アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2008年6月17日(火)

ごっこ遊び

ごっこ遊びが出来る「定型発達」であれば、「アスペです」と言われれば、すぐ「アスペ」になりきる事が出来る。

これは、自分を自分で「暗示」つまり、騙しているのである。

自分を自分で騙す。これこそが「定型発達」の健康的?な部分なのである。
その能力があるからこそ、人生苦しいことだけじゃない。楽しいこともある。とたくましく生きて行けるんだ。

ところが、アスペルガー症候群は自分では自分をだませない。言い換えれば、
自分で自分を「説得」出来ない。自分で自分を「納得」させられない。自分で自分を「信用」出来ない。信じられない。

これは、中枢性の統合の欠陥による作用なんだけど、成長する過程でも「結局自分が間違っていた」過去の事例がより強く、この考え方を補強していく。

そんな連中がここに来る。
「診断を受けた自分が間違い何じゃないか」「あの病院を選んだことが間違いだったんじゃないか」
「説明の仕方が悪くて誤診されたんじゃないか」「結果を他人と間違って私にしたんじゃないか」
「私があの時聞いた答えが『・・ではありません』だったんじゃないか」

アスペごっこを楽しむ、すぐアスペになれる連中には、アスペの館や、当事者サイトが腐るほどある。
そこで、なぐさめごっこが楽しめる。誰も自分に逆らう人は居ない。

当然疑問に悩む連中は、そんなところでは我慢できない。
もちろん、定型発達の通常の世界にも求めるものは無い。

本当に行き場のない、なんだか分からない連中が、来る場所。        それが、ここです。  いらっしゃーーーい。

作成者 Chip : 2008年6月17日(火) 10:31 [ コメント : 2]

2008年6月16日(月)

公人

月のはじめに書く悪魔払いのお札が突然消えた。
これについては、正式にヤフーに申しれをしたが、

そもそも、私が言っているのは、政府委員までしている公人「ニキリンコ」のことであり、
上智大学の准教授をしている公人「浅見省吾」、
出版社代表浅見淳子についてである。

皆おおやけに活動している「公人」である。

その公人の事実をあげたことで削除されるのであれば、
内部告発など全く不可能であり、インターネットは事実が無いことを示すような、異様な事態である。

そもそも、何度も法的手段にて明確にして欲しいというこちらの申し入れは無視。
他人の口を通し、全く評価に値しない擁護論ばかりが氾濫し、
そこには、何の事実の提示も、根拠も示されない。

そろそろ、誰か明確な事実を言ったらどうか。
私は、「ニキリンコ」が浅見淳子であり、
「ニキリンコ」に本名を問えば、フジモトフジオだったり、
               フクモトタマオだったり、
いつも違う名前を言っている事実を述べているだけである。

「ニキリンコ」で健康保険証を持っている訳がない。当然筆名であると自身でも言っている。
では、健康保険証に載っている、或いはパスポートに載っている、
或いは、マンションを買って、固定資産税を請求されるときに載っている、
実体のある、名前は何か?を言っているだけである。

私が調べた限りでは、それが、浅見淳子であったと言うだけで、
違うと言う人は、その違う名前、そしてそれが嘘ではないという根拠と示して欲しい。

参考までに、私の障害者手帳を写真で出そう。 ◎記事は戻りました。◎

作成者 Chip : 2008年6月16日(月) 14:50 [ コメント : 1]

2008年6月15日(日)

見る

話を戻して、自閉症を誰でも見る事が出来るようにトライした論文が下で書いた論文集に載っている。(星和書店)

これは、定型発達の場合テレビドラマを見て、当たり前のように楽しむことが出来る。
しかし、自閉症の場合、ドラマの筋立てについていけない例が多い。何故か?
それを、ドラマで演じられる着目点、誰もが見ている演者の目を見ていないのではないか、と仮定したんだな。

定型発達のサンプルに、テレビドラマを見せ、その目の動きを観察すると、
ほとんど同じ所、つまり演者の目や、指し示す位置を、話の流れに応じて見る。

ところが、自閉症児は、定型発達であれば見るところを見ず、別の所を見ている。
当然見るべき所を見ていないから、話が分からない。

それを、実験で証明し論じているんだね。

妻は、診断に6ヶ月もかかり、ウエックスラーのテストを受け、ようやく自閉症(アスペルガー症候群)と
診断されたが、妻のように非常に分かりにくい例でも、
指さしが分からない、目線で示してもどこを示しているか分からない、ドラマを見ていてもさっぱり分からない、
と言う所は、極端に明確に現れる。

妻のような例は、結構あると思う。
そんな時、問診でそれらしい『ウソ』を聞いて、出鱈目な診断をするより、
この目線を示すメガネを掛け、ドラマを数分見せることで、定量的に判断出来る。

これは、本当に素晴らしい論文で、この手法が広まれば、なんちゃってアスペは減るだろう。

当然、これですくい上げられない例も沢山ある。(例えば私)
そんな場合に、手間のかかるウエックスラーのテストをすればいいんだ。

真面目に研究している研究者も居る。(写真は400%に拡大して見てね)

作成者 Chip : 2008年6月15日(日) 09:30 [ コメント : 5]

2008年6月14日(土)

じゃあまた戻って、自閉症ならば、何でも矛盾に気づくかというと、
また違うんだなー。

自閉症は、「中枢性の統合」が弱く物事を「概念化」出来ない。

だから、すべての物事が個別に事象として記憶するんだ。
ところが、「矛盾」に気付くとは、

二つの事例が、一致すべきなのに、以前は「A」と言い、今は「B}と言っている。と
関連している事が分からなければ矛盾とならない。

すべて、物事のデータが「独立」した形で取り込んだ自閉症が、
今度は、それぞれの「関連」に気付く「知性」がなければ、結局は矛盾に気付かないんだ。

それぞれ、データはばらばらに入ってくる。
定型発達は、自動でひと固まりのデータになってしまうので、内部の矛盾になかなか気づけない。
自閉症は、ばらばらのままで、矛盾のデータがあっても二つの関連に気づけない。

つまり、定型発達、であろうと、発達障害、自閉症であろうと、直感とは別に、
「高度な知性」が無ければ、物事の矛盾、真実に近付けないんだな。

なーんだ。結局当たり前な話じゃないか。

そうなんだ。ごく当たり前の事を本当に「知る」のが人生なんだろうな。   

作成者 Chip : 2008年6月14日(土) 07:28 [ コメント : 2]

2008年6月13日(金)

見れば

何故定型発達であると自閉症を見抜けなくなるか。
これは、知性も絡むんだけど、「中枢性の統合」による「概念化」の問題だ。

「概念化」とはどういう事か。

例えば概念化された「楽しいこと」には、ありとあらゆる、複雑な事情をすべてひとくくりにして「楽しいこと」になる。

この、ありとあらゆる事例を一つずつ細密に調べ上げれば、
単純に「楽しいこと」とまとめることが出来ない「矛盾」に満ちているはずだ。
しかし、人間は快適に生きて行くために、それらの「矛盾」には目をつぶり
「楽しい」とする「概念化」の力を得たんだな。

「中枢性の統合」「概念化」と言うのは、言い換えれば「矛盾も丸飲みする力」だ。

だから、「概念化」の力を持った「定型発達」は、「発達障害」よりも遙かに生活して行きやすいんだ。
そう考えれば、何となく納得がいくだろう。

しかし、「概念化」があるために弱点が出る。
それは「矛盾」に気が付く力が弱い。と言うことだ。
これについては何の証明も無いんだが、自閉症の事を突き詰めて行くと、
その反対側の「定型発達」の事も考えざるを得ない。その結果私はこの結論を得た。

ただし、定型発達でも知性という物がある。
その高度の知性があれば、その中から冷静に分析し、矛盾を解き明かす能力も導き出されるのだが、
例えば、ニュースキャスターであり、新聞記者であるのだけど、その矛盾を縦横無尽に追求する能力を持つ人は、
本当に限られてるんだね。

インタビューアーを見ていて、「なんでそこを突かない!オレの方がましだ!」と私も思う。
だからといって、ニュースキャスターが出来るかといえば、
そもそも、なり方が分からないし、適切な大学にも行けないだろうし、
就職試験に合格するとも思えない。
仮に合格したとして、まともに会社員が務まるとも思えないし、
なんとか社員として潜り込んでいても、キャスターに抜擢されるとは思えない。

「中枢性の統合」に問題があり「概念化」出来ない代わりに、
「矛盾」には、定型発達の諸君よりは気づきやすい。

しかし、「高い知性を持った定型発達」にはかなわない。
では、「頭の悪い、勉強だけ出来た定型発達」にはどうか。   やっぱりかなわないんだよ。  ヤレヤレ。
写真は画面を拡大(200〜400%)にして見て下さい。

作成者 Chip : 2008年6月13日(金) 00:27 [ コメント : 0]

2008年6月12日(木)

見えるか

見えない自閉症をどうやって見るか。
これには、みんなトライしているらしくって、妻が寄稿した
自閉症と発達障害研究の進歩 と言う本に、
映画を見て自閉症者がどこを見ているかを参考にして、自閉症を見ようとしているんだね。
これに使われた映画があまりに古すぎて、古い研究なのかと今見たら、
なんと2002年の発表論文らしい。
もう少し、新しい映画を使って欲しかったけど。

今は瞳の動きをモニターするにも、昔より遙かに安く軽くなっているから、
子供にこれを付けてテストをすれば、かなりの確度で自閉症児をすくい上げることが出来ると思う。

特に私の妻は、本当の受動型の本物だから、社会性が無くとも、
与えられた見かけ上の社会性は、簡単にその場でコピー(エコラリア)してしまう。

これを拡大解釈して「演じる」とされると、ニキリンコの「演技性人格障害」と区別が付かなくなる。
ほとんどの、さほど自閉症に興味の無い精神科医は、見逃して今でも「ニキリンコさんは自閉症です」
なんて、素っ頓狂な事を言っているが、この辺は「定型発達」の人間には分からない事なのかもしれない。

なぜ「定型発達」であることが、見抜けない事と関係あるのか。
これは、また明日。

作成者 Chip : 2008年6月12日(木) 22:50 [ コメント : 0]

2008年6月11日(水)

見えない話

自閉症とはどんなものか。
巷で流れている話は実は自閉症の症例では無い。

みんなが自閉症の例だと思って話しているのは、実は知能の部分を見ているだけなんだ。

昔、自閉症が知能が低いと思われていた時には、その知能が低い部分を。
サバンが見つかり知能が高いと言い出せば、その知能が高い部分のみを見ているんだ。

だから、巷の意見をパクってクソチンコが演技をすれば、その知能の低い部分を演技し、
しかし、実生活では全く問題なく金を稼いでますよという妙な成り行きになるんだね。

自閉症は、SAMに欠陥があることなんだけど、そのSAMも知能が高ければ、
一見分からないように、ニセモノ擬似的なSAMを作り上げてしまう。

つまり、自閉症そのものは見えていない、見えない症例なんだ。
その複合的現象をあれこれ言っているだけで、これは未来永劫見えないんだろうな。

もっと分かりやすく言えば、バセドー病になると目が出てくる。
自閉症に例えると、その目の出方、角度、色、その他ばかりを取り立てて言っているだけなんだ。
いくら、目の出方を世界中の賢人が論議したところで、
肝心のバセドー病は治らず、悪くなる一方。
悪くなる様子を見て、また賢人は、悪くなる様子を論議する。  そんな状態なんだな。

一番の問題は、やっぱり生きていくことなんだ。
幸せならば多摩川土手で一人で暮らすのもいい。

生きて行くってややこしいもんだ。

作成者 Chip : 2008年6月11日(水) 11:44 [ コメント : 0]

2008年6月10日(火)

有名

実は私だって自閉症商売に成功して有名になりたかった。

お金の心配をしないで良いなら、それに越したことは無いが、
それよりも、有名になることで色々な取材が出来ただろうと「想像」したのだ。

何度も言うが、実は自閉症の生涯を克明に記述したものは無い。
私は、自分を含め、自閉症、知能が低いタイプから、高いタイプ迄、
知り得る限りの育成歴を調べて歩きたかったんだな。
それには、「知名度」と「取材費」が要るわけだ。

何とか有名になってみんなが取材を受けてくれる「知名度」と「取材費」を得たかったが、
そんなこと上手くいく訳が無い。クソチンコの虚構と違うんだからね。

こっちは、実際に息をして、薬を飲んで、やっとこさ生きてるんだからね。
あっさり「野望」はあきらめ、ここでせっせと書いている訳だ。

しかし、それは他人の為じゃない。
自分自身で、時間と他人を通して、自分を見つめているんだ。

他人を通してこそ自分を知る。               私はMINDBLINDNESS(マインドブラインドネス)だからね。

作成者 Chip : 2008年6月10日(火) 06:58 [ コメント : 3]

2008年6月9日(月)

商売

バブルがはじけた直後?だったか、女性の起業セミナーが流行った。
会社に居場所を無くしたOLが殺到し、どこでもかしこでも行われていた。
しかし、そのセミナーから巣立った起業家は皆無で、せいぜいセミナーで儲けているところに目を付け
自分もセミナーで一儲けしようと、セミナーがセミナーを生み、結局立ち消えになった。
クソチンコ浅見淳子までも起業家セミナーをやったことがあるんだ。
商魂たくましいな。

結局、自閉症商売になって、これが当たったんだな。

今のアスペ業界も同じで、アスペになったとたんアスペ商売をしようとみんな考えるんだ。

しかし、世の中そんなに甘くない。
大体本物であることには何の意味も無いんだ。
クソチンコが何故受けたか。それは、周到なリサーチがあって、客が望む自閉症を演じているから、商売になる。
母親たちが、ある特定の宗教団体が、カルトな一部の医者心理士が望む形があれば、
すべて、そのオーダーに応じた「自閉症、アスペルガー障害、広氾性発達障害、高機能自閉症、サバン」と
使い分け出来て、それに応じた話が出きるから需要があるんだ。

ところが、みんな診断されるととたんに、「自閉症商売」をしたくなる。
「自閉症商売」は、クソチンコが自分でユーザーを作り、起業化した独自の商圏だから、絶対手放す訳がないし、
そもそも、そんな商圏自体が架空に近いものなんだな。

親は、夢を見たいし、医者は待っていれば本物が飛び込んでくる。
教育カウンセラーは、聞きかじりの当たり障りの無いことを言っていれば好い訳で、
世の中で、本物のサンプル、本物の声が必要なのは、結局「オレ」ぐらいのものなんだよ。

では「診断」は何の為にあるのか。
「自分(Mind)」に気が付く、自分の気持ちを知る、事が出来ない「(BLINDNESS)」であることを「知り」
時間という重みや、他の仲間の行動や、言葉を利用して、

今より、少しは楽に生きる為にあるんだよ。

他人の為じゃない。   まさに自分の為なんだ。

作成者 Chip : 2008年6月9日(月) 13:17 [ コメント : 1]

2008年6月8日(日)

悩みの種

自閉症の事を「発達障害」と呼ぶようになった。
と言うことは、一方に「定型発達」があると言うこと。

私の妻は、今でも、知識では分かっていながら、「ニキリンコは発達障害?」と聞いてくる。

つまり、どうしても「字義」に囚われているから、どんなに「知識」「理性」で補填、補強しても、
「世の中に、あんな変な人間は居ない。だから『発達障害』じゃないか」
確かに、あの異常性はまともじゃないし、どこかの発達がおかしいのは間違いない。
しかし、「定型発達」の定義は、例え知能が低くても「定型発達」。

どうしても「定型発達」と聞くと、完全無欠の発達状態で、「超英才」に頭の中で繋がってしまうらしい。

そうじゃないんだ。
ダウン症の子供をはじめ、ヒトとしてその人にふさわしい発達の仕方をしているって事なんだ。
単純作業が好きで、不満に思わない工員さんから、証券会社で、人をも殺しかねない勢いで働いている証券マンまで、
皆、赤ん坊で生まれて、18ヶ月から22ヶ月でSAMを獲得し、ヒトとして育っているんだ。

知識として、知ることは、記憶力だけ良ければ、いくらでも出来る。
これからすると、コンピューターが「知の巨人」「知性の固まり」と言うことになっちゃう。

ところが、人間はそんな簡単なものじゃない。
頭で、知識として知っていても、人として社会で生活し、のらが、笛の言葉でようやく「気づいた」ように、

本当に「分かる」「解る」「判る」「わかる」と言うことが大切なんだ。

だから、実社会に出れば「頭でっかち」と鼻で笑われるんだな。
社会には、教科書も無いし、成績表を出してくれる先生も居ない。

「わかる」為には、自分で求め続けるひつようがあるんだね。

でも、その方が良いという何となく「予感」がするから、そうするんだな。
こんな所必要ない。と思って日常に帰ることが出来ることは、本当に幸せなんだ。

作成者 Chip : 2008年6月8日(日) 10:33 [ コメント : 1]

2008年6月7日(土)

出家

本当に不思議なのが、坊主の世界。

生臭くって生臭くってしょうがない、瀬戸内寂聴や、ポール牧が出家して説教たれる。

また不思議なことに、その説教が良くて大評判。
CDも売りに出されよく売れているらしい。

私が見てると、坊主の世界から一番遠い人間に見えるんだけとな。

それに比べ、私が本当に凄いと思う、水木しげる、や、楳津かずおは、
坊主とは全く違う世界で、しかし、現代の修行僧のような生活をして、淡々と生きている。

教えを請いたい人は、語らず、不必要な人間は語る語る。


人間とはそう言うものなんだろうな。                         だれか、俺に自閉症を教えてくれ。

と無理を言ってもしょうがないから、皆さん情報提供、協力お願いします。

作成者 Chip : 2008年6月7日(土) 07:30 [ コメント : 0]

2008年6月6日(金)

歩くエクセル

笛のコメントに、自分をエクセルに例えた話がある。(誤る参照)

実は、妻も常々言っている話で、
女の社会は、男の社会と比べ、遙かに高等で複雑な駆け引きの世界だ。
大人の男たちが言ってる様な話は、もう幼稚園の5歳児がするようなことで、
男たちは幼稚だ、と言い切る。

その、複雑怪奇な女の社会で生きるには、そのセオリーたるや、膨大な種類になり、
自閉症のグループであるなら、もうそれだけで手一杯、或いは消耗しきっているはずだ、と言うのである。

それでも、生きて行かなければならないから、
なんとかその中に法則性を見いだそうとして、過去のデータを掘り起こし、データ化する。
つまり、ここでエクセルに数式、手順を書き込んだと言うことなんだな。

だが、実際には、過去と同じシチュエーションは2度とないから、本当は役に立たない。
役に立たないと、分かってはいるんだが、それを止めるわけにもいかない。

これは、大層疲れるそうだ。

しかし、いま自閉症の子供たちを取り巻く風潮は、
さらに、カウンセラーが考え出した対応マニュアルを覚えろということ。

ただでさえ、使えない対応表をもっているのに、また新たなる対応表を覚えさせられる。
これは、子供の身になってみれば、大変であることがよく分かる。

実社会で暮らすって事は、大変だなー。

話がさっぱり分からなくなった所で、妻からクレーム。
「とにかく、私はあなたのブログは読んでないし、自閉症にもタッチしてないんだから
明確にして於いてよね!」との事だった。   なんで?    まあいいや。

作成者 Chip : 2008年6月6日(金) 09:46 [ コメント : 4]

2008年6月5日(木)

昆布

私は英語がとにかく苦手で、高校1年の時に、takeの過去形が言えなくて、教師に呆れられた口なのだ。

だから、ofの使い方なんか一度も考えた事が無かった。

四十になった頃、馬場ちゃんと言う昔から続く家に遊びに行ったら、
小さな入り江がプライベートビーチのようになっていて、その地名が「馬場浜」と言う。

そんな話をしていたら、東北大学出身の輩が、「馬場 of 馬場 ですね」(馬場浜の馬場ちゃん)
と言った。
成る程、受験勉強の達人。ofっていうのは、そうやって使うのか。
その時初めて、私はofの使い方を知った。

素人考えだが、ofには何か、サイズ、大きさ的な意味合いも含んでいるのかもしれない。

だから、笛が、セオリーとマインドを入れ替えると、のどごしが悪くて、
どうにも納まりが着かないっていうのは、
何か、文化的背景を無意識に感じているのかなーとも考えたり、
確かに、マインドとセオリーの大きさを比べると、マインドの方が無限の大きさがあるのかなーーと考えたり、


言葉って、本当に面白いんだよ。               諸君。

作成者 Chip : 2008年6月5日(木) 11:32 [ コメント : 3]

2008年6月4日(水)

ある は 見える事

トラの話を妻にしたら、「私もそうなんだ」と即座に飛びついてきた。

妻にとって、この本は難しく、読んではいたが、どうもしっくり行ってなかったようだ。
私が、パソコンを例に説明したり、指さしとはどの様にしているかを、釣り竿を使って実験したりして、
ある日突然理解出来た。(部分的に)

こうなると、「心の理論」として、論理化されたもので{現実}のものだ。
{現実}にあるとすると「見えるもの」として理解してしまうそうだ。

一方、頭の中では、「理論」と言うと、{見えないもの}という枠内に入るので、
「日本語」で考えていると、「こころ(MIND)」が「論理化されて見えるもの」と考えたり、
やはり、「こころ(MIND)の理論」であるから見えないもの、と考えたり、
感覚的に、一致しなくて困るのだそうだ。

どうしても、心と言うと、魂のようなものにも通じてしまって、永久に見えないものとするような部分がありながら、
しかし、コンピューターで説明できるという、見える現実がある。

その、見えた部分に注目すれば、Mind of Theory、じゃないかとすぐ頭に浮かぶそうなのだが、

いや、いや、心と言う物は見えないものなのだから、Theory of Mind、なのだ、

と、頭の中で言い聞かせなければ、いけないそうなのだ。


むずかしーーーーーーーーーーー。

作成者 Chip : 2008年6月4日(水) 04:39 [ コメント : 0]

2008年6月3日(火)

みかん

言語というものは、その背景にある文化や生活すべてを含んで成り立っている。
だから、ニキリンコのように自動翻訳機で翻訳させて、あとはちょこちょこっと手直しして終わり
なーんてお手軽な翻訳には怒りすら覚える。

さらに、今回の本のように、理論的な部分も含まれた書籍の扱いは慎重になる。

特に、of、for、to、at、in、on、なんて単語は、その前後の意味をも含んで使われるから、
その地の文化にどっぷり浸っていないと、その使い方は本当に難しい。
私のように、英語がダメで理科系に進んだ人間なら尚更だ。
だから、その原書の書き方について述べる素養が私には無い。

でも、敢えて突っ込むと、私の意見としてはこうなる。

心(Mind)と言う物は、とうてい科学で簡単に表せるモノではない。
今回ここで、書き表しているのは、心(Mind)のある一部、
つまり、人間であれば、わずか22ヶ月で獲得し、確立したほんの一部分でしかない。

しかし、人間の成り立ちを考える上で、或いは自閉症を考える上で、
相互に関係しあい、人間を考え理解するのにも役立ち、自閉症について理解するのにも役立つ部分を書き出したものである。

だから、バロンコーエンは、 Theory of Mind   

こころとして、あるもののうちの、一部の、理論化可能な部分。  と言ったのかなぁと思うんですね。

私より遙かに英語に詳しい妻は、また別の意見で面白いので、また明日。

作成者 Chip : 2008年6月3日(火) 11:26 [ コメント : 0]
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