰り、千葉の野良猫で、いつも飢え、いかなる食材もたちどころに食ってしまう(野菜、こんにゃく、カレー、なんでもかつえたように食う)にホイッとやってみたところ、天地がひっくり返るほど驚いた。
猫またぎというべきか、一瞬臭って、そのまま無視したのである。

この猫が食わないということは恐ろしいことである。
猫は独特の嗅覚で危険を悟ったのかも知れない。一体何が入っているのか?。

まあそんなわけで中国食品の恐怖というものを身近に感じた昨年だったが、今回の中国餃子の件に思うことは、中国人も恥ずかしいがそれ以上に日本人の方が恥ずかしいと思わなければならないということである。
生きて行くための「食い物を作る」という人間にとって基本的なことを他の国にまかせておいて、それに何が入っていたかにが入っていたと騒ぐのは自分の尻を他人に拭いてもらって汚れていると騒ぐに等しい。他の国の人間が利益を考えたとしても日本人の健康やお尻のことなんか考えるわけがないのである。他国人が作ったものを食う限りにおいて日本人はえらそうなことは何も言えないのだ。

この自分で食うものを生産しない国の人間が、また家庭内においても料理作りをサボタージュして、お手軽な出来合いの冷凍食品を子供に食べさせる構図は、まあこれは食材他人まかせ国家における地続き的因果というべきもの。

この一件が広く海外に喧伝され、日本人の食の退廃の実態を知られないことを願うばかりだ。

     

 

2008/02/04(Mon)

近江町市場はよい。

4日の昼は近江町市場の中にある「さしみ屋」で食べた。
「さしみ屋定食」2000円。
5種の刺身そのたもろもろ、調理も手早く大変美味しくいただいた。
近江町市場の活況はうらやましい。
私の郷里の門司港の市場が青息吐息で閉店も相次いでいることを思うと、金沢の人のこのように市場を大事にする気持ちがすばらしいと思う。

それにしても鮮魚店に並ぶ日本海の魚の種類の何と豊富なことか。しかも値は東京の半額くらいだろう。魚の知識には多少詳しいと思っている自分の知らない魚が2種あったのにも驚いた。
このように鮮魚において有り余る食材が居並んでいるというのに、昨日の「太郎」の鍋の凡庸な鮮魚の選びが何なのかあらためて考えざるを得ない。
その前の日には新興の料理屋で食ったがこっちは創意工夫を凝らし、味もよく、値段も安かった。
このことは東京でも言えることだが、新興の店というのは新しい客を獲得するためにしのぎをけずり、工夫をこらし、値段もできるだけ抑えるという血の出るような努力をしている。
老舗というものは伝統がある分、時代に即した工夫に欠け、マンネリに陥り、料理そのものが「死に体」になってしまうということは多々あることだ。
私が面倒を見ている駒ヶ根のベンガルカレー「アンシャンテ」の小笠原君に、年に2度は工夫をこらした新しいメニューを考えなさいと言っているのもそのためだ。

     

 

2008/02/03(Sun)

老舗に気をつけろ!

 赤福や吉兆に限らず、代替わりをした老舗の食は、名前と常連客の上にあぐらをかき、あちらこちらで退廃の一途をたどっているようだ。今日、鍋ものではここと地元の人に教えられて金沢の主計町の「太郎」という料亭に行ってみたのだが、お粗末。
出汁の味はまあまあ。だが特段に優れているというわけでもない。
具は鮮魚だが(本来鮮魚料理は漁と河岸が休みになる日曜に食べるものではないが今日しかないので仕方がなかった)魚の中では安価な鱈がやたら多い。鯛はたった一切れ。カワハギにいたっては小ぶり。カワハギは大きいものは値が張る。小さいものは雑魚扱いになる。
野菜類は白菜に甘みがあるが、この程度の白菜ならどこにでもある。きのこ類がシイタケ、エノキダケと至って平凡。練り物は淡白すぎて存在感がない。
おわりに雑炊となるが、平凡。雑炊についてきたお新香が貧弱。キャベツの塩もみを叩き刻みにし、その横にタクワンが二切れ。美味しくない。まるで民宿のお新香だ。
メインではない、お新香とデザートと言ったものにこそ、その店のデリカシーと気合が現れるものだ。だから侮ってはならない。
最後のデザートにはおったまげた。
その店の宣伝ティッシュに重ねられた普通のミカンひとつがごろんと出てきたのだ。別に特別なミカンではなく、その辺の果物屋で売っているようなものである。
料亭のデザートでミカンぶっきらぼうにごろんと出てきたのは後にも先にも初めての経験のことであきれるより笑えた。

老舗恐るべし。
だな。

ちなみに従業員の名誉のために言うなら年増の仲居さんの対応は大変よかた。

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