2008年6月16日 (月曜日)

かわいいサイボーグ

かわいいサイボーグ

先週、札幌での法話ライブの帰りに、実は見に行ってしまった映画「僕の彼女はサイボーグ」

ま、恥ずかしながら私、綾瀬はるかのファンなので、ホントに良かったです、ハイ。(またこういうネタを書くと、ツッコミを入れられるのが恥ずかしい)

ストーリーとして、「時空を超える」という展開が好きなんです。見終わった後にストーリーを反芻しながらじわじわ余韻に浸れるから。
過去のあのシーンは未来の彼女がやって来て、それは未来の更に未来にいる彼女が今の彼に恋をしたからで…
なんて色々考えていると、時間的に辻褄が合わない部分が残り、もどかしくなって、その不思議さが時空を越えているから、また考えこんでしまったりして(笑)

しかも、綾瀬はるかの可愛さがスクリーンいっぱいに拡がるので、はい、私としては最高の映画でした。(またこういう事を書くと、ツッコミを入れられる…)

で、本屋で買うのは恥ずかしいから、ネットでこの映画のメイキング本や公式ガイドブックを注文し、それが今日届いたのでした。(またこういう事を書くと……)
ついでに、やがてこの映画がDVDになったら欲しいっす。

あと、この秋に公開になる綾瀬はるか出演の時代劇映画「ICHI」も楽しみダス。(http://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/)

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私のための営み

あるお宅に月参りに行ったとき、いきなり奥さんがこう言った。

「お参りの方向が、逆だったんですね!」

何のことか分からず、よく話を聞いてみると、浄土真宗ではない他の宗派の親類のウチで法事があり、そこでみんなが話している内容を聞くと、

こうしなきゃ亡くなった人が浮かばれない、とか、

これをきちんとしないと供養にならない、とか、

亡くなった人のためにコレコレこういうことをしないとダメだ、とか・・・・

話の内容が、亡くなった人に対する事ばかり。 みんなそれぞれの長年の経験から培った「考え」を吟味点検することなく主張するから、話す内容がバラバラで、そこに「仏教の教え」はなかった、ということ。

で、奥さんは冒頭の言葉を言ったのである。

他宗派は「死んだ人のため」という方向性でお参りするけど、浄土真宗は「お参りの方向が、逆だったんですね!」と・・・。

つまり、浄土真宗の法事や法要すべては、この私が「教えに会う」ことがメインになっている。

いや、他の宗派だってそうなのだ。

お経はそもそも「お釈迦様の話した教え」が書き留められたもの。内容を紐解けば、「私のため」に書いてあるのだ。【般若心経】だって、この世のものの起こり方、存在の仕方を「空」と見つめて、自分の枠(執着)から解放された人生の歩みを教えている・・・亡くなった人に子守唄みたいに聞かせるものではなく、この私が聞き、学び、会わなければならない内容が示されている。

でも、いつのまにか、自分不在の、いや、自分が不在じゃなくても、自分の都合を守るために死者を供養する為の仏事に傾いてしまった。

いや、僕はこの「供養」という言葉も嫌い。その「供養」というキーワードを簡単に言いすぎることで、誤魔化していることが多く感じる。

まず、

私にとって、いま、今日、現在、ここで、亡くなった人(先祖)は、どのような「存在」となっているのか?その1点を問うてみるのだ。

(A)法事や「供養」を忘れたり、怠ったりしたら、我々に何か「災い・不幸」をもたらしてくる「悪霊・怨霊」の類(たぐい)なのか?

(B)私に先立って「命」を教えてくれる「仏(先生)」なのか?

・・・・・こう尋ねると、「もちろん(B)。「仏さま」です」と答えるだろう。

しかし、たまたま災難・不幸が続き、インチキ占い師に見てもらい、その不幸の原因が「先祖じゃ!!!」・・・・な~~~んて言われようものなら、血相を変えてお寺にやってくる人がいる。

不幸の矛先をすぐに「先祖」の責任に結びつけ、先祖を「悪霊」にしていることにも気付かずに。そう、教えの中身も、お寺にも何にも興味も示さない人が、法事の周り年になると、血相を変えて現れる。そして、週末は法事のオンパレードになる。

それでも、「法事」といっても、「教えに会う」ものではなく、

「はい、これで安心しました」

「親類への面目を保てました」

「これで天国から守ってもらえるね

・・・・大半はそんな反応でしかない。

いや、もちろん、法事というキッカケで滅多に会えなくなった遠方の親類一同が集まって、「お食事会」「懇親会」をする・・・というのも大事なことである。僕だって、親類一同で集まってワイワイと盛り上がってみたい。最近さびしいから・・・。(苦笑)

でもなぁ、僕は、

「亡き人をワルモノ」にして、それを鎮めるための「法事」として勤めようとしているニュアンスの人を見ると、つい言葉が喉まで出かかってしまう・・・・。

なにも、そんなに意固地になって法事なんかしなくたって大丈夫だって。化けて出ないって。法事をしたってしなくたって、どっちだって、関係ないって。

極論を言えば、

亡くなった人が迷っているのではなく、生きている私たちが迷っているのだ!!

としっかりとおさえておけば、問題はクリアーになる。

  

何が言いたいか?

法事なんてしなくていい!

ということじゃない。

法事をするなら、仏教の「中味」も知ってください、ということ。

勝手に「仏教」を改編しないでください、ってこと。

  

親鸞様の言葉が収録された「歎異抄」第5章では

「親鸞は父母の孝養のためとて、一遍にても念仏まふしたることいまださふらはず」(訳・わたくし親鸞は、父さん母さんの追善供養の為に、1回も念仏を言ったことなど未だかつてありません)

と言われている。

この「念仏」という言葉を「法要」とか「法事」に置き換えてみてもいい。

浄土真宗の宗祖・親鸞聖人ご自身が「亡くなった人の為ではない!」とおっしゃっているのである。

そして、前にも紹介した本ですけど、

去年の5月、京都の本山の「住職修習」でご一緒した「ぐり♪さん」のお爺さまが、この第5章に対する「受け止め」を述べられている一節を紹介する。

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 どうかすると先に死んだ人のために追善供養をするように思うのが律儀のようである。ほんとうの習わしはそうではなく、先人の死によって自分が「死」を学びとることなのである。そうすれば死んだ人は私のために仏の使いとなって世の無情を教えてくれる尊い方となって拝まれよう。

 追善供養はむしろ私のための営みであった

  

※【高光一也著 『別冊ひとりふたり これでよかった ~私の歎異抄ノートより~』(昭和59年 法蔵館)P.22】

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2008年6月15日 (日曜日)

瞬間

 

 「瞬間」に押し寄せる感覚。

  

 恐怖も喜びも。

 怒りも愛しさも。

  

 その「瞬間」が、その後に続く「時間」の流れを導き出していく。

 

 ステキな「瞬間」が積み重なったらいいよね。心の天気模様もコロコロ変わるから(笑)。

 

 「食べる」のが好きだ。

 好きな人と「食事」をする時間が好きだ。

 何気ない会話の「瞬間」に、幸せな時間が流れていく。

 

 そう言えば、みのや師匠の歌の中にもあったフレーズ。

 懐かしいあの歌を、久しぶりに、口ずさんでみた。 

  

  ♪悲しみに閉ざした 胸のアルバム

   一緒の写真を 増やせばいいさ

   こぼれる陽射しに 窓を開けたら

   背中で初めて 呼び捨てにした

   

   しあわせの形は 見えないけれど

   きっと瞬間のものさ

   欲しいもの 全て簡単に

   手に入れることなんて 出来ないけれど 

   今のこの1秒が 嬉しいよ

   

   ・・・・・今の1秒前より 好きだよ♪   

      ☆みのや雅彦「これから」より

 

   

 胸の奥が、その「瞬間」、じゅん♪となった。

 

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2008年6月13日 (金曜日)

札幌・ホテルでの懇親会ライブ

ちょいとブログの更新をサボってしまいました。また日常に戻って頑張っております。

10日(火)の夜、

札幌グランドホテルを会場にして行われた『東北連区 坊守研修会』。

その「懇親会」の席での

ワタクシ、BOSANソングライターKONOライブの模様を少しばかり。                                

Dsc00408

Dsc00411_4

   

ちなみに、「東北連区」とは、東京から北(新潟を含む)にあるお寺の坊守さん(住職の伴侶)が対象になった研修会で、今回は、札幌が会場になった訳です。

あと、横断幕には『2007年度』となっておりますが、我々の東本願寺は、なぜか6月が「年度末」である為、まだ2007年度(平成19年度)の行事という事であります。Dsc00406

    

約200人の参加者全員が、「お寺の奥さん」という、品があるような・・・、迫力があるような・・・・あたたかいような・・・・、身内に見守られているような・・・・、不思議な感覚の中でのステージでした。

これで、しばらくはライブの予定は入っていないので、自主トレに励みます(笑)。  

Dsc00405

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2008年6月10日 (火曜日)

オプション

 
 
坊守研修会の「余興ライブ」、無事終了。
 
 
やはりお寺の研修会だけあって8時にお開き。
 
さ、札幌の夜はまだ早い。
オプション。
たまにぁ、いいよね?

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2008年6月 9日 (月曜日)

ライブ衣装選び (ポイントは足袋)

  
久しぶりに落ち着いた夜。
少しゆったりした気分で「読書」ができるのがうれしい。
  
でも明日に札幌でのライブを控えている。
  
といっても、
本州や北海道のお寺の坊守さんが200人集合する研修会の懇親会の「余興」で30分ほど歌うもの。
  
前日の今夜は、最終の練習をしたり、ギターの弦を張り替えたり。
  
でもそれ以上に、「衣装」に悩む(笑)。
やはり研修会の席だから、派手な「私服」ではなく、「坊さんスタイル」にしよう。
  
  
  
*新しい「間衣」(上に着る黒い衣)を着よう。
*下には新しい「和服」を着よう。
*「帯」は先月通販で取り寄せたのにしよう。
*「サングラス」」は昔のカルヴァンクラインのにしよう。
*「輪袈裟」は先月買った新品のにしよう。
*「数珠」は愛知県のお寺サンから住職就任祝いにいただいたのにしよう。
  
  
でもなぁ、坊さんスタイルは衣装的に「遊ぶ」ところがないから……
  
*「足袋」は……… PPFMのタビックスにしよう!
 
  
派手かな?ま、客席から見えやしねーぜ(笑)
  
おっと!
そんなことより、俺よ。歌、大丈夫?

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2008年6月 7日 (土曜日)

検問だ!

本日の怒涛のスケジュールをなんとか無事に終えた。
  
疲れた。
  
でも、
やっぱり「法話ライブ」をした後には、自分が元気になっていたのが不思議だった。
  
  
お通夜の後、
ある「お祝い会」があり、洞爺湖へ車を走らせた。
  
  
洞爺湖サミットまであと1ヶ月。
  
 
色んな地方のナンバープレートの警察車両が来て、検問をしている。
そこを通るだけで緊張するの、なんでだろう〜〜〜〜〜♪(ふるっ!)
 

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