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皇室の動向
▼
484:沙羅
07/11/04(日) 22:49:07
誰がこの暗号を書いたのか?
スペルマン暗号 オプスデイマネロン編
8 名前:沙羅 投稿日: 2006/02/02(木) 23:58:39
[JBBSスレ]
「
スペルマン文書の暗号解析
[JBBSスレ]
<乳児誘拐>生後10日の男児連れ去られる←「裏世界のすべてに通じた黒い教皇」が作った仙台のカトリック病院
ttp://www.asyura2.com/0510/nihon18/msg/623.html
(AA)
483:沙羅
07/11/04(日) 22:36:00
久米さん、山本信二郎の情報をありがとうございます。『現在進行形のキーパーソンの「顔」』というのが誰なのか、顔は表立って見えないのか、主だった表のフィクサーたちが皆他界したり、老いていく中で、その顔を特定するのは難しいでしょうね。
ただ、私は、この浜尾枢機卿に行き着いたのは自分で大ヒットだったと思っています。
皇室と政界という私たちにはなかなか見えないところで何がおきてきたのか、そしてバチカンとの関係は、というのを知る上で、園田義明氏のキリスト教徒のインナーサークルの分析は面白いと思いますので、参考に貼り付けておきます。多分もうご存知と思いますが。
山本信二郎について言及されているのはこちら。
■薩長因縁の昭和平成史(4)/園田義明 [萬晩報]
[URL]
(AA)
482:久米
07/11/04(日) 11:45:29
これは既出だったかもしれませんがローマがらみで(汗)←人が動けば金も動くと。
[URL]
974 名前:名無しのひつじさん 投稿日: 2007/02/15(木) 11:40:55 [ SqTZSP6I ]
>>972-973
よりつづく
ちょうど今、店頭にある「文芸春秋」に下記の記事があって
非常に興味深い内容だよ。
-------------------------------------------------
文芸春秋 2007年3月号
連載 「昭和天皇」 福田和也(慶応大学教授)
第21回 ローマ法王との邂逅
「軍服の修道士」が実現したバチカン訪問
-------------------------------------------------
「軍服の修道士」とは昭和天皇の少年期から皇太子期に
かけて語学教育係と側近(ボディガード)として仕えた山本
信次郎海軍少将(カトリック)のこと。
皇太子時代の昭和天皇の欧州外遊に際して山本信次郎
海軍大佐(当時の階級)は皇太子(昭和天皇)と供奉員を
ローマ法王との謁見に導いた。
この謁見がその後の日本の運命を左右する場面に・・。
太平洋戦争の最中の昭和17年(1942年)に昭和天皇の
意向(昭和天皇独白録)でバチカンに特命全権公使を置く
ことになる。というのは・・・右翼などの反対論でバチカンに
公使を置くことが延び延びになっていたのだ。
975 名前:名無しのひつじさん 投稿日: 2007/02/15(木) 11:42:30 [ SqTZSP6I ]
>>972-974
よりつづく
しかし、皇太子時代のローマ法王との謁見での記憶から
米英との戦争が収拾不可能に陥ったときに「最後に頼れ
るのはバチカンだけ」とご判断して、側近を通じての度重
なる要望で煮え切らない政府をついに押し切られて駐在
公使を置くことになる・・。
1945年5月にバチカン国務省から原田健公使(プロテス
タント・・同志社総長原田助の長男)件に連絡があり「和平
のために連絡をとりたいアメリカ人がいる」とのこと。
マーチン・キグリーというローマ滞在の映画関係者との肩
書きだが正体はOSS(CIAの前身)のエージェントであり、
OSS最高責任者のドノバン将軍からの命でバチカン駐在
日本公使と和平のための連絡をとる任務を帯びている。
事態の重大さと正体を明らかにしない相手の人物に原田
は金山正英参事官(カトリック)とともに頭を抱え込むが・・
意を決して本国に打電・・。
そして・・・・バチカンを通じてアメリカ側からの和平提案が
されていることは、ソ連ルートにこだわる愚かな政府首脳
によって天皇陛下に伝えられない・・・なんと・・・・・。
976 名前:名無しのひつじさん 投稿日: 2007/02/15(木) 11:46:51 [ SqTZSP6I ]
>>972-974
よりつづく
結局、ソ連を通じた講和にこだわる政府首脳の愚と講和
仲介の意思がないソ連のために戦争は泥沼の延び延び
になり・・・ナチスドイツの原爆開発に対抗して開発された
アメリカの原爆が日本向けになってしまう。
キグリーはバチカンルートの交渉が成立すれば原爆投下
が避けられたと悔やむ・・・・・・・・。
・・ということで上記は記事のほんの一部の要約。
興味があったら読んでみてくださいな。
(文藝春秋の宣伝のつもりはない)
「機密情報活動」は結果的に「活きなかった」のでしょうねぇ。
福田和也教授の原文をそのまま引用すると下記です。
> 和平工作については、スウェーデンにおいて重光葵がとり
> くんだもの、スイスで海軍駐在武官藤村義朗がアレン・ダ
> レスに接触をはかったもの、駐日ソビエト大使ヤコブ・マリ
> クと広田弘毅の間ですすめられたものが知られているが、
> アメリカ側からの働きかけは、バチカンのものだけだった。
>
> もしも、この情報が、彼の人の耳に達していたら、事態は
> 多少とも変わったのだろうか。
>
> キグリーは、あの交渉が成立していれば、原子爆弾の投
> 下は避けられただろう、と悔やんでいる。
* 注: 彼の人=昭和天皇
481:久米
07/11/04(日) 11:08:25
沙羅さんレスありがとうございます。
どうも頭がモヤモヤしていて愚痴ののような書き込みをしてしまいましただ。(汗)
先日瀬島龍三氏が亡くなりましたが調べようとするとどうもジジイ・ババアか
帰幽しちゃってるとかばっか出て来て何ともです。(失礼)
何か現在進行形のキーパーソンの「顔」が見たいって感じなんですよね。
雅子妃は一種の顔なんでしょうがやっぱり暗躍は青年オヤジ(?)がするもの
だろうし。(軽くてすみません。)
陰謀から外れてるかも知れませんがつらつらこんなサイトを読んでてグチっぽく
なっているのでございます。↓大アジア主義の行方や如何に(?)でしょうか。
[URL]
480:沙羅
07/11/04(日) 04:17:16
ついでに「ローマの金よこせ」(この事件の裏にバチカンがバックの証でしょう)ですが、私の推察では、現在ジュネーブの「ろ」銀行に預けられているという噂を聞いた資金の名前がプリンセスファンド。
しかも、日本の実情も歴史も知らないスイス人に言わせると、その金は明治天皇から続いている資金だそうです。
何故明治天皇からの皇室の隠れ資金に「プリンセスファンド」ってついているのでしょうか?
黄金の百合作戦でかき集めた金をバチカン派が分捕りしたか、あるいは、小和田が嘘を言って機密費で着服した金に尾ひれをつけて由緒正しい金のようにスイス人に思い込ませているか、あるいは、東宮派と昭和帝派との間で話がついてプリンセスファンドということにしているのかのどれかでしょう。
私は第一の線を疑っています。
479:沙羅
07/11/04(日) 04:07:08
久米さん、お久しぶりです。玄洋社の流れがどこへ行っているかは、1)小和田のところ(江頭)2)児玉 3)マルタ騎士の笹川で今も続いているのでしょうが、何故それでは「江戸の飾り白菊消せ」とつながるのか、ということでしょう。
キーワードは児玉機関と黄金の百合作戦だと思います。私は雅子入内をめぐって皇室内で雅子の入内に反対した昭和天皇対東宮派との内部対立があったと推察しています。
だから、「ローマの金よこせ」という児玉機関の流れ、マルタ騎士の流れとくっついたバチカン勢力(浜尾)対ヒロヒト派で割れたのだと思います。裏切りのようなものでしょうね。
したがって、この宮崎勤を利用した雅子入内と1月7日17の日の天皇崩御(暗殺でしょう)と117号事件とワンセットなのです。
この事件は東宮対ヒロヒト派の現代の「宮中某重大事件」ともいえましょう。
玄洋社系の流れはたとえば緒方竹虎→緒方貞子→ローマクラブというように、イリュミナティに合流しているのですが、こちらが女系派擁立の三極委員会をバックにした(小和田)イリュミナティの流として、皇室を完全に乗っ取ったわけです。
詳しくは、黄金の百合作戦などに言及している「ニッポンのSS研究」にも書きました。
久米さんの方が日本史のディープなところにお詳しいので、引き続き研究調査を投稿していただけるとありがたいです。
ニッポンのSS研究
■
[JBBSスレ]
■
[JBBSスレ]
■
[JBBSスレ]
■
[JBBSスレ]
参考記事
■黄金の百合/Golden Lily/天皇カルト:バルセロナより愛を込めてさんへ
[URL]
(AA)
478:久米
07/11/04(日) 00:53:02
ご無沙汰しております。
>472
勉強不足で見つけられないんですが(汗
昭和天皇の教育係(倫理?)だった杉浦重剛と頭山満が友人だった事など
考え合わせると玄洋社の流れがどこへ行っているのか具体的なトコロが知りたい
ですねぇ。
477:沙羅
07/11/03(土) 22:54:39
ここまで解明できたところで、今度は「つとむは私のMKイザク」と出てくる宮崎勤のアナグラムと米軍CIAのマインドコントロールについて考えて見ましょう。
事件当時、リクルート事件もありましたが、政治的に重大なことが起きると、そちらに国民の疑惑の目を向けさせないために、凶悪犯罪が突如おきたりするのが、これまでの通例ですが、メーソンの得意とするやり方でしょう。
一連のアナグラムで米軍CIA関与を疑わせるのはこのMKウルトラを示唆する言葉、座間、そして「横須賀、反対、敵見る、政務」です。
「誘拐命令いつも公安さ」とあざ笑いながら、MKウルトラマインドコントロールの成果も見てみろ、とあざ笑っているようですが、宮崎勤と米軍CIAがどうつながるのでしょう。
この福生市のサイトの下の地図を見てください。彼の生家のあきる野市小和田は福生の横田基地と目と鼻の先。日米フリーメーソンの合作でMKウルトラマインドコントロールをやったのでしょう。
[URL]
『このように、横田基地は西太平洋地域における空輸の軸として、配送の拠点となり米国から大型輸送機による物資の中継基地として、日本国内外にある米軍基地等に配送を行っている。なお、横田基地には在日米軍司令部と第5空軍司令部が置かれている。』
[URL]
横田基地ホームページ
[URL]
[URL]
476:沙羅
07/11/03(土) 20:09:38
浜尾バチカン枢機卿の人脈をたどると、東大総長だった加藤弘之が西周に行き着きますが、日本のフリーメーソンの東京グランドロッジで最初のフリーメーソンの一人として紹介されています。
要するに、曽祖父の代から代々フリーメーソン一家だったのではないでしょうか。
『江戸の飾り白菊消せ』とか『帝国の秘密、闇栄える』と不気味に哄笑している人々の姿が見えるように思いますね。玄洋社からバチカンからフリーメーソンまで、全部をつなげると皇太子の教育係にまでつながってしまうのですね。
『誘拐命令、いつも公安さ』と書かれた以上、そういうことがばれないように、公安警察も必死で帝国の秘密のトップの意向を汲んで証拠隠滅に犯人でっち上げ。宮崎勤は真犯人ではない!
加藤弘之(Wikiより)
1836年8月5日(天保7年6月23日) - 1916年(大正5年)2月9日)は日本の武士・出石藩士、政治学者。男爵。福沢諭吉、森有礼、西周、中村正直、西村茂樹、津田真道らと、明六社を結成。
はじめは啓蒙思想の傾向が強かったが、後に社会進化論の立場をとるに至った。終生唯物論者であった。
西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日)) は江戸時代後期の幕末から明治初期の啓蒙家、教育者である。江戸幕府将軍徳川慶喜の政治顧問、明治の貴族院議員。男爵。勲一等瑞宝章(1897年)。獨逸学協会学校(現在の獨協学園)の初代校長。周助とも言う。
石見国津和野藩(現、島根県津和野町)の御典医の家柄。父は西時義。川向いには、森鴎外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。
漢学の素養を身につける他、1841年(天保12)に養老館で蘭学を学んだ。1862年(文久2)には幕命で津田真道榎本武揚らとともにオランダ留学し、フィセリングに法学を、またカント哲学、経済学、国際法などを学ぶ。このとき、フリーメイソンに入会、その署名文書はライデン大学に現存する。1865年(慶応元)に帰国した後は、大政奉還前後においては、徳川慶喜の政治顧問をつとめ、1868年(明治元)、幕府の沼津兵学校初代校長に就任。1870年(明治3)、明治政府の兵部省に入り、以後、文部省、宮内省などの官僚の歴任。軍人勅諭、軍人訓戒の起草に関係する等、軍政の整備とその精神の確立につとめた。 また、1873年(明治7)には森有礼・福澤諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹・津田真道らと明六社を結成し、翌年から機関紙『明六雑誌』を発行。西洋哲学の翻訳・紹介等、哲学の基礎を築くことに尽力した。 東京学士会院[1](現在の日本学士院)第2代及び第4代会長[2]、獨逸学協会学校の初代校長を務めた。1890年(明治23)には貴族院議員となる。1897年に死去、享年68。
475:沙羅
07/11/03(土) 19:37:58
上記の引用記事は長いのですが、入間基地に関しての言及もあるので、この部分を記録しておきたいと思います。
====
ここで真犯人捜しのヒントになるのは、事件の起こった場所である。今野真理ちゃ
んは入間市で、吉沢正美ちゃんは飯能市で、難波絵里香ちゃんは川越市で、それぞれ
誘拐されている。飯能市、入間市、川越市は国道299号、国道16号で結ばれてい
るが、その中間に当たる狭山市には、航空自衛隊入間基地が存在している。そして「今
田勇子」名の「犯行声明」は東京都青梅市内で投函され、「告白文」は東京都武蔵村
山市、西多摩郡瑞穂町の多摩地区で投函された。青梅市の南東、東京都福生市から西
多摩郡瑞穂町にかけて、700ヘクタ-ル(東京ド-ムの約150倍)もの敷地を占
めて、米軍のアジア太平洋戦略を支える中枢基地である米空軍「横田基地」が存在し
ている。だが、東京都江東区で起きた野本綾子ちゃん誘拐の件はどうなのか。この一
件だけ埼玉県ではなく、東京都で起きている。
有賀氏によると、江東区越中島には昔、防衛庁の庁舎が置かれていたという。そし
て、綾子ちゃんが行方不明になった江東区東雲からは高速湾岸線が千葉県船橋市へと
伸びていて、船橋市には陸上自衛隊習志野駐屯地が存在しているという。
こうして有賀氏の頭の中で、オウム真理教関連事件と幼女連続誘拐殺人事件と自衛
隊が結びつくのである。その推論過程は、事件の起こった場所の近くに自衛隊の基地
がある、だから両者の間に因果関係があるに違いない、だとすると自衛隊内部に新犯
人がいると思われるというものであった。
さてオウム真理教関連事件についてはこれぐらいにして、幼女連続誘拐殺人事件へ
と話を移そう。まず有賀氏の指摘する埼玉県の入間市、飯能市、川越市といった隣接
した地域について調べてみよう。この地域の在日X人関連事業は狭山陸軍飛行場建設
である。では綾子ちゃんが行方不明になった東京都江東区には何があるのか。ここに
は枝川のX人タウンがある。枝川には東京の数少ない在日X人集住地があることで知
られている。この江東区を舞台に、確かに奇妙な犯罪が頻発している。
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