アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士。

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。 そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ。

「ニキリンコ」の定義。 定形発達の変質者。  商売の為なら何をしても良いと考えている。

9/15/07「私文書偽造」参考、他人になりすましメール寄こす。

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2008年2月29日(金)

SAMと自己と自己意識と中枢性の統合

SAMが自閉症のすべてだと分かったかな?

質問を受け付けます。
どんなに初歩的だと思っても、恥ずかしがらずに質問をどうぞ。

無ければ、来月は統合の話でもするか。

作成者 Chip : 2008年2月29日(金) 20:35 [ コメント : 1]

いいわけ

完全装備、メンテナンスも行き届いたバトルスーツを身にまとって出社してくる定形発達と、
普通のビジネススーツを着て出社した自閉症が突然その場で戦うことを命じられた。

当然こちらは、会社で殺し合いをする訳にいかないから相撲程度だろうと、身構えて頑張る。
バトルスーツを着た相手は、本当は相手にならないので、周囲の状況と相手の立場をおもんばかり、バトルスーツを着ているのにも関わらず、負けた振りをする。

しかし、定形発達は自分の体も心も完璧に防御されているから傷つきもしない。
一方、真面目に相撲を取った方は、力一杯頑張ったので、膝をすりむいてしまった。

私たち自閉症の社会生活とはこんな所が本当だ。

何かトラブルが起きたとき、周囲の状況を見て「申しわけありませんでした」と頭を下げる。
一方、自分を防御する「防衛機制」に守られていない自閉症は、それでも、知能で自分自身を守らなければいけないから、
一生懸命思いつく限りの自分の立場を主張する。「これは、・・ということで、この時・・・で、向こうが・・・・の書類を・」

「もういい!君は自分のことばかりそんなに言い訳をして、そんなに自分が可愛いのか!」


そうじゃない。本当に自分が可愛いと思っている定形発達は簡単に頭を下げても、結果的に傷は浅く、その傷はすぐ治っていて、

一生懸命、頭で考えつく限りの自分の立場を説明しようとしていた自閉症は、
定形発達とは比べ物が出来ないほど傷つき、しかし、その傷を少しでも和らげようと、知能の限りで自分の僅かな正当性を探しているだけなのだ。

しかし、現実の社会では、定形発達のほうが、傷つき反省をしている人間で、
自閉症の方は、自分の非を認めず、ふてぶてしいヤツ。       これが、本当の社会に出た自閉症の姿なのだ。

作成者 Chip : 2008年2月29日(金) 08:22 [ コメント : 0]

2008年2月28日(木)

むき身

さて「SAM」が確立し、「自己」を認め「自己意識」に目覚め、「防衛機制」が働き始めた定形発達と、
「SAM」が欠落しながらも、知能で擬似的な「SAMもどき」で自分の行動をチェックし始めた自閉症を比べる。

結果としての「防衛機制」はありとあらゆるところで、無意識に自動で働き、「自己意識」を強固に守る。

クソチンコとか、畠山静香のように、例え現実に人を殺していても、裁判官に「死刑にして下さい」と訴える事をしていても、
尋問されると、人を殺した事実は無かったかのように証言してしまう。
自分でも、分かっている。しかし、敢えて尋問されると違う事を言ってしまう。
しかし、事実は意識下で「知っている」から、死刑を自ら求める。
証言内容と自ら求めていることに矛盾があっても構わない。
平気で事実をねじ曲げてしまう。
当然、これは「SAMが肥大」してしまった、「変質者」のケースだが、
これこそが、定形発達の「防衛機制」の力の強大さを示す例ともなる。

つまり、定形発達はきちんとした「心の鎧」を身につけて社会生活を送っている。
しかし、自閉症はその「鎧」も「殻」も持たない、「むき身のエビ」が海を泳いでいるようなものなんだ。
だから、すぐにエサになってしまう。

定形発達でも、防衛機制の力が薄れ、鎧の兜を脱いでしまったり、殻がはげ落ちたりする事がある。
これが、鬱病で、普段殻を持っていたからこそ、その無力感、絶望感は増大し、自殺してしまうんだな。

同じ鬱病でも、生まれつき鬱病予備軍だった「殻」を持たない自閉症はその分、鬱に強いかもしれない。
それでも、横浜のヤマト運輸に勤めていた自閉症の青年は、仕事を干されて自殺してしまった。

きっと予兆があっただろうに、良い脳機能薬に巡り合っていれば、防げただろうに。   残念な話だ。

作成者 Chip : 2008年2月28日(木) 10:48 [ コメント : 0]

2008年2月27日(水)

不思議ちゃん

ひきこもりの男女比を見ると圧倒的に男が多い。(実は古代より男は女々しい、女より女っぽい事が分かってるんだな)

では、「自己意識が肥大」した女はどうしているか。「不思議ちゃん」になるんだよ。

彼女たちは、生まれて直ぐから「周囲と違和感」を持ち、「普通でない」事を知ってしまう。
当然周りの人間にも認知出来るようにするには「不思議ちゃん」になるのがふさわしい。
こうして、皆が認める「不思議ちゃん」になる。
当然その正体は「天才(サバン)」がふさわしいんだな。

しかし、この辺は皆が同一に主張するところで、且つ象徴的な言葉が使われていることが、本当に面白い。

生まれて直ぐに「違和感」を持つ。これは多分「SAM」が出来上がった18ヶ月〜22ヶ月の頃からだろう。
「違和感」を持つには、「自分」の存在、「自己」の存在に気付かなければ出来ない。つまり「SAM」が確立したんだね。

そして「普通」じゃない事に気付く。
これは、「私」がしっかり確立されて、「ほかの人」と比較相対化して初めて自分が「普通」じゃないと気付く。

すばらしい。これこそ「心の理論」の確立の課程を見事に表している。
「私」がいて「母」「他の人」がいる。
「母」が私を見る。「他の人」が私を見る。「母」「他の人」が見る「私」を私が見る。
「他の人が見た私」と「私が見た他の人」を比べる。
その結果「普通ではない」と「私が感じる」。

素晴らしい。これこそ「三項表象」の高度な使い方だ。

そもそもクソチンコが出てきたときに、あまりの馬鹿馬鹿しさと怒りで病院に駆け込み、
おかげで逆に私が診断を受けてしまった。

クソチンコの馬鹿馬鹿しさを追求していたら、図らずも「定形発達」の状態と、
「自閉症」のあまりの違いを知ることが出来た。
「自閉症」を知ることで、初めて自分の状態を知ることが出来、
また、日本の「児童精神科医」のレベルの低さを知ることが出来た。

こう考えると、「ニキリンコ・泉流星」っていうのは、研究者の質を見極める「踏み絵」そのものなんだね。

詐欺師に詐欺を止めろと説くことは出来ないから、せめて使い道を考えよう。

作成者 Chip : 2008年2月27日(水) 06:08 [ コメント : 2]

2008年2月26日(火)

言い訳

定形発達で自己像が肥大してしまった人。「自意識過剰」「SAMの肥大」してしまった人。
この人達は、とにかく自己像が傷つくことが最も嫌なことである。
そして、自分自身もその事が「無意識下」で分かっている。

しかし、どうにも出来ないんだな。この辺は斉藤学先生が日本一の名医だ。

そこでどうするか。原因を外に求めるんだ。育成環境であったり、いじめであったり、とにかく自分が満足さえすればいい。
最高の言い訳が「生まれつき」。

そうだ。アスペルガー症候群であれば、生まれつきだし、生まれつきコミニュケーションに障害があるから、
今までの学校生活で上手く行かなかった。すべての責任は自分にはない。

どうだ。最高の理由だろ?
こんな連中が名古屋(静岡)の精神科にやってきた。そこのバカ医者は、
「16才以上は敢えて診断を下さない」方針を取り、
引きこもりで自意識過剰の彼らは、「アスペサポーター」として登場したんだ。

彼らは、自己意識が高く自己評価も非常に高く、サバンであることがふさわしいと思っている連中だ。
サバン症候群とは、世界に11例だかしかいない貴重な連中だ。

ところが、森口奈緒美の「変光星」のあとがきを読んでごらん。
森口が出版してから、彼女はいろんなサバンの連中と知り合いになったそうだ。

俺は、日本にサバン症候群のヤツが居たとは知らなかったから、ビックリだね。

こうやって、「アスペごっこ」をやってる連中が居るんだけど、
この「ごっこ遊び」もアスペルガー症候群には出来ないと来てるから、なんか可笑しい。

とにかく、俺の周りには昔から俺の真似をするヤツが居たな。
そしてそう言うヤツに限って、真似をしておきながら、俺のことを何とか排除しようとするんだ。

この力関係は、ネット上でも現れているから本当に不思議だ。

作成者 Chip : 2008年2月26日(火) 18:17 [ コメント : 0]

2008年2月25日(月)

SAMの肥大

ここで、定形発達の話をする。
人間は生きて行くために自分自身の不都合は無意識下自動的に捨て去る。
これは、「防衛機制」というものの働きによる。自分自身を守る殻、鎧の様なモノだね。

定形発達がSAMと防衛機制によって見る「自己像(自己意識)」とは実際、現実よりも少し能力を高く見る。
だからこそ、人間は努力するわけだし、自分が見る「自己像」と、現実の立場が一致するように頑張るんだな。これが明るい未来というものか。

ところが、現実の自分と自分が思い描く「自己像」がかけ離れている人間がいる。
彼らは、現実には実現できない「自己」があり、しかし理想としての「自己像」があり、
また、実際に社会に出るとその「理想の自己」を実現できない事も無意識下で分かっている。この場合どうするか。

「理想の自己」を守るために、「引きこもる」事を選ぶ。
実際に社会と接触しないことが、「自己像」を傷つけない最も効果的で確実な方法だからだ。

虐待的状況から必死に自分自身を守ろうとする。極限まで行くと「防衛機制」の働きで、
自分の中に「別の自分」を作り出す。 これが多重人格だ。

多重人格は「防衛機制」があるが故の出来事で、自閉症にはなり得ない。
「防衛機制」を働かせる「SAM」が無いんだから。

すなわち、アスペルガー症候群で多重人格の藤家某を
教材に掲げる佐賀の腹巻某のおま抜け振りがよく分かる。

クソチンコや、泉流星、まあ同一人物だから、浅見淳子も一緒だけど、
こいつらは、ドナウイリアムスの「比喩」を誤解して多重人格だと思い込んでるんだな。

あれは、文脈を克明に読めば比喩であることがわかるんだけど、
定形発達の連中は自閉症は「比喩」が出来ないと言うんだ。
しかし、不思議と私たちが「比喩」で表すと、彼らは「比喩」と受け取らずに事実として誤認するんだよな。

この辺はまた別の機会につっこむ必要があるだろうな。

作成者 Chip : 2008年2月25日(月) 11:59 [ コメント : 1]

2008年2月24日(日)

研究?してるの?

ここで繰り返すと、

18ヶ月〜22ヶ月でSAMが出来上がる。

自分のこと自分の存在に気付く(自己意識)

自己を意識することで自分を自動で守る能力も備える(防衛機制)

言葉の概念も理解し始める(中枢性の統合)   と言うことなんだな。

これを経ないと人間にならない。
自閉症、アスペルガー症候群とは18ヶ月で分化した別の個体なんだ。
今月の話には出なかった中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)が突然出てきたが、
「概念化」の作業の時に、「楽しいこと」や「悲しいこと」に記憶が自動的に集まってまとまる。くっつくと表現した方がいいかな。
その自動的にくっつく能力が「中枢性の統合」なんだ。
だから、まさしくアトウッドや、バロンコーエンや、ウタフリスが言っている事は、重層的に複合的に影響しあっていることがよく分かる。

ウタフリス、バロンコーエン、アトウッドなどは、それぞれ別の切り口で、
しかし、同じモノを追求しているのがよく分かる。

名古屋の杉山や、辻井、大阪教育大の竹田を始めとする日本の小間抜け自称研究者とはえらい違いだね。

作成者 Chip : 2008年2月24日(日) 09:11 [ コメント : 0]

2008年2月23日(土)

記憶

さて記憶の構造が単純でそのまんま記憶してしまうことが、サバンだの天才だの賞賛に値する程高級なものだろうか。

鳩を知っているだろう。伝書鳩だ。
最近鳩は、地上から遙か高いところまで上昇し、自分の住みかを含めた周囲の地形を記憶している事が分かった。
高いところから自分の住みかを見ているから、400キロや1000キロぐらい離れても、
遙か上空に上がれば自分の住んでいた所の、見慣れた景色が見えるんだな。だから家に帰ってくる事が出来るんだ。

どうだ。凄い記憶力だろう。

鮭だってそうだ。なんと自分の生まれた川の臭いを憶えると言われてるな。
犬だってそうだ。あの嗅覚の凄さは、臭いの記憶によるモノだ。
インコだってそうだ。なんとしゃべるんだからね。

動物にとって、単純にそのまま記憶すると言うことは、まさしく生命を守るための自衛の手段なんだ。
それがあるからこそ、生きて行ける。

自閉症は、動物と同じなんだね。
だから、そのまんまを記憶する。神様にそれしか与えられなかったんだな。

自閉症の子供を持つ親御さんとすれば、残念に思うかもしれないけど、
自閉症の子供は、インコとあんまり変わらないんだ。

しかし、インコでも、犬でも、一緒に暮らしたら可愛いだろ。
彼らと一生仲良く暮らして欲しい。

作成者 Chip : 2008年2月23日(土) 11:36 [ コメント : 0]

2008年2月22日(金)

ヒステリー

自閉症の記憶の強さは、知的遅れを持った連中も同様の事が多く報告されている。

彼らは、私たちと違い、さらに言葉で自分の事を表す事が困難であるから、
一体自分たちが、何の記憶に苦しめられているかは言葉で表せない。

表面にでてくるのは、突然発生するヒステリーである。

最近ここ10年では、「パニック」と表現されることが多いのだが、
クソチンコ一派がこれをパニック障害と完全に混同し誤用を広めたから、
ほとんどの人がこれを勘違いし、さらに言葉として使っている。

自閉症がこの時行う行動は、「パニック行動」であるが、その元にあるのは過去の記憶を原点とした「ヒステリー」である。
彼らは「ヒステリー」でしか、その状況から逃げられないんだ。

この辺の解釈、理解も、表面に出ている「研究者」のお粗末なこと。

と、他人事(ひとごと)のように言っているが、実はアスペルガー症候群の、
いい年を取った常識あるはずの社会人でも、この「ヒステリー」からは回避出来ないのだ。

何故なら、これは知性を越えた「生体反応」であるからだ。

では、本物のアスペルガー症候群の人間はどうしたら良いのか。
今は良い物があるよ。
元々脳内の奇形が自閉症をもたらすのだが、どうも脳内物質に偏りがあるようだ。

きちんと診断を受けて、本物であるなら、今の状況をつぶさに報告し、ふさわしい「脳機能薬」をもらって飲んでごらん。
本当に良く効くから。


クソチンコを見てごらん。薬のニセ報告ばかりで、効いた話は全くなし。
そりゃそうだ。   元々なんでも無いんだもん。     日本の研究者はそれでも偽物と気付かないおま抜けだ。

作成者 Chip : 2008年2月22日(金) 12:25 [ コメント : 1]

2008年2月21日(木)

忘れる能力

自閉症の私はとにかく昔の事、始まりは3歳の前半あたりから始まって嫌と言うほど克明に憶えている。
私の記憶は、まさしくハイビジョンの録画であるので画像は動く。
さほど印象的では無いことは、綺麗な写真のように記憶されている。

定形発達の人間をサンプルにした記憶のテストでは、記憶は自分に都合の良いように変わる、とされているが、
私の記憶は、私の都合に合わせて変わってくれることはなく、それこそ何十回も何百回も同じ記憶が繰り返される。

内容は全く変わらず、かえって私に都合の悪い記憶もそのまんま変わらない。
ただ、その解釈が年を取ると変わってきた。

かつては、如何に自分が愚かであるかの証明のような記憶も、年を取った今、私を叱りつけている母よりも年を取って初めて、
「この人、人に言うほど常識が無いな」と分かる事もある。

さらに、一番驚いた事は、忘れると言うことがこんなに楽なことだと知ったのだ。
年を取り、記憶力が往年の半分以下になり、さらに憶えることにも執着しなくなった。
するとなんと不思議なことに、「嫌なこと」も同じように忘れてしまうのだ。

昔は、仕事で嫌なことがあると、本当に会社を辞めるまで消えなかったが、(辞めても消えなかった)
今では、1ヶ月もすれば忘れるのかな?とにかく忘れるのは間違いない。

しかし、これはアルツハイマーになった父と同じで、良いことと悪いことの同時進行なのである。

とにかく、ここで繰り返すが、定形発達は忘れるからこそ明日への希望に満ち溢れているのである。  世界は彼らの為に。

作成者 Chip : 2008年2月21日(木) 21:12 [ コメント : 0]

2008年2月20日(水)

自己 の防御

定形発達なのに、自閉症の様に物事を記憶し始めるとどうなるか。

その答えはPTSDにあり、自己は安定を保てなくなってしまう。

世の中そんな上手い話ばかりではないのに、なぜ定形発達は楽しく生活を続けているか。
それは、「防衛機制」という彼ら独特の、いや、人間として最も必要な能力に依る。
「防衛機制」とは何とも古くさい分かりにくい単語だが、パソコン時代の今なら「自己防御システム」と言うべきモノである。

人間嫌な想い出ばかりでは生きて行けないし、とても子供を作るなんて冒険的な事は出来ない。
しかし、定形発達の人間は私たち自閉症の想像を絶する程楽天的で、恐れを知らない。
だからこそ、子供を作り育て続けられ、さらに、孫の誕生も望み、子孫を繁栄させることが出来るのだ。

では嫌な想い出はどうしているのか。   簡単に捨てるのである。

下記のディズニーランドの想い出も、「概念化」の力により、「楽しいこと」に分類する。
その時、自分自身を傷つけないように「防衛機制」の力が加わり、後半の嫌な想い出は切り捨ててしまうのだ。

これは、私たち自閉症が克明に事柄を憶えているのに対し、同席した同僚、同級生は、
それぞれ違った記憶しかなく、都合の悪いような事、いさかい等を綺麗に忘れて平気であることに気付くだろう。

或いは、定形発達であれば、友人の恥ずかしい想い出は憶えていても、当の本人は忘れている。
こんな事に出くわしたことは無いだろうか。

実は、自閉症は、事実をそのまま記憶してしまうと同時に、
この「防衛機制」の能力が極めて弱いのだ。

作成者 Chip : 2008年2月20日(水) 13:54 [ コメント : 0]

2008年2月19日(火)

事実文

自閉症(アスペルガー症候群)は感想文が書けない。書くと事実文になってしまう。

これも断片的に知れ渡っているが、その意味するところは誰も理解していない。

記憶、事柄を概念化出来ない自閉症はどうしているか。
しょうがないから、そのまんま記憶しておくしか無いのである。それしか手が無いんだね。

しかし、すべての事柄を記憶するとは非常に効率が悪いんだな。
しかしそれでも「ヒト」の仲間として生きて行くにはしょうがない。
大きなストレスと大きな労力と大きな無駄をしながらも、そのまんまを記憶する。
自閉症の記憶力とは、「ヒト」では無いのに「ヒト」の仲間として生活して行くために得た最後の能力なんだ。

「楽しいこと」→「ディズニーランドに行った」  と簡単に済むところを
「4歳の誕生日の前の天気のいい日にディズニーランドへ行ったけどスモーキマウンテンで気持ちが悪くなって家に帰ることになってお母さんが車の中で不機嫌になった」
と記憶するのだ。

では、「ヒト」として上記の様に記憶してしまった場合、これは「楽しいこと」に入れるか「嫌な想い出」に入れるか。

概念化出来れば、無条件で「楽しいこと」に入れ他のことは消し去る。
ところが、自閉症はそのまんま。
強いて言えば「嫌な出来事」として、事ある度に思い出してしまう。

まさしく、毎日が「PTSD」なのだ。
そのストレスは、定形発達が一つのPTSDで大騒ぎする事から考えると、
自閉症のストレスの方が大きいのではないかと思ってしまう。

さて、人生の大半が「事実文」で構成されている自閉症。
定形発達の連中が「自閉症の彼らは自己評価が低い」と言っているが、
それはしょうがない。
記憶が、自分の身の回りで起きた事実を記憶してるんだ。その事実を訴えているわけで、
「自己評価を高く。自分の良いところだけ見ましょう」なーんてお為ごかしを言っても、
それができるのはおまえ達(定形発達)だけだ。

俺達は事実を事実として受け止めて言っているだけだ。自己評価が低いんじゃない。
自分がその程度しか出来なかったんだ。

忘れる強さ。 それが定形発達。  変質者泉流星クソチンコの無限の強さにつながるのだ。

作成者 Chip : 2008年2月19日(火) 05:39 [ コメント : 0]

2008年2月18日(月)

概念化

自閉症(アスペルガー症候群)は概念が理解出来ない。

と、言われてもおそらく当事者も、定形発達の諸君もピンと来ないと思う。

定形発達であれば、概念化とは無意識下で脳内の自動プログラムに組み込まれている働きだから、意識しろと言うことが難しく、
自閉症であれば、根本のプログラムが無いから、「概念化」という言葉として記憶するだけで、その根元を理解する事が難しい。

自閉症でも定形発達でも理解する(本当の所が分かる)事が難しいんだね。

定形発達は22ヶ月ですでに概念化プログラムが自動で働き始めるので、言葉を急速に理解し始める。
この「概念化」のプログラムは、人間として最も必要な能力とも言える。

人間の記憶には限りがある。その為、記憶を簡単に圧縮変換するのだ。

ディズニーランドに行った。  を   「楽しいこと」とラベルを貼って、「楽しいこと」の引き出しに入れる。
「楽しいこと」の引き出しにはたくさんの「楽しいこと」が入っている。
事実の記憶を「楽しいこと」に変換してしまうのが概念化である。

身の回りの事実を一から十まで記憶することは不可能だし、脳がオーバーフローしてしまう。そこで作り出された能力なんだね。
定形発達の彼らは、このように「概念化」し、それぞれの「引き出し」にしまうのだ。
この概念化の作業が、正しく行われるかどうかは関係ない。これは自己意識とも関係して来るんだね。

ディズニーランドに行った。ところが、スモーキーマウンテンで乗り物酔いをして途中で帰る事になった。
この事実の中には、「楽しかった」事と「悲しかった」事が含まれる。
しかし、定形発達は自分の都合の良いように記憶を変形させる。
この場合は、ことさら「楽しかった」事だけを引き出しにしまい、「悲しかった」事は『引き出しに入れ忘れる』てしまうのだ。
これを、無意識に自由に判断してくれるのが、「自己意識」なのだ。

クソチンコが2000年に登場した頃は、「自閉症のつらさ、悲しさを知って欲しい」
というのがスタンスだったのだが、この時点で、「つらさ」や「悲しさ」という高等な概念を理解している時点で、
自閉症では無いことが分かる。

ところが、日本のおま抜け小児精神科医は分かんないんだよなー。

自閉症関係者のおま抜け振りは、この辺(根元)を理解していれば、どんどん解明されていくのだ。

作成者 Chip : 2008年2月18日(月) 13:49 [ コメント : 0]

2008年2月17日(日)

概念

22ヶ月でSAMが形成されると、その事で自己を認識し、コミニュケーションツールである言葉を加速度的に理解する。

言葉とはコミニュケーションツールつまり、コミニュケーションの道具だが、その知識だけではなく、使い方も身につけると言うことだ。

自閉症だって、知能が高ければ言葉を憶える。
しかし、この場合「知識」としてだけで厳密に使い方をマスターしたかというと、違うのだ。

22ヶ月の時点で明確にSAM「自己意識」が出来上がった子供は、親の呼びかけにすぐ反応する。
自閉症児の場合は、その名前(自分を呼ぶ声)を聞いていても、「自分のこと」と明確には理解していないのだ。

自己に目覚め、言葉を憶え始めると、その言葉の「概念」も理解し始める。(これは定形発達の話ね)

お菓子をもらった→うれしい
服が汚れた   →悲しい
海に行った   →楽しい
おもちゃを忘れた→つまらない

この概念をわずか22ヶ月過ぎから理解し始めるのである。
大人になっても、概念を理解出来ない自閉症とはえらい違いだ。
ということは、すでに22ヶ月の時から、彼我の差は開き始め、
青年になったときには当然ながら、理解の範囲を大きく逸脱した存在であるのだ。

定形発達の連中がこちらを理解出来ないのは構わない。
何故なら、ほとんどの定形発達の人間が私たち自閉症と接触する事が無いからである。

ところが、こちらの側、自閉症の側から見るとどうだろう。
自分と彼らは、同じ人間であり、いつの日か分かるときが来る。
そう信じて、或いはそう言いくるめられて、忍の一文字、必死になって「人間」の中でもがき苦しむ。

若い内は無理も利いた。しかし、もう無理は利かない。
「何故だ。何故これほど社会とは住みづらい」

実は、私たち自閉症は22ヶ月で成長が止まった、人間の皮を被った猿だったのだ。

作成者 Chip : 2008年2月17日(日) 10:22 [ コメント : 1]

2008年2月16日(土)

目で見た世界

このモニターを椅子に座って見ている状態を良く考えて欲しい。

あなたは、「目」を通してパソコンの画面を見ている。
モニターの手前にはキーボード。そして自分の手も見えているかもしれない。

あなたが今感じている現実とは、今あなたが目から得ている情報により成り立っている。

自閉症である私は、私の状況は現在見えている画像(目からの情報)だけである。
まさしく、見たとおりが私が感じている世界だ。

ところが、(これからは私が定形発達では無いので推測)、SAMが完備している定形発達は、常に、
外側から、(仮想、バーチャルとして)パソコンを見ている私、を頭の中に作り上げている。
この、頭の中に自分の姿を作り上げる力が「SAM」である。

その頭の中に出来上がる「自己像」とは、画像なのか、言葉としてなのか、なにかもやもやしたモノなのかは分からない。
(私は定形発達ではないから)
ただ、そう言うモノが存在するのだ。

例えば、パソコンに膨大な情報を入力する。これは知識だ。
パソコンにカメラを接続する。これは目から入る情報だ。

では、パソコンは人間か?パソコンには「自己意識」が無い。
自分を自分であると認識する「SAM」を持っていない。だから自己意識を持ちようが無いのだ。

もし、パソコンが「自己意識」を持ったらどうなるか。
自分の存在を知り、自分で自分が知らない事を学習する。
学習を始めれば、成長を続け、人間の及ばない知能、能力を持ち、ついには全宇宙を支配できる知能と力を持つことが出来る。

よくSFにあるパターンだが、それ程「SAM」「自己」「自己意識」とは高等であり、解明が難しいものなのだ。

作成者 Chip : 2008年2月16日(土) 10:48 [ コメント : 1]
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