2007年8月31日(金)
連続とアンバランス
今月は連続するモノに魅入られる話と、アンバランスな話を書いた。
アンバランスと言えば、妻は知能指数129だが、都立高校に進学出来ないとされていた。
回りを見回しても、都立高校に行けない子と同じ成績とは思えない。
さすがに、算数が全く出来ないことに危機感を持った彼女は、
中3の2学期、中1の数学ドリルを買ってきて独学で1から始めた。
なんとか、間に合ったのと、担任が内申書を10点間違っていたので、
都立高校に行けた。でも大学は行けなかった。
私は、小学校の時は体育以外は得意だったが、中学に入って英語が全く出来なかった。
中学入学直後の実力テストでは、学年で250人中7番だったが、
中学2年転校しての実力テストでは、450人中202番だった。
「おまえの内申点は0点だからな」担任に言われても全く意味が分からなかった。
函館ラサールに入るつもりだった高校受験では、行き場が無くなり中学浪人。
さらに、進学率100%の私立高校に進学したものの、高校2年の時、
「おい、takeの過去形言って見ろ!」
「・・・taked・・」
英語教師には、相当屈辱的な事を言われたようだが、言われた意味が分からず、ぼーっと立っていた。
そのぐらい英語が出来なかったから、当然留年で、転校するなら単位をやると言われ、
東京に転校してきたのだ。(当時親は東京に住んでいたんでね)
私も、妻も、勉強とはみんなこれぐらい得手不得手があると思っていたら、
どうも、私達夫婦は病的に苦手があったみたいで、みんなとはレベルが違ったらしいと、
ようやく最近気付いた。
自閉症のひとつのワード「アンバランス」みなさんよく憶えておきましょう。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月31日(金) 10:31
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2007年8月30日(木)
雑
昨日の出来事をこのように書いて、あらためて読んでみると、
これは、隣のおばはんが、不動産屋を呼びつけた、と考えた方がよさそうだな。
昨日は、偶然出会うにしても、すごい確率だなあと考えていたけど、
なにかにかこつけて、呼びつけたと考えた方が筋が通る。
我が家はもうこのマンションのに住んで、17年になるけど、
不動産屋に、何か要求しても一度として聞いてもらったことなど無いし、
まして、向こうから家に出向いてくるなんて事など全く無かった。
だから、不動産屋を頼りにもしていないんだけど、
その不動産屋をどんな手練手管で呼びつけるのか、それを聞いてみたい位だな。
何れにしても、自分の力を及ぼす為に、不動産屋を呼びつけ、
さらに我が家の前でこれ見よがしに大声で話し、大家に話を付けさせる。
定形発達であれば、当然の能力なのだろうけど、ただただ驚く能力だ。
そう言っている私は、昨日起こったことをこの様に文章にして、
文章にした物を改めて翌日読んで、初めて自分の身の回りに起きたことの分析が出来る。(私はSAMに欠陥のある自閉症)
定形発達であれば(この文章を読んでいるほとんどの人たち)
この、今日文章を読んでいる「わたし」が、「SAM」として、常駐しているので、
昨日の時点で何か分かるはずなんだな。
しかし、「SAM」が無い私は(自閉症のグループ)、文章化と時間という2重の課程を経て、
初めて、人工的に知能で作り上げた「SAMもどき」が働いて、
少しだけ(昨日と違う理解の仕方)違う理解が出来たのである。
これは、難しいから、本当に わっかるかなー。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月30日(木) 09:57
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2007年8月29日(水)
草
人間どこかでセンシングしているのではないかと思うぐらいで、
この雑草話をしているまさしく昨日、
となりのおばはんが、不動産屋のおばはんを捕まえて、我が家のドアの前で、
これみよがしに、大声で
「こんなに汚くしてるんですよ〜」とかなんとかうわさ話をしている。
結局不動産屋のおばはんが、
「はいはい、じゃあ大家の鈴木さんに言っておきますから」
と話をまとめて、車で帰っていった。
実は不動産屋にクレームを付けるのが今回が初めてではない。
妻が、花壇を根こそぎ抜き取った後に、やはり家のドアの前で不動産屋と話していた。
話すのは構わないんだけど、不思議なのは、いつも車で走り回っている不動産屋は、
時に、車で走っているところは見ることはあっても、滅多に出会うモノではない。
それを、よく上手くとっつかまえて、話が出きると、不思議でしょうがない。
それも、今回で2度目だ。
いったい、どういう能力があるんだろう。
まあ、隣のおばはんは、
「私が来る前は何にも手入れしてなかった」とか言ってたが、
本当は、家が手を入れる前は、この状態で、3〜4年ほっぽりっぱなしだったんだよな。
うちと、出ていった車田さんと、出来る範囲で草をとったりしてたんだ。
まあ、結構このブログを書いていると、変なところで話がシンクロするのです。
人間界は面倒くさい。 ほっといてくれ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月29日(水) 10:38
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2007年8月28日(火)
雑 草
翌年、二人で立てた作戦通り何度か相手に分かるように話すことにした。
「ランタナの実は、うちのペットが大好きなんですよ」
「これが色付くのを毎年楽しみにしているんですよ」
今年は、実が色付く前に、三度ほど立ち話でアッピールできた。
「雑草抜いた方がいいんじゃない?」
「そうですね」
「隣のおばはん、雑草ぬけぬけってうるさいんだよ。日差しが弱くなったら抜かなきゃ」
「ご近所付き合いは大変だねぇ、宜しく頼むよ」
私はご近所からは逃げて回り、妻が一手に引き受けていた。
「また切られた!これ、意地悪だよね!」
妻は血相を変えて部屋に入ってきた。私は答えられなかった。
ついに妻は怒った。勝手にランタナを切られたのは3年目だったのだ。
妻は、花壇の花を全部抜いた。
だいたい、可愛い花を雑草って決めつけるのに腹が立っていたのだ。
私達は好んで、その雑草が増えないか心待ちにしているのだ。
だれが、雑草で抜かなきゃいけないって決めつけたんだ。
花壇は土をむき出しにしたただの溝になった。
しかし、抜いただけではなかった。
残ったランタナの根、双葉だけ出たランタナの芽を、
我が家だけが面した花壇にそっと移動させた。
雑草はたくましい。
今年は、私達の家だけに面した花壇は、ランタナ一色になり、大きく育った。
私の観察では、おばはんのお節介もストレスだが、
彼女自身、「雑草と花」の区別に釈然とせず、ストレスを感じていた様子があった。
雑草と花の区別が出来ないのに、闇雲に「雑草を抜け」と命令されるので、
2重のストレスだったのだ。
今、我が家が楽しんでいる花壇は、ランタナだけの花壇で、
雑草は、「ランタナ以外」だから、気分が楽だ。
作り話のバーチャルな世界ではなく、
現実に生活しているから、いろいろなことがあるんだ。 わっかるかなー。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月28日(火) 10:09
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2007年8月27日(月)
雑と草
「切られちゃった!」
妻が血相を変えてうちに入ってきた。
「これからたくさん実が色付くのに」
隣のおばさんが、わざわざ人のテリトリーまで出しゃばって、
ランタナの枝を切りそろえてしまったのだ。
「せっかく楽しみにしてたのに、どうしてそんなことをするの?」
おばはんの考えることは分からない。
「実が欲しいんです。って言ってみたらどうかな」
二人で、対策を考えた末出た回答だった。
翌日、妻は、意を決しておばはんに言った。
「あら、こっちは未だ切ってないからこっちで実を採ったら?」
たしかに、まだ切っていない花壇がある。
一応納得して帰ってきた。
3日後、「あっちの花壇も切っちゃった!あれ、意地悪でやってるんだよね!」
私は、ご近所でもあるし、気分が悪い事を引きずるのも嫌なので、
「ひよこ(妻)の言っている意味が上手く通じなかったんだよ」
「どうして!どうして私が言うことは、みんな聞いてくれないの?昔から、そうだったけど、どうして!」
確かに、彼女の50年の人生で、彼女が主張して、通った話が無いようだ。
「声が小さくて、弱々しいから、それ程欲しがってるって思われなかったんだよ。」
「世間体を気にした」私は、そう答えるしか無かった。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月28日(火) 09:33
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2007年8月26日(日)
雑と草の間
連続して見えるモノの切れ目が分からないモノとして、庭の草木がある。
我がマンションには巾30センチほどの庭木スペースがぐるりと取り巻いている。
各家の窓の下は、住民が手入れすることが暗黙の了解が出来た。
出来たと言っても、初めは我が家だけが、手を入れて花を植えたりしたのだが、
何分、草木の世話がヘタなので、すぐダメになってあまり上手く生えない。
隣りに、福岡から来たという母子が住み着いて、ようやく他の部分には花が定着した。
どうやら、手入れが上手いらしい。
知らないうちに、我が家の部分にも手を入れて、花が咲くようになった。
丁度良いと、放っておいたら、手入れをしている方は、勝手に手入れを始めたのに、
今度は、釈然としなくなったようで、妻の顔を見る度に、
「ここは、**したほうがいいのよ」
「これは、こまめに切り込んでやれば良く育つのよ」
「雑草は早めに抜いた方が楽よ」
妻は、命令なのか、要望なのか、強い要求なのか、
しかし、勝手に手を出して命令するのはどういうことなんだと釈然としない。
さらに、鳥が運んできた種で、ものすごく可愛らしい小さな花が咲いた。
他にも、雑草なんだけど、何ともはかなげで、小さな薄ピンクの可愛い花も咲いてる。
私達夫婦は、如何にも花壇という花よりも、クローバーの花のように、
小さく、いつ咲いたか分からないような花が好きだ。
だから、雑草の中からそんな花が顔を出すと、朝早くそっと見て楽しみにしていた。
ある日その花が、突然切られた。
その実をペットが喜ぶので、実が出来るのを楽しみにしていたのだ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月26日(日) 07:50
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2007年8月25日(土)
捨てどき
偉そうな事を書いている端から、クレームが付いた。
タンスの中を見て妻が、
「このシャツもうみすぼらしいから捨てなよ」
「えーまだ大丈夫じゃない?」
「ほら、見てごらん」
その襟首には確かに、汚れの首輪がくっきり。
決して汚い訳ではなく、どんなに洗濯しても、着古したシャツには襟首が汚れが残る。
「気に入ってたんだけどな」
「そんな事言ってたら、何にも捨てられないよ」
確かに、今丁度偉そうにモノを捨てる話をしていた所だった。
タイミングが如何にも良い。
「しょうが無い。捨てるか。このロゴが気に入ってたんだよな」
うちの会社のロゴをシャツに入れていたのだ。
「だったら、また入れればいいじゃない」
「そう言う訳じゃなくて、この時ネーム入れがサービスだったんだよね」
モノを惜しがる根拠は意外にくだらない事なんだね。
今日シャツ2枚捨てました。
うちの奥さんもシャツ1枚捨てました。 おわり。
定形発達してSAMを獲得すると、上記のような1人二役が出来るそうである。
(だからSAMって言うんだけどね)
あらゆる場面で、自動的に相談する相手が自分の内に居る。
良く漫画で、悪魔と天使が頭の中で会話しているが、あれもただの比喩では無いらしい。
これを知ったときは本当に、飛び上がるほど驚いた。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月26日(日) 07:06
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2007年8月24日(金)
洗濯2
困るのが靴だ。
靴は足に馴染むと好んで履く。毎日履く。
毎日の連続だから、本当に少しずつへたってくる。
本当に、何かの関係で、一週間その靴を履かずに、改めて自分の靴を見ると、
「なんじゃ?こりゃ。この靴こんなに、こ汚い靴だったのか?」と自分でビックリする。
「だから、靴買ったらって、何回も言ったじゃない」
確かに、言われていたような気がする。
こんな風に、汚い訳ではなくとも、
汚らしい格好にどうしてもなってしまう。
これが、
連続しているモノの切れ目が分からない自閉症のグループの特徴なのです。
上記では1週間と便宜上書いたが、実際に自分が履いているモノを、
あたかも、他人の靴を見る如く冷静に判断できる「時間の巾」はどのぐらいなのかは皆目見当がつかない。
とにかく、何の作用か分からないが、何らかのきっかけで、冷静に靴の状態を判断出来るときがあるのは間違いない。
ただ、どんな時、どんな状態だったのかは、実はよく分からないと言った方が良いのだ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月25日(土) 10:53
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洗濯
いるといらないの境目が分からないために、
ゴミとごみの間が分からないと言うことを下で書いた。
これも、連続しているモノの切れ目はどこか?どうしても分からないということに関係ある。
同じ話に、洋服の洗濯、の問題がある。
自閉症のグループの服装については、洋を問わず話題に上がる。つまり、妙なのである。
その一つの要因として、洗濯の問題。
洋服は汚れるから、洗うのである。これは分かる。
5分着たら汚れるか?厳密にいえば触れたから何らかの汚れはあり得るが、一応汚れとは見られない。
では、昼12時から着たシャツは、夕方6時には汚れているか。
鏡で見たら、汚れて見えない。では、そのシャツを翌日3時間着たら、やっぱり鏡で見ても大丈夫。
この人は、「鏡できちんと見て決めなさい」と言われていたので、いつもきちんと鏡で見てOKとして出かける。
彼のシャツは首の回りが黒く汚れている事になる。
私は、汚れをすべて時間で区切っている。
靴下、パンツ、Tシャツ、シャツ、は毎日交換する。
ジーンズ、ズボン、寝間着は風呂に入ったら、交換する。
セーターは、季節の変わり目に洗濯する。
セーターや、コートの類が最も難しく、一度洗ったら寒くなっても着たくない。
最近、中間着といって、フリースや、コットンセーターが増えたので、これが非常に困る。
しかし、妻がこれを洗うことを苦にしないので、ほぼ毎週洗ってもらう。
妻は、洗う基準は「臭い」である。
ジャケットでも、着て外出すれば外の臭いはどうしても着く。
外気に当て、風を通して、臭いを追い出すのだが、妻にはそれが許せない。
くさいと感じたらすぐ、洗う。素材に関係なくすぐ洗う。もしくはクリーニングだ。
こうなると、パリッとした仕立てのジャケットでも、すぐくたくたになる。
どんな、フォーマルなジャケットでも、型くずれのふわっとした感じになってしまう。
白っぽいものだと、クリーニングしすぎで、逆に色が灰色っぽくくすんでくる。
昔、彼女の服が、みんなよれよれなのはどうしてだろうと不思議だったが、
こんな所に原因があったのだ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月24日(金) 12:54
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2007年8月23日(木)
ごみ
かく言う私は、本当はため込み形の収集大好きタイプなのだ。
しかし、私の収入は少ない。
さらに東京都内の家賃は高い。ありとあらゆる使わない品物それぞれが家賃を食う。
この論理的な組立に納得出来るように、自分自身で何度も思い返していた。
何が悔しいかというと、記憶が強いから自分の持ち物を忘れない。
さんざん迷った挙げ句、捨てた後に使おうと思い立ったときが悔しく、
その悔しさを感じたくないから捨てないようなモノである。
ところが、実際持っていても必要なときは、どうしても見つからない。
結局使わず、必要なくなったとき、出てきてまた悔しい思いをする。
つまり、持っていても必要なときは見つけだせないと納得し、
さらに、捨てるときは、中身を確認せずに、妻に捨ててもらう。
「本当にいいの?」なんて聞かれても、見れば戻してしまうからとにかく捨てる。
使える物は、家の前に「ご自由にどうぞ」といる人にあげる。
かくして、今年の夏休みも続々捨てる物が出て、
日曜大工用に取っておいた良質の材木多数と、整理棚2個、ドラフター他が部屋から無くなった。
無くなっても、部屋が広くなっただけで、何の支障もない。
支障が無いと言うことは、初めから無かった事と同じである。
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自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月23日(木) 18:55
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2007年8月22日(水)
ごみとゴミの間
ゴミ屋敷に強く引かれる。(と妻が言う)
ゴミ屋敷が特集されると、必ず見る。見たい。
ゴミ屋敷の主人たちは、当然普通でない事は明かだが、TVでは精神医学からのアプローチは一切為されず
近所迷惑だの、きけんだの、メンタルなことしか騒ぎ立てない。
しかし、私は、彼らが私達の仲間だったらと思うと、つい見てしまう。
ただ、ここで、浅見純子(ニキリンコ)のように、汚物を部屋にため込む女は別扱い。
彼女は、彼女で引っ越ししながら、ゴミから逃げていればいい。
そうではない、廃品回収業でもないのに、廃品を集める人のこと。
この人達の合い言葉が「もったいない」であることはすぐ分かる。
彼らの集める物の中で、共通項がある。風呂のフタである。
私はこれを手がかりに考えてみた。
風呂のフタは、風呂に蓋をする物である。割れたりしなければ使える。
もう一つ、普通の人は選択肢を持つ。「かびて汚れていないか」である。
カビて汚れていれば使えないから捨てる。
しかし、「壊れていない」しか、選択肢を持たない人にとって、「カビた風呂ブタ」は使える風呂ブタなのである。
だから、もったいないし使えるからせっせと拾ってくる。
結果、使いもしない風呂ブタが、庭に山のように積まれる。
風呂は一つしかないのに、風呂ブタいいのが家にあるのに、「壊れたときにいつか使う」で持ってくる。
そんな風に集めてしまうのである。
これを考えると、直線の中の点と点の間がどうなっているか悩むのと、
使える風呂ブタと汚れて使えない風呂ブタの境界が分からないのと、
その、思考の組立が共通なのが分かるだろうか。
分かったつもりになっているのは私だけか。
そう考えると、世の中の鼻つまみのゴミ屋敷の主人達の何人かは、私達の仲間だ。
言っても聞かない頑なさもそうだしね。
一方、全く物に執着せず、何でも捨てる場合があるか?実はあるんだよ。
私の友人の兄は、最後には、自分の家の畳と畳の間に寝ていたのだ。
日本では、物資が有り余っているから、出来れば捨てる方向で暮らした方が、
年を取って嫌われないかも。
しかし、福祉は奥が深いのだ。
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自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月22日(水) 11:12
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2007年8月21日(火)
ゴミ
動物にはイジメがある。人間にもイジメはある。
しかし、人間と生まれたからには、相手が死ぬまでイジメてはいけない。
ゴミもそうである。
自然、自然と自然万能の様にいう人がいるが、
自然界に生きるものは、すべてゴミはポイ捨て、うんこはしっぱなしである。
たまたま捨てるゴミが、すべて天然素材だから目立たないだけで、
皆ゴミはポイ捨てである。
ゴミを捨てないのは、例外的に少数の人間だけで、
ポイ捨てする人間は、逆に動物としては正しい行いなのかもしれない。
しかし、社会を形成する人間。
人間としてあるならば、ゴミの正しい捨て方をしなければならない。
これで初めて人間と呼べるので、
何も考えないのは、まさしく「アニマル」である。
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自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月21日(火) 10:42
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2007年8月20日(月)
アン バランス
このアンバランスには、身を守る能力も含まれていると思う。
少年事件の犠牲者として、自閉症のグループの子供達が狙われていると私は考える。
黒磯一中での事件。女の子が柔道部に入部。顧問が目を離した隙とは言え、
有段者による乱取りという名目のイジメ、リンチ。
彼女は脳挫傷を負いながらも放置され、現在意識不明のまま。
彼女の写真を見ると、まるで自閉症のグループの子のように見える。
勿論、写真に写った顔だけで判断出来る訳ではない。私にはそう見えるだけだ。
さらに、乱取り(イジメ)の対象になっているのに、上手く逃げられなかった事。
柔道部に入った動機は分からないが、
「自分を鍛える」とか「苦手なものに立ち向かう」とかそれを、
字義通り受け取って、敢えて火の中に飛び込むというのは、非常に自閉症っぽい事だ。
とにかく彼女とその家族は今も苦しんでいる。
栃木の事件では、須藤正和さんがかつての同級生にさんざん引き回された挙げ句、自分が入る穴を掘らされた上で殺された。
これも黒磯だったっけ。
須藤さんを殺した犯人の父親は、警察署の刑事であったが故に、さらに捜査は遅れ、彼は死に至ったのである。
ところが、マスコミは親の事は全く触れないんだよな。
この須藤さんも、知能は高く日産自動車に勤めていたぐらいだけど、小ずるいヤツに善いように使われ殺された。
自閉症の権利ばかりを主張する連中がいるが、だったら彼らの声を代弁すればいい。
とにかく、このアン バランスと云うものは、
そうであるが故に時として犯罪被害者となることもあると、私は考えている。
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自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月20日(月) 10:50
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2007年8月19日(日)
アンバランス
ある工場で、下働きをしている人が居た。
その人は、秘かに私が自閉症の仲間ではないかと目を付けていた人だった。
何かの時に、彼は私のことを「バランスがとれていない感じ」と称した。
上手い説明だと感心した。
その目を付けていた人は、下働きでも文句を一切言わず黙々とこなし、
指さしで品物を差しても変なところを探ったりしていた。
無口でもあった。
しかし、ある日私は自閉症とは明らかに違う点を見つけた。
つまり、彼は記憶力が相応に乏しいのである。
なにかつまらないことを憶えているとか、
誰かに昔々言われたことをしつこく憶えているとか、そういう事が無いのである。
総じて、まんべんなく記憶力が乏しい。
無口で、人とのコミニュケーションを積極的に取らず、
大人しく、従順である。
そして、相応の記憶力しか持たない。
つまり、バランスがとれた定形発達なのである。
上記のような人はアスペルガー症候群と間違えられ易いし、実際間違えられて居ると思う。
さらに、知能が低い場合養護施設でも、「自閉傾向」と自閉症のグループに入れられている人が多いと感じる。
少年期苛められたから。友達と上手くコミニュケート出来ず友人が居なかったから、と言っても自閉症のグループとは限らない。
「アンバランス」 この言葉に秘密が凝縮されている、と私は考える。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月19日(日) 13:33
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2007年8月18日(土)
記憶 力?
記憶の形がおかしいのは何となく感じていただけで、自分だけが特別だ等と思ったことは一度もない。
ただ、小さかった頃の話、小さかった頃の思い出、小さかった頃の記憶について、
友達と話すとき、みんな不思議なぐらい小さかった頃の話を憶えていない事だった。
わたしは、小さかった頃の事は、今で言うハイビジョンのビデオのように克明に憶えているから、
その時の事柄だけではなく、誰がどんな洋服を着ていたかとか、
回りにどんな花がさいていたかとか、後から詳しい情報を知りたければ、
その時の情景を思い出せばよかった。
子供の頃は、その記憶の状況など上手く説明出来ないから、
「よく憶えている」という表現しか出来なかった。
何十人もの同級生、同僚と生活を共にし、妻が生まれて初めて私と同じように、子供の頃の事を詳しく憶えている人間だった。
なーんだ。やっぱり俺達が普通なんじゃないか。
実は普通じゃなかったんだけどね。
そんな記憶力が良いはずの私は、日常で使う簡単なことをどうしても憶えられない。
私は、産業用ロボットの設計技術者だから、それに使う部品のことをほとんど知っている。
その中で、日常的に使う部品に、スイッチがある。
スイッチには、2種類あって、リモコンのボタンのように、押したときだけオンするスイッチと、
押すとカチッとロックするスイッチがある。
これらを、オルタネイトタイプと、モーメンタリータイプと言う。
設計初めて25年。
未だに、この、オルタネイトとモーメンタリーがどっちがどっちだか忘れてしまう。
何度憶えたつもりでも、忘れてしまう。
だから、最近は「オンロック」とか「ロックしないほう」とか言って誤魔化すが、
正式名称は毎回資料を紐解き調べなければ分からないのである。
記憶力が良いとされる一方、簡単な事を憶えられない「異常さ」。
これこそが、自閉症のグループであることの証明なのである。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2007年8月18日(土) 09:59
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