監獄街






「冗談じゃない」

スナオは慎重にグルーミイの木を降りていた。
魚のような鳥が髪すれすれに飛んで行きびくりとした。
下を見れば足がすくむ。
上空からは煩いまでの音が聞こえてくるというのに地上からは何の音も聞こえてこない。
地上までまだまだ距離があるためだとスナオは思うようにした。
足を滑らせる。
太く頑丈な枝にくらいつき震えた。
スナオの後ろから触手がじわりじわりと迫ってくる。
ぬるぬるとした触手がスナオの足に絡まりついた。
咽喉を押し広げ息を呑む。
巨大な人間のてらてらと光る臓器が、否、臓器に良く似た赤黒い袋状の植物が触手をスナオの足に絡め引きずり寄せている。
ぐちゃぐちゃと音を立てる植物から粘液がグルーミイの枝に落ちじゅうじゅうと煙が上がった。
ずり落ちそうになる眼鏡を押さえ逃れるために自由になる足で触手を蹴る。
触手がスナオの両足を拘束した。
心底ぞっとする。
腰を折り曲げてで引き千切りたかったが発達してない腹筋では思うように腰を曲げる事ができない。
ぱっくりと口を開けた植物に飲み込まれようとした。
袋状の植物が出しているあの粘液はおそらく強酸だ。
足に絡み付いている触手からの分泌液には神経を麻痺させる成分が含まれているに違いない。
意識があるところを見ればたいした毒ではないのだろう。
グルーミイの巨大な葉に遮られ日光が届かないため不十分となる養分を補うために捕食者へと進化したのだな。
原始的な生物の方が強い事もあるのだ。
体が急激に落下する。
何が起こったのかすぐには理解できなかった。
目の前にフェイロンの顔があった。
驚きに目を見張る。

「勝手に動き回るなってマツから言われてたじゃん」

ふと植物を見れば切断された触手からべたべたした緑色の粘液を滴らせびくびくと痙攣している。
粘液に覆われた人間の頭部が袋の中に見えた。
首から下は溶かされてしまったようだ。
頭も髪が全てなくなり溶解した皮膚の下から白い骨が覗いている。

「あいつデッドスポットに捕まっちまったんだな。えぐいねー。あれは生きたまんまじわじわ消化していくから」

食虫植物よろしく食肉植物だ。
ああやって触手で獲物を絡めとり袋の中へと導くのだ。
甘い香りを発して自ら動こうとしない食虫植物よりは魅力的に思えた。
フェイロンはけたけたと笑った。
バイクの上に引きずり上げられ帰るぞと言われた。

「降ろせ。僕はお前達と暮らすなんて一言も言ってないぞ。地上に降りようとしていたのを邪魔した上にあまつでさえ自由を奪うというのか。人権侵害だ。人間は誰にも拘束されない、言論を弾圧されないという権利を持っているんだぞ。聞いているのか?!」
「権利とか馬鹿じゃね?ここはトップが法律だ。トップのマツがお前を庇護者にするって決めたんだからお前はトップのものなんだよ」
「ものだと。僕はものではない。有栖川素・・・・・・ではなく有栖川直樹という名前を持った人間だ。地球のアメリカに戸籍もある。ものという考え方自体が古い考えだ。もしも僕が女であったならばフェミニストから強烈な批判が来るだろうな。これは性差だから仕方がない事だがとにかく僕はものではない。マツという男には助けてもらったがそれだけだ。礼は言った。そこで僕達の関係は終わっているぞ。元々赤の他人同士だったのだからな。トップといっても所詮は彼も囚人だ。囚人同士の派閥争いでも・・・・・・うわっ、何をする、貴様!餓鬼のくせに運転などするな。僕が死ねば世界有数の貴重な頭脳が失われる事になるんだぞ。お前らとは脳の構造自体が違うんだ。アインシュタイン、ホーキング、マックスウェルといった天才の遺伝子を受け継いでいるこの僕を振り落とそうなど愚の骨頂だ。」
「煩いな。ヒステリー女みたいに喚き散らしてみっともないったらありゃしないね。そんなに地上に行きたいならここからダイブすれば良いだろ。ほーら今すぐ飛び降りろ陰険眼鏡ザル」
「貴様は正真正銘の馬鹿のようだな。ここから地上まで何メートルあるとでも思っているんだ。飛び降りれば確実に死ぬという事くらいそのちっぽけな脳みそでも分かりそうなものを」
「地上には行かないほうが良いよ」

ぽつりと言った。
グルーミイの森から突き出すようにして岩石があるのが見えた。
その上に糸杉のような植物から伸びたツタが螺旋状に撒いている。
スナオは目を凝らしたが良くは見えなかった。

「地上は刑務所になってるから行ったら殺されちゃう。日の全く当たらない真の闇の世界。ここにだって秩序はあるからそれを乱す奴らは地上に落とされるんだ。地上に何があるのかは知らない。多分ここよりももっと苛酷な環境だ。自分から地上に行こうとする奴なんて始めてみた」

何も言い返さずスナオは黙った。
下を見ればなるほどやはり光などは見えない。
木が高いせいというのもあるだろうが、グルーミイの巨大な葉が多い茂るここでは地上まで光が到達しないのだ。
光の来ない深海で魚達が独特の進化を遂げるようにここの地上でも陸上生物が類まれなる進化を遂げているのだろう。
だがそう思えば興味もわいた。
知的好奇心がくすぐられる。
上空にも見た事のない生物が生息しているのだ。
地上に降りればどれほど刺激的でエキセントリックな生物に出会えるだろうか。
唇を噛み締め地上を見るスナオを脅えているのだと勝手に解釈しフェイロンは勝ち誇った気分になった。
上機嫌でバイクを運転し少し遠回りして家に帰ろうと思った。
だがその判断がいけなかった。
フェイロンとスナオを乗せたバイクの後ろから巨大で近未来的なバイクにまたがった少年達が近づいて来、取り囲まれた。

「よおフェイロン。後ろに乗ってる奴は誰なんだい」

フェイロンの顔が嫌悪感に歪む。
バイクが蹴られた。
ぐらつく。
怒鳴ろうとするスナオに止めろと言う。

「お前達には関係ないね。あっち行けよ、豚」
「何でてめえに命令されなきゃならねえんだよ。トップに囲われてるからっていい気になるんじゃねえぞ。てめえなんざすぐに内臓抉り出してケイプハンターの餌にしてやれんだからよお」
「へえ。それはそれはご光栄な事ですねえ。これ以上俺に絡んで見やがれ。トップに言いつけてやるからな」
「トップトップトップトップトップ。トップがいなけりゃ何もできねえクソチビが偉そうにまあ。喧嘩もできねえなんてたいしたお坊ちゃまでちゅねえ」
「何を!ナオキ、運転変われ!」

ハンドルをスナオに預けフェイロンはバイクに乗る少年の一人に飛び掛った。
運転などした事のないスナオによってバイクは傾く。
ハンドルを切るがどうしていいか分からずにうろたえた。
後方にたなびく髪を鬱陶しいと思いながらも何とかしようとする。
後頭部に激痛が走った。
倒れこめば血が滴った。
血は苦手だ。
冷や汗が出てくる。
後頭部を押さえれば掌がぬるぬるした。
冷静な判断が下せない。
腕を乱暴に引っ張られた。
バイク集団の少年がにやにやとスナオを見下ろした。
宙吊りとされ血の気が引く。
平静を取り繕うと唇を噛み締める。
耳にフェイロンの怒鳴り声が飛び込んだ。
自分と同じように捕まってしまったようだ。

「おーい、このクソ生意気なチビ二人をケイプハンターの巣に落としてきてやろうぜ」
「そりゃいい。鳥葬だぜ」

スナオとフェイロンを宙吊りにしたバイクが上昇する。
グルーミイの森を上空に突っ切った。
緑色の靄がさらに上空に発生している。
浮遊植物だ。
それを食べるため大きく口を開けた巨大な生物がゆっくりと横切って行く。
浮遊植物が飲み込まれる。
ゆらゆらと漂う靄の雲が消えた。
巨大生物は一匹だけでなく群れをなしている。
雲のような陰がグルーミイの葉に浮かぶ。
バイクが森を抜けた。
飛びすさぶ風に目を開けていられない。
ぎゅっと目を瞑る。
ごおおという音が耳を圧した。



三話
五話