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将棋:羽生、鬼門越え十九世名人 「永世7冠」にも接近

森内俊之名人を降し永世名人の称号を得た羽生善治王将=山形県天童市鎌田本町の天童ホテルで2008年6月17日午後8時52分、兵藤公治撮影
森内俊之名人を降し永世名人の称号を得た羽生善治王将=山形県天童市鎌田本町の天童ホテルで2008年6月17日午後8時52分、兵藤公治撮影

 23歳で初めて名人位に就いてから14年、将棋界のスーパースターがついに十九世名人の称号を手に入れた。森内俊之名人(37)と羽生善治王将(37)の「宿命の対決」となった第66期名人戦七番勝負(毎日新聞社、朝日新聞社主催、大和証券グループ協賛)。今回は、羽生が永世名人争いで先を越された森内を4勝2敗で破った。羽生は「鬼門」をクリアして「永世7冠」に接近。森内の名人戦連覇は4で止まった。【山村英樹、金沢盛栄】

 将棋駒の街、山形県天童市が舞台となった第6局。17日夜、森内が「あっ、負けました」と頭を下げた。この瞬間、名人位が移動。永世名人有資格者となった羽生は両手で頭を押さえる。羽生は王将、王座と合わせて3冠、森内は無冠となった。

 羽生は中盤、森内に「と金」を作られた。だが、巧みな指し回しで優位を築き、8八玉(77手目)まで万全の態勢を整える。そして、5三桂成(89手目)と大技を繰り出し、決めに出た。

 羽生の顔はいつにも増して青白く、血の気がない。時には髪の毛をかきむしる。勝利が目前になると、極度の緊張からか、駒を持つ手が震えだした。しかし、指し手はあくまで正確で手堅く、森内を投了に追い込んだ(終了図以下は4四玉、7二角成で、後手には受けがない)。

 羽生は89年、初タイトルを獲得。90年からは無冠になったことがない。王座16、棋王13、王位12、王将11、竜王と棋聖は各6と、着々とタイトルを積み重ねてきた。対局数1000局以上の棋士の中で、通算勝率が7割を超えるのは羽生だけ。しかし、そんな超一流棋士にとっても、名人は思うに任せないタイトルだった。

 94年の名人戦で米長邦雄名人(当時)を破り、以降3連覇。96年には史上初の7冠全制覇を達成した。「羽生マジック」と呼ばれた勝負強さで、一気に永世名人の資格も取るかと思われた。

 だが、谷川浩司九段が先輩の意地を見せ、立ちふさがった。97年、羽生から名人を奪い、通算5期で十七世名人に。羽生が名人の地位に戻れたのは6年後の03年。勝った相手は同世代の森内だったが、その後は森内に苦しめられる。

 翌04年、森内に名人を奪い返され、十八世名人の資格獲得に失敗。05年は森内にリターンマッチを挑んだが、3勝4敗で惜敗した。十八世名人は結局、森内がさらっていった。

 そして、今期の名人戦。振る舞いは淡々としていても、指し手はまったく別ものだった。特に、1勝1敗で迎えた第3局。周囲の棋士が「もうダメ」とさじを投げた将棋を恐るべき執念で粘り抜き、大逆転勝ちした。ここで奪ったリードを最後まで手放さなかった。

 これで、残る永世資格は永世竜王のみ。それも、あと1期に迫っている。12年前の7冠全制覇は空前絶後と言われたが、「永世7冠」の夢も現実になろうとしている。

毎日新聞 2008年6月17日 20時41分(最終更新 6月17日 22時43分)

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