賛成、反対の立場から現職の裁判官や弁護士が意見を述べる「裁判員制度」に関するシンポジウムに参加しました。ハコモノの制度が発足してもおかしな裁判は許さないぞという国民世論を作っていく必要があると思いました。
シンポジウムの様子
5月31日(土)午後2時より虎ノ門パストラルホテルで、社団法人自由人権協会の2008年度総会記念シンポジウム「裁判員制度」が開催されました。
来年5月から導入が予定されている裁判員制度については、国民の多くが裁判員になりたくないと思っているという世論調査の結果が出ています。裁判員制度の問題点を指摘した著作も多く、この制度を推進している日弁連に対し、地方の弁護士会には反対の声があがっているところもあることが伝えられています。
裁判員制度導入については、国民の間に十分な議論もなく、その内容が理解されているとはいえない状況の中で、拙速に制度を進めているという疑問の声も上がっています。とくに問題なのは、裁判員に選ばれたら正当な理由がない限り断ることができないことや、死刑や無期といった人間の生死にかかわる判断が求められる刑事裁判に限定されていること、生涯にわたる守秘義務など、国民の負担があまりにも大きいということです。
今回のシンポジウムでは、裁判員制度に賛成の立場の小池振一郎さん(日弁連裁判員制度実施本部委員)と伊藤武是さん(開かれた司法を目指す日本裁判官ネットワーク)、反対の立場の高山俊吉さん(「裁判員制度はいらない」などの著作のある弁護士)が、それぞれの立場から主張をしました。司会は小宮悦子さん(テレビ朝日「スーパーJチャンネル」のメインキャスター)。
なぜいま裁判員制度を導入するのか
裁判員制度導入の意味や、守秘義務や、だれのための制度なのか、といった本質的な問題についての小宮さんの鋭い質問に対し、小池さんと伊東さんは、この制度を導入することによって代用監獄など多くの問題を抱えているいまの刑事裁判のあり方が変わることへの期待を語りました。高山さんは、この制度に反対の立場から、推進派の小池さんと伊東さんの意見に反論する形で、問題点を指摘しました。
最初に、裁判員制度が導入されることになった経緯について、小池さんが説明をしました。鹿児島の志布志事件のように、代用監獄でむりやり自白をとって有罪にするように、冤罪が起こる背景に調書主義があり、検察の作った詳細で具体的な調書に裁判官が引きずられているという状況に対し、1980年代半ばに「日本の刑事司法は絶望的。代用監獄は廃止しなければならない」と言っている識者がいることなどを紹介しながら、日弁連が手弁当で廃止のための働きかけをしてきたことを明らかにしました。
「被疑者(起訴前)国選弁護の制度」など、少しずつ司法改革が進んできたこと、膨大な供述調書を全部読むことは不可能であり、供述調書を証拠にするなら全部読まなければならないので、証人を法廷に呼んで直接に話を聞き、心証をとるようになると述べ、公判主義を実現するために、「調書主義を打破する絶好のチャンス。刑事司法の転換をはかっていきたい」と抱負を語りました。
問題の多い現在の刑事裁判のあり方を変える絶好のチャンス
代用監獄廃止を阻止している要因はなにか、という小宮さんの質問に対し、小池さんは、「警察」と即答しながら、大事件が起きたときの警察のプレッシャーは相当大きいものがあり、まず最初にやるのは前科のある人やチンピラやヤクザを狙って事件のときのアリバイを調べ、アリバイのない人を別件で逮捕するという手法を取っている。このために、冤罪が生まれるということを指摘しました。
裁判員制度はなぜ実ることになったのか
裁判員制度がなぜ実ることになったのか疑問、とする小宮さんの意見に対し、小池さんは、90年代の司法改革と、財界からも刑事司法はおかしいのではないかという声があり、日弁連の(代用監獄)廃止運動と財界の要請がドッキングして実現したと語りました。
溺れるものは藁にもすがる
高山さんは、裁判員制度については絶対反対であるとし、発足させてはいけない、と強調しました。
代用監獄の問題など、日本の刑事事件の取り調べはひどい状況にあるが、その状況を作っている検察庁と法務省が裁判員制度を進めていることや、富山の冤罪事件で誤判をした裁判官がなんら処罰をされておらず、それを総括する最高裁がこの制度を進めていること、だれが現在の刑事司法をひどい状況にしたのか、その下手人はだれか、もしかしたら裁判員制度が変えるきっかけになるかもしれない、溺れるものは藁をもつかむというが、藁よりも悪い、と断じました。
高山さんは、陪審員制度と裁判員制度は似て非なるものであり、たとえば、陪審員制度は断ることができること、量刑の判断はしないこと、職業裁判官は入らないこと、被告人が陪審員制度を断る権利があること、長くやることができること、(アメリカの陪審制度では)検察は12人の陪審員を説得できなければ有罪にはできないこと、(陪審員は)一定の期間がすぎればその内容を明らかにすることができること。評議は全員一致であること。
それに対し、裁判員制度は、正当な理由がなければ断ることはできないこと、死刑や無期といった重大な刑事裁判に限定されていること、有罪・無罪だけでなく量刑までしなければならないこと、守秘義務があること(評議の内容を家族にも話してはいけない)、被告人は裁判員制度を拒否できないこと、一審だけ参加し、検察は控訴できること、多数決(5対4で有罪となったとき、自分は無罪だと思っても死刑判決を出さなければならない)、裁判員6名に対し職業裁判官が3人入ることなど、その違いはまったく似て非なるものであることを強調しました。
なぜ導入するのか。その質問に対し、高山さんは、国民に裁判に参加してもらい、勉強してもらうと最高裁がいっていることからも明らかなように、その目的は、裁判に一般の人の良識や常識を反映させ、刑事裁判のあり方を変えるといったものではなく、国民も裁判に参加し、治安に対する当事者意識を高め、自分の身は自分で守るといった意識をもってもらうために、事件にかかわることを求めている、との見方を示しました。
弁護士会は裁判員制度ではなく、陪審員制度の導入を目指していた
高山さんの指摘に対し、小池さんは、検察も最高裁も裁判員制度には反対であったこと、最高裁は政治家に働きかけ、職業裁判官と裁判員の割合を3対2にしようとしていたこと、それを日弁連が3対6までにしたことなど、双方の攻防があったことを明らかにしました。日弁連は、陪審員制度の導入を目指していたが、それが実現せず、裁判員制度になったそうです。
小池さんは、この制度について問題点はあるものの、国連人権委員会から勧告を受けている代用監獄や密室での取り調べなど、前近代的な日本の刑事司法が、いまもなんら改善されず脈々と続いている現状があり、その大きな壁をぶち破るきっかけにこの裁判員制度がなる可能性があると反論しました。
最高裁の努力を買ってあげてほしい
伊東さんも、裁判員制度の導入については、最高裁の説明が変わってきており、国民の一般常識や良識を反映するといった説明をするなど、その努力をかってあげてほしいと訴えました。
パネリストのみなさんに質問する小宮悦子さん
だれのための制度か
だれのための制度かという質問については、高山さんは、この国を危険な方向にもっていこうとする人たちが、この国の社会のあり方を、治安を高める方向にもっていこうとするからであるとし、「怖い。恐ろしい」と述べ、この制度が実施された場合の社会のあり方がどのように変わるか、警鐘を鳴らしました。
小宮さんが賛成の立場の伊東さんに発言を求めました。伊東さんは38年間裁判官をやっており、30年以上刑事裁判にかかわってきたそうです。日本裁判官ネットワークの活動をしており、国民の司法参加について賛成の立場であるとし、この制度を広めるための活動をしてきた、と語りました。この制度については基本的に賛成であり、最高裁の努力をかってあげてほしいと訴えました。
日本の刑事司法は推定無罪の原則が守られていない
そのほか、シンポジウムでは、検察の控訴権の問題、有罪率99.9%が示すように、司法が検察の追認機関になっている現状、裁判員制度によって冤罪はむしろ増える可能性があるという懸念、刑事司法において推定無罪の原則が守られていない現状、被疑者の人権が守られていないのはなぜかといった、小宮さんの本質的な質問に対し、それぞれの立場から活発な意見のやり取りがあり、議論の応酬がありました。
メディアに対する報道規制について
最後に、メディアに対する報道規制についての議論がありました。
事件についての識者のコメントも報道できないとなると、事件報道は成立しなくなる、との小宮さんの懸念に対し、小池さんは、光市の事件報道など、メディアの報道は目に余るとし、冷静な報道が必要であると述べ、プロの裁判官でさえメディアの報道に影響されやすいので、裁判員に対する影響が大きいというのが、最高裁と日弁連のスタンスであり、メディアのこの問題に対する受け止め方は問題があるとの認識を示しました。
知る権利と報道の自由の規制が急速に強まっていることに対し、メディアの緊張感が弱い、としながら、高山さんは、誰が規制をかけているのか、権力がいっていることが問題であるとし、権力が言い出したことについてはきちんと反発することが大事であるとしました。
裁判員制度の導入によって冤罪は減るのか
伊東さんは、裁判員制度を導入することによって99.9%が99.8%あるいは、99.7%になる可能性はあるとし、裁判員制度導入によって無罪が増え、冤罪が減っていくと確信している、と述べました。そのうえで、戦後60年、自白偏重、調書主義が変わっていない現状があることに言及しながら、裁判員制度によって大きく刑事裁判が変わる可能性があるとし、足りない部分は実践を通して変えていけばよいと述べ、この制度に大きな期待を持っていることを、熱心な口調で語りました。
裁判員制度がだめならどんな方法で刑事裁判の問題を改めるのか
また小池さんの、裁判員制度がだめならどんな方法で刑事裁判の問題点を改めればいいのか、という質問に対し、高山さんは、「いい質問である」とし、一つひとつの事件の中にその解決はあると述べ、なにが問題か、それを明らかにすることが大事であり、(裁判員制度という)ハコモノを作ってその中に問題の本質を押し込めてごまかそうとしている、と述べました。
問題の解決は一つひとつの事件の中にある
松川裁判では、松川事件を支援する運動とともに、作家の広津和郎が裁判を傍聴し、理不尽な裁判がおこなわれていることを雑誌(『中央公論』)に4年以上も連載し続けました。その地道な活動によって、最初、この事件に関心のなかった人たちも、あの裁判はおかしいと思うようになり、人々の関心が高まって、市民の力で無実を勝ち取ったように、とんでもない裁判は許さないという声を上げることが、刑事裁判を変える手段となりえるとの見解を示しました。
筆者の感想
会場には用意した椅子が足りないほど、多くの人たちが詰めかけていました。さすがに、小宮悦子さんの質問は国民がこの制度に対して抱いている疑問や不安を代弁してくれるものでした。その質問に答えるパネリストのみなさんも、的確で、問題点をわかりやすく答えているとの印象を持ちました。この制度を推進している立場の小池さんと反対の立場の高山さんは同じ弁護士ですが、どちらも司法制度の改革の必要性や刑事司法の問題点における認識は同じであるとの感想をもちました。
司法制度の改革に対し、警察や検察の抵抗の強さと、その警察や検察に引きずられ、むしろそれを助けている最高裁の在り方に、司法制度の改革を妨げる最大の要因があるということを、話を聞いていて改めて感じました。小池さんや伊東さんは長年司法制度の改革のために尽力してこられ、十分ではないが、容易にあけることのできないぶ厚い壁にこの制度が風穴をあけるのではないか、との期待を語っていました。
それに対し高山さんは、裁判員制度は絶対に発足させてはいけないと強く主張していました。この制度があいまいであること、なぜこの制度をやるのか、明確な答えを出すことができないこと、それに対し、反対の声がたくさんあること、その声は巷間にあふれ、いまや怒涛のごとく高まって大きな力になっていること、6月13日に日比谷公会堂で全国集会(「裁判員制度はいらない」全国集会)でその声が結集することなどについて、熱く語りました。
小宮さんは、弁護士会が求めていた陪審員制度ではなく似て非なるものである裁判員制度になったことに対し、「妥協すべきではなかったのではないか」との意見を述べ、もし自分が裁判員に選ばれた場合、どのような立場で裁判に立ち会えばいいのか、そのスタンスがわからない、と発言をしていました。筆者もその意見と同意見でした。そのことが、まさにこの裁判員制度の問題点を如実に示していると思いました。
小池さんや現職の裁判官である伊東さんのお話を聞き、この制度についての認識が少し深まったものの、高山さんが指摘していたように、ハコモノ(裁判員制度)をつくってごまかすのではなく、一つひとつの事件の中に刑事司法の問題を正す手段があるのであり、おかしな裁判については、許さないぞという国民世論をつくることが必要だとの思いを強くしました。
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