2008年3月10日(月)
好きなこと
「好きなこと」と言ったけど厳密に言うと「好きなこと」も概念だね。
私が子供の頃、好きだったのかどうかまでは意識していなかったが、やりたいことが次から次から出てきた。
さすが積極キーちゃんだね。
私の吝嗇な母は、「あんたは自分がやりたいことをやればいいんだからね」と言った舌の根も乾かぬうちに、
「なにやりたいことばっかりやってるの!宿題やったか!こらっ!」と怒鳴り、
それも聞かないと分かると、
「先ず嫌な事からやりなさい!好きなことはそのあと!」
積極キーちゃんはすっかりねじ曲がり、嫌な宿題は絶対しないから、
宿題の期限が切れるまで、好きなことは出来ない。
やりたいことを出来ずに、ただただ日にちが過ぎるのをなにもしないで待つと言うのは、
まさしく小児鬱の始まりだったと思う。
今でも、嫌なことが出現すると、そのことに捕らわれてしまって、他のことが出来ない。
仕事でもそうで、簡単に切り替えることが出来ない。
お客さんと約束をしていても、何処からか発生した嫌なことを処理しなければいけなくなると、
処理を後のばしにしながら、お客さんの事も後のばしにしてしまう。
「嫌なことからやりなさい」
魔女の呪文は生き続けて、死ぬまで解けないのだ。 やれやれ。
作成者
Chip
: 2008年3月11日(火) 04:17
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2008年3月9日(日)
生まれついての審判員
私は自閉症の事がよく分かる前から、アスペルガー症候群の事を「生まれついての審判員」と言っていた。
私自身のこともあるが、妻の行動を観察していて、その「フェア」な態度を見てそう言っていたのである。
今になって分かったことは、定型発達は概念化して物事を理解し、さらに、中枢性の統合によって、人間関係や地位、それらの立場や、時期、
ありとあらゆる事が、物事の判断基準に無意識下にしかし強力にくっついている事が分かった。
だから、体育の授業程度のスポーツでも、判定が遅れたり、曖昧な判定をしたり、或いは、審判という行為自体を避けるのだ。
しかし、自閉症(アスペルガー症候群)はある意味バカだから、
スポーツと言うと純粋にその競技のルールにのみ縛られる。
それ以外の力関係とか、思惑に関係ないんだね。
これは、会社に入り社会生活をしてもすぐ現れる。
会社の中で、最も上層部に睨まれている窓際のおっさんと妙に仲良くなったり、
掃除のおじさんと知り合いだったり、かといって、上司と言われる幹部でも、平気で口を利く。
全く妙な存在なのだ。
それは、「独立系」とでも言うどこにも属さない立場を作り出すから、いいときは可愛がられる。
しかし、一旦裏目に出ると、社内で弁護してくれる人は居なくなる。
私の妻はまさしくそのもので、それで会社をクビになった。本当の馘首だ。
この特性を考えると、学校の成績が良いアスペルガー症候群の少年少女には裁判官を目指して欲しい。
法に則った正義を十分に生かすことが出来るからね。
間違っても弁護士は止めた方がいい。
弁護士は自由業で喰っていかなくちゃいけないし、
お客の意向に添った正義を行使する。
その正義は相手側からすれば正義とは思えない事でも、お客の立場を有利にするのが弁護士だから、
仕事にするには、相当以上の社会性を必要とするからだ。
でもこんな話は年寄りのお節介で、若者には間違いなく大きな可能性がある。
若者たち。みんな好きなことを力一杯やってみよう。
作成者
Chip
: 2008年3月9日(日) 17:05
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2008年3月8日(土)
事実文
事実文と簡単に言うけど、定型発達の連中には逆に事実文を書くことが難しいようだ。
定型発達の場合、すべて自動的に物事が概念化されてしまうために、どうしても文章に概念が入り込んでしまう。
それを取り除くには、意図的に、知能で取り去らなければならないようだ。
クソチンコのように、「事実文」という意味自体を取り違えるバカも居るくらいだからね。
ここで事実文の定義については言わない。みなさん自分で考えてね。
事実文の代表といえば、新聞などに見る報道文だ。
しかし、定型発達が事実文を書くのが苦手というのは、新聞報道を読んでいるとよく分かる。
記事の文章は様々で、読みやすい文、読みにくい文、結局なにが書いているか意味不明な文。
やはり、事実をきちっと伝えているのはベテランによる記事だ。
テレビなどの報道についてもいえる。
瞬時に求められるコメントにも、概念を言うのではなく、事実を言う。
これは、卓越した知能と訓練以外何物でもない。
そう考えると、木村太郎と櫻井よしこはどれほどの知能の持ち主なのだろうか。
私が、報道者として信じるのは、この二人だ。
作成者
Chip
: 2008年3月8日(土) 10:10
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2008年3月7日(金)
男の子
北海道は伊達市の施設から、15の男の子が居なくなった。
彼が自閉症かどうかは分からないが、
我々の仲間は突然いなくなる例が少なくないのだ。
以前私の家の近くに住む自閉症のなっちゃんをスーパーマーケットに一人で居るのを見つけた。
多分近くにお母さんが居ると思って探したが、見当たらない。
ほかのフロアも覗いたが見つからない。
なっちゃん本人に聞いても、まったくコミニュケーションが取れない。
知らないところには行かないとは聞いていたが、不安になって家に急遽帰り、
なっちゃんの家に行くと、おばあさんが出てきた。
お母さんと連絡を取ったところ、やはりスーパーの他の売り場に居たそうだ。
なっちゃんが、家を脱走したのでは無いと知りほっとしたが、
自閉症の仲間はいつ何時居なくなるかわからない。
北海道の2月から3月。
障害児は予想以上に行動範囲が広い事が知られている。
彼も、本当にどこか暖かい所にいてほしい。
見つかってほしい。
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Chip
: 2008年3月7日(金) 20:43
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2008年3月6日(木)
目的
このブログを書いている本来の目的について考えてみる。
このブログは自閉症の諸君、施設に入っていたり、施設に通っている自閉症、
彼らが施設で上手く係員の人たちと生活出来るように、或いは施設の人々の何かのヒントにでもなれば良いと思い書いている。
さらに、診断を受けた話せる自閉症(アスペルガー症候群)の諸君が、なんとか上手く生活できるように願いながら書いている。
最後の目的は、「ニキリンコ」「泉流星」或いはその一派によって、
アスペルガー症候群だと思い込まされた人たちに、別の道を示すことにある。
若い頃は悩む。とにかく悩む。ひきこもりであるかもしれない。
そんな彼らが、アスペルガー症候群だと言いくるめられたら、彼らに救いの道は無い。
何故なら、彼らは自閉症では無いからだ。
私の話も、だた文字でしかない。
話を聞いているとまさしく自分も自閉症だと思うかもしれない。
実際、実物を目にすると、定形発達の中での「差」と定形発達と自閉症の「差」は驚くほど大きな差であることが分かる。
自分が自閉症であることが、自分が救われる道だと思うなら、迷わずに精神科で診断を受けて欲しい。
違えば、違うなりに救いの道がある。例えば「斉藤学」先生の本とか。
斉藤先生の話も人間の根元的な悩みについてずっと治療してきた人だから、そのノウハウと蓄積はものすごい。
もし、ここに救いを求めるならば、得る物はないかもしれない。
ただただ興味があって見続けるなら、ぜひ参加して欲しい。
昨日の話なども、もっと詳しく調べなければならないテーマであるのだ。
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Chip
: 2008年3月6日(木) 22:23
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2008年3月5日(水)
天使と悪魔
定形発達でも、防衛機制が弱くなると「鬱病」になることは分かったと思う。
では、中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)が弱くなるとどうなるか。
私は定形発達ではないので、半信半疑なのだが、定形発達の心理学を専攻した人に聞いたところ、
定形発達の場合、何かに迷ったとき、まるで漫画の天使と悪魔が反対意見を言い合うように、
頭の中では、二人の自分が相談をするのだそうである。
私は自閉症なので、頭の中で相談するなど全くなく、私の頭の中には一人の私しか居ない。
だから、中枢性の統合が弱いと言っても何がどうなっているのかは、簡単には分からない。
しかし、定形発達の場合、頭の中に「もう一人の私」(SAMの働き)が存在する。
事あるごとに、無意識下でもう一人の自分と話し合っているのである。
ところが、定形発達の人が「統合」が弱くなると、
まるで頭の中で別の人間が話しかけたり、行動を命令したりするようになる。
これが、「統合失調症」である。
自閉症は、生まれつき鬱予備軍、あるいは鬱病で、さらに、中枢性の統合が大変弱いが、頭の中にはSAMが無い、という
まか不思議な動物なのである。
わかるかなーーーーーーーーー。 ちょっと無理かなーーーー。
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Chip
: 2008年3月5日(水) 15:05
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2008年3月4日(火)
本
1.自閉症とマインドブラインドネス サイモン・バロン・コーエン 青土社
2.自閉症スペクトル ローナ・ウイング 東京書籍
3.アスペルガー症候群 トニー・アトウッド 東京書籍
4.自閉症とアスペルガー症候群 ウタ・フリス 東京書籍
5.自閉症の謎を解き明かす ウタ・フリス 東京書籍
6.自閉症の心の世界 フランシス・ハッペ 星和書店
本は他にも感動的であったり、その観察眼に驚かされる本もありますが、自閉症の原理に近い本と言うと上記の本が適当でしょう。
私は、工学部出身の技術屋として、最も衝撃を受けたのが、1のバロンコーエンの本ですが、
人それぞれ、切り口、とっかかりも色々ですので、本屋或いは図書館で、
手に合う本から読み始めるのが良いかと思います。
昨日は筆がすべって、というか、完全なる思いこみで、自閉症スペクトラムの言い出しっぺを
フリスと書きましたが、ローナ・ウイングのグループの書き間違いでした。
また、今日の午前1時頃に長文の質問らしいものが入っていましたが、
人の受け売り(本の引用)を繋げた質問は全く「心」に響きません。
質問をする人は、どんな初歩的な事でも、自分の言葉で質問して下さい。
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Chip
: 2008年3月4日(火) 06:29
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2008年3月3日(月)
自閉症スペクトラム
自閉症スペクトラムはウタフリスのグループが提唱した話。
彼らが、自閉症の子供達を広く集め、世話をしている間に、誰一人同じ子供が居ないこと。
自閉症の子供につながるような知能の高い子供が居ること。
知能が高い子供達を集めた研究者が過去に居たこと(ハンスアスペルガー)。
などの事実の積み重ねから自閉症は広く分布して二人と同じ状態が無い事を「自閉症スペクトラム」と表現したんだね。
もう一度フリスの本を読んで確認してみるけど、
私は自閉症はバロンコーエンが言う「SAM」の欠陥とする論を採っているので、
私の理解で話すと、自閉症と定形発達は「SAM」の有無で明確に分かれる。
自閉症の状態を観察すると、スペクトラム状(連続状)に広く分布し、二人と同じ状態があり得ない。
最も社会に適合した自閉症は、定形発達に近い所まで存在している。
しかし、彼に「SAM」が無いことで明確に分かる。
という解釈になります。 一般的なウタフリスの言葉の解釈とは違うんだろうな。
私が参考書にしている素晴らしい本は明日紹介しまーす。
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Chip
: 2008年3月3日(月) 09:04
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2008年3月2日(日)
SAMとはなんぞや
ウタフリスなど自閉症の専門家が書く本は、テーマを絞って書いている。
だから、それぞれの事を深く勉強するには都合がいい。でも、難しいだろ?
サリーとアン、とかスマーティとか断片を憶えるだけで、それが何を差しているのか、何のための、何を知る実験かなんて事はすぐ忘れちゃうよね。
でも、SAMを基準に考えると分かりやすいだろう。
それに、自閉症の事に関して、SAMや、自己意識や、中枢性の統合まで含め重層的に解説している本なんか無いだろう?
そうなんだ。みんな分かってる振りだけだから、誰もきちんと説明できないんだ。
2月の書き込みを読み返して、その根本にある「SAM」についてあまり説明が無いような気がした。
そこで、もう一度私自身がバロンコーエンの本を読み返し、
なんとか「SAM」を分かりやすい形で説明しようと思います。
そこで、書き込みが一時中断するかもしれないのですが、待っててね。
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Chip
: 2008年3月2日(日) 12:18
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2008年3月1日(土)
おふだ
浅見淳子という虚栄心だけは旺盛な自称女性企業家が出版社勤務の経験から出版業を始めた。
主に自分と夫の浅見昇吾が翻訳した本を大手出版社に売りつけるブローカーの仕事だね。
アサミちゃんは、小知恵が回り、自閉症ネタで商売しようと思ったんだな。
そこで、自閉症キャラの「ニキリンコ」を作り商売にし、
さらにアスペキャラの「泉流星」も作って商売にしてるんだ。
朝鮮人を苦しめた日本人には何をしても良いから、ウソ八百はつき放題。
おまけに、「防衛機制」は過剰に働き「自己像」は肥大しまくっている。
挙げ句の果てに、記憶力が悪く、ついたウソも直ぐ忘れるから、後から追求されても全然平気なんだね。
これは詐欺師としての大切な能力だけどね。
メールも適当な名前で、出し放題。
私のところにも、「ADHDのエジソンクラブ」の高山さんの関係者を装って「ガセメール」を送ってきた。
2007年9月15日の所参照。
でも、今頃はすっかりそんなことまで忘れて平気。
さらに、このブログにも、名前を変えてはコメントを書いてくる。
私が読んで、妙だと思ったメールは削除しますが、その中で浅見淳子ではなく、純粋にコメントを書いたと言う人はクレームを受け付けます。
だけど、今まで10通以上削除してるけど、誰も文句を言わないなぁ。
今日の書き込みは、月初めの悪魔払いのお札(おふだ)です。
作成者
Chip
: 2008年3月1日(土) 20:49
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