アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2007年10月31日(水)

現場の話

障害者のカウンセラーをしている人の話を聞くと実際の現場が分かる。

最近の話は、女の子の風俗の話。

女の子が手っ取り早くお金を稼げるのが売春。
だから、お手軽につい売春をしてしまう。

では、何故売春がいけないことなのか、明確に説明出来る人が居るか。
私は、明確に説明出来ない。

しかし、彼女たちが非合法の売春をするならば、
なんとか、合法である風俗の世界で働いてもらいたい。

簡単な損得をうまく計算できたなら、合法的な範囲から逸脱する事が無いはず。
その損得の計算が出来ないからこそ、簡単に売春に走る。

だれか、明確な答えを持っている人は居るだろうか。        教えてほしい。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月31日(水) 13:19 [ コメント : 1]

2007年10月30日(火)

自閉症の手がかり。
これはまさしく「SAM」「中枢性の統合」である。

この言葉を、聞いて理解できたとき、自閉症の諸君ならば、
身の回りに起きた出来事が、初めてつながりを持ったと思う。

これこそが、自閉症だ。

ところが、それを簡単に理解できるのは、本当に限られたその傷害を持つ人間だけ。

多くは、これを知性で理解しなければならない。
それを言葉で表すと
「想像出来ない状態」を「想像」してみる。   と言うことなんだな。

つまり、これはその事自体に矛盾が生じ不可能を表している。 難しいんだよ。

社会に生存している以上そんなことは言ってられない。
では、それ以外の手がかりは何か。

「アンバランス」

アスペルガー症候群を本質ではなく、表面から判断するには、
「アンバランス」を見ることが一番だと私は考える。

  ☆ 本当に馬鹿だと思っていたのに、変なところで頭が良いのかと錯覚させるような事がある。

  ☆ 頭がいいはずなのに、くだらない事がどうしても作業(理解)出来ない。

上記二つは、運動が苦手とか、人が苦手とか、分かりやすくしかし間違いの元と異なり、
結構実用に耐えうる話だと思う。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月30日(火) 06:41 [ コメント : 0]

2007年10月29日(月)

ビチクリ

本当に久しぶりに自分のブログを見たら、あまりに変な自分の顔が出てきてビックリした。

おいおい、大丈夫かよ、って言いたくなる顔だな。
あれは、お客さんの所へ行ったついでに、撮ってもらって張り付けたんだな。
目はいったいどこを見ている!
しっかり、こっちを見ろ!
って言いたいが、たしか何枚か撮って、一番ましな写真だったはず。
デジカメは、シャッターと実際の画像とかなり時差があるみたいだ。

機械装置でもそうなんだが、電気、電子化といっても、電子はどうしても信号の送れを持つので、
まだまだ機械、メカニカルな仕組みで同期タイミングを取る場面が出てくる。

機械の単純な仕組みの方が良い場合があるということだ。

そう考えると、科学というのはまだまだ未開の分野だとよく分かるよ。
電気と機械の融合。
これをメカトロニクスと言い、まさしく私の専門なのだが、
その案配が難しい。

しかし、今の容貌はあの写真とは違うが、
よくぞお客さんが仕事をくれるものだと感心。    感謝、感謝。   日々感謝。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月29日(月) 16:22 [ コメント : 0]

2007年10月28日(日)

手を返す

アスペの館では、私が何を話してもニセモノと集中砲火を浴びてきた。

しかし、ここに来て急に「ニキリンコ」が事もあろうか、私のブログをパクリ始めた。

以前は、とにかく私が言うことは「違う」と、自分では言わず、
多数の「ニキリンコシンパ」を動員して、バッシングに励んだ。
私は議論すれば決して負けることは無く、実際突き詰めていくと、相手はぐうの音も出なくなったのだが、
向こうのやり口は、とにかく動員をかける。そして、話をすり替える。
そして、スレッド分断法と言うらしいが、全く関係ない例えば食い物の話などを唐突に始め、延々と続ける。

話の内容はまことに幼く、稚拙でありながら、しかしアスペであることには執着し、
多くの共通項は、引きこもりであること。

だから、「ニキリンコ」について、大学に8年間在籍した。
なんて話も、誰も大学の単位システムなど知らずに話しているから、
その作り話が如何に馬鹿げているかを話そうとも、基本的な知識が無い。

あそこは、まさしく、「ごっこ遊び」の遊び場であり、
そこからしても、「自閉症がごっこ遊びが出来ない」という基本は、
無かったこととして、暗黙の了解できる、そういう人間しか許されない。

つまり、まれに訪れる本物のアスペルガー症候群の人は、
暗黙の了解が解らず、しかしそこの大多数とは話が通じず、
「話が通じないのは、あなたがアスペではないからです」と排斥される。

これが、日本のアスペルガー症候群を取り巻く状況なのである。

しかし、その舌の根が乾かないうちから、ニキリンコは私のブログをパクる。

私が話していることを、理解もせずに、出鱈目な解釈をして、他でその似て非なるものを垂れ流す。

まあ、どこまで行っても「定形発達の変質者」と言うものは、箸にも棒にも掛からないんだな。

困ったもんだ。 誰だ野放しにしたのは。 責任取ってくれ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月28日(日) 17:47 [ コメント : 0]

2007年10月27日(土)

私は人の顔を異様な程覚える。
「知ってる人にあいさつしなさい」とは誰もが言い聞かせられた事だと思うが、
私の場合、本当にアリンコの大きさぐらいから、誰だか分かるからいつ挨拶していいか本当に困る。

一方妻は、信じられないぐらい人の顔を覚えない。

アトウッドが自閉症の症例について、
全く正反対の事例を並べたごとく、アスペルガー症候群だからといって、
すべて同じ症例な訳ではない。
私のように、極端に指先が器用な場合と、極端に不器用な人が居る。

枝葉末節の細かい所のみ同じだから、アスペだ。とする人たちが多いが、
自閉症の根本は「SAMと中枢性の統合の欠陥」にある。

顔を覚えないと言うことは、まさしく中枢性の統合の欠陥を表している。

顔は、輪郭、髪形、髪の色、眉、目、鼻、口、その他色々な条件から成り立っている。
妻は記憶力は抜群なのに、人の顔を覚えられない。
何故かというと、定形発達ならば、「顔」と言うと
すべてのパーツが関連して、すべてのパーツが配置されたのが顔なのである。
それは、意識する事無く、無意識下で一つの「顔」を構成するのだ。

ところが、妻の様に、自動で一つに集まってくれないと、
パーツとしての記憶があっても、「顔」としての記憶にまで固まってくれないのだ。

これだけを比較すると、妻の方が私より「自閉症が重い」と云える。

一方私は、草木の名前を覚えられない。妻は良く覚える。
この原因については、どのような処理が頭の中でされているのか未だ解らないのだが、

草木というのは、自然界に存在するものであり、二つと同じものはない。
色々な生え方、形、色をしているものを、大まかに一区切りにして、
名前を当てはめるのが出来ないからではないかと考える。

足下に小さく生やしているものと、大きく木になっているものが、同じ種類の花であることはいくらでもある。

色々な「場合」をおおざっぱに統合する事が出来ないのではなかろうか。

そう考えると、私が花を覚えられないのも中枢性の統合の欠陥によるもので、

それからすると、私の方が妻より「自閉症が重い」と言えるのだ。


軽度だの重度だの発達障害の前に付けるのが、如何にセンスが無いかが解るだろう。      かな?

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月27日(土) 15:56 [ コメント : 0]

2007年10月26日(金)

クレーム

今日も自閉症談義をしていたら、妻からクレームが付いた。

妻は、私のブログホームページは読まない主義なのだが、
時折私の文章を読むことはある。

私の文章は、話が盛り上がり佳境に入ると、
「だれが」「だれに」言っている話か分からなくなると言うのである。

お説ごもっともで、実際書いた私自身も、書いた事を忘れた頃に読み返すと、
「なんじゃこりゃ」と思うことがあるからである。
これはまさしく「SAMの欠陥」によるもので、
書いている時点では、「自分」しか存在しないから、
「自分」の考えそのものを書き綴っているのである。
実はその時に、読む人のことなんかこれっぽっちも考えて居ないから、
自分に不要の事はどんどん省略する。
そうすると、「過剰な省略」の文章が出来上がり、
私のブログ、ホームページの内容のように、暗号めいた文章になってしまうのである。

「中枢性の統合」が完備している定形発達であれば、だいたいで読み進むのだが、
私の妻は、「中枢性の統合の欠陥」があるアスペルガー症候群。
書いていない事は書いていない事。

文章の言葉に余計な目に見えない付属物は付いてこないから、
書いてあるとおりに読みとり、故に正確な文章でないことを指摘し、
文意として文章を読んでくれない「最高の評論家」なのである。

我が家はこのように、自閉症の博覧会なのだ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月26日(金) 11:11 [ コメント : 0]

2007年10月25日(木)

目分量

今月は中枢性の統合に関係する話を重点的に書こうと思っていたんだけど、
やっぱり、話は横道にそれちゃったな。

大体自閉症はすべて中枢性の統合の欠陥によるエピソードばかりだから
あると言えば全部だし、無いと言えば無いし、困っちゃうんだな。

妻は目分量が利かない。
カップに紅茶を8分目入れて、と頼んでも、その量は全く一定しない。
ミルクティーにしようと思って言っても、目一杯入っていたり、
今日はストレートと思っていたら、妙に少なかったり。

これも、中枢性の統合の欠陥が関係している。

まず、「カップの8分目」と聞いたとき、
カップの擦り切りからの8分目なのか、カップに一杯分を入れた量の8分目なのか、
その考える基準が二通り存在しうる。場合によってはもっとあるかもしれない。
さらに、その基準の位置から上下何ミリ迄が、「8分目」に含まれるか。
±1ミリなら許されるのか、±1センチなら許されるのか。
今頼んだ人は、何を欲しているのか。8分目の中に含まれる意図は何か。

こんな情報が、「カップ8分目」には含まれている。

定形発達ならば、これらの情報が中枢性の統合により、自動でくっついてきて、
無意識下でいつも決まり切った答えを導き出せる。

ところが、中枢性の統合に欠陥があると、上に述べたような条件を、知能で判断する。
そうすると、その答えは、条件付けにより、変わる。
だから、その量は一定しないのである。

一番影響するのは、8分目の誤差の部分である。
中枢性の統合に問題なければ、「おおよそ」の「おおよそ」という量はほぼ一定なのである。
なぜなら、その判断機能が自動プログラム下で無意識に常に同じ答えを導き出しているからである。

一方中枢性の統合に問題があれば、毎回知能で何らかの判断を下さなければならない。
日々時間は経過しているから、その条件が一度として一致することは無く、
頭の中で必死に条件付けを判断し、用意すると、
「なんでこんなにいれるんだよー」と文句を言われるので、
「じゃあ自分で入れればいいだろ!」と言い返す羽目になるのである。

難しすぎたか。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月25日(木) 12:26 [ コメント : 0]

2007年10月24日(水)

そもそも

そもそも 私はアスペルガー症候群である。

妻と自閉症談義をしていても、「SAMなんだよ」「中枢性の統合なんだよ」と
結局この二つの言葉に集約してしまう。

考えてみると、まさしく「過剰な省略」と言う症状なんだけど、
では、自閉症について説明するには、何を話したらいいのか。

そこん所が分からないんだな。
それが分かれば適切な説明ができるんだろうけど、
自分自身いったい何を省略してしまっているのかすら分からない。
分からないからこそ、過剰な省略と言われるんだ。

それでも、私がこの世に生まれてきたのは、
少しでも、自閉症の事が分かるように説明するためと勝手に考えている。
だから、分からないなりに、実例を上げて説明してるんだな。

しかし、その過剰な省略という根元的な特性と戦いながら、
説明例を考え出すんだから、結構大変なんです。

わっかるかなー。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月24日(水) 10:15 [ コメント : 0]

2007年10月23日(火)

そもそ

そもそも  統合について気づいたのは妻の方である。

その頃私は自閉症の症例として「関連づけの異常」という表現をしていた。
しかし、これは誰が言ったわけではなく、私が勝手に言っているだけで、
何の文献にも載らない「ローカルな言い方」である。

妻は、その事をさほど深く考えたのか考えないのか、別のアプローチをしていた。
つまり、分裂病(統合失調症)の研究である。
定形発達の人が、統合が弛まりどうなるか。
この状態と自閉症での症例との比較を論じていたのである。

しかし、そこは自閉症同士の自閉症談義。
私も十分話は聞いていたのだが、聞いているだけでほとんど理解出来ない。
しかし、話には聞いているので、ある程度は知識として頭に入る。

その蓄積が、トニーアトウッドの講演会で花開いた。
そうだ。
私が言っていた「関連づけの異常」こそが、「自閉症の中枢性の統合の異常」だ。
妻が、念仏のように私に語っていたことは、これだったのだ。

だから、アトウッドの招へい者ですら知らなかった、セントラルコーヘレンスも
いとも簡単に内容を言ってのけたのである。

そうなんだよ。中枢性の統合なんだよ。

それ以来私と妻の間では、ほとんどの自閉症の症例が、
「SAMなんだよ」
「中枢性の統合なんだよ」
でくくられるようになったが、しかしそれすら氷山のカケラにすらならない。

難しい。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月23日(火) 10:41 [ コメント : 0]

2007年10月22日(月)

そも

そもそも 私が「SAM」に出会ったのはいつだったろう。

何故か私は自分が「自閉症のグループ」であることは、
小学5年生の時にNHKのドキュメンタリーを見て以来、強く信じてきた。
しかし、世の中での、他人との軋轢がそこに原因があるなどとは一切考えず、
自閉症のグループである事と、実生活の出来事は一切関係無かった。

ただ、誰がなんと言おうとそう信じていただけなのである。

私が鬱病になったとき、
妻が私の正体を明確にしようと四方八方手を尽くし、ようやく診断結果が出た。
私にはその結果等はなんの意味も持たず、どうでも良いことだった。

ただ、そこに至る過程で、自閉症の原因は「SAM」の傷害によると、
初めて原因説に出会うことが出来た。

「SAM」を知ったのは、もうかれこれ10年ほど前になるが、
そのときは意味などどうでも良かった。
自閉症の周りにある唯の単語の一つだった。

しかし、妻と何度も言葉を交わし、妻の質問に答えていたとき、
突然「SAM」の傷害こそが、自閉症のすべてであると、そこで初めて理解出来た。

その言葉を聞いてから、3年も経った頃だろうか。

私の頭の中で、すべての謎が繋がった。
「SAMなんだよ」
私と妻の自閉症問答の答えはすべてこれで終わった。

しかし、解っているのは私だけで、妻は私の答えに不満だった。
何故なら「SAMなんだよ」と聞いたところで、妻にとって何の理解の足しにもならなかったからである。

しかし、そこは自閉症同士の自閉症問答。

お互い相手の理解しうる適当な言葉が見つからないまま、また数年経った。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月22日(月) 09:39 [ コメント : 0]

2007年10月21日(日)

そもそも「ニキリンコ」が偽物と言うことは、当たり前すぎてみんなが騙されるのが不思議なんだな。
なんで、こんなのに騙されるんだろうと思うんだよ。
それが、一応専門家と称する人間が本物だって言うからますます頭が混乱するんだな。

この辺は、私の自閉症の特徴なんだろうけど、
あまりにミエミエの偽物ぶりなのに、本物だって言い張る人たちのその隠れた意図を読みとろうと頑張るんだ。

だって、そのなにやら隠れたダークな意図が無ければ、あんなミエミエな偽物を本物と言うわけがない。
そう考えるんだな。(多分)

さらに、あまりのおそまつな偽物ぶりが、他の人が見えない訳無いと考えるんだな。(多分)

「ニキリンコ」のお粗末な偽物振りを、取り立てて言う必要無いと思っちゃうんだな。

だから、論文として発表出来るレベルの話をしなきゃならないと思うんだな。

だから、結構書くのが大変なんだな。

しかし、私が「SAM」を知り、目から鱗が落ちて、すべてが繋がったように、
中枢性の統合について話して、誰かの目から鱗が落ちたのを知れば、
それだけで報われるんだな。

だって、俺(妻)はここまで来るのに40年考え続けたんだ。
誰かの無駄な数年分がこのブログで助かったらそれで良いんだ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月21日(日) 10:30 [ コメント : 0]

2007年10月20日(土)

そも

そもそも「ニキリンコ」の症例は、辺り構わずパクッてきたものなのだが、
ドナ・ウイリアムスや牛女(テンプル・グランデン)や、止むなくグニラ・がーランドを
読んでいれば、パクリであることはすぐ分かるはずだ。

さらに、自分のエピソードは、知的障害のある自閉症児の知的障害に起因する話ばかりで、
自閉症に起因する話は皆無である。

しかし、「ニキリンコ」は、ある大学に8年行き、もう一つの大学にも8年行ったが、卒業は出来なくとも入学した知能の持ち主。
16年引きこもりだったが、ある日足に引っかかった英字新聞を見て、
「ああ、自分は英語が使える」と突然気付き、英語の翻訳家になった天才である。

英語が使えるようになったのは、スタートレックのテープがすり切れるほど見ていたら、
気付かないうちに英語が使えるようになった恐怖の天才である。

(この辺の物語は、ニキリンコ発生の初期段階に一生懸命宣伝して来た所なのだが、
 最近は、大学に8年在籍するには、それ相応の単位数を卒業直前程度まで取らなければいけないことが知れたらしく、
 新しい物語と、新しい履歴を作っているようだ。
 しかし、今話した古い履歴は2000年にNHK教育で全国放送されたんだよ。)

その知的天才が、知的に障害のある子供の行動をなぞる。

これは、学問的に考えられない矛盾なのである。

ここに、気づかないレベルが、日本に於ける自閉症の専門家のレベルなのだ。

問題は、自称専門家の知的レベルにもあるんだな。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月20日(土) 06:53 [ コメント : 0]

2007年10月19日(金)

そもそ

そもそも自閉症と言えども知能はある。

「ニキリンコ」にある程度の知能があるとすれば、
「スリッパに乗って鍋を運ぶのが出来ない。これが自閉症の例です」
などと馬鹿なことを言うわけがない。

スリッパは「履く」である。これは知能の部分で理解する部分である。
スリッパを履いて鍋を運ぶのが出来なければ、料理はすべからく出来ないのが当然なのである。

料理とは、最も作業が交錯して行われるもので、火加減を見ながら準備、
材料を切りながら、煮込み。
ありとあらゆる作業が並行して行われる高度なものだ。
であるならば、普段まるで小料理屋のごとくの多彩な料理を、複数準備する「ニキリンコ」が
本当に話すとおり、スリッパを履いて鍋を運べないのか。
まともに料理をしたことがある人間ならすぐに分かる話だ。
しかし、話す相手が満足に料理もしたことがない未熟な人間相手だから通る話なのだろう。

自転車に乗る話も同じで、ある日自分が自転車に乗ることを知られたら、
「自転車に乗りながら、目的地を見つけることが出来ない」
などと下らない事を言う。

自閉症の話とすれば、
バランスをとる、と、ペダルを漕ぐ。 この二つが出来ないから、自転車に乗れないとなる。

料理の話を例えれば、材料の準備と調理。 この二つが一度に出来ないから、
「私は料理は出来ます。しかし、準備を全部してから調理をするので、4時間以上料理に時間がかかります」
と言うのが本当なのだ。

しかし、馬鹿げた話ほど聞きたい人が集まり、栃木かどこかでも20日には講演会があるらしい。
そこでは、誰一人疑問を持つ人は現れないだろう。                     これが日本の現実だ。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月20日(土) 06:13 [ コメント : 0]

2007年10月18日(木)

そもそも

そもそも「ニキリンコ」がNHKにサングラスにカツラで登場した時は
自分で、「変装をする必要の為」と言っていたんだよ。

詐欺師は昔のこと、自分が書いたことをすぐ忘れるから、前後のつじつまが合わなくなるんだけど、
そんな事平気なんだよね。

とにかく、初めは変装用だったのが、いつのまにか何やらの効用があることになった。

一時は、ドナ・ウイリアムスが使ったことで一躍有名になった、アーレンレンズと同じ働きの様なことも言っていた。

ところが、アーレンレンズというのは、日本で言うカラーレンズの事で、サングラスではない。
その明度は5から25%程度の薄い物で、サングラスほど黒くない。

アーレンレンズの名誉のためにここで説明をしよう。
目は、太陽光の下で物を見る。
太陽光は簡単に分解すると、3色に分解出来る。
人の網膜は、この各色に対する反応が違い、色盲は主に赤と緑の区別が出来ない事から起きる。

しかし、色盲ほど明確にならなくとも、人ぞれぞれその感度が違うことは想像できると思う。
それを、ある方法で簡単なテストをすると、その人の特徴が出る。
私は、緑系のレンズでより黒色の文字が見え、
妻は、青系のレンズでより文字がはっきり見える。

アーレンでは、読字障害の子供の中には、文字が飛び跳ねていたのが、
赤レンズを掛けると、文字が静止し読めるようになったとレポートしていた。

確かに、光刺激てんかんの傾向がある子供ならば、
文字を読もうとしても、白地の本を見ると、眼振を起こしそれにより文字が飛び跳ねると言うことが考えられる。

「ニキリンコ」のように黒いサングラスで落ち着くような簡単な話では無い。

極少数、文字を読むことで悩んでいる人の悩みは、そんな軽い話では無いのだ。       もう少し真面目に考えて欲しいよな。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月18日(木) 09:44 [ コメント : 0]

2007年10月17日(水)

ミスタービーン

イギリスでアスペルガー症候群のサンプルにされるのがミスタービーン。
本人もアスペルガー症候群と言うことで、非常に分かりやすいサンプル。

その発声法も妙な声の出し方で、ビルゲイツと共に、これまた分かりやすいサンプル。
こんな分かりやすいサンプルがあるから、ほとんどそのイメージが間違って伝えられる事は無いだろう。

しかし、日本は未開の奥地か?
ミスタービーンは無視され、「ニキリンコ」がアスペルガー症候群像となる。
私も、ある療育関係者に会ったときに、「サングラスで来ると思ってました」だと。
サングラスとカツラを被らなければいけない自閉症は、世界を探しても「ニキリンコ」ただ1人だ。
もし、「私もニキさんと同じです」と自己申告するヤツがいたら、
それは、ニキリンコ症候群で、特にアスペの会にはたくさん居るらしいから、
新たな症例として、世界に向けて発表した方がいいね。

ミスタービーンは発声も独特で、
大体自閉症の子供達の声は独特で、町中で泣き声を聞いても、
「あれっ、自閉症の子の泣き声だ」って分かるでしょ?知っている人なら。

なっちゃんもやはり自閉症独特の声なんだけど、
抑制の無い、そののびのびとした歌声はまさしく天使の歌声なんだよね。
青鳥学園のミュージカルを聞いても、自閉症の子の歌声は抜群だよね。

私も、声だけは馬鹿でかく、だからサックスの音も馬鹿でかく、音量だけは負けたことが無いな。
逆に妻は、極端に抑圧された声で、すぐ喉を痛くする。
ところが、これが本質ではない。
子供のしゃべり方をすると、とたんに馬鹿でかい大声になるんだ。

自閉症の子供が、大きな声か、聞こえない程の小さい声かどっちかしか出せないのと同じで、
私の妻も声の抑制はコントロールされていない感じだな。

とにかく、自閉症のグループの子は、声の出し方がちょと違うことが多い。   これホント。

作成者 自営業 山岸徹 50才 : 2007年10月18日(木) 09:10 [ コメント : 0]
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