7月
靖国神社を守った神父
自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、
その国家のために死んだ人びとに対して、敬意を
はらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、
敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。
無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に
理解出来るはずである。
もし、靖國神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、
米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって
残ることであろう。
歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。
はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、
米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
(中略)
我々は、信仰の自由が完全に認められ神道・仏教・
キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰する
ものであろうと、国家のため死んだものは、
すべて靖国神社にその霊をまつられるように
することを、進言するものである。
終戦後、日本に進駐した連合軍は、靖国神社の
処理問題を取り上げた。同司令部内では「焼却すべし」
という意見が大勢を占めたが、マッカーサー総司令官は、
最後の決断を下すに際し、キリスト教会の意見を
聞くこととし、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理の
ビッテル神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の
統一見解を文書にて回答されたい旨を要望した。
その答申(要旨)が先の文章である。終戦直後の
あの混乱時、靖国神社に対し深く正しい理解を示し、
同神社を守っていただいたブルノー・ビッテル神父に対し
感謝と尊敬の誠を捧げたい。
(社報「靖国」昭和56年7月号掲載、財団法人水交会会長・木山正義氏の玉稿『靖国神社とブルノービッテル神父』より要約抜粋)
以 上
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