国家の体面にかけ、救護すべし―。清朝末期の「北清事変」で負傷し、広島に収容されたフランス人兵士たちをめぐり、列強の仲間入りを目指す日本政府が手厚い看護を指示していたことが、広島大の原野昇名誉教授(65)の研究で分かった。今年は日仏交流150周年。研究が縁で出会った兵士の子孫が17日、初めて広島市を訪ね、広島とのきずなを確かめる。
治療もかなわず、広島市南区の比治山陸軍墓地に眠る兵士7人。広島日仏協会(後藤文生会長)は8年前から「広島の地で守っていることを伝えたい」と子孫を探していた。
その中で、同協会副会長の原野名誉教授が防衛研究所(東京都)の史料を調査。陸軍省が「外国人の陸軍病院での治療は初めて。国家の体面にかかわる」とし、後に首相となる桂太郎陸相が、えりすぐりのスタッフを送るよう、文書で指示していたことが判明した。
合わせて、原野名誉教授は渡仏調査で、治療後帰国したアントナン・ジャックマン氏の孫と面会。病床から本国に出した6通の手紙に行き着いた。手紙は「優秀な医師や誇りを持って働く看護師に大変よくしてもらっている」と治療への感謝を詳述。政府の「方針」を裏付けている。
当時、不平等条約下にあった日本。原野名誉教授は「列強に肩を並べようとした政府の方針に広島の人々の温かさが加わり、万全な治療体制につながった」と話す。
広島市を訪れるのはジャックマン氏の孫や埋葬された兵士の子孫ら7人。19日に広島市内で講演し、20日には陸軍墓地での記念式典に出席する。
【写真説明】フランス人兵士7人が眠る比治山陸軍墓地。子孫たちが20日に初訪問する(広島市南区)
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