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[E1947] 空しかった、そして憤った・・・周囲に対してに関連・・・
というより、とある独り言に対するレスである。
独り言に対してとやかく物申すこと自体“ナンセンス”かもしれない(まさに「おせっかい」か)、
だが、明らかに、私の意にそぐわない内容が随所にあるので、敢えて触れておきたい。
件の独り言記事には、コメント欄もトラックバック欄も無いので、仕方ない。
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>正義漢も一線を超えるとただのおせっかい
>正義漢の押し売り
明らかに間違っていることに対して、声を上げているに過ぎない。
「押し売り」って、いったい何なのか?
>自分の状況に不満を感じる時は「死」を覚悟する必要がある
今の世の中においては、そうかもしれない・・・
だが、本来そういうものではないと思う。
もとい、「自分の」状況ではないんだが・・・・
>なぜならば「常識」「良識」の尺度は十人十色
>自分にとっての不満は万人が不満に思っている訳ではない
今回の一件に照らし合わせれば、これは明らかなる間違い。
電車内で携帯電話を使用するのは、まずそれ自体がルール違反。
個人の「不満」云々で片付けられる問題ではない。
誰が見ても間違った行為、これに対して声をあげないことは、それを黙認すること、即ち肯定することと等しい。
>他人を注意する行為は、その人の行為を否定することになる
誤った行為をピンポイントで指摘することは、人間や人格を否定することとは異なる。
>自分の行為を否定されることに瞬間的に好意をもつ人は皆無である
間違ったことをしている以上、注意されるのは当然のこと。
それで腹を立てるのは、逆上以外の何者でもない。
正邪の違いは、歴然である。
昔は、他人の子供でも悪い事をしていれば注意するのが当たり前だった。
私自身、近所のおばあちゃんなどに、随分叱ってもらったものだ。
今では、他人の子供に一言何かを言ったら大変だ。
子供を取り巻く環境の大きな変化・・・
そうしたことが、前記事で触れたような、若者の悪行に直結しているように思う。
今の若者の多くは、「武装」している。
「武力」を行使した若者は、決まって「ムカついてたからだ」と言い訳する。
「武装」した若者は、現代社会における脅威だ。
彼らの行為が正しいか間違っているかは、自明の理である。
それこそ
>「常識」「良識」の尺度は十人十色
で片付けられるような問題ではない。
そして、
>最後まで責任をもつもりがないのであれば
>他人の行為を否定することはしない方がよい
もはや、そういう問題ではないと思う。
正しいことを「正しい」と、一人でも多くの人が語っていくこと以外に、解決の道は無いと、私は思う!
ましてや、声に出して行動せんとする人間をつかまえて「正義感」という言葉を使ってなじり、「小言幸兵衛」呼ばわりして批判するのは、いかがなものかと思うが。。。