2008.06.16

《冬眠前のひとこと》私たちは一生懸命に作品を書いていきます!

「いい歳して、もうケンカ三昧は止めなさい。ケンカは専門家に任せなさい。いつまでも血の気が多くで困る。そのぶん稽古をしなさい。兄弟分と呼び合う同志が全国にいるなら、自分の組織をまとめて、稽古する事。後は一生懸命に仕事をしなさい。本を書きなさい…」
私の後見人を任じる「先生」の言葉はまさに「真理」を突いていると思った。私の仕事は編集制作会社代表として立派な「商品」を作り、物書きとしては相棒と一緒に素晴らしいルポルタージュを発表していく事。それに、いまだからこそ専念しなくてはいけない…確かにガキの頃の屈辱と怒りを弾みに今までやってきた私は「迎合」を嫌い「ナアナア」を拒否し、白黒はっきりさせないと気がますまない凶器(狂気)のような生き方をしてきた。
父親も、親戚同様の梁川も博徒だったから、そんな世界の空気もいつしか体に染みつき、訳の分からない魑魅魍魎が闊歩する格技空手界を、時にはそんな「背景」を武器にして生きてきた。
しかし、今の私たちが世話になる「先生」は格が違う。もういい加減、面倒は周囲の方々に任せて、敵を作らず、ケンカもせず、切った張ったから完全に足を洗い、本業に徹するべきなのだ。
そう「先生」に説教され、考えてみると、私はなんて突っ張った生き方をしてきたのか…。
あの矢沢永吉さんも日本武道館100回目のコンサートを達成した昨年以来、音楽から距離を置いて改めて自分自身をゆっくりと見つめ直すたに、今年は一切のコンサートを行わないという。私は常に切った張ったを繰り返してきたような気がする。疲れもした。


格技空手界で物書きをするのは実に困難だ。業界人として宣伝マンを演じ、太鼓持ちや風見鶏のような生き方をするならば、こんなに居心地のいい世界もないだろう。だが、一度ジャーナリスティックな志向を持ったならば、あらゆる組織・団体を敵に回す事になる。
だからこそ、私は自らの主張をかたちにするだけの目的で多くの敵を作ってきてしまった。勿論、互いに歩み寄る意志さえあれば幾つものトラブルも解決するとは思っている。
大道塾、新極真会、芦原会館…。
全て私から好んで敵対関係になった訳ではない。とはいえ、「売り言葉に買い言葉」というように、ちょっとしたボタンの掛け違いから憎み合うようになってしまった。正直、やりすぎた部分も認めなくてはならない。常にケンカ腰の性格が災いしたともいえるだろう。
だが、現在の結果は結果として受け入れなくてはならない。それをみな「先生」たちが肩代わりしてくれるという。「先生」が言うように、今後私たちは「ピストン堀口」や「力道山」「東声会会長・町井久之伝」などを書いていくつもりだ。全て「裏社会」または「闇社会」の中に入っていかなくては書けない難事業だ。その橋渡しを「先生」始め数名の実力者に依存している。
だからこそ、私たちは真っ当な「表」の世界にしがみつかなければならない。やっと格技空手界から離れたと思ったら「裏」の世界の幇間になっては元もこうもないのだ。中途半端な立場でいたら確実に向こうの世界に飲み込まれてしまう。
私たちはジャーナリスト、ルポルタージュ作家なのだ。それを忘れてケンカ云々は両刃の剣である。立ち位置を誤ってはならない。トラブルは全て後見人に委ねる。


ただひとつ。
A会館のH氏についてである。
彼から罵声を浴びせられてケンカを売られた云々から、泥沼に入っていった。しかし「先生」に私は言った。
「考えてみたら3年前、H氏は私にMailし、当時の会員制クラブ・コミュユケーションBOXの会員になり、そのシステムについて色々と協力をしてくれた。更に私が捜している昔のgirlfriend、Yについても四方八方手を尽くして動いてくれた。確かに自分が所属するA会館についてクーデター一歩前の計画を練ってはいたが、そこには先代の魂を守るという明白な大義名分があった。私は彼の一途さを十分に認めながらも、唯一、組織分裂を避けたいがために賛成をしなかった。だが、彼の基本的な主張には寸分の私欲も打算もなかった。そんな彼とコミュユケーションBOX内のつまらぬトラブルから自然と縁遠くなっていった。きっと彼は私に潰された鬱々とした思いをずっと心に秘めていたのだろう。それが今回、A会館との書籍を巡るトラブルをきっかけに私への遺恨が爆発したに違いない。しかし、私たちは極めて良好な信頼関係を築いていた。少なくとも3年前までは…。私には恩義もある。彼らが志向したクーデター紛いの行動にも明白な正義があった。そう思うと、彼に対する気持ちも変わってきた。電話では支離滅裂、揚げ足を取るだけの逃げ口上に終始していたH氏だが、それはまさに窮鼠猫を噛むに近い行動だったに違いない。Netでの彼の発言やイタズラ電話、怪文書のバラマキには許せないものもあったが、少なくとも今後、Net関係を含めあらゆる事で私に一切触れないという条件付きだが、私は彼といつの日か昔のような付き合いが出来る日を待ちたい。だからH氏には無干渉でいてほしい」
「そんな背景があったなら、もっと早く関係改善も出来たろうに…。もっとも彼の背後にもA会館がある以上、退けない部分もあったんだろう。H氏については見守っていくから、後は全て任せなさい」
「先生」の言葉がズシンと心に響いた。物書きとして、私たちは格技空手界とは比較にならない「世界」に足を踏み入れていかなければならない。ある人物への取材も、喫茶店やレストランでは刺客に狙われやすいから場所を考えよう…。そんな世界である。


しかし私たちは「大山倍達正伝」のための取材を通して、戦前から戦後の混乱期に清濁併せ呑みながら命を懸けて生き抜いてきた人たちの力強さに惹かれた。それがピストン堀口であり力道山であり町井久之であった。
まだまだ戦前戦後の日本社会は歴史の闇に閉ざされている。
偉大なる空手家・大山倍達が実は「建青(現在の民団)」の幹部であり、後の東声会会長の町井とともに「朝連(現在の朝鮮総連)」たちと血の抗争を演じていた事実は、物書きである私たちにとっても大いにショックだった。韓国民族研究家の間では有名な曹寧柱ではあるが、彼が空手家だったという事実を研究家たちは知らなかったという…。
私たちが追いたいテーマのひとつが戦前戦後の日本社会の実態である。その狂言回しとして、大山倍達がおり、力道山、ピストン堀口、町井久之がいるのである。
「先生」が言うように私たちに残された時間はない。2年に1冊書いても、私には60までに5冊程度しか書けないのだ。相棒の塚本も…。
もうトラブルは私たちの後見人や後援者に任せます。毒は毒を以て制すればいいのだ。私たちが毒を飲んでは物書きは務まらない。

一生懸命に作品を書いていきます。


(了)

samurai_mugen at 08:45 │clip!