2月28日(木) |
|
大手食肉会社でも食肉偽装のニュース。この分では、肉も野菜も偽装なんて当たり前のことなんじゃなかろうか。うちの近所のスーパーでは、中国産の近江生姜とか、アメリカ産のブロッコリーとか、タイ産のたまねぎだとか、輸入野菜がたくさん並んでいて、それをいつも私は胡散臭い思いで眺めていたのだが、こうなると、国産のものよりは正直に産地が書いてあるだけましなのかもしれない、なんて気がしてくる。 結局消費者が、自分の味覚で選ぶのではなく、ブランド名や産地名で選択するからこういうことになってくるんだろうか。ちょっと自分の食生活を反省する。 朝の衛星放送でムローヴァがジャズを弾いていた。ピアノやギター、パーカッションとのセッション。私も掃除をしたり、生ゴミを出しにいったりしていたので、そんなに熱心に聴いていたわけではないが、やはりどうも変な感じ。 私の兄はアルト・サックスをやっていて、ジャズを聴きまくっていたから、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、マイルス・デイビス、チック・コリア、ビル・エヴァンズといったあたりは私も中高の頃、自然に耳に入ってきていた。それで漠然と感じていた「ジャズってこんなもの」というイメージと、ムローヴァの演奏は明らかに違うのだ。どのへんが違うかというと、「完璧な再現」という風に聴こえてしまうところかもしれない。つまり、聴いていて楽譜が頭に描けるような、というふうに形容したくなってしまうのだ。それとも、これはジャズではなく、ジャズのクラシック風アレンジ? 姑が、首にしこりがあるので病院に行ったら、全身の総合的検査をするということになった。ところが、胃カメラは今頼んでも、4月になるという。なんだか悠長な話だ。大きな病院ってこんなものなのかもしれないが。もし、手術だ入院だということになれば、こちらから病院に通うのは大変なので、できたらうちの近在の病院にして欲しいなぁ。などと杞憂の午後。 読了本 宮部みゆき『模倣犯(下)』小学館 |
|
2月27日(水) |
|
4月の人事異動で大阪に行かされそうだと危惧していただんな、今日内示があって、場所は今と変わらず、そのかわり分野が変わることになった。入社以来20年ちょっと、小さな異動はあったものの基本的にはずっと同じ分野だったので、今更変わるというのも気が重そうである。でも、大阪になって単身赴任になったら、それはそれで大変で、内心どうしようかと気を揉んでいたので、私はとりあえずほっとした。 代わりに大阪に行くことになったのがAさんなのだが、Aさんのところは奥さんも同じ社内で管理職を務めていて、しかしお子さんはまだ4つ。現状でも、Aさんが先に帰って子供を保育園に迎えにいき、それから奥さんが残業を終えて帰り子供を受け継ぎ、またAさんは会社に戻って仕事をするというような綱渡り的な生活をしているらしい。そういう状況だということがわかっていても、会社は単身赴任させるんだ、ちょっと非人間的じゃないの?とだんなに言うと、「会社はそんなの考慮するわけないよ」とにべもない。 先日買った『クレーの日記』をぱらぱらと見ていたら、ヴァイオリンに関する記述が結構ある。 次の四重奏の馬鹿騒ぎは、私たちのヴァイオリンの先生がヴィオラを弾いたので、とくにおもしろかった。私は、ロートマルとかわるがわる第一、第二ヴァイオリンを弾く。私が作品十八番とヘ短調作品九十五番を弾き、ロートマルは作品十八番、作品五十九番ヘ長調。あたかもベートーヴェン祭の感あり。大役は、老齢のロートマル教授が引き受けた。というのは、彼は初めから終りまで全部聞き役にまわったのだ。 それからいく日もたたないうちに、またライヘル教授やゴーシァ教授は飢えに苦しみ出した(三重奏の飢え)。そこで、フメル=モーツァルト=ベートーヴェン祭を開く。 彼がヴァイオリンを嗜んでいたということは、何かで読んだ記憶があるのだが、こんなに盛んに室内楽やオケを弾いていたとは。まるで、自分たちの生活を見るようである。 上の娘が学校から『模倣犯』の下巻を借りてきてくれたが、「蔵書点検があるから、三月一日には返さなきゃいけないからね」。え、それじゃあ、明日中に読まなければいけないってこと?? |
|
2月26日(火) | |
映画「ロード・オブ・ザ・リング」の感想をあちこちで見かけるようになったが、概ね好評のようだ。実写での映像化が難しいと言われていた部分もよく出来ているらしい。ただ、許せない配役として挙げられていたのが、エルフのアルウェン(リヴ・タイラー)である。馬を駆り、「彼は渡さないわ」と決然として言うさまがCMにもあったが、確かに私もこれには唖然とした。だって、原作のアルウェンは、エルフのたおやかな姫君、「エルフの夕星(瀬田貞二の訳では、ゆうづつと読ませている)」と讃えられる人なのだ。死すべき定めの人間の王家の末裔アラゴルンと恋に落ちたために、自らの不死の命を捨てる決意をし、彼が王国を復興して晴れて結ばれる日を待ちつつ、王家の旗印を自ら縫う、というような姫なのだ。情熱的だけれど、動的なものではなく深く沈潜していくような情熱を持ったエルフだ。それなのに、剣をとって戦うなんて! あと、原作を読んでいない人から、サムがどうしてフロドに敬語を使っているのかという疑問もあった。あれ、サムがフロドの使用人で庭師だってことは、映画では触れていないんだろうか。このフロドとサムの主従の関係って、物語の中でとても重要なんだけどなぁ。 |
|
2月25日(月) |
|
なんとなく盛り上がりに欠けたままオリンピック閉幕。長野のときは昼日中からTVにかじりついて原田のジャンプに感涙したりしていたものだったが、今回のオリンピックの放送はどうもこちらの生活時間とタイミングが合っていなくて、あまりこれぞという映像を見ていない。 閉会式の模様(「光の子供たち」がカントリーミュージックを歌っているところ)を夜のニュースで見た上の娘は、「こんなふうに、人種や国籍に関係なくみんなで歌うのっていいよね」と一言。Kちゃん、君っていいやつだなぁ、なんて思っているとすかさず下の娘は「おねえちゃん、歌ってるのはアメリカの地元の子供たちだよ」と現実的な発言。 『模倣犯』の下巻は娘の学校でまだ前の人が読んでいるというので、しばし、中断。続きが気になって、思わず新刊で下巻だけ買ってしまいそうになる。 箸休めに、講談社文芸文庫の『戦後短篇小説再発見1』に載っていた石原慎太郎の「完全な遊戯」を読んでみたのだが、これがまた、終バスの行ってしまった夜のバス停で所在なげにしていた娘を仲間で輪姦し、挙句殺してしまう極悪非道な若者の話。モラルがあって、それに対立して暴力や犯罪があるのではなく、完全にモラルが欠如した世界が描かれている。 上の娘は、今公民で「キューバ危機」をやっているとかで(世界史ではなく、公民で学ぶのか)、「お母さんはキューバ危機って覚えてる?」と尋ねてきた。私はまだ言葉も喋ってない頃だって(1962年10月です)。そこで、私より6つ年上のだんなに話を振る。「お父さんは、歴史の生き証人だから、覚えているんじゃないの」 「あの時は、ケネディとフルシチョフがうちに電話を掛けてきてね、お互いに、おれんとこのシマに手ぇ出すんじゃねぇよって喧嘩してたんだな」・・・・・・・はあ、そうですか。 |
|
2月24日(日) | |
鎌倉の神奈川県立近代美術館にて「旅のシンフォニー パウル・クレー展」。 クレーは生涯に多くの旅をし、その旅からまたインスピレーションを得て作品に結実させた。初期のセザンヌ風の風景画から晩年の作品まで、旅行中の習作、スケッチ、写真などを含め旅に関連した作品、約150点が展示されている。 昔、ミュンヘンのレンバッハ美術館でカンディンスキーとともにクレーの絵をかなり見て以来、クレーは大好きな画家なのだが、こうして生涯に渡る作品が展示されていると、1910年代後半のミュンヘン時代の絵が、一番私は好きなのだということがよくわかった。1914年にクレーはチュニジアに旅行しており、この旅行は、色彩画家クレーへの転機として名高い、のだそうだ(1981年『みづゑ』12月号前田富士男「サン・ジェルマンのパウル・クレー」より)。新たな作風に巡り合った画家の喜びが色彩に溢れている感じで楽しい。 学校の美術の教科書に載っているような有名作品はあまりないが、なかなか面白い企画だった。 この鎌倉の八幡宮の敷地内にある近代美術館は近いうちに移転するので、2階の池を臨む喫茶室でコーヒーを飲みながら、しばらく感傷にふける。大学時代から幾度もここに来たけれど、真夏の、睡蓮の花が絨毯のように咲き誇ったころにこの喫茶室のバルコニーでお茶を飲んでいたこともあったなぁ。葉山に移転したら、駅からバスだというし、いままでのようには気軽に行けなくなるだろう。こういう便利なところから移転してしまうというのは残念なことだ。 『模倣犯』上巻を読了、721ページ読んでもまだ半分か。やはり話題作となるだけのことはあり、圧倒される。『ドリームバスター』などはほんの余技に過ぎないという感じだ。この人の文章は、部分的に見れば、難しい言葉を使うわけでもなく、大変分かりやすい文章で、幼さすら感じるというのに、全体から受ける印象は逆に、緻密でよく練られていると感じる。 読了本 宮部みゆき『模倣犯(上)』小学館 購入本 サルマン・ラシュディ/寺門泰彦訳『東と西』平凡社 パウル・クレー/南原実訳『クレーの日記』新潮社 |
|
2月23日(土) | |
今日は盛りだくさんの一日となった。 まずヴァイオリンの弓の毛替えと、チェロの弦の張り替え。その間に、姑の友人から頼まれていたヴァイオリン一式を別の楽器屋さんに探しに行く。アメリカに住む孫娘が中学でオケに入るにあたり(ヴァイオリン初心者)、ヴァイオリン一式をプレゼントしたいので、適当なのを見繕ってほしいと依頼されていたのだ。予算内でハンドメイドのまあまあの楽器があったのであまり迷うこともなく、また弓も、店員のお姉さんが「初心者ならこれで充分でしょう」と言うので、これまたすんなり決まった。迷ったのは実はケースである。近頃の楽器ケースはいろいろな色、柄のものが出ているが、アメリカに住んでいる女の子と言ったら、店員の若い女の子達は、「なら、これでしょう」と赤系のチェックを勧めるのである。私なら絶対買わないぞ、こんな柄(こちらは40過ぎのおばさんなんだから、当然か)と思ったのだが、若い方々のご意見に従う。 その後、3本ほど自分用に楽器を見せてもらうも、いったいどのへんで落ち着くのか、ますます混迷を極めてきたような気がするなぁ・・・・・ 午後は早稲田の古本屋街をはしご。私のお目当ての本は、ミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』とローレンス・ウェシュラーの『ウィルソン氏の驚異の陳列室』だが、この2冊、今までどこの本屋でも図書館でも目にしたことがないのである。今日も、だんなの探していた本は幾つか見つかったが、私の探していた本は結局見つからず(とはいえ、中野美代子やカズオ・イシグロの本を購入したので良しとしよう)、新宿に向かう。 紀伊国屋書店の子供の本売り場で娘達と待ち合わせ(新宿駅から紀伊国屋まで子供たちだけでたどり着けるか心配だったけど)、紀伊国屋画廊でクラフト・エヴィング商會+坂本真典の「じつは、わたくしこういうものです」展と、伊勢丹で「いわさきちひろと日本の絵本画家たち」展を見る。 クラフト・エヴィング商會の作品を見るのは初めてだったのだが、写真のほうはあまり面白くなく、オブジェのほうがよかった。展示の方法にもう少し工夫があってもいいんじゃないかな。 「いわさきちひろと日本の絵本画家たち」は、だんなはあまり興味がない様子だったが、私は楽しめた。大学時代友人と練馬のちひろ美術館を訪れたこともあり、若い頃にそれなりにいわさきちひろの作品に触れてはいた私だったが、子供が生れて、子供を観察するようになってから、子供の動きを捉える彼女の眼差しの確かさというものにあらためていたく感服した。彼女のような水彩画は、筆の一刷毛、一瞬の絵具のにじみが絵の決め手になるのだろうと思うが、原画を見ると、その一刷毛の緊張感のようなものが感じられる。 他に上手いと思ったのは、大御所(だよね?)の赤羽末吉。そういえば、この人の絵の昔話は自分の子供時代にもよく読んだし、娘達にもよく読んであげた。絵の構成や色彩など、やはり上手い。 夕食は神田の「ぼたん」の鳥すきやき。これが本日のメインイベント。 結婚16年、ことあるごとに「君にぼたんの鍋を食べさせて上げたいよ」とだんなは言ってきたものだが、いままで全く連れて行ってくれる気配もなかった。このたび、娘の高校合格祝いで「よし、奮発しよう」ということになったのである。 ぼたんは神田のやぶそばとか伊勢源などのある一角にある。二階の座敷に通されると、すでに十組ほどの2人連れ、家族連れが炭の上に載せた鉄鍋を囲んでいて、私たちの分も仲居さんが手際よく鍋をしつらえてくれる。鍋に油を敷き、白滝、焼き豆腐、葱、鶏肉を並べていき、そのうえにわりしたをかけたらあとはぐつぐつと煮えるのを待つだけ。 肉に火が通り、白滝に味が沁みこむ頃には葱も甘味を増し、とろりとおいしくなっている。でもなんといってもおいしいのはお肉である。砂肝、レバー、胸、もも、ささみといろいろな部位が使われているのだが、こんなおいしい鶏肉は久しぶりだ。つくねも少し砕いた骨が混ざっているのかな、柔らかすぎない舌ざわりである。一人前がかなりの量だったので、私としてはだいぶ食べすぎたという感じだが、最後のお漬物、みかんに至るまでおいしかったので、大変満足した。 購入本 稲生平太郎『アクアリウムの夜』角川スニーカー文庫 中野美代子『スクリブル 文学空間の流星体たち』筑摩書房 フィリップ・ソレルス/岩崎力訳『黄金の百合』集英社 カズオ・イシグロ/入江真佐子訳『わたしたちが孤児だったころ』早川書房 |
|
2月22日(金) | |
上の娘の幼稚園時代にもらったお年玉の3,000円を郵便局の定額貯金に預けていたのだが、十年経ち、このたび満期を迎えるという連絡が来た。年利率が5%という夢のような数字。3,000円が4,536円(税引き後)になっているのである。300万円預けていたら450万円、3,000万円預けていたら4,500万円になるというわけか〜。我ながら才覚の無いことよ。でも、3,000万はもちろん、300万だってそんなキャッシュは当時家になかったなぁ。 ソルトレークオリンピック女子フィギュア。アメリカの16歳のサラ・ヒューズがショートプログラム4位から逆転金メダル。今日のフリーを見る限り、順当な感じだ。溌剌としていながら安定感があり、しかも技はびしびしと決めていたもの。地元アメリカの選手ということもあって、技を決めるたびに観衆の大きな歓声で会場が沸きかえっていたのも無理はない。音楽はラヴェルの「ダフニスとクロエ」を使っていて、これがフィギュアスケートのスピード感によく合っていたと思う。 長野の銀メダリスト、同じくアメリカのミッシェル・クヮンはシェラザードに乗せて滑っていたが、精彩を欠いていて、途中で転倒してしまった。クヮン選手はアジア系米国移民によく見られるガンバリズムが前面に出ていて、私はあまり好きな選手ではなかったのだが、気の毒だった。 だんなの会社で事件が起こり、とてもショックを受けている。ある一人の社員の身上に関することなので、ここに書くわけにはいかないが、こうして無事に家族4人で生活していけることの有り難さを強く感じさせられた。 購入本 リン・カーター/荒俣宏訳『ロード・オブ・ザ・リング『指輪物語』完全読本』角川文庫 |
|
2月21日(木) | |
昨日の夕飯はカレーだったので、今日のお弁当はこの冬最初のカレーライスになった。学校では冬になるとお弁当を温めるので、冬のお弁当にはグラタンとかカレーとか、温めるとおいしいものが登場してくる。私の子供時代もそうだったけれど、これが子供たちの楽しみなのだ。4時間目ともなると、教室内にカレーのおいしそうな匂いが漂ってきて、みんな、「あ、だれか今日カレー持ってきたんだ、いいなー」とそわそわする。そして、お弁当の時間、カレーの子はみんなの羨望の眼差しを浴びるというわけだ。親からすると、ご飯を炊いて昨日の残りのカレーを詰めるだけなので、手の掛からないお弁当でほんとに大助かり。 平出隆著『猫の客』(河出書房新社)が第6回木山捷平文学賞受賞。朝日新聞夕刊によれば、選考委員の一人、文芸評論家の川村湊氏は『猫の客』について「川上弘美さんの『センセイの鞄』、堀江敏幸さんの『いつか王子駅で』に通じるものがある」と指摘しているとのこと。両方とも、気になっていて近々に読みたいと思っていた作品である。読みたい本ばかり溜まっていくなぁ。 夜、TBSの「ワンダフル」で「ロード・オブ・ザ・リング」を紹介していたらしい。私がお風呂から上がってくると、だんなが「今、やってたよ」。急いで画面に目をやると、司会の東幹久がルーン文字が彫られているとおぼしき金色の指輪を見せびらかし、スタジオの女の子たちが「きゃ〜〜ほっし〜い!!」と叫んでいるところだった。 『指輪物語』を神聖視して、映画のミーハーなファンに文句をつけるのも大人げないけれど、これじゃあ、トールキン先生がかわいそうである。とはいえ、映画は映画で楽しみ。 |
|
2月20日(水) | |
だんなから、昨日の日記の「土地鑑」は誤字ではないかという指摘があった。これは、私もちょっと迷ったんだけど、最近警察の出てくる小説などではときどき見かけるからこれでもいいのかなといういい加減な気持ちでこっちの字にしたんだった。あらためて辞書を引いてみると、土地鑑、土地勘、どちらの字もあって、ともに意味は「その土地の地理・地形などについての知識」とある。さらに、「もと、警察用語か」という記述が。そうだったんですか・・・ 頼んでいた宮部みゆきの『模倣犯』を上の娘が学校の図書室から借りてきてくれた。折りしも朝のテレビでは『模倣犯』映画化の話題が出ていて、犯人役にSMAPの中居クンが出ていたほか、山崎努の顔もあったかな。早速読み始めるが、これから年頃になんなんとする娘を持つ母親には息が詰まるような思いのする話のようである。 お昼に実家の母から電話。先日会ったときにお腹をこわしていた私を心配するのが1割、残りの9割は愚痴である。この歳になると、親の愚痴を聞いて「まあまあ」と宥めてあげるのも親孝行だと分かってはいるのだが、やはり苦手だ。昔から母は、姑や父の兄姉たちを嫌っていて、子供の私によく愚痴をこぼしていた。母にそうさせる何かが、父方の一族に確かにあったのかもしれない。けれど、それは子供の私にはつらいことだった。だって、私の体の半分は父の方から来ているのだから。 長じてからは、母の愚痴に私が同調しないので、母は「おまえは思いやりがない」といってまた腹を立てる。私が父方の親戚のことを悪く言うということは、私自身の半身を疎ましく思うことだということを、どうしてわかってくれないのかなぁ。 夜FMをつけたら、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の2楽章が始まったところだった(N響定期の生放送)。聞き飽きた曲だけど、やはり名曲、どのフレーズも美しい。演奏は、ちょっと音程が不安定だが丁寧でふっくらとした音が印象に残る。誰だろうと思っていたら、樫本大進だった。3楽章を弾き飛ばさないで、少しゆっくり目のテンポで一音一音丁寧に弾いていた。 |
|
2月19日(火) | |
だんなに足でつつかれて目が覚める。寝室のドアの外で、下の娘が何やら言っている。「おかあさん、もう学校行くから」あれあれ大変、また寝過ごしたかなと慌てて飛び起きてリビングに行くと、下の娘はもう制服を着て、「朝ごはんも食べたから」とすましている。しかし、どこかおかしい。テレビの画面には時刻表示が出ていないし、カーテンの向こうの空はまだ真っ暗。時計を見ると、なんと2時半ではないか。「Yちゃん、まだ2時半だよ。いったいどうしちゃったの?」と尋ねると、娘は狐につままれたような面持ち。「だって、時計を見たら7時半て見えたんだよ〜」もしかして君は寝ぼけていたのか?寝ぼけて朝ごはんまで食べたのか?急いで着替えさせて娘をベッドに追いやり、私も再び寝室へ。おかげで今日は一日中眠かった。 今読み途中の本のうちの1冊は『もうひとつのラプソディ ガーシュインの光と影』(ジョーン・ペイザー作 青土社)。どうも訳が読みにくいのだが、読みにくいのは訳のせいだけではない。20世紀初頭のニューヨークの音楽事情というものに関する知識がこちらにまるでないために、多くの音楽家の名前が出てきても、私の頭には入らないのである。また、ニューヨークの土地鑑も欠けているので、もし知っていたら地番から想起されるであろうイメージが伝わってこない。 |
|
2月18日(月) | |
高校の学用品の購入、制服の採寸などのために、娘を連れて高校へ赴く。姉妹校でありながら、通学鞄、補助鞄などが異なるし、学校で着用する開襟ブラウスやタブリエ(スモックみたいなもの)のネームの色やネームを縫い付ける場所が違っていたりして、ちょっと面倒。セーターを着用していいのはどういうシチュエーションかというようなしきたりも違うようだ。笑ってしまったのは、制服のスカート丈。姉妹校なので、同じ業者が制服の仕立てを一括して請け負っているのだが、去年、冬服のセーラー服を頼んだときは、「スカート丈はみなさん短めにしてらっしゃいますから、そのようにしておきますね」という話だったのに、今日、夏服を注文したら、「ここは、スカート丈は長めですから」とのこと。山の上と下とでは、同じ県下でも流行が違うのか。帰宅途中、江ノ島でこちらの中高生の下校時間にちょうどぶつかり、観察してみると、なるほど、みんな膝上10センチってとこか。髪がうっすら茶色っぽい子も多い。我が家は子供だけでなく親も流行に遅れているみたいだ。 今日もらってきたプリントによると、春休みに三日間、新高校1年生のための補習授業があるようだ。英語と国語と理科。英語と国語(古文)は、もう高校の教科書に入っているので、公立から来た生徒のために調整が必要ということかなと推測はつくが、理科は何をするんだろう。親は、春休みだっていうのに、お弁当を作らなければならないので、寝坊ができない。 昨日、横浜ドリームランドが閉園した。一番近い遊園地でありながら、私の子供時代には出来てまだ1年足らずの頃に一回行ったきりだった。結婚し、子供が生れてからは、子供の友人たちと2,3回行っただろうか。6,7年前にはもう既に、閑散としてうらさびしい感じだった。幼児連れには手ごろな広さでよかったんだけど。 ディズニーランドが出来てから、私たちが「遊園地」というものに抱いていたイメージは確かに変わった。昔の遊園地は、子供の夢のような場所でありながら、そこにはなぜか子供が垣間見てはいけないような、何か一種いかがわしさというものがあったように思う。ディズニーランドでは、そのようなものはない。すべてのもの、人が、必要以上に明るい健全さを強調して存在している。社会の清潔志向と同期していたのかなぁ。 だんなが、会社帰りに寄った本屋さんから「Y(下の娘)は、もうコナンの新しいのは買ったのか?」と電話を掛けてきた。『コナン』はいちおう下の娘の担当なので確認すると、まだとのこと。それで、なぜかお父さんが『名探偵コナン』36巻を買って帰る。そしてなぜかお母さん、お父さんの順番で『名探偵コナン』を読む我が家である。爆弾解体中のコナンと高木刑事の絶体絶命の危機。絶妙のタイミングで終っているので気が揉めること・・・・ 読了本 宮部みゆき『ドリームバスター』徳間書店 |
|
2月17日(日) | |
義父の三回忌(キリスト教でも三回忌をやるのだろうか、このへんは和洋折衷で曖昧な一家である)で、家族で墓参りに行く。私と、私の母と下の娘は電車で、だんなと姑と上の娘は東京から車で、霊園に向かった。 あまり寒くならず、まあまあの墓参り日和。周りのお墓に、老夫婦の胸像が設置してあるものがあるのだが(某翁と某刀自なんて名前が書いてある)、翁のほうの顔面には鳥の糞が。胸像の頭がちょうど鳥の休みどころになったものらしい。うーん、こういうのを置くのも考えものだね。 お昼は東京に戻り四川料理の「吉華」でランチ。ここの麻婆豆腐はおいしいけれど、さすがに辛い。汗を拭き拭き食す。今日はランチのほかに、店の人が「北京ダックミタイネ」と言っていた牛肉の味噌いためを包餅(クレープの皮のようなもの)で包んでいただくものを頼む。これもおいしくて、娘たちも大満足。 夜、N響アワー。今日はワルツ特集で、幻想交響曲、巨人、ラ・ヴァルスと、シンフォニカでやったものばかりで面白かった。巨人の2楽章、最初の部分のどちらかというと田舎くさい3拍子と、Trioのウィーン風の3拍子との対比という話に、つい先日本番を終えたばかりなので、なるほどねと大きく頷く。広上氏の指揮は、いろいろ表情をつけているようでいて、実はテンポなどはあまり揺らしていない。十束先生の指揮が頭にまだ強く残っているので、違いを大きく感じた。指揮者の領分ってやっぱり大きいなぁ。(それにしても広上氏の顔、表情ありすぎで、なんだか伎楽面を連想してしまった) 「ラ・ヴァルス」はシンフォニカでやったときも難しくて難しくてえらく苦労した記憶があるが、N響でもあまりうまくは聴こえない。プロでも難しいんだな・・・ 購入本 芥川也寸志『音楽の遊園地』旺文社文庫 大岡昇平『歌と死と空』光文社カッパ・ノベルス |
|
2月16日(土) |
|
上の娘は、東京ビッグサイトでやっている新世紀東京国際アニメフェアに行きたいと言って、1人で出かけてしまった。このてのイベントに出かけるのは初めてで、どこからか情報を仕入れ行ってみたいと思い立つのも、この子にしてはずいぶん成長したかなぁという気がする。中3にもなってこんなことを思うのはまったく過保護だとは思うけど、今まであまり友達とつるんで遊びに出かけたりということのない子供だったので(他の子供たちは、友人同士で映画やディズニーランドへ遊びに行っている)、遊びすぎるのも心配だが、遊びに出かけないのもまた心配だったのだ。遅まきながら(たとえアニメのイベントとはいえ)、自分の興味の方向へ行動を起こすというのは、よいことに違いない。 今日は、だんなも東京で用事があって実家泊まりの予定なので、娘にも、ビッグサイトから東横線までの交通路を教え、二人で東京に泊まってきてもらう。 江ノ島は、私と下の娘と2人きりの静かな静かな夜。私は思いっきり夜更かし。夜更けの衛星放送ではキーシンのドキュメンタリーを放映していて、クレメルやハーゲン兄妹(姉弟?)たちとのシューベルトの「鱒」の練習風景があった。クレメルだけど、わりと普通のシューベルト。録画すればよかった。 |
|
2月15日(金) |
|
高校の入学手続き。といっても、入学金などの振込みは昨日郵便局で済ませているので、誓約書と振込み受領書を提出するだけ。また月曜日に高校まで出向き、学用品、制服、靴鞄などの申し込みをしなければならない。いっぺんで済ませてくれればいいのになぁ・・・(電車賃往復2740円) この高校は神奈川県西部の山の中腹にあって、中高は1学年6,70人という小ぶりな学校である。事務室へ行く途中出会った校庭の小学生たちは、みんなにこにこしながらも行儀よく「ごきげんよう、ごきげんよう」と私たちに挨拶してくれて、なんだか素朴な感じでいいなぁ。やはり、今の学校よりだいぶおっとりした雰囲気のようだ。うちの娘同様、今の中学からこちらに進学することになったAさんのお母さんといっしょにおしゃべりしながら来たら、あまり電車の時間の掛かることも気にはならなかったが、帰りの東海道線のほかほかと暖かなシートに思わずうとうとしそうになってしまった。娘たちも寝過ごして東京に行ってしまわないように気をつけてもらわなくては。 上の娘、学校の図書館で借りてきた宮部みゆきの「ドリームバスター」を、面白かったよと言って貸してくれた。できたら、「模倣犯」も借りてきてね。 下の娘を「何時まで起きてるつもりなの!」と叱責し、久しぶりで「トリック2」を見ることができた。(なんて親でしょう)阿部寛といい、草刈正雄といい、ああいう二枚目役者がコミカルな役に活路を見出していくというのは、どうしてなんだろうなどと思いつつ。 購入本 谷譲次『踊る地平線(上)』岩波文庫 |
|
2月14日(木) ST.VALENTINE'S DAY | |
昼に車に乗ったら、FMで「ドラマティックポップス集」というのをやっていた。金子由香利とか加藤登紀子とか越路吹雪とか、すごかったのは、美輪明宏の「老女優は去りゆく」というやつ。16の歳に女優になる夢をいだいて劇場の楽屋口を訪ねて以来の女優の半生を自ら振り返った歌らしいのだが、途中にセリフが入るなが〜い歌で、私がレ・ザンジュでチョコレートを買って車に戻ってきたときにも(私の前にはケーキ10個というお客さんが2人いたにもかかわらず)まだ続いていた。 最後に森山良子の「さとうきび畑」がかかったのだけど、これは昔ちあきなおみが「みんなのうた」で歌っていたものだ。ちあきなおみ独特の艶のある気だるい声とメロディーの牧歌的な雰囲気と歌詞のせつなさで、記憶によく残っている。 降り注ぐ明るい陽射しの中、ざわわ、ざわわとさとうきびが揺れている。自分の生れる前に、戦争で(多分沖縄の地上戦なのだろう)鉄の雨に打たれて死んだ父、知らないはずの父の手に抱かれる夢を見る自分。とても悲しい歌なのだった。 森山良子の声は、ちょっと苦しそうで、ちあきなおみの方がよかったなぁ。 今年も菓子屋の陰謀に踊らされる2月14日。でも、私がチョコレート好きだから、いいということにしておこう。今年のだんなの収穫は、私からは前述「レ・ザンジュ」(鎌倉のおいしいケーキ屋さん)のアーモンドチョコレート、下の娘からは森永エンジェルスイーツ、そして、上の娘からは、ここが頭を抱えてしまうところなのだが、だんなと娘の共通の好物、桃屋の「くきわかめ」だった。チョコよりこちらのほうがお父さんが喜びそうだということは確かなんだけどね。 |
|
2月13日(水) | |
上の娘の高校の合格通知が来る。がんばらないと高1の単位が取れないぞ、という脅かしつきの合格だが、とりあえずよかった。 さて次はお金の算段。入学金が20万と施設拡充費が17万、あと寄付金が20万以上。私立高校としてはさして高くないほうだと思うし、滑り止めの学校に入学金を仮払いしなくてはならなかったのが、結局受けずじまいだったので、寄付金は少しだけ多めにしようかとだんなに言ったら、「君は子供の教育費に年間いくらつぎ込むつもりだ」と一蹴されてしまった。ま、百万単位の寄付ならともかく、10万ぐらい多くたって意味ないか。 オリンピック、男子フィギュアのショートプログラム。トップのロシアのヤグディンは、黒い手袋で踊っていた。滑るというより、踊るという感じ。銀盤に黒い手袋がよく映え、思わず手の表情に目がいく。やっぱりバレエ大国だなぁ。日本人はそのへんがうまくない。ジャンプの前などは特に、手に力が入っていてきれいに見えない。飛べばいいってもんではなく、フィギュアにはやはり美しくあってほしい。 |
|
2月12日(火) | |
昨日読んだ北村薫編のアンソロジーに入っていたジェラルド・カーシュ(「豚の島の女王」)の別の短篇を、家にあったハヤカワ・ミステリ文庫『エドガー賞全集(上)』(昭和58年発行)の中に見つけた。タイトルは「壜の中の謎の手記」。「豚の島の女王」はグラウチ・バッグ(サーカスの出演者たちがつねに首からさげている小さな財布、とのこと)に入った紙片に書かれた物語だったが、こちらは、クエルナバカの町でスペイン人とインディオの混血の物売りから買った壜の中に入っていた紙片に書かれた物語という設定。このアンソロジーの著者紹介によれば、カーシュは1911年イギリスに生まれ、1959年アメリカに帰化している。57歳でなくなるまでに記事5000本、短篇小説3000作をものし、40冊近い著作を残した彼は、スーパーナチュラル、SF、サスペンス、ユーモア、諷刺、怪奇、怪談などあらゆる分野に手を染め、<悪魔の王子>とか<カーシュの国(ランド)>という呼称までつけられた、とある。ちょっと他の作品も読んでみたい作家である。 ソルトレークオリンピック。スピードスケートの清水選手、500mの1日目は2位だった。1位と0・19秒差。こういう「瞬間的な時間」の世界に生きている人たちは、何を考えているのだろうと、不思議になる。ほんの少しの筋肉のぶれも自分で感知してフィードバックして滑っているのだろうか。 |
|
2月11日(月) 建国記念日 | |
今日も、昨日受験した高校に行ってきた。遠いので二日続けて行くと少々疲れるが、合格したら娘は毎日ここに通うことになるのである。親がこんなことを言っているわけにはいかないな。 ここまできても、まだ娘の高校については迷いがある。記憶能力の低い子供にとっては、現在の中学高校の勉強は、足の不自由な人に向かって普通の人と同じように走れと要求するようなものなのだ。それなのに、がんばって、努力して、憶えて、勉強しろ、というのは無理なことだと思う。英語の文法や単語が覚えられなくても、まっとうに人生を送ることができ、それなりに社会に役立つ事ができるということを娘に教えてやってほしいと学校に願うのは、間違っているのだろうか。 いちおう受験が終ったということで、夜は外に食べに行く。食事を済ませたあと、子供たちがパフェを食べたいというので、近くにあったコージーコーナーへ入る。大学時代、コージーコーナーのショーケースの巨大なイチゴシャンテリーの模型を見て、一度でいいから食べてみたいよねなどと、女の子達で言い合っていたのも今は昔の話。私はとてもパフェなぞ入る余地が残ってなくて、子供たちのイチゴチョコパフェとチーズケーキパフェ(パフェの上に巨大なチーズケーキが乗っている、どうしてチーズケーキが乗っていなければならないのか謎である。だって、チーズケーキをおろして食べる為のお皿がついてくるんだもの)を一口ずつ味見させてもらった。 読了本 北村薫編『謎のギャラリー―謎の部屋―』新潮文庫 |
|
2月10日(日) | |
上の娘の高校入試。午前中に英語と作文の試験があり、お昼にお弁当を食べてから、午後、保護者+子供+校長・教頭先生の面接と、子供+他の先生との面接というスケジュールなので、だんなと娘に先にいってもらい、私はお弁当のサンドイッチを作って11時ごろに現地に到着するように家を出た。 今日の長旅のお供は、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』と北村薫編のアンソロジー『謎のギャラリー―謎の部屋―』。後者の収録作のうち、15年ほど前の『小説新潮』新人賞受賞作『遊びの時間は終らない』(都井邦彦作)という作品が面白かった。もうちょっとエキセントリックだったら、昔の筒井康隆みたいな感じ。 学校に到着し、控え室に入るとだんなは眠そうな顔で部屋に置いてある『芸術新潮』のバックナンバーを読んでいる。ちらちらと覗いていると、尾崎紅葉のお父さんで牙彫師の、尾崎谷斎の特集が面白そうだった。今では材料の入手が難しいのでこんな職業はないのだろうか。根付や煙管だのの作品の写真を見ると、プリミティブアートのような呪術的な雰囲気の漂う作品だ。私たちはこちら方面は全然疎かったのだが、ちゃんと海外で作品集が出版されている模様。機会があったら実物を見てみたいものである。 そうこうしているうちに、雪がちらつき始め、だんだん植栽を白く縁取りしていく。 面接での子供に対しての質問は、おおむね想定問答どおり。受験番号と名前、志望動機、高校で何をやりたいですか、などなど。父親に対しては、娘にどういう女性になってほしいか、母親に対しては、子供のしつけで気をつけていることは何か、学校と家庭との連携についてなど。私のほうは、面接なんて久しぶりなので緊張してしまった。 結果が出るまでの経緯については、いろいろと差しさわりがでるかもしれない(どなたの目に触れるか分からない)ので、ここには書かないけれど、うーん、何とかどうにか決まって欲しいものである。 ソルトレークオリンピック、モーグルで里谷選手が銅メダル。前回の金に続いてだから、たいしたものである。昔、一緒にカルテットをやっていたU夫人が、当時さらっていたベートーヴェンの16番をモーグルにたとえていたことがあった。どうしてこんなところに不自然にこぶがあるのかわからないけれど、それをひょいひょいと器用に越えていかないといけないところが、16番とモーグルとの共通点なのだ。(やったことがある人にはわかってもらえると思うけど) 夜、N響アワー。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ:アンドレイ・ガヴリロフ、指揮:広上淳一)は思いのほかリズムが難しく、アンサンブルが大変そうな曲だった。チェロの1プルトのF氏が足でカウントを取っているのを目撃、気持ちはわかるけど、やっぱりあれは目立つものだなぁ。 |
|
2月9日(土) | |
ソルトレーク冬季オリンピック開幕。明日が娘の入試だというのに、こんなことをしていていいのかと思いつつ、ヨーヨー・マが出るらしいというので、つい開会式を見てしまった。TVでオリンピックの開会式を見るのなんてとても久しぶりだけれど、冬のオリンピックっていつも、オーケストラが演奏していたんだろうか。冷え性の私は、よくあんな寒いところで指が回るものだと、そんなところばかり気にかかる。 選手入場のあと、西部開拓の歴史を辿るパフォーマンス。西部の自然を模した、布製らしき動物たちをスケータたちが持って行き交う場面は、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のジャック大王の忠犬ゼロが空中を飛んでいるところを思わせる。その透明感とスピード感が幻想的な雰囲気を醸している。 いまかいまかと待っていたヨーヨー・マは結局ほとんど最後のほうに登場。スティングの歌のオブリガードを情熱的に奏でる。最近、ヨーヨー・マはこういう「色物」に走っているといって、だんなは嫌がっていて、その気持ちもわかるけど、ジャンルを越えてコラボレーションしたいという欲求もまた、理解できる。それにしてもこんなところで弾いて、楽器は大丈夫なのかな。もちろんストラドなんて使っていないんだろうけど。 聖火リレー、アンカーに渡す直前の走者が選手達の間を縫って階段を登っていくところの音楽は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の4楽章、ヴァイオリンのパート譜でいうなら最後の2ページというところだった。このシーンでこの曲を使うとは。でも、これなら、ヴァイオリンはほとんど同じ音を弾き続けているので、指がかじかんでいても弾けるぞ。うまいことを考えたな。 購入本 中野美代子『カニバリズム論』潮出版社 |
|
2月8日(金) | |
今朝だんなを会社に送っていった帰り、昨日できなかった預入れを果たすために、藤沢の駅ビルのATMへ行った。ここは機械自体は8時から使えるが、預け入れは8時45分から。着いたのが25分ごろだったので、駅ビルの同じフロアにある本屋で時間をつぶす。つい、北村薫の新しく出た文庫を購入してしまう。 バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。私はもともとバルトークを偏愛しているので、この曲ももう、こたえられない。昔から大好きで楽譜も持っている第1番の、いっそ少女趣味といっていいほどロマンティックな第1楽章もよいが、第2番のほうが、バルトークらしさに溢れている感じ。 今日も、「TRICK2」を見れず。あれを見ていると、2人の娘達がいつのまにか寄ってきて寝ないのである。来週になったら入試も終っているし、心置きなく見れるだろう。 読了本 河野多惠子『秘事』新潮社 購入本 北村薫『謎のギャラリー 名作博 本館』新潮文庫 北村薫編『謎のギャラリー 謎の部屋』新潮文庫 |
|
2月7日(木) |
|
クレジットカードの引き落としに備えてヨーカドーの中にある銀行のATMにお金を入れにいったら、いままであった第一勧業銀行のものがなくなってアイワイバンク銀行(って、重複してない?)のものになっていた。ここでは野村證券のMMFの買い付けができるのだそうだ。ああ、ややこし。近頃の銀行の統廃合と提携の促進とで、いったいどこのATMで預け入れができるのやら、どこなら手数料が掛からないのやら、わからなくなってしまったよ。以前藤沢に住んでいた頃は、周りに各種都市銀、興銀、長銀(いまは新生銀行になっている)、証券会社など徒歩10分以内によりどりみどりだったのだが、ここ江ノ島には、郵便局とコンビニと横浜銀行と三浦藤沢信用金庫しかないので、全く不便。 久しぶりにCDを購入。バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ギル・シャハム、プレヴィン、シカゴ交響楽団)と次回のシンフォニカの演奏会で取り上げる"Three Places in New England"を含むアイヴスの管弦楽集(オルフェウス管弦楽団)。さあ、次の演奏会に向けて勉強勉強、といってもまだパートも決まっていないんだけど。 昼過ぎ買物から帰ってくると、だんなから電話がかかってくる。風邪がひどくて早退するから迎えに来てほしいとのこと。夕ご飯、何か食べたいものない?と尋ねると、苦しそうな息で「いや、食欲は無いんだ」との答え。しばらく走ると、「でも、パイ二イ(近在のパン、惣菜、菓子屋さん)のプリンとか、買って帰らないか。」はいはい。 今読み途中は河野多恵子『秘事』。昭和11年生れの三村清太郎と麻子の夫婦の日々を追った小説。読みながら自然と自らの結婚生活を思い返す。 |
|
2月6日(水) | |
我が家でいちばん健康管理にうるさいのはだんなである。そのだんなが、会社で風邪をもらってきた。「君達、僕に近づくんじゃない、ごほごほ」と言いながら、家族のいるリビングにやってきて紅茶を飲み、ミカンとお菓子を食べている。そんなこと言うんだったら、さっさと寝室に行って寝てればいいじゃないの、まったく、入試前にはた迷惑な・・・と、妻に同情されないかわいそうなお父さんなのであった。 ゲームのピクミンの歌がだいぶヒットしたようだが、今年我が家に来た年賀状でいちばん受けたのは、私の大学オケの同期、ビオラのO君のものだった。家族の近況報告でお嬢さんのところが「♪歌う、騒ぐ、食べる、ちらかす、おこ〜られる〜」うちの娘達を見ていると、しょっちゅうこれを歌いたくなる。 他の方のサイトで少子化問題に触れているものがあったが、どうも、よく目にする少子化問題に対する意見は老人介護問題とばかり結びつけられているように感じる。「自分の老後を見てもらうために子供を産むというのはいかがなものか」「老後は子供に頼らず、自分で何とかしたい」というような調子で。 少子化というのは、将来の労働力が不足する事である。労働力がなければ生産力も落ち、技術力も落ち、国力も落ちる。今ならお金を出せば手に入れることのできる物やサービスが、たとえお金を出したとしてもみんなに行き渡らなくなるということだ。老後を自分で何とかするというのは、お金を出して他人のサービスを受けるということを意味しているのだと思うが、サービスを提供する側の数が足りなくなったとき、寝たきりになっても誰にも助けてもらえないという状況を、私たちは受け入れることができるのだろうか。 |
|
2月5日(火) | |
娘の中学では今度の木金と全校球技大会があり、今はそのための練習に余念がない。しかし、娘の場合、今度の日曜日が受験なのでさすがに球技大会に参加する余裕はなく、今日から4日間学校を休むことにした。私は朝から電話とネットを駆使して懸案のシンフォニカの練習場を探しつつ、娘の尻をたたいて(喩えです)勉強に向かわせ、という一日。 練習場探しは、まずインターネットで各自治体の施設を調べ、条件に合いそうなところに電話で問い合わせるという作業なのだが、自治体によって情報や予約方法もまちまちなので、なかなか手間である。こちらの欲しい情報は、広さ、ピアノの有無、駅からの距離、料金、金管や打楽器でもOKかどうかなど。それを調べた上で、当該日が空いているかどうか確認する。おおむね、自治体住民を対象にしているせいもあるが、情報が足りないところが多い。 結局、板橋区でひとつ空いている会場を見つけ(板橋区には、施設の空き状況検索システムがあった、これは便利!)、なんで江ノ島の私が板橋の会場を予約しなきゃいけないのと不条理に悩みつつも、背に腹は代えられない。しかし、仮予約しようと思ったら、電話では受け付けられないという。今週はさすがに東京に出られないので、他の練習場係りの方に手続きをしてきてもらうようお願いする。なんとか、ここで決まるといいんだけど・・・ 日曜日の演奏会のとき、聴きにいらしていたHさんからGODIVAのコーヒー(クレームブリュレのフレーバー )というのをいただいた。ふぅん、初めて見るなぁと思っていたら、今日だんなが会社の人のハワイ土産だといって同じくGODIVAのコーヒー(こちらはフレンチヴァニラのフレーバー)を持って帰った。もしかしてこれって流行ってるのかな。 |
|
2月4日(月) | |
午前中、消防設備の点検。昨日本番が終わり心の余裕が多少できたことでもあるので、今日は朝からせっせと片付けにいそしむ。はっきりいって私は片付けが苦手である。たいていやりかけの仕事、読みかけの本はそのまま出しっぱなしで、ああ、買物にいってこなくちゃ、鍋がふきこぼれてるわ、と次の作業に入るので片付かないのである。「会社にもいるんだな、そういうやつ」と指摘するだんな。「しまってからまた、取り出す手間がもったいないっていうけど、結局はそのたびに片付けたほうが効率的なんだ」というのがだんなの意見。それはそうかもしれませんが・・・・空にしたゴミ箱はすぐにまた一杯になり、アイロンかけた洗濯物はすぐにまたくちゃくちゃになって洗濯籠に入り、ほこりをふき取ったところにはすぐにまたほこりが積もっていくという終わりのない主婦業に最近、倦み疲れているのであった。 下の娘は今度調理実習で白玉を作るので、家庭でも一度作ってみるようにという宿題が出た。せっかくだからお汁粉にしようといって、娘に白玉粉と小豆を買ってくるよう頼んだところ、彼女が買ってきたのは大正金時。小豆っていったでしょ、小豆って。しかたがないので、ネットで調べて、「チリコンカン」を作ってみる。チリパウダーに、パプリカに、トマトに牛ひき肉に、、、要は、辛目のミートソース風ってことね。味は美味しくできたのだが、別に、豆が入って無くてもいい感じ。 読了本 近藤史恵『散りしかたみに』角川文庫 |
|
2月3日(日) | |
すみだトリフォニーホールにて、ザ・シンフォニカ第31回定期演奏会。プログラムはリヒャルト・シュトラウス「イタリアから」とマーラーの交響曲第1番。 昨日の練習のあと自宅に戻ったので、今日は江ノ島から錦糸町に向かう。日曜日の朝なのでだいぶ空いていて、1時間半もかからずホールに到着するが、やはり、運転していただんなは疲れた様子。寝ぼすけの下の娘をたたき起こしていっしょに連れてきたので、リハーサルの間に私のお昼をコンビニで買ってきてもらったりする。なかなか役に立つ娘である。あとはリハーサルを客席で聞いたり、持ってきた宿題を楽屋で片付けたりしてうろうろしていたが、なんとなくこのハレの雰囲気が気にいっている様子だった。 本番には事故はつきものである。いろいろなパートで毎回何かしら起きる。今回はそれが、ヴァイオリンに起きた。(なんて他人事のように書いているけれど、これは自分のことです)コンマスと2ndトップ(私)が同時に「落ちた」のだ。「イタリアから」の3楽章の終わり、もうコーダも終わりごろに2小節の休みがある。その次に入れなかったのである。言い訳はいろいろ考えられるが、要は魔がさした、としか言いようがない。確かに、3楽章は練習回数が少なかったし、そのうえ、アタッカで4楽章に入ったのは、リハを入れて2回ぐらいだったから不安な感じはあった。でも、まさかこんなところで落ちるなんて・・・・・・・見てた人からはあとで「指揮者、空振りしてたとこがありましたね」なんて言われちゃうし、先生ごめんなさい、みなさまごめんなさい、と平謝りです。 マーラーのほうは、ただひたすら難しく曲に振り回された感じ。お客様にはどんなふうに聴こえていたんだろう。今回難しさを感じたのは、いろいろな原因が考えられる。私が歳を取って、ついていけなくなっているのかもしれないし、子供の受験問題などで、私に精神的余裕がなかったからかもしれない。また、だんだん私がマーラーの難しさを分かってきたからかもしれない。それにもまして大きいのは、十束先生が、前回、前々回振っていただいたときよりも、いろいろ仕掛けようとなさっていたことである。あらかじめここはこうして、あそこはああしてという取り決めは細かくあったものの、多分先生が狙っていたのは、「はい、お約束どおり弾けました」というものではなく、舞台という特殊な場で時間を共有することによって生れる瞬発的で自発的な表現だったのだと思う。でも、それに私たちは応えることができただろうか。一生懸命練習すれば、楽譜の指示、先生の指示にだいぶ近づいてはいく。しかし、本番で自発的な音楽表現ができたかというと、やはり、棒にぐいぐいと引っ張られるままに弾いていたとしか思えない。特に、弦楽器は集団のパートなので、即時的な対応が難しい。 などなど、今回は「イタリアから」の失敗があるので、どうも落ち込み気味。気をとりなおして次回に取り組もう。次は、アメリカプロでガーシュインやバーンスタイン、アイブズ、コープランド。 |
|
2月2日(土) | |
午後1時30分から7時過ぎまでシンフォニカの練習。今回は合宿がなく、その分普通の練習に振り分けたので、やたら練習回数が多く、うちのように遠距離参加者は疲労が溜まる。(でも、無欠席無遅刻、えへん)練習場予約係りの特権でもう少し西側に練習場を設定したいけど、なぜか、東側(江東区など)のほうが安い場所がたくさんあるのである。 明日に備えて早寝をしたいと思っていたが、上の娘は、親がついていなければ当然勉強などせず、帰ってから英語の勉強を見る。就寝2時。ふうう。 |
|
2月1日(金) | |
朝起きたら6時40分過ぎ。しまった寝過ごしちゃった。今日はシンフォニカの練習場予約の抽選に行かなければならないので、いつもより早く目覚ましをセットしたのに、これじゃいつもより遅いじゃないの。慌てて着替えて化粧してだんなとともに家を出る。娘達よ、今日のお昼は学校でパンを買ってね。 車だと、途中渋滞に引っ掛かるかもしれないので、私は大船でおろしてもらいそこから総武線で新小岩へ向かう。会場に着いたのが9時15分前。シンフォニカの練習場予約は、基本的には6ヶ月前に予約開始のところに電話をかけまくって押さえているのだが、今回はニコマ、どこにかけても空いていなくて、それで、5ヶ月前に予約を開始するところに抽選をしに来たというわけ。ところが、リハーサル室の空き状況を見ると、なんと利用したい日が保守点検の日になっている。あらかじめ確認しなかった私が馬鹿なんだけど、ショック・・・一コマ分だけ予約してすごすごと帰る。ああ、どうしよう。 遅れて会場に車で到着しただんなは、今日は絶対にMOMA展を観るのだと言い張って東京に出てきたのだが、上野の森美術館に到着したら10時30分の段階で90分待ち。寒空の下の長蛇の列を見てあっけなくあきらめた。ま、せっかくここまで来たのだからと、東京文化会館のリハーサル室が使えるかどうか、事務所によって訊いてみる。大きいほうの部屋で175u、このあいだ狭いといって不評だった部屋が177uだから、ちょっと苦しいかな・・・・ 結局お昼ごはんを食べてから楽器屋にちょっと寄って、私は新宿で降ろしてもらい小田急線で帰る。ふぅ、何かと徒労の一日である。 読了本 梨木香歩『からくりからくさ』新潮文庫 |
|
1月31日(木) |
|
今日明日と、だんなは会社の創立記念日で休み。で、昼は支那そばやにラーメンを食べに行ったり、古本屋に行ったり。支那そばやでは、私がしょうゆチャーシューメン、だんなが塩ワンタンメンを注文した。ここのしょうゆスープは、これまで味の変遷がいろいろあって、いっときホタテのだしが随分きつかったが、今日はこれまでとはちがう、ちょっと昔風のラーメン屋といった味。味見させてもらった塩スープがずいぶん美味しかった。怖い店長(客にしゃべるなとか、食べながら本を読むなとか注文をつける)がラーメン博物館の出店に去ってからも、結局味は落ちず繁盛しているようでなにより。近在のおいしいラーメン屋は重宝なものだ。 上の娘、ここのところ、学校の先生にも塾の先生にも受験対策で作文をみてもらっているが、どちらでも、作文は問題ないと言われているようだ(漢字のミスがなければね)。問題はやはり英語。最低限これだけはおぼえなければという基礎の基礎すら、なかなか頭に入らない。なにか、画期的な勉強法はないものか。 だんなが「裏」潮風日記を書きたいものだと冗談半分言っている。このページでは私の主観に満ちた家庭生活が書かれているので、彼の語るところの真実を知らしめたい、というのだ。どのみち、「私はこう見た、こう感じた」という限定つきの真実である。私だって別に嘘は書いていないけれど、でも、真実を書くということは難しいよね。同じ場面を見ても、着眼するところが人によって異なるし、同じ話を聞いても、心に残っているフレーズは違うのだから。 購入本 J・ウェッバー/池田香代子訳『パブロ・カザルス 鳥の歌』ちくま文庫 ジョン・ダワー/三浦陽一・高杉忠明・田代泰子『敗北を抱きしめて 上下』岩波書店 前嶋信次訳『アラビアン・ナイト別巻 アラジンとアリババ』平凡社東洋文庫 |
|
1月30日(水) | |
昨日、スーパーでトイレットペーパーを買ったはずだのに、どこにも見当たらない。支払いを済ませて、かごの中身を袋に移すために足元に置いてそのまま置き忘れてきたようだ。ささいなことだけれど、がっくり。ストックが切れ掛かっているから明日の朝一で買ってこなくちゃ。 外務省問題では、だんなは官僚の味方らしい。「あんな人前で部下をなじるような上司なんて・・・人前では誉めて一人のときに叱りとばすというのは、新人課長だって知っていることでしょう」むむ、管理職だなぁ。 日曜日の演奏会、下の娘だけ連れて行くことにしたのだが(上は、この時期人ごみに入って風邪でももらってきたら大変なので)、彼女は実は演奏会より、そのあとの打ち上げのほうが楽しみらしい。「また、おじさんたちが大声あげて、やるんでしょう?」これは、打ち上げ恒例のエールのことである。声に自信のある男性が応援団よろしく大声を張り上げ、先生がたやその他もろもろの人たちにエールを送るのである。娘の話では、みんな普段そんなことやりそうにない感じなのに、そんなことをやっているのが面白いという。親の面目丸つぶれだね。 読了本 J・R・R・トールキン/瀬田貞二訳『指輪物語 王の帰還(下)』評論社 |
|
1月29日(火) |
|
『指輪物語』いよいよ指輪所持者が使命を達成。フロドたちがモルドールに入ってからはひたすら陰惨だけれど、その中にあって、サムの献身ぶりにじーんと来る。そして、滅びの山に至る彼ら。何度読んでも、この火口でのフロドとゴクリのくだりはぞくぞくする。初めてこれを読んだ中学生のときはほんとうに驚いた。ファンタジーでこういう展開はあり、なのかと。今読み返してみると、もしかして、本当のヒーローはサムなのかもしれないなと感じる。悪の力にも美しきものの誘惑にも負けない健やかな精神のサム。彼がいなければ物語が終わらなかったではないか。 私の持っている『指輪物語』は中学生のときに母が思いついて買ってくれたものである。最終巻は昭和50年初版で1500円。25年前の本としては、随分高いものだ。母にはこういうファンタジーを読む趣味は無かったし、兄も『指輪物語』は読んでいないはずなので、結局私だけのために買ってくれたことになる。深く感謝・・・・ 深夜、田中外務大臣更迭のニュース。田中氏の肩を持つわけではないが、結局外務省は大臣就任以来一貫して、田中降ろしを画策してきたということだろうか。「外務省の人がみんな清廉潔白正直な人だったら、外交なんてやってられないよ」とだんなが言うのももっともだが、それにしてもお粗末。 |
|
1月28日(月) | |
下の娘は今日代休で、昨夜は私の母のところにお泊りだった。なんでもちゃっちゃっとやる子なので、こうしておばあちゃんの家に行くのも、手際よく荷物を詰め、ひとりでさっさと行ってしまう。帰ってくると、「宿題はおばあちゃんちで済ませてきたから」と言って日記を書いたり本を読んだり。姉妹で比較して優劣を言うのは愚かなことだが、親としてはあまりの違いに今更ながら不思議なものだと思う。 夕飯に、キャベツの丸ごと煮込みをしてみた。手羽先数本と、ねぎ、しょうがを入れたら、中華っぽい味が出て、なかなか好評。中ぐらいのキャベツまるごとが家族4人であっという間にむしゃむしゃと消える。 中学生の暴行殺人事件。被害者と加害者との間にどういうやりとりがあったのかわからないので、事件そのものに対しては痛ましいとしかいえない。ただ、暴力を使って他人を意のままにしようとすることに対する嫌悪を感じるのみ。でも、実際に暴力に晒されたら、私はそれに抵抗できないだろう。 夜、だんなが「イタリアから」をさらっているのを聴いていたら、私が2拍子で感じているところを3拍子で弾いていたり、逆に私が3拍子で感じているところを2拍子で弾いていたりするので、気になって指摘するも、なかなか強情なだんななので(彼からすると私が強情だというけれど)意見の一致を見なかった。どーして、これが3拍子に感じられるわけ?私には謎。 読了本 J・R・R・トールキン/瀬田貞二訳『指輪物語 王の帰還(上)』評論社 購入本 ルイス・サッカー/幸田敦子訳『穴』講談社 |