法務省は17日、3人の死刑を執行したと発表した。3人の中には、埼玉県と東京都で昭和63年から平成元年にかけて4人の幼女が犠牲になった「幼女連続誘拐殺人事件」で誘拐、殺人罪などに問われた宮崎勤死刑囚(46)=東京拘置所在監=が含まれている。遺骨や犯行声明を遺族に送りつけるなどの手口で社会を震撼(しんかん)させた宮崎被告。平成18年の死刑確定からわずか2年での死刑執行となった。
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確定判決によると、宮崎死刑囚は昭和63年8月22日、埼玉県入間市で4歳女児を乗用車に誘い入れ、東京都五日市町(現あきる野市)の山林に連れ去って首を絞め殺害。翌年2月に自宅裏庭で女児の骨などを砕いて焼いた。
昭和63年10月3日には、埼玉県飯能市で7歳女児を車に誘い入れ、五日市町の山林で首を絞めて殺害。同年12月9日には、埼玉県川越市で4歳女児を車に誘い入れた上、車の中で首を絞めて殺害し、山林に遺体を遺棄した。
平成元年6月6日にも東京都江東区で5歳女児を同様の手口で連れ去って殺害し、同月8日に自宅で女児の遺体を切断し、同月10日に霊園などに捨てた。
平成2年3月に初公判が開かれたが、精神鑑定などのため公判が中断されたこともあり、1審の審理に約7年かかり、東京地裁は9年4月に死刑判決を言い渡した。13年6月に東京高裁が控訴を棄却、18年1月には最高裁が宮崎被告側の上告を棄却し、死刑が確定していた。
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