【歴史】「古代日本の主流階層は渡来人」
貿易会社サムエ社の朴定和代表理事
「七支刀の項目を見てみましょうか?」
七支刀の項目のページを開いてみると、七支刀に関するあらゆる日本の書籍や新聞などの資料がびっしりとスクラップされていた。
「日本は“七支刀は百済王から日王へ献上されたものだ”と主張していますが、そうではなく下賜品です」
そう言いながら朴理事はユニークな根拠を提示した。
「七支刀は通説では4世紀に作られたものだとされていますが、これは違います。七支刀の製造に使用されている錬鉄技術は、百済が5世紀後半に中国から導入したものです。技術的優位を占めていた百済が、それを日本に伝授する立場にあったということです」
また、朴理事は「日本」という国号を創案したのは7世紀の高句麗僧・道顕であり、それ以前の日本の通称である「倭」は伽倻の別称であったと主張した。つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで古代日本の主流階層は韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だったというのだ。このような内容は、最近朴理事が出版した「日本の源流を訪ねて」(サムエ社刊)に収められている。
朴理事は実際の年齢より20歳は若く見えるが、すでに80歳を超えている。光復(日本の支配から解放された日)直後、朴理事は米ミシガン大で原子力法学を学んだ。当時は、そのような学問があることすら大部分の人は知らなかった。帰国後、1958年に設立された原子力院で法律諮問秘書官を務め、1970年代からは貿易業の世界に飛び込んだ。
そうして10年あまり、事業のために世界各地を飛び回っていた朴理事は、ノルウェーのコンチキ号博物館で衝撃的な遺物を目撃した。それはイカダ。数千年前、人類がイカダに乗り、海流の流れに乗ってノルウェーからペルーまで数千キロの距離をわずか30日で航海していたというのだ。
「釜山から対馬まではたったの50キロしかないのに! それならば古代の日本人は韓半島から渡った人ではないか?」
60歳になってはじめて、朴理事は古代史研究家の道を歩み始めた。
仮説ではなく、明確な根拠と資料が必要だった。日本に行くたびに古本屋や図書館を手当たり次第に探し回り、古代史関連の学者を直接訪ねては討論をした。こつこつと読み重ねた日本の書籍はなんと3000冊にも及ぶ。
2004年、朴理事は米ニューヨークで『The Histo ric Long, Deep Korean Roots in Japan(歴史的に長くかつ深い日本における韓国の根)』を出版した。この本は韓国国際交流財団の優秀推薦書に選定され、海外37か国の大学や研究機関に配布される予定だ。
「今後は日王と日本仏教、神社の由来に関する本を書くつもりだ」
朴理事がやるべき事はまだまだ多いようだ。
ユ・ソクジェ記者
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