平成9年度入学式4500人が新たな学友に
デジタルとアナログを融合工学部、岩田教授ら
4000人の門出学位記授与式
本学生交通事故多発
本学入試合格発表
マンションの連立部屋余り深刻化
旧理学部保存を議論
コラム「天路歴程」教育について
主張・人生を賭けた生き方をしよう

特集・大学紛争を振り返る


平成9年度入学式


4500人が新たな学友に

 本学の九七年度入学式が、四月八日に東広島運動公園体育館で行われた。十一学部三千九十三人、二専攻課二十六人、修士課程千六十六人、博士課程三百十八人の計四千五百三人が入学。式の後は、オリエンテーション、サークル紹介などが行われた。また、会場の外では、各サークルが新入生勧誘を始めていた。

 晴天に恵まれた中、入学式は午前十一時から始まった。原田学長は入学許可宣言の後、訓辞で、「皆さんは厳しい受験戦争を終えて入学しました。これからは次の目標を立てなければなりません。・・自分が「好きな学問」または「一生かけて歩む方向」を見つければ、皆さんは人生の目標に向かって歩き続ける自信を持つことができるでしょう」と語った。

 式は午前中で終わり、昼食をはさんで、大学生活のオリエンテーション、交通安全、悪徳商法、エイズ、飲酒等の注意などが行われた。その後は、各サークルの紹介が夕方まで行われた。

 会場の外では、各サークルの学生が詰めかけており、ビラ配りをしたり活動の実演を見せたりして、さっそく新入生勧誘を始めていた。




工学部、岩田教授ら


デジタルとアナログの利点を融合

 コンピューターの基本回路にアナログとデジタルの情報処理を融合させることに、本学工学部・岩田穆(いわた・あつし)教授と永田真(ながた・まこと)助手が、世界で始めて成功した。

 デジタルは速く正確に情報を伝達することができ、アナログはあいまいな情報の処理に効果を発揮するとされている。この現行のデジタル計算機に、アナログの情報処理方式をうまく融合させたわけである。

 情報を0と1の組み合わせで伝えるデジタル式のパルス(振動信号)に、波の形や幅で伝えるアナログ情報を融合させることで、アナログ情報をパルス幅で表現できるようにし、現在のデジタル計算機では不得意な多数の情報の同時処理を少数のトランジスターと極低エネルギーで実現する新しい回路を開発したことになる。今後、文字、図形、顔などのパターン認識、ロボットの視覚などへの応用が期待されている。

 研究成果は二月六日から三日間、サンフランシスコで開催された国際固体回路会議(ISSCC)で発表された。



平成8年度・学位記授与式


4000人を送り出す

 三月二十五日午前十一時から、東広島運動公園体育館で、本学の平成八年度学位授与式が行われた。

 学部卒業生三千名、専攻科修了生三十六名、大学院博士課程前期及び修士課程の修了生九百七十一名の計四千七名が本学を卒業した。

 式では、先ず卒業証書と修了証書の授与が行われたが、学部生代表として青戸一司さん(歯学部)、院生代表としてマレーシア人留学生の鄭建興(テイ・ケンヘン)さん(教育学研究科)が、それぞれ原田学長から証書を受け取った。

 続いての学長告辞で、原田学長は、新しい仕事に入ったときに自分に問いかけ、自分は何が好きなのかを見極め、継続し育て、そうして専門性を高めていける、また好きな通じて目標を高く設定することが「志を高く持つ」ということに通じる。二十一世紀は「個人の時代」だと思う。個々人の高い志が社会を動かす時代に入ったが、感性を磨き、鋭い直感力と、動じない平常心を身に付けて欲しい、という内容を語り激励した。

 在校生総代送辞の後、卒業生代表大坪博司一さん(学校教育学部)は、どんな困難にも立ち向かい、課せられた責務を果たしたいと謝辞を述べた。

 東雲のパストラールらが中心となって、「あおげばとうとし」や大学歌の斉唱があったが、涙する卒業生も見られた。

 長引く不況の影響で就職率は、学部卒業生で七七・一%、修士課程修了者でで八五・四%と、昨年よりさらに低下している。

 三月二十六日には大学会館大集会室で博士学位記授与式が行われ、百九十三名に博士学位記が授与された。



本学生、交通事故など多発

 三月六日午前十一時三十五分ごろ、東広島市西条町寺家の県道わきの用水路で、広島大法学部二年生の上原啓さん(二〇)が自転車ごと落ちて死んでいるのが発見された。

 西条署の調べでは、自転車で路側帯を走っていて用水路に転落。頭を強く打って水死したものとみている。現場は、県道が用水路と交差する地点で、路側帯が突然なくなっている。上原さんがライトをつけていなかった過失はあるものの、転落を防止するための安全施設が、何も設置されてなかったのが主な原因とみている。このため西条署は市にガードレールなどを設置するよう指導、大学側も市に強く要請した。

 三月二十二日には、本学工学部三年生(男性・二二)運転の乗用車と、土地家屋調査士福岡弘さん(六六)運転のライトバンが衝突し、福岡さんと助手席の妻、鞠子さん(六〇)が死亡、本学生と、助手席の乗っていた工学部三年生(男性・二一)は軽傷という事故が起こった。

 四月十二日には、本学一年生菊池安希子さん(一八)のバイクと、タクシーが衝突し、菊池さんが頭を強く打って死亡するという事故があった。西条署は双方が安全確認を怠ったと見ている。

 西条署管内では今年に入ってから交通死亡事故が多発しており、同署は交差点での監視、道路の点検などを行い、市民に注意を呼びかけている。また学生が関係している事故が比較的多く、新入生オリエンテーションなどでも十分な注意を呼びかけた。



本学入試合格発表


県内入学者20%切る

 本学の前期入試合格者発表が三月七日、東広島キャンパスと霞キャンパスのそれぞれの学部の玄関口で行われた。正午、事務員が合格者名を貼りだした掲示板を、持ち出して玄関に設置すると、周辺で待機していた受験生や父兄らが集まり、名前を捜した。

 全十一学部(募集定員二千三十二人)で二千三百四十八人が合格、実質平均競争率は二・五倍(昨年二・四倍)。合格者のうち現役千七百八十三人(七五・九%)に対し、浪人は五百六十五人(二四・一%)。また出身県では広島県内が四百六十八人(一九・九%)で始めて二〇%を割り、県外合格者が千八百八十人(八〇・一%)となった。

 合格者は当日からさっそく生協の下宿紹介コーナーを訪れ、下見などを始めた。アメリカンフットボール部などは合格者を胴上げするなどのサービスを行うとともに、さっそく勧誘を始めていた。

 後期試験は三月十五日に行われ、千五百十四人が受験。競争率は二・九倍で、合格発表は二十二日に行われた。



部屋余り深刻化


値段は下がるが、一部の所有者には危機

 本学周辺の学生アパートの部屋余りが深刻化している。もともと昨年の時点で、学生下宿一万三千七百室に対し、本学生一万五千五百人中の東広島市内での下宿居住者一万二千三百人と、近畿大学工学部の学生居住者で、ほぼ需給のバランスは取れていた。

 しかし今年度から、市中心部の便利な場所に学生マンションが連立。既存アパートは大きな打撃を受け、空き室もかなりでき、値下げなどで対応している。既存アパートの所有者には、長期で大規模のローンを組んで建設した農家も多く、問題は深刻。もともと既存アパートの所有者は、市の要望と奨励金を受けて建築したといういきさつもあり、行政の見通しに対する甘さを指摘する声も上がっている。



旧理学部の保存を協議

 本学東千田キャンパスの跡地に残る被爆建物、旧理学部一号館の保存と、被爆地広島の役割を考えるシンポジウムが二十日、中区千田町の市社会福祉センターで開かれ、竹山晴夫元学長らが同館の保存の重要性を訴えた。

 「原爆遺跡過去から未来へ」と題した討論会は、「広島文理科大学を保存する会」(会長・川村智治郎元学長)など三団体が呼びかけ、約二百人が参加した。竹山元学長は旧一号館で実験中に被爆した体験や、ポーランド・アウシュビッツ国立博物館を訪れた感想を交えて講演。続くパネル討議では、物理学者の沢田昭二名古屋大名誉教授が放射線被爆の影響を解明するうえでの、被爆当時の様子をとどめる旧一号館の保存の意義を訴えた。本学で日本史・現代史を学んだ安仁屋政昭沖縄国際大教授はアジア・太平洋という広い視点をも備えた歴史、平和教育の資料館としての活用を呼び掛けた。

 同館は、一九三一年に広島文理科大として建築され被曝。外観を残して全焼したが、九一年に理学部が移転するまで、校舎として使われた。



コラム「天路歴程」


本来の教育

 

宮崎勤に死刑の判決が出た。彼の社会的存在はとんでもないものとなってしまったが、本心としての彼の自己存在(それはほとんど彼の意識に達することなく、深く沈んでいたが)を思ってみるとき、彼は本当にかわいそうである。彼の親子関係は社会的には普通であったとしても、内面的には本来結ぶべきものを結べなかったのだろう

ペスタロッチーの教育思想の結論の一つは「幼児と母の自然な関係が、ひらき現す自我発達の根本的特徴の中に、創造主に対する人類の帰依に特有な情調の感性の萌芽とその本質が完全に宿っていること」である。要するに母子関係を通じて、子を神との関係へつなげることが、教育の目的としたわけである(『ペスタロッチ全集8』「ゲルトルートは如何にその子を教えるか」平凡社)。神との関係というと難しいが、言葉を変えれば、存在することへの驚き、感動、を知るということである。実存哲学者ヤスパースに言わせれば「存在意識の変革」ということであり(世界の名著・ヤスパース・マルセル)、神秘家M・ブーバー流に言えば、私と世界との関係が「我ーそれ」から「我ー汝」になるということであり(「我と汝・対話」岩波文庫)、使徒パウロによれば、「罪の法則」に対する「神の律法」を発見するということである(ロマ書7・22)

この二つの存在意識は、全く異なったものであり、そこには弁証法的な飛躍がある。そしてハッキリ言って、人類はそれが分かる人、分からない人の二種類に大別することができるほどである。それを気付かせるのが本来の教育ではないか。


主張

人生を賭けた生き方をしよう


広大生には良い子ちゃんが多い

 自分の力で、考え、立つ。とにかく、本学保健管理センターでカウンセラーをされている方に聞いてみると、広大生には、親から期待されて「良い子」ちゃんで育った人が多いらしい。それで、親の期待を裏切れない。周囲、社会の期待、を裏切れないという保守的な人が多いらしい。

 実際、主体性がなく、保守的な人によく出会う。悩み事といえば、人間関係のことで、楽しく仲良く、うまくつき合うにはどうしたらいいかとか。あるいは、とっぴな行動をすれば自分の殻を破ることになるのではないかと勘違いし、うわべだけの大胆な行動やバカ騒ぎをしたりする。

 言うまでもないことだが、とっぴな行動をするのを踏みとどまることが保守的なのではない。本当は自分自身でないもの(自分の付帯物)を、自分自身と勘違いし、必要以上にそれを守っている、そういう生き方を保守的というのである。


テーマは「生き方」

 しかし、なぜここ二十年、そういう傾向が特に強まってきたのか。大学紛争までの時期と、その後の虚無・あいまい意識が一般化した時代とを比較してみると、昔は危機感があった。「存在の危機感の欠如」は、この変化の大きな原因だろう。

 過去の時代においては、生活上の厳しい環境、幕末から六〇年代までの思想的混乱、あるいはその危機的状況の中での、親子友人教官らとの(愛であれ憎しみであれ)深い人間関係、それらが、おそらく、存在するとこの根本的な問題意識、人間関係の本質を見つめる鋭い目などを養ったのだろう。

 問題なく過ぎ去っていこうと思えば、簡単に過ぎ去っていけるこの時代。環境が否応なしに、個人の実存的意識を追いつめるということがないこの時代。昔は被害的に自己存在を研鑽する必要に迫られたが、現在は、より主体的な姿勢が必要になってきている。

 今も昔も、問うべき問題は、生き方にまつわる問題である。あるいは、最も根本的な問い、すなわち、生存している、存在しているということの意味の問いである。しかし、こういう問題は、同年代で同質の精神的貧困を抱える友人たちとの交わりだけでは解決しがたいのである。


過去から多くを学ぶ

 古典から学び取るか、あるいは優秀な教師から実体としてに学ぶか、などしないとどうにもならない。だからまず古典を読もう。友人関係が苦手という人も、存在にまつわる深い、根本的な思想に触れて、自分の悩みというのが、いかにつまらないことかに気付いて問題が解決するということもあるだろう。

 現代に生きる他者との交わりも、もちろん重要である。しかし、表面的な、なれ合いの関係、あるいは単なるフィーリング上の好き同士の関係にすぎないならば、そういう関係は大切にする値打ちは一つもない。必要とあらば一端、切らなければならない。

 人間は、実存的に、真理によって独立している孤立的存在であり、その孤独を引き受けなければならない。そして実存的意識、あるいは真の愛によって、他者の存在を存在の根底から見つめる。そうして他者と真の交わりを結ぶその都度こそが、存在の目的であり、存在意味の確認となるのではないか。


全体把握を努め自分で考える

 決して表面的な、風説や、自分なりのフィーリングで他者を嫌ったり、批判したりすべきではない。広範な判断材料による、真摯な吟味が必要だ。『聖書』を読まずしてキリスト教をうんぬんする資格はないし、『資本論』を読んでもいない者に、学内で活動する左翼を批判する資格はない。

 とにかく自分で考える。単に鵜呑みにした学説や、うわさ、周りから単に大衆心理的に影響を受けた考え方、そういうものに基づいて生きていくならばそれは生きているとは言えるだろうか。真に生きようとするならば、自分自身で学び、経験したものを材料として、自分自身で考え、吟味して一つ一つつかみとったものに基づいて生きていくしかないのではないか。

 そして幅広い知識と思考の訓練から、真の良識を身に付けよう。やたら何でも怖がって近寄らないのは、世界に対する全体的把握が欠如しているからである。

 人生において、決定的な失敗というようなものは、実存的には、そもそもあり得ないのである。その時その時の生き方が問題であり、真の交わりこそが本質的目的であるならば、どんな場合でも、いつでも、やり直しは利くのである。死さえも、決定的な喪失ではない。

 恐れずに、人生を賭けた生き方をしていこう。(T.F)


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