アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2007年8月17日(金)

自閉症

この2百年程の間に、何人かが自閉症に取り憑かれ、研究した。
ほとんどその観察に時間が費やされ、解明には至らない。

しかし、その内の幾人かは、少しだけとっかかりを見つけた。
同じモノを追求している同志であれば、その表現は異なっても、
切り口は違っていても、分かり合うものである。

その中で、私がそのとっかかりとして理解出来たのが、
「SAM」であり、「防衛規制の極端な弱さ」であり、
「セントラルコヒーレンスの障害」である。

これらは、それぞれに理論的な解説があるが、誰でも理解出来るものでは無い。

しかし、誰でも、「自閉症を見たことがある」人なら分かる事がある。

それは、「自閉症児(者)の記憶力の異常」である。

自閉症の度合い、知能の高低に係わらず、すべての自閉症には、「極端に記憶力が良い」
と言うことが、観察出来る。
これは、譲ることが出来ない事実である。

これも、やはり理論的には、脳機能学として裏付けられる。


ニキリンコが、1999年より、自閉症を初めて、多くの人がニキリンコを信じ、話を聞いてきた。
それによって、ニキリンコを演じている人間が、非常に記憶力が悪いことが知られてきたのである。
しかし、さすがに「ビッグになる」という概念を理解出来る自閉症。
今度は、「記憶力の悪い自閉症」と通論にしようとあちこちで書いている。

「概念」が理解でき、「記憶力」が普通。
私は、これを「定形発達の人」と呼んでいる。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月18日(土) 08:16 [ コメント : 5]

2007年8月16日(木)

寝てばかり

「あんたのお父さんは寝てばかり。あんたも気を付けなさいよ」

母は、耳にタコが出来るどころか、イカが生えるぐらい言い続けた。

北海道に観光に出かけたときも、「必ず良一(イトコ)の所へ寄りなさい。少しは説教されなさい」と言われ、
良一の所へ行くと
「おまえのおやじは寝てばかり。俺がおまえの家に下宿していたときは、
おれの下宿代で家族全員が生活してたんだぞ」と説教される。

気を付けろって、何にどう気を付けるんだ?

そう言われている父は、一部上場会社の取締役までやった。
良一おまえは教師で、会社勤めをしたことさえ無いじゃないか。

この母はいったい何に不満なんだ?
自分は専業主婦で金も稼がずぬくぬくしてるだけ。
いったい何が言いたいんだ?

確かに、私はすぐ眠くなる。
しかし、結婚した妻もすぐ眠くなるから、文句は言われない。

結局、母の意味不明な忠告はなんの効果も、成果ももたらさず、
わたしに、その都度嫌な感情を与えただけだ。

母の無意味な影響力から離れ20年。
「眠くなったら寝る」これが我が家の家訓となっている。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月16日(木) 11:16 [ コメント : 0]

2007年8月15日(水)

8月15日

父の育成歴を調べた訳でもないし、特別な裏付けは無いが、
私の勝手な思いこみとすれば、彼も自閉症のグループであったような気がする。

望んだかどうかは知らないが、戦争を生き残り、子供を3人も作り、
本当に身も脳味噌も粉にするほど働き、私を私立大学にまで進ませ、アルツハイマーになって死んだ。

私が自分の分身であるかのような子供が出来ることを拒否し、
夫婦だけでも生活するのがやっとなのとは大違いだ。

その差が、本物の若年性痴呆症アルツハイマー病になった事と、
うつ病程度で何とかくい止められたことの差であると私は勝手に思いこんでいる。

私を診断した医師は、私達夫婦のことをなんと「自閉症の成功例」などと口走った事があるが、
経済的に見れば父の方が遙かに成功者だ。
しかし、その平穏な生活を考えれば、私達夫婦の方が成功者だ。

人間何を基準として見るかによってその評価は大いに分かれる。
私は、会社で働いた経験もあり、今はフリーで働いている。
どちらにも利点も欠点もある。
ニキリンコのように「ビッグになりたい」と言う人間から見れば、敗北者そのものなのに、
ニキリンコは懲りずに妙なコメントを付けてガセネタを何とか流そうとする。
「俺は敗北者なんだから構うなよ」

自閉症と診断され、養護学校を卒業し、しかし、敢えて一般企業に就職する。
親は子供が就職したことで、何かを得るのだろうか。
達成感か。

自閉症のことも、その親たちのことも、取り巻く社会も難しい話ばかりだ。

とにもかくにも、呆けながらも母に満額近い年金を供給し続けた父は、
8月15日くそ暑い中死んだ。
忘れようにも忘れられない日に死んだ。
20年程前、アルツハイマー病がほとんど知られていない頃の話である。

合掌

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月16日(木) 11:00 [ コメント : 0]

2007年8月14日(火)

私の父に対する評価は兄弟の中でも分かれるようだ。

私は、釣りという貴重な時間を一緒に過ごせたこともあり、好きだった。

父の足には戦争の時の大きな傷跡があった。

父は、シベリアで抑留され日本に生きて帰ってきた。

しかし、父は不思議と戦争の事、兵隊時代のこと、抑留されていた頃のことなど
一切話さなかった。

ただ足の傷跡について聞くと「砲弾のキズ」と教えてくれた。
「砲弾って大砲のこと?」
「砲弾」

父の言っていた意味が分かるようになったのは、最近のような気がする。

何故父は戦争時代の話を話さなかったのだろう。

私は聞いてみたい気もしたが、
聞かなくて良かったような気もする。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月14日(火) 20:54 [ コメント : 0]

2007年8月13日(月)

カラッカラックワンクワン

この連続と停止の間に興味を持つのは、セントラルコヒーレンスの障害と関わりがあると私は考える。

自閉症のグループ、或いはそれらしいといわれる人達は、皆この連続と停止の間の魅力に取り憑かれている。

簡単に言うと、線と点。

線は点が集まったモノである。

点には長さが無い。

しかし、線には長さがある。

10センチの線に幾つの点が含まれているのか。 無限である。

しかし、10センチの線と20センチの線の長さは違う。

では、10センチの線の中の点の数は無限。
20センチの線の中の点の数は無限。

同じ無限の点の集まりなのに長さが違う。

こんな根元的な事に、小学1年生が気付いてしまったら、
彼は永遠にこの謎の虜になってしまい、小学生の普通の問題は解けなくなってしまう。

1+1は2
リンゴが1個ありました。もう一つもらいました。合計何個でしょうか。

そのリンゴはどのくらいの大きさなのだろう。
切り分けたリンゴも一つと言うんじゃないか?
一つってどういうこと?

この哲学的疑問に気付いてしまった少年もこの先算数が出来なくなる。

当たり前と、簡単に乗り越える、或いは分かった事として、次に進む。
これが出来ないのが、自閉症だ。

それらは、国語でも、英語でも、物理でも、科学でも、
ありとあらゆる所に根元的問題が転がっているから、ある日気付いてしまったとき、
彼らの思考は、哲学的深みにはまっている。

一般的な「学歴」というくくりからははみ出しているだろうが、
そんな無駄な根元的思考が、ある日何かを生み出す場合がある。

その特殊例が天才と呼ばれる人で、すべての自閉症の人間では無いことを自覚しなければ為らない。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月13日(月) 22:15 [ コメント : 1]

2007年8月12日(日)

クワン クワン

もう一つの見方もある。
これも体験上からなのだが、中小2つの調理用のステンレスボールがある。

これを回すと、その回り方は、何とも表現できない微妙な違いで回る。
この決して同期しない2つのボールが、同時に停止する事がある。

その状態があり得るのだから、見てみたい。
見てみたいから、一心に回す。

偶然、自分自身でも納得できるタイミングで、ほぼ同時に止まる。

そうすると、そこでボール回しが終わるような気がするが、
そう言うわけではない。
その瞬間を見たことには満足し、すぐもう一度見たくなる。

その行為は「ごはんですよ」か、「ポケモン始まるよ」か、何かは知らないが、
外部からの意外な働きかけで、突然納得して終わる。

これも、体験上からの意見だ。
「キラキラ」が好きなのではない。

注意深く、丹念に観察すれば、きっと彼が考えていることの一部だけでも分かるかもしれない。

研究者に最も必要なのは、真摯な態度だな。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月12日(日) 16:06 [ コメント : 0]

2007年8月11日(土)

カラカラ

自閉症の子供がステンレスのボールを裏返しにしたまま回す。
中小2個のボールを回す。

その様子を後からとり、ナレーションを被せる。
「このように、自閉症の子供はキラキラが好きです」

だれが、そんなガセネタ言ったんだ。
この子に聞いたのか?出鱈目言うな!
自閉症の子供が同じ事を続けてやっていると、必ず「**が好きなのです」
とナレーションを断りも無しに入れる。
人間、同じ事を続けると「好き」としか考えられない狭量の人間が考えそうな事だ。
何度も自傷行為を繰り返す。
これを「彼女は皮膚を切るのが好きなのです」とナレーションを入れるか?
他のケースで考えれば至極当然な事も、自閉症の世界では馬鹿げた「風習」として、
ずっと使い続けられ、また自閉症の子供達が反論できない事をいいことに、平気で孫引きされる。

少しは自分の頭で考えて見ろ。

実は、私もボール(調理用)回転が好きで、時に中学生ぐらいでもやっていた気がする。
ここで、好きと表現したが、何もボールを回すのが好きなのではない。
勿論キラキラが好きなわけでもない。

ボールを回転させると、「回る」という運動をしている。
これが、速度が弱くなり、「ゴワゴワ・・コワコワ・・クワクワ・・カカカカ・・クワン」最後には止まる。
私はこの止まる瞬間がどうしても見たいのだ。

「動いてる」これは簡単に分かるし、再現出来る。
「止まっている」これも簡単に再現出来る。
「動いてる」があって、「止まっている」があるなら、
その中間「止まる直前」が実際存在するし、確認できるはずである。

それで、何度も、何十回も、何百回も実験するのである。
回すのが好きなのではない。
キラキラが好きなわけでもない。
とにかく、あるものを、あるがままに、目で見て確認したいだけなのである。

ところが、この行為は、論理的、物理学的には理に適っているのだが、
現実に目で見て確認する事は不可能なのである。

その事を、理論的に理解出来たとき、ボール回しは終わる。

しかし、子供にはそこまでの理論的構築が出来ないから、実験するしか無いのである。

私は、体験上からこう理解する。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月11日(土) 21:50 [ コメント : 0]

2007年8月10日(金)

聞き間違い 言い違い

私の家は、姉二人と母で、女が3人寄ってかしましい家だった。

言い違いや、聞き間違いは徹底的に言いつのられて、認めるまで許されなかった。
逆に言うと、自分が如何に言い間違いをするものか、聞き間違いが多いかを自覚した。

しかし、性格的にはかなりひねくれたかもしれない。

その点、妻は自閉症のサラブレッド。のびのび育った。
のびのび育ったおかげで、自分の頭の中の事柄と、口から出た単語が違ってもお構い無し。
自分の考えが優先だから、途中で単語が入れ違い内容的につじつまが合わないことを指摘しても、
間違った単語を口走ったことは絶対認めない。
人間誰しも言い間違いはある。
こちらとしては、話の筋から、言い間違いだろうから、確認しただけなのに、
「そんな事いうわけ無いじゃないか!話の筋を考えろ!!」
と怒り出す。

言い間違いの指摘に対する耐性が非常に低い。
これは、会社でも同じ事だから、時々つじつまが合わない話で気まずくなる。

聞き間違いもものすごく多く、コントのネタにしたら天才的だ。
あまりに多すぎるので、一度も書き留めたりしたことは無いが、笑いの素でもあるのだ。

それをみれば、道化としての役をこなすわけだから、愛される部分もある。

実社会で生活するには、生き辛いこともあるし、そうでない面もある。
「アスペは辛く悲しい」と単純なモノではない。

人間とは、多様なのである。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月10日(金) 14:45 [ コメント : 0]

2007年8月9日(木)

うた

ポップスにしても歌謡曲にしても、どうも歌詞を受け付けない。
受け付けないと言うか、理解出来ないというか、とにかく頭に入らない。

頭に入らないと言っても、当然歌詞と曲は密着しているから、歌詞付きで歌う事は出来るんだけど、
よく言われるように「この歌詞を聴くと元気づけられる」とか、
「この歌詞に感動して」とか云うことが全く無いんだな。

歌詞は曲の一部ではあるのだが、文節として理解出来ないというか、すでに言葉じゃ無いのだ。
だから、日本語の曲でも、英語の曲でも、歌詞に意味を持てないから、
英語の曲の方が、メロディーラインが分かりやすくていい。
さらに、歌手が居なければ、より曲だけの存在だから、より良い。

となると、ジャズや、イージーストリームというか、スムースジャズというような物の方がもっと良い。

この辺の話は、どんな構造になっているのか、今は全く分からない。

妻は、話しかけても、言葉をそのまますぐ取り込む事が出来ない。
大抵聞き違いが多くて、なんでそんなに聞き違えるのかと思うくらい聞き違える。

よく私は、その聞き違えを笑うが、実は私も同じように、歌を聞き違えているのかもしれない。
聞き違えるというより、意味を捉えきれないと言った方がいいのかもしれない。

とにかく私にとって、歌詞はすでに詩ではないのだ。 

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月9日(木) 10:06 [ コメント : 0]

2007年8月8日(水)

急性ストレス障害

相撲協会から派遣された精神科医が朝青龍を診断して、急性ストレス障害と報告した。

正式な診断名が明らかになったらなったで、マスコミはさらに大喜び。

あちこちに、取材を広め話題作りに忙しい。
今は主に、その治療法についてだ。

和田という精神科医はこういった。
「モンゴルより、日本の方が心療医療においては進んでいるはずだから、
直ちにモンゴルに帰るというより、日本できちんとした医療を受けた方が
良いだろう。」

成る程、朝青龍がロボットならその通り。
技術と設備が確かな所で修理した方が良いだろう。

ところが、朝青龍はああ見えても人間だ。

本人がモンゴルに帰りたいと言うんだから、帰らせてやればいいじゃないか。

精神科医なら、もう少し、「相手の気持ちを考えよう」 だぜ。

どうなろうとも彼の人生だ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月8日(水) 07:40 [ コメント : 0]

2007年8月7日(火)

いじめ

イジメはどこにでもある。動物にもイジメはある。
いや、動物であるからこそイジメがあるのかもしれない。

ところが、時折「いじめを無くそう」等と脳天気な事を言うヤツが居る。
いじめなんか無くなるもんか。
そう言ってるおまえが、一番陰湿なイジメをしてるんじゃないか?

いじめというのは、生物学的に、競争相手を1人でも少なくしようという、生理的行動だと思う。
犬でも、黒い犬の中に、一匹真っ白な子犬が生まれたら、その白い犬を蹴り出してしまう。
自分の子供だって容赦はしない。

そんな、生理的な出来事を、「無くしましょう」なんていうヤツは、
性交は淫らな事なので、無くしましょう。と言うのと同じということが分かっていない。
セックスは、種の保存として最も重要な事じゃないか。
にもかかわらず、未だに「イジメを無くしましょう」というキャンペーンが張られる。

イジメは無くならない。
雅子様イジメだって、朝青龍バッシングだって無くならない。

しかし、そこは知性のある人間だ。
相手が、死ぬまでイジメさせてはいけない。
相手が、自殺したくなるまでイジメさせてはいけない。

イジメは無くせない。しかし、途中で止めさせる事は出来るはずだ。

子供達の、小さなイジメに目を光らせて欲しい。

でも、教師になるような奴らは、苛められた経験が無いんだよな。
だから、ちょっとした素振りに気付かないんだろうな。

まあ、好意的に見て、そう言うことにしておこう。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月7日(火) 08:45 [ コメント : 0]

2007年8月6日(月)

雅子様いじめ

「朝青龍問題は形を変えた雅子様イジメだ」妻が面白いことを言い出した。

そもそも外国から(雅子様の本拠は北米)無理を言って連れてきたのに、
一度来たら、「日本の礼儀に従え」と徹底的に従属を要求し、
仕事が出来ないほど追い込んでおきながら、
今になって外国にでも行って気分転換をしろと言う。

一度鬱になったら、残念ながら直らない(らしい)。

さらに、朝青龍の場合は箝口令がしかれているのか、妻と子供の話が出ない。
どこの世界に、妻と子供に会いに行けない世界がある。

相撲界は伝統的に同じ様ないじめはある。
小錦がそうだったし、武蔵丸もそうだった。

格闘家が筋骨隆々だからといって、何でも頑丈とは限らない。

つい先日、世界一流のプロレスラー、クリス・ベノイも妻と子を銃で撃ち心中した。

一度動き出したマスコミを、もう止めることは出来ない。
朝青龍が自殺しないとは、誰も決めつけられないのだ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月6日(月) 17:13 [ コメント : 0]

2007年8月5日(日)

違う 2

父と妻がよく似ている所があるからとは云え父がアスペルガー症候群だとは言わない。

父は非常に不器用だった。
その父に代わり、私はいいように母に使われた。
そのおかげなのか、私は異様に指先が器用になった。

「おい、トール。今週行くぞ。」
「なに?」
「カレイ。」
「ハリス買ってきて」
「何号だ?」
「5号」

親子の会話といってもこれぐらい。
小学4年の私は、日曜に行く釣りに合わせて一生懸命仕掛けを作る。

「おい、トール。天気はどうだ」
「くもりだけど雨は降らない。釣り日和だよ」
「そーか」

釣りに行く楽しみから、天気図も見るようになった。

釣りの行き帰りの道中も、釣りをしている最中も話などしなかった。

しかし、今でも忘れられない、最も幸せな時間を私は持てた。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月5日(日) 20:11 [ コメント : 0]

2007年8月4日(土)

違う

トニーアトウッドは講演時間の半分をアスペルガー症候群の特徴について費やす。

その内容は、その一般的先入観念を壊すものである。

つまり例えば、指先が驚くほど器用、或いは極端に不器用である。
       人を憶えるのが得意、或いは極端に苦手。

といったような事である。
つまり、☆☆だからアスペ、という言い方は全く当たらない事を講演時間の半分を費やす。

私と妻が同じアスペルガー症候群でありながら、ことごとく違う事も当然である。

しかし、私は妻と出会い生活していても、さほど驚かなかった。

「おい、トール。こいつが犯人だろ?」 テレビを見て父がいつものように犯人を言う。
「・・・」 興ざめだと思うから、私は黙っている。
「おい、トール。やっぱりこいつが犯人だよな」

テレビの推理ドラマを見て、何故父がそんな事を言うのか不思議だった。

「ねえ、この人さっき出てた人?この人が犯人?」父が居ないと思ったら、今度は妻だ。
「ねえ、この人が犯人だよね」父と同じ事を聞く妻に、別に腹は立たない。

結婚して気がついた。
父と妻がよく似ていることを。          不思議な感じがした。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月4日(土) 09:20 [ コメント : 0]

2007年8月3日(金)

同じ

私が父の異常を感じた頃、きっと父も自覚症状があったに違いない。
しかし、何も語らなかった。
現実には語る場が無かった。

その頃私はだらしない大学生で、毎日4時頃まで起きていて、朝は昼間で寝ていた。
父が4時頃起きてくると、慌てて電気を消し、息を潜めた。

何故そんなことをしていたのだろう。
誰にも命令された訳でもないのに。
我が家を陰で操っていたのは母だ。
母の言葉の端はしに、私の行動の枠組みがあった。

今、父と同じ年齢になってみると、4時に起き父と同じ生活をしている。
不思議なものだ。
だったら、4時に起きていたとき、父と話をしておくべきだった。
少しは、子供にも分かる話をしてくれたのではないか。

少し、いや大分残念な気がする。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年8月3日(金) 05:09 [ コメント : 0]