幻想作家として名高い泉鏡花作品の上演が続く。今月は東京・新橋演舞場の新派公演の昼の部で「婦系図(おんなけいず)」(29日まで)。来月は東京・歌舞伎座の夜の部で「夜叉(やしゃ)ケ池」と「高野聖(こうやひじり)」が上演される(7~31日)。鏡花物の魅力はどこにあるのだろうか。【小玉祥子】
鏡花の代表的な作品群には、芸者に代表される花柳界に生きる女性が主人公になるものと、魔物など異界の住人が登場するものがある。前者の代表格が「婦系図」で、「夜叉ケ池」と「高野聖」は後者の系列に属する。
ベースとなる世界は異なりこそすれ、両者には共通項がある。聖と俗の対比だ。
「婦系図」の主題は元芸者のお蔦(つた)とドイツ語学者の主税(ちから)の悲劇的な恋だが、そこに主税の師である酒井の娘、妙子に近づく富豪の河野一族がからむ。
「夜叉ケ池」の軸は村娘の百合と萩原の夫婦。池の主と村人が大昔に交わした約束を守るため、萩原は鐘楼守(しょうろうもり)になった。約束は迷信とあざける村の有力者たちは、百合を雨ごいの生け贄(にえ)にしようとする。池の主の魔物、白雪姫は破約とともに解き放たれ、村を洪水が襲う。
「高野聖」では、旅の僧が宿を求めた山中の家で、獣にまとわりつかれる美女に出会う。女の誘惑に打ち勝った僧は、女が言い寄る男を獣に変えていると聞かされる。
河野一族や約束を破る村人、獣に変えられた人々が俗。お蔦と主税、百合と萩原、僧が聖の側だ。
「高野聖」で美女の雪路を演じ、補綴(ほてつ)・演出も担当、「夜叉ケ池」では監修を行う坂東玉三郎は「奇想天外でありながら、清濁合わせた中に浄化された世界をつむぎ出す」と、その作品的魅力を語る。
もうひとつ、出演者が声をそろえてたたえるのが独特のセリフ。「夜叉ケ池」で白雪姫がうたい上げる「義理やおきては人間の勝手ずく、我と我が身をいましめの縄よ」が一例だ。
玉三郎は「非常に自由な発想で並べられる言葉のおもしろさ」を魅力として挙げる。「婦系図」のお蔦役の波乃久里子は「宝石のようなセリフがちりばめられている。この一言のために舞台へ出たい、と思う言葉がたくさんあります」。主税役の片岡仁左衛門も「セリフがきれいで言いやすい」。また、「高野聖」の僧、宗朝役の市川海老蔵は「登場人物の一貫した純粋さを言葉が見事に表現している。セリフが音楽のように語られています」と評する。
だが、そこには危険も潜む。「気をつけないと、気持ちよさに引きずられて、セリフが心に伝わらない」と仁左衛門。波乃も「客観的に、セーブして言うことも必要です」と自戒する。<月末を除き毎週火曜日に掲載します>
毎日新聞 2008年6月17日 東京夕刊