2008年1月15日(火)
SAMの欠陥
SAMが無い。つまり自己を明確に意識していない。これは何から分かるか。
アスペルガー症候群の子供の特徴として、「ハイ」と言わないと言う特徴がある。
「ハイと言わない」と言うのは、「ハイ」という言葉を言わないと言う事では無い。
「どうして宿題してこなかったの?忘れたの?」(教師)
「ううぅん」
「昨日寝ちゃったの?」
「ううぅん」
「やりたくなかったの?」
「ううぅん」
「どーしたの!はっきりしなさい!」(堪忍袋が切れた教師)
「わかんない」
「わかんないじゃ、ないでしょ!どーしたの!!」
これは、宿題をしない理由を概念化してまとめられない事も原因の一つだが、
最も重要なのは「自己」を見つめられない。
自分の状態をモニター出来ない。つまりSAMの欠陥に依る物である。
大人になると別名「あまのじゃく」とされる物だが、
自分の内部にある「気持ち」と命名されているものは、本当は非常に複雑なもので、
概念化が出来ないが故に、「楽しかった」だの「嫌だった」だの「普通になりたい」だの「帰りたい」だの簡単な言語では表せない。
逆に言えば、言葉に表せない状態を表しているのだから、素直と言えば素直なのだが、
SAMが完備している定形発達の人間が間違いなく同じ表現をとるのに、
それらと同じ表現が出来ない。
つまり、SAMの欠陥で、自分の状態をきちんとモニター出来ないことが、「あまのじゃく」の発生につながる。
だから、答えを悩む子供に通り一遍の回答を求めても出来ないのだ。
「どーして、どーして」と親は問いつめるが親(教師)としては、本当の理由が知りたいと言うよりも、
その時当然のやり取り(コミニュケーション)として、自分が望む子供らしい答えが返ってくれば、それだけで満足なのである。
しかし、自閉症の子供は、自分の内部にある「気持ち」というものをモニターできないから、しょうがなく、その時の物理的状況、例えば
「あのとき、車がビューって来たから」とか、
「犬が吠えたから」とか、
「太陽が眩しくて」とか、大人が求める言葉と全く違う事を言い出す。
大体それで大人は切れて
「人のせいにするんじゃない!あんたはいつも人のせいにするひきよう物だ!」と怒鳴ると、
「俺は卑怯者だ」と50年言い続けることになるのだ。
自閉症の子供は自分の気持ちをモニター出来ない。
その事が分かっていれば、子供との関係も少しは上手くいくかもしれない。
子供の頃から「つらく哀しい」かったクソチンコは子供の頃から普通だったのだ。
作成者
山岸 徹 51歳
: 2008年1月15日(火) 12:22
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2008年1月14日(月)
小休止
SAMは自閉症のすべてであり、その根幹をなすものである。
一気にSAMについて書き込もうかと思ったが、昨日また素晴らしい映画を見たのでちょっとお休み。
映画については、過去に何度か書いた。
アメリカの映画はどうしてこんなに懐が深いのだろうか。本当に感心する。
日本の映画、テレビの作りのちゃちさに比べると日本の底の浅さに嫌になる。
昔、初めて痴呆にメスを入れたと話題になった「花いちもんめ」と言う作品があったが、これもアルツハイマーと脳血管性痴呆とが混ざっていた。
「光とともに」だって、あらゆるエピソードを繋ぎ合わせているから、結局そんな人間いない事になる。
しかし、アメリカの優れた映画は、障害の紹介ではなく、「そこにいる人物」の物語を描いている。
その事によって、障害も考えるという作りになっている。
参考になるか分かりませんが、いくつかの映画を紹介します。
1.「RADIO(僕はラジオ)」 ☆☆
2.「ジュラシックボーイ」
3.「ハウスオブカード(心の扉)」
4.「シザーハンド」
今日のこの文で物足りない人はこちらももう一度読み返して見て下さい。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7498/totu2.html
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7498/totu1.html
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月14日(月) 10:25
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2008年1月13日(日)
SAMの欠陥
可愛い動物に鏡を見せた事があるだろうか。
子犬でも子猫でも、始めは鏡の裏に何が居るのか不思議そうにする。
明るい性格の子犬なら、相手になんとかじゃれつこうとまでする。
人間にも同じ時期がある。
人間の18ヶ月から22ヶ月はSAMが発現する時期である。
だから、18ヶ月以前に鏡を見せると不思議がり、裏側に回って誰かが居ないか確かめようとする。
しかし、22ヶ月を過ぎた子供に鏡を見せ、隙を見て鼻の頭に赤い絵の具を付けると、すぐ自分の鼻の頭に絵の具が付いたことを理解する。
勿論理解の仕方は様々で、自分で取ろうとしたり、誰かにとってもらおうとせがんだり、その反応はいろいろだ。
22ヶ月を過ぎた子供はSAMがあり、鏡に映った自己を完全に理解していることが、この実験によって分かる。
この18ヶ月から22ヶ月に完成する自己意識こそが、自閉症に無い物である。
しかし、この幼い中途半端な時期に自己が確立するおかげで、多くの親が混乱を起こすのも事実である。
「昔は自閉症じゃなかったのに、3種混合ワクチン(アメリカの混合ワクチン、日本とは違う物)を打ってから自閉症になった。だからワクチンが原因だ」
「子供の時40°を越える熱を出した。それからおかしくなった」等々
自閉症の子供を持つ親のほとんどが、DNAではなく、外的要因を原因に挙げていた。
だから、今を含めて様々な原因説が主張されたが、ほとんど時間と共に消えていった。
DNAの謎が解明されつつある現代では、その原因がDNAにあることを疑問に持つ人は少なくなったのではないだろうか。
とにかく、幼児のそれも18ヶ月から22ヶ月にSAMを獲得し、自己を確立できるかどうかが、自閉症かどうかの境目になるのだ。
さらに、知能の後れ(知能障害)は、また別の問題として付加して発生していると考えた方が正しいだろう。
発生は18から22ヶ月にあるのであーーーーる。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月13日(日) 17:23
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2008年1月12日(土)
SAMの欠陥
先天的にSAMが構成されないのが自閉症である。しかし、知能はある。
周りの人間にはすべてSAMが備わっている。
SAMが欠けている自閉症の子供達は、見よう見まねでSAMに変わる物と身につける。
私はこの事を便宜上、「疑似SAM」と呼んでいる。
最もそう呼んでいるのは私たち夫婦だけで、さらに、成長した自閉症がこの「疑似SAM」を獲得する様について述べている書物も見たことが無い。
残念ながら、自閉症とSAMについては、あくまで10歳ぐらいまでの子供を対象とした研究結果だけで、
さらに成長した大人については全く研究報告は無い。
だから、「疑似SAM」については、学問的裏付けが無いのだが、現実に私たち夫婦はそのような物を持っている。
そうしか言えない。
その前にSAMについてもう少し簡単な分かりやすい説明をしよう。
それは、明日じっくりと。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月12日(土) 20:47
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2008年1月11日(金)
SAMの欠陥
私はSAMの欠陥と表現しているが、厳密に言うと、あるか無いかの世界なので、
「無い」と言う表現になる。
但し、人間には知能があるし、人間として生まれた以上SAMがあることが基本条件であり、
無条件でSAMがあることを求められる。
その為、非常に幼い時から、知能で擬似的にSAMを作り上げる。
例えば、他の人間がこちらを向いていると「誰かが見ている」と知識として覚えるのである。
人間であるならば、そんなことは教えられるまでもなく、無意識下で理解しているのである。
ところが、自閉症のグループは知能を用いて理解しなければならない。
「アスペルガー症候群」であれば、知能が高いから、いずれ知識として、社会生活の常識として覚える。
「知能が低い自閉症」であれば、アスペルガー症候群にくらべ、社会生活の常識として覚えることが遅くなる。
こう考えれば、知能の高い低い、時間がかかる掛からないの区別だけで、
対応する方法としては、自閉症もアスペルガー症候群も全く同じであることが分かると思う。
だから、我々「アスペルガー症候群」の知識として身につけた社会常識を掘り起こすと、
そのプロセス(手順)を丁寧に解明すれば、自閉症の諸君になんとか社会常識を覚えさせる手引きとなるはずである。
クソチンコのような、誰でも簡単に分かったような気にさせるガセデータはクソの役にも立たないことがよく分かるだろう。
逆に、自閉症の子供を持つ親達は、クソチンコのガセネタを実践して、過ちを広く知らせる使命がある。
そうしなければ、日本中の自閉症児が無駄な努力を何年も続け、逆に苦しみ続けなければいけないからであーーーーる。
作成者
山岸 徹 51歳
: 2008年1月11日(金) 18:52
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2008年1月10日(木)
ルー・タバーキン
今から30年前、秋吉敏子とルー・タバキンビッグバンドが結成された。
ビッグバンド構成に誰も見向きしなかったこの時期、アメリカで活動していた秋吉敏子はジャズビッグバンドを作りオリジナル曲を発表した。
当時、それは確かに面白く、久しぶりのビッグバンド曲の新曲でみんな大いに喜んだ。
日本に凱旋公演すると共に、ライブ盤を録音するツアーが組まれた。
大体、ライブ盤はツアーの後半のライブがまとめられる事が多いのだが、
その時は、私たち(私と友人)が見に行った初日の録音が多く採用されていた。
あの時は、ノリノリで最高に楽しかった。
録音盤を手に入れて、何千回聞いたか分からない。
そのライブで、最高に間のいい声援を掛ける客が居て、ライブでもみんなノリノリだ。アドリブも冴えた。
その録音は、何千回も聞いて居るんだ。
今日、突然気が付いた。
あの、ノリノリで、抜群のタイミングで声を掛けていたのは、「俺じゃん!」
どう考えても、その状況を考えても、あの時声を掛けたのを思い出しても、どう考えてもやっぱり俺だ。
友達と一緒にレコードを聴いていたときに、誰も教えてくれなかった。
だけど、あれは俺だ。間違いない。
SAMの欠陥がある私が、確信を持てたのは、あれから30年経った、今日その日だ。
間違いない。レコーディングのその日、俺は中野サンプラザに居たんだ。
今気付いた、30年してやっと確信できた、そんなアスペルガー症候群のおじさんです。
作成者
山岸 徹 51歳
: 2008年1月10日(木) 11:56
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2008年1月9日(水)
行動
妻の行動をつぶさに観察すると、まさしく受動型だ。
しゃべる、知能の高い女の受動型、というのは本当に他に例をみたことが無い珍しいケースだ。
何故か。
クリニックに来る子供達を観察すると、
男の場合、受動型で男としてはどうにも歯がゆい。そんな男の子。
女の場合、積極奇異群で、女にしては目立ちすぎてクラスで浮く。そんな女の子。
このタイプが多いようだ。当然男女の発生比率が違い男の方が多いから、男の子の中には当然積極奇異群も含まれる。
しかし、女の子の受動型と言うのは、学校生活に於いて、特別不都合が無いせいか、見かけたことが無い。
只一つの例外は、姉の付き添いでクリニックに来る妹(この子は診断も受けていないし問題も無いとされている)が、
妻とうり二つ。そっくりなのが面白いだけだ。この手の女の子は問題が表面化しないんだろうな。
そんな妻は、家庭において(会社でも)ある面では異様なくらい素直だ。
「お茶入れて」「・・・」(無言ですぐ読んでいた本を置きお茶を入れに行く)
「パン焼いて」「・・・」(無言ですぐに焼きに行く)
「郵便出来たから暇なとき出してきて」「・・」(すぐコートを着て出てゆく)
本当に不思議なくらいすぐ行動に移る。
ところが、
「ああー疲れた。お茶入れてくれる?・あっそうだ。お風呂入れてくれる?」と言うと。
「今お茶を入れてるの!」と怒る。
お茶を入れた後の事を言っているのだが、二つの作業が重なり一度には出来ないと妻は怒る。
確かにそうだ。人間一度に二つの事は出来ない。
この事に気付いたのも結婚して20年。最近の話だ。
お茶を入れるにしても、ご飯を作るにしても、頼めば嫌と言わずに黙々とこなす。
ところが、
「こうじゃないよ。こういうときは芋は乱切りにするんだよ」とその内容について少しでも意見を言うと、
「いーんだって!向こうに行ってろ!」と激しく怒る。
これは、花壇の事を指図された時の反応と一緒だ。
時には素直、時には頑固。
会社でも同じだから、みんな面食らうだろう。
だからクビになっちゃうんだよな。
自閉症っていうのは一筋縄ではいかない大変面白い物なんだ。
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自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月9日(水) 04:36
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2008年1月8日(火)
日常会話
10月6日(植え込み)で話した騒動も今は収まり、花壇には名も知らぬ雑草の可愛い双葉が生えているだけだ。
ゴミの出し入れの時にご近所と顔を合わせるだけの妻は、最近何度か声を掛けられた。
「この花壇せっかくだから・・植えたら良いじゃない」(Aさん)
「ここ、せっかくだからこっちのランタナ持ってきて植えたら」(Bさん)
話だけを聞くと、特別妻と話のきっかけを持たないご近所が、話のきっかけにしているだけだと思うのだが、
妻は
「人が何植えようと、人の勝手だろ!」
「(私は)人の花壇に何かを植えろなんて一度も言ったこと無いよ!」その度に部屋に戻っては怒っている。
「(妻と)話したいだけだよ」
「話のきっかけが無いから話しているだけだよ」と、私が取りなしても、毎回同じ反応で怒る。
妻は人の事に口出ししない代わりに、人に行動を指図されるのが大変嫌いだ。
きっと知性(知能)では分かっていても、本質で分からないから同じ行動に出るのだろう。
私も多分同じだ。
知識(常識として)理解していても、それらの場面では、その通り行動できない。
それを考えると、どこかのカウンセラーが「正式な対応法」を伝授しても、
(自分は出来ないという)新たなストレスが増えるだけで、何も解決していないと私は考える。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月8日(火) 08:19
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2008年1月7日(月)
会話
なっちゃんと交信をした妻の母親は非常に奇妙な人で妻がなっちゃんと交信できるのはその事と関係があるような気がしてならない。
妻の母、つまり義母は良くしゃべる。
若い頃は普通に女学校へ通っていたし、障害者として区別されるほどでは無かったようだ。
しかし、その実体は分からない。
今は、耳が完全に聞こえなくなり、目も5センチ四方ぐらいの字しか読めない。
その位障害が重いのに、家の中ではまるで目が見え耳が聞こえるかのごとく会話に参加してくる。
昔は、時に変な事を言ったり、変な合いの手を入れたりしても、
「お母さんは耳が聞こえないから」と意に介さなかったが、
今思えば、仮に耳が良く聞こえていても同じ様な奇妙な返答をしてるような気がする。
つまり、カナー型と選別されなくても、かなり自閉症が色濃いのではないかと思える。
だから、会話に参加しているようでも、何となく上手く取り繕うような単語を、順番にそれとなく並べているだけで、
全く会話に参加していなかった。
だから、目も見えず耳も全く聞こえない今でも、それらしい会話が出来るのだ。
そう思えば納得する。
今も毎日着物を着て、頭はお団子を丸めるだけ。
その姿は、それこそ昭和30年代には居ても、今ではほとんど居ないだろう。
それから50年か?家からほとんど出ることはなく、
50年一日のごとく変わらぬ生活をしている。
あまりにも身近に居ると本当に気が付かないが、その同一性の保持の凄まじさが分かるだろうか。
クソチンコを見てごらん。一体どこに同一性の保持があるんだ?
そこにあるのはアルコールだけだ。 普通その事を「アル中」と言う。残念ながら同一性の保持では無い只の依存症なのだ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月7日(月) 07:15
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2008年1月6日(日)
交信
なっちゃんは18歳。自閉症だ。カナー型と言っていいんじゃないか。
しかし、養護学校では何でも出来て成績が良いと聞いているので、かなり知能指数は高そうだ。
残念ながら的確な会話は出来ない。
それでも、親しい養護学校の教員や親とはコミニュケーションしている。
さすが女の子で、良くしゃべる。だがそれは大きな声で独り言を言うだけだ。
大きな声の独り言は周りの人が驚くので、余所では禁止されている。
だから、家の近くに来ると、「やったー。うちだー」と突然話し出す。
最近は、ゲゲゲの鬼太郎がお気に入りで、「げ げ げげげのげー」と歌っている。
実は妻がそれを利用してついになっちゃんと交信するようになった。
「げっ げっ げげげのげー げっ げっ・」(なっちゃん)
「げげげのげー ねこむすめ!」(妻)
「・・・・・」(なっちゃん走り去る)
だいたい妻がなんで突然ねこむすめとさけんだのかは分からないが、
とにかく、なっちゃんが、ねこむすめに反応するようになった。
昨日は。二度もうちの周りをわざわざ回って「げっ げっ」と歌うので、
また「ねこむすめ!」と言うと「きゃははは」と嬉しそうに走っていったらしい。
妻は、カナー型の子と交信できる何かを持っているようだ。
私と交信、コミニュケーション出来たのも、その能力によるのかもしれない。
私は、ハンスアスペルガーの右腕であり、只一人信頼されていたシスタービクトリーネとは、
妻のような人だったのかなと密かに思っている。
ハンスアスペルガーの研究に大変寄与した人で、重要な人物なのだが、
みんな人の話の受け売りばかりで、自分で本を読んで勉強していないから
シスタービクトリーネの存在を知っている人は全然居ないよね。
世の中には偉い人がいるんだね。
作成者
自営業 山岸徹 51才
: 2008年1月6日(日) 08:46
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2008年1月5日(土)
対象
このサイトは、自閉症の療育関係者(施設職員)、自閉症(アスペルガー症候群)の子供を持つ親、
仕方なく自閉症の勉強をしている学生、そして明確な診断を受けたアスペルガー症候群の仲間に向けて書いているサイトです。
今迄は、親に対してある程度配慮をしてきたつもりだが、
今年は多少親が見てショックを受けるような事も書いていこうと思う。
何故なら、自閉症の子供を持つ親というのは、本当は大変忙しく特殊な例を除いて
インターネットなんか見ていないからだ。
それを越えてもインターネットから情報を得ようとする親は、
別の知的興味を持って覗いている訳だから、私が書く程度の話は知的レベルで十分理解出来ると思ったからである。
なんちゃってアスペや、不思議ちゃんになりたがる子供が大人になると、
アスペの子供を持つ親になりたがる。
そんな親たちは、アスペ(特権)(特別)(サバン)という条件を満たす子供を持った気持ちになっている訳だから、
ニキリンコは歓迎しても、私は歓迎されない。
さらに、本当の事を書けば、なおさら許せないだろうし、そのショックや怒りを他の形で外(インターネット上)で振りまくに違いないと思うが、
そんな連中に構っていられない。
私が妻というアスペルガー症候群を逐一観察できる特殊な環境を無にする訳にはいかない。
例え誰も読まなくなっても、私自身の観察日記として書き続けます。
仕事が暇になったとき、ただのんびり寝ているだけではなく、もう少しブログも勉強して、
写真なども載せるようにしようかな、と今は思っています。
今思っているだけで、約束じゃないからね。
作成者
自営業 山岸徹 51才
: 2008年1月5日(土) 10:43
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2008年1月4日(金)
謹賀新年
新年あけましておめでとう御座います。
山岸二等兵、生きて帰って参りました。
と、言うことで大連に出張に行っておりまして、
幸い滞在は一日延びただけで、何とか帰ってきました。
と言っても月曜日にはお客さんが動き出すので、
年末納期の仕事の残りをこの休日で仕上げなければなりません。
全く貧乏暇ナシということで、今年はどうなることやら。 シンネンハオ シェーシェ。
作成者
自営業 山岸徹 50才
: 2008年1月4日(金) 15:56
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