宮崎勤事件
─塗り潰されたシナリオ─


目次

第一章 秘 密
第二章 孤 立
第三章 相 剋
第四章 冷 血
第五章 防 衛
第六章 宝 物
第七章 主 役
文庫版のあとがき
資料編(知人への手紙、犯行声明、上申書、年表、関連地図など)

第一章 秘 密

“作り上げられた”犯罪?!


「とにかく、あの事件はショックの連続で、今でも記憶が鮮明に残っているというか、頭の中にこびりついて離れないんだ。当時、私の立場(警察官僚)としては、(昭和)天皇陛下のご病状が悪くなられ、その対応策に追われていた。もし、万が一のことがあれば、世の中が激動し、何が起こるか分からなかったためだ。あの事件は政治、思想とは無関係だったが、そういう緊張感の中にあったせいか、何か“時代が変わった”と感じさせるものがあった」
 二〇〇一年一月、A氏はそう切り出した。
 A氏は長年、警察庁に籍を置き、幾つもの名だたる事件の捜査に関わってきた人物である。
 そんな百戦錬磨のA氏がしみじみと述懐する「あの事件」とは、一九八八年から八九年にかけて、埼玉県と東京都で四人の幼女が相次いで誘拐、殺害された警察庁広域重要指定一一七号「連続幼女誘拐殺人事件」(以下、宮崎事件と呼ぶ)のことである。
 この事件では八九年七月、東京都西多摩郡五日市町(現在のあきる野市)の印刷業手伝い、宮崎勤容疑者(二十六歳)=年齢は事件当時、以下同じ=が逮捕され、九七年四月に、東京地裁から死刑判決が言い渡されている。宮崎被告側は控訴したが、東京高裁は二〇〇一年六月二十八日、一審判決を支持、控訴棄却を言い渡した(宮崎被告は上告した)。
 二十年余の事件取材経験から言えば、通常の事件は犯人が捕まって、起訴されれば“一件落着”となる。逮捕後の取り調べで全面否認や完全黙秘したり、公判で警察での供述を翻し、無罪を主張して争うケースはあるが、日本の検察当局が起訴した事件の九九パーセントに有罪判決が出ているのが現状だ。
 まして、宮崎被告の場合は犯行を自供し、その供述に基づき被害者の遺体が発見されている。弁護側も事実関係を争っておらず、精神鑑定による犯行時の責任能力をめぐる論争はあっても、一般的に、少なくとも犯罪報道の観点では「もはや終わった事件」と言っていいだろう。
 ところが、この事件は未だに、宮崎被告がなぜ、四人もの幼女を殺したのか――という肝心の犯行動機がはっきりと見えて来ない。つまり、宮崎事件は私の中では未解決事件なのだ。
 私はその答えを求めて取材を続け、真相に繋がるヒントを得たくて、A氏のもとに十年以上も通い続けたが、彼はこれまで、事件について何も語ろうとはしなかった。そのA氏がようやく重たい口を開いたのだが、漏れ出たのは意外な言葉だった。
「宮崎という男は、犯罪者としては決して、特異な人間ではなかった。それに、連続殺人犯が持っている、ある種独特の“匂い”も、全く感じられなかったしね。彼の現在の様子は知らないが、少なくとも逮捕当時は、どこにでもいるような、孤独で人付き合いの下手な若者の一人でしかなかったよ。あの事件は、そんな“ごくありふれた人間による普通の犯罪”だったんだ」

 宮崎事件は八八年八月二十二日、埼玉県入間市の設備設計会社社長、今野茂之さん(四十七歳)の二女で幼稚園児の真理ちゃん(四歳)が「友達の家に遊びに行く」と言い残し、自宅を出たまま行方不明になったことから始まった(以下、真理ちゃん事件と呼ぶ)。
 約一か月半後の十月三日に、同県飯能市の運転手、吉澤幸一さん(四十歳)の二女で小学一年の正美ちゃん(七歳)が、さらに十二月九日には、同県川越市の会社員、難波伸一さん(三十五歳)の長女で幼稚園児の絵梨香ちゃん(四歳)が自宅付近で相次いで失踪した(以下、正美ちゃん事件、絵梨香ちゃん事件と呼ぶ)。
 十二月十五日、飯能市から北西へ約二十キロ離れた同県名栗村の横瀬川河川敷で、女児の衣類や靴などが見つかり、飯能署員ら約百人が付近を捜索したところ、県立名栗少年自然の家の南東約五十メートルの雑木林で、絵梨香ちゃんの遺体を発見した。
 埼玉県警では大がかりな捜索活動を行ったり、再犯防止のために警戒を強化したほか、連続幼女誘拐殺人事件の可能性も視野に入れて、県警挙げての広範囲にわたる捜査を展開した。が、犯人はまるで警察当局をあざ笑うかのように、“挑戦状”を突きつけてきたのである。
 翌八九年二月六日、今野さん宅玄関前に不審な段ボール箱が置かれ、中には細かく砕かれ、焼かれた人骨片などが敷きつめられていた。また、その上には、ワープロで打たれた《真理、遺骨、焼、証明、鑑定》の文字をコピーしたB5判の紙と、ピンク色ショートパンツなどを写したインスタント写真が乗せられており、ショートパンツに付けられたテニスラケットのマークなどから、真理ちゃんが失踪時に着用していたものと同一と分かった。
 県警が段ボール箱に入っていた人骨片のうち乳歯三本、永久歯七本の計十本の歯を東京歯科大で鑑定した結果、一度は真理ちゃんのものではないと発表(後に本人と断定)した。犯人はこれに反発するかのように二月、今野さん宅と朝日新聞東京本社宛に、「今田勇子」名の犯行声明文と真理ちゃんのインスタント写真を郵送。三月にも同じく今野さん宅と朝日新聞東京本社に、「今田勇子」名の告白文を送り付けている。
 子供のいない女性を名乗り、犯行を物語風に解説するといった犯行声明文や告白文の内容にショックを受け、事件の拡大や凶悪化を懸念した警察庁は、警視庁にも捜査本部を設置させ、埼玉県警と共同捜査に当たるように指示したが、不幸にも、この予想は早々と的中した。
 六月六日、今度は東京都江東区東雲の会社員、野本義一さん(三十七歳)の長女で保育園児の綾子ちゃん(五歳)が姿を消し、五日後、飯能市の宮沢湖霊園で、頭部と両手足を切断された全裸死体で見つかったのである(以下、綾子ちゃん事件と呼ぶ)。
 この猟奇性を帯びた連続幼女誘拐殺人事件に、マスコミは激しい報道合戦を展開した。精神科医や社会評論家といった“専門家”たちが連日、テレビのワイドショーなどに登場しては、さまざまな犯人像を描き出すなど、巷の話題はこの事件一色となった。
 因みに、それらの犯人像の中で最も多かったのが、映画『羊たちの沈黙』で、名優アンソニー・ホプキンスが演じたような“狂気と怪しげな魅力を持った中年男”だったが、真犯人は意外にも二十六歳の若者で、それも予想外の形で捕まった。
 七月二十三日、八王子市内で小学一年の女児(六歳)を全裸にして写真を撮っていた男が、被害者の父親に見つかって、通報で駆けつけた八王子署員に強制猥褻の現行犯で逮捕された(以下、八王子事件と呼ぶ)。
 その男が宮崎勤被告であった。
 東京地検八王子支部は八月七日、宮崎被告を猥褻誘拐、強制猥褻罪で起訴。その二日後に、宮崎被告は綾子ちゃん殺害を自供し、翌十日、自供通り奥多摩町の山中で、綾子ちゃんの頭蓋骨が発見された。
 彼は当初、真理ちゃんら他の三人の事件との関連については否定していたが、綾子ちゃん事件の捜査本部がある深川署に身柄を移して厳しく取り調べたところ、十三、十四両日、真理ちゃんと絵梨香ちゃんの殺害を認める上申書を深川署長宛に提出。九月五日には、正美ちゃん殺害についても犯行を自供し、翌六日、五日市町の山林で、正美ちゃんの白骨死体が見つかった。
 八日には、埼玉県警が真理ちゃん事件で宮崎被告を再逮捕し、十三日には五日市町の山林で、真理ちゃんの手足の骨を発見している。
 東京地検は、宮崎被告の「性的欲望を満たすため犯行に及んだ」という自供内容や、彼の部屋から幼女の死体を写したビデオを押収したことなどから、八月二十四日、嘱託の精神科医による簡易精神鑑定(以下、簡易鑑定と呼ぶ)を行った。そして、《情緒欠如はあるが、事件当時は判断能力はあった》との結果を得て、未成年者誘拐、殺人、死体遺棄、死体損壊罪で起訴したのである。
 この事件のいったい、どこが“普通の犯罪”だと言うのだろうか。
 何の落ち度も関係もない四人の幼女をさらって、その日のうちに殺害したうえ、死体をバラバラにした男が、“ありふれた人間”ということはないだろう。
 第一、検察側は論告で、宮崎被告の犯行について「弁護人の主張を待つまでもなく、異常かつ残忍なものではある」と認めているではないか。
 だが、A氏はこう言った。
「もちろん、宮崎のやったことは異常そのものだ。ただ、マスコミの過剰報道で世間が異様な盛り上がりを見せ、『異常者・宮崎』のイメージが実体以上に膨らんでいったことは否めないだろう。事件は途中から完全に独り歩きを始め、弁護側が精神病による犯行を主張したこともあって、ますますエスカレートしてしまった。しかし……もし、そうした動きが自然に沸き上がってきたものではなかったとしたら、どうだろうか。私がどうしても、あの事件を忘れられないのは、実は、宮崎の犯罪や彼自身のイメージが“作り上げられたもの”、つまり、虚像でしかなかったからなんだ」

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