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セラチア菌による院内感染の防止対策と収入・費用面へのインパクト


 ひとたび院内感染が発生すれば、患者の信頼を取り戻すのに相当な時間がかかる。とともに、収入面や対策費用面への影響も少なくない。大阪府堺市にある特定医療法人同仁会 耳原総合病院(病床数380床)もセラチア菌による院内感染の事故後、さまざまな安全対策が必要になるとともに、収入も減少した。すなわち、事故後1年間の感染対策にかかった費用は約8,600万円であったが、事故翌年の収入減は11.1億円にものぼった。そこで、その安全対策と費用の中味、事故前後の収支状況を紹介したい。

セラチア菌の猛威

 今から約2年前の2000年6月末。耳原総合病院において、短期間に同一病棟(呼吸器内科、呼吸器外科、眼科の混合病棟、46床)の3人の患者がセラチア菌による敗血症(血液中に細菌が侵入し、高熱や悪寒、発疹、ショック状態などの全身的な症状をきたした状態)で亡くなるという事故が発生した。院内感染を疑った同院は、比較的早い段階で国立感染症研究所や堺市保健所、マスコミなどに連絡。その後、専門調査班による調査が開始された。その3人の患者の経過は次のとおりだ。

院内感染の経過:
2000年 6月23日(金) A氏(70歳、男性、肺ガン手術後)発熱(38〜39度)
      6月26日(月) B氏(60歳、男性、肺ガン脳転移、化学療法と放射線治療中)
               発熱(39度)
      6月27日(火) C氏(82歳、女性、肺炎治療後退院準備中)発熱(40度)
      6月28日(水) C氏敗血症にて死亡
      6月30日(金) 同院から国立感染症研究所へ連絡、同院から堺市保健所へ連絡、
               堺市保健所による立ち入り調査
     7月 1日(土)  B氏敗血症にて死亡
               堺市保健所の専門調査班による調査開始
     7月 3日(月)   マスコミへ公表
     7月17日(月)  A氏敗血症にて死亡

「Cさんは発症した翌日に亡くなりました。その次の日には血液培養の結果、Cさんの血液からもセラチア菌が検出されたため、これは院内感染ではないかと強く疑ったのです」と、同院副院長で感染対策委員長でもある大田豊隆医師は当時を振り返る。

 その後、専門調査班による調査は約2ヶ月間にわたって行われた。その結果、3人の患者から検出されたセラチア菌のDNAなどが一致し、院内感染であった可能性が極めて高いと判断された。3人の患者はいずれも末梢静脈留置針・持続点滴や三方活栓からの注射や点滴の医療行為を受けていた。そのため、これらの医療器具などを介して血液中に菌が送り込まれた可能性が高いと考えられている。また、超音波ネブライザーなどを使用する呼吸器系の治療においても、感染の危険性が高いという指摘を受けた。
 
 ちなみに、セラチア菌とは常在菌の1種で、手術後や病気などで抵抗力の弱まった患者に感染すると急激な発熱や悪寒、腎不全などの重篤な症状(敗血症)を引き起こし、死亡率も高い細菌だ。水分さえあれば、比較的低温でも繁殖しやすいという特徴がある。同院が事故後に行った環境調査では、ナースステーション内のシンク付近でもセラチア菌が検出されたという。

機動力のある感染制御チームの発足

 このような事態を重く見た同院は、感染対策に乗り出した。まず、事態の拡大を防ぐため、新規の入院患者や手術などを一時的に停止(2000年7月3日〜8月16日まで)。同時に、事故以前から設置されていた「感染対策委員会」の機能を強化させた。具体的には、CDC(Centers for Disease Control and Prevention、米国疾病管理予防センター)の標準予防策などを参考に、各種の院内感染予防マニュアルを整備。全職員にそれらを徹底させるための学習会も行った。

 「以前から感染対策委員会が設置されていたとは言え、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)や結核が中心の対策でほとんど機能していませんでした。たとえ感染症が発見されたとしても、個々の患者に対応するにとどまり、病棟や病院全体の把握までは出来ていなかったのです。そこで、従来の感染対策委員会を意思決定機関と位置づけ、実践的な作業である感染対策の立案や実行、評価などは新たに設置した『感染制御チーム(ICT, Infection Control Team)』が行うことにしました。」(大田医師)
 
 このICTは医師や看護師、検査技師、薬剤師、事務員からなる8人をメンバーとして、2000年7月に発足。感染症が発生していないかどうかを確認するため、定期的な院内の巡回を開始した。

 「もし院内で感染症が疑われる患者がいた場合は、ICTが即座に院内の細菌検査室に検査を依頼します。万一、感染症が発生した場合には、細菌検査室から主治医とICTを通じて、関係先に速やかに連絡がいくような緊急報告システムも確立しました。ICTは患者の保菌状況を経過的に把握したり、適切な抗菌薬が使用されているかどうかなど、感染対策の実施状況を評価する役割(サーベイランスシステム)も担っています。」(大田医師)
 
 また、各病棟には「リンクナース」と呼ばれる感染対策担当の看護師を配置し、ICTと随時連携がとれるようにした。ICTは毎週1回ミーティングを実施し、リンクナースとの合同会議も毎月1回開催して、さまざまな情報交換や情報発信を行っている、という。

 
院内感染予防のための具体策

 他にも、専門調査班からの指摘や提言を参考に、同院では現実的に取組みが可能な対策を実施している。その内容を、事故以前と以後で比較したのが、表1である。

表1.耳原総合病院における院内感染予防対策

事故以前 事故以後
1.消毒薬の取り扱い
消毒用アルコールとして50%濃度のイソプロパノールを使用 消毒用アルコールとして 70%濃度のイソプロパノールを使用
酒精綿の入った消毒缶を週1回交換
(角綿とイソプロパノールは継ぎ足し使用)
酒精綿の入った消毒缶は24時間以内に交換
(継ぎ足し禁止、使い切り)
酒精綿を素手で取り出し 酒精綿を手袋またはピンセットで取り出し
2.点滴ラインの取り扱い
末梢静脈刺入部位を50%濃度のイソプロパノールで消毒 末梢静脈刺入部位を70%濃度のイソプロパノールとポピドンヨードで二重消毒
留置針の定期交換なし 留置針を3〜4日ごとに交換
留置針刺入部位をガーゼで被覆 留置針刺入部位を透明のドレッシング材(被覆材)で被覆、刺入部位の観察
三方活栓の輸液回路を使用し、ヘパリンロック* 閉鎖式の輸液回路を使用、ヘパリンロック原則禁止
素手で点滴や注射の準備 手洗い後、プラスチック手袋を着用し、速乾性の消毒薬を塗布後に点滴や注射の準備
3.超音波ネブライザーの取り扱い
多数の患者に超音波ネブライザーを使用
(各病棟で毎日十数人使用)
超音波ネブライザーの適応を厳密に精査
(各病棟で年間数人程度使用)
回路を塩化ベンザルコニウムで消毒 回路をより消毒性の高い次亜塩素酸ナトリウムで消毒
回路を自然乾燥 回路を熱風で強制乾燥
複数の患者で使い回し 1人1回ごとに洗浄、消毒して使用
 
*ヘパリンロック……輸液回路を一時的に外す際に、血管内留置カテーテル内の血栓閉塞を防ぐ目的でヘパリン(血液凝固阻止作用を持つ薬剤)を注入しておくこと。

 上記以外にも基本的な感染予防策として、手洗いを徹底したり、患者の血液や体液を扱う場合は手袋を着用するなど、看護師などのスタッフの手を介して菌が感染しないようにした。また、前述のようにナースステーション内のシンク付近でもセラチア菌が検出されたため、シンク内の掃除を十分に行い、感染源となる器具やチューブ類をナースステーションに持ち込まないように心がけた。つまり、清潔な区域とそうでない区域をはっきりと区分しようとした。

点滴や注射の準備をする際は、必ず手袋を着用して行っている。

院内感染による収支への影響


 
 これら努力の結果、2000年10月中旬には早々と成果が現れた。
 「事故後、全入院患者に対して行っていた保菌調査において、セラチア菌陽性者が激減した。MRSA陽性者も以前より約3割減少した。ナースステーションなどの環境調査でも、当初検出された場所を含めて、セラチア菌は一切検出されなかった。また、全医師を対象に感染症の標準的な診療法と抗生剤の適正な使用について学習会を開催したため、抗生剤の使用量も半減した。あの事故以降、これまでに血液から感染する外因性の血流感染は一切起こっていない」と、大田医師はきっぱり。

 ここでまず気になるのは、感染対策にかかった費用だ。事故後1年間の院内感染対策に関わるコストは、前年と比較して約2.8倍の7,299万円であった。その内訳は表2のとおりだ。中でも金額的に大きいのは、閉鎖式輸液回路の材料費と医療廃棄物処理料。輸液回路は従来使っていた三方活栓の約4倍の費用がかかっている。医療廃棄物は医療器具や材料などの使い回しを止めたために、増えている。また、院内感染対策の初期設備投資として1,331万円かかっており、前記と合計すると8,630万円にのぼる。

 だが、一方で減少した費用もある。全医師を対象に感染症の標準的な診療法と、抗生剤の適正な使用について学習会を開催したため、抗生剤の使用量は以前の3分の2以下に減った。その浮いた分の費用は、前年と比較して概算で2千万円程度になるという。

 次に収支への影響についてみると、事故後の2000年度の入院・外来収入は95億7千万円と、1999年度と比べて11億1千万円減少した(表3)。そのため2000年度の収支は法人全体で約3億7千万円の赤字となった。院内感染の影響で外来患者数が約15%減った事や、新規の入院患者を一時的に停止した影響などが大きかったためだ。
 ちなみに1999年度の収支は5億9千万円の黒字(表4)。また、2001年度の入院・外来収入合計も100億8千万円にとどまり、事故前に比べて約6億円少ない状況にある(表3)。

「この事故がなかったら、2000年度は約5億円の利益が出る予定だった。何より一番のロスは地域の皆さんの信頼を失墜した事。最近では外来患者数も元に戻りつつあるが、それでもまだ出産入院は少ない。影響は残っている。だから、感染対策は他人事ではなく、いつ起こってもおかしくないと考えて、費用をかけてでも対策を講じるべき。私達の経験を教訓として、他の医療機関も再発防止策にぜひ取り組んで欲しい」と、大田医師は語った。
耳原総合病院副院長 大田豊隆医師


表2.「院内感染対策に関わる事故後1年間のコスト(2000年7月〜2001年6月)」
1.医療材料 2,452万円 (前年比6倍)
手袋 514万円 (前年比12倍)
ハンドソープ 291万円 (前年比30倍)
閉鎖式輸液回路 1,144万円 (前年比4倍)
吸引カテーテル 172万円 (前年比2倍)
マスク 119万円
ペーパータオル 212万円
2.薬剤費 1,107万円 (前年比1.6倍)
消毒剤 1,053万円
その他 54万円
3.経費 3,540万円 (前年比2.5倍)
水道ガス使用料
(増加分)
668万円
医療廃棄物処理料 1,593万円 (前年比2倍)
その他 1,279万円
4.人件費(ICT活動費) 200万円
小計 7,299万円
初期設備投資
水道蛇口変更 650万円
備品 681万円
小計 1,331万円
合計 8,630万円

注:人件費(ICT活動費)は、ICTのメンバー(8人)の人件費をそれぞれ時給換算し、その活動にあてた時間を乗じて算出したもの。

表3.「医療法人同仁会における入院及び外来収入の事故前・事故後の推移」
                                       (単位:千円)
1999年度
(事故以前)
2000年度
(事故以後)
2001年度
入院収入 5,488,498 4,916,440 5,297,781
外来収入 5,192,194 4,655,678 4,783,230
入院・外来収入合計 10,680,692 9,572,118 10,081,011

表4.「医療法人同仁会における当期利益の事故前・事故後の推移」
                                       (単位:千円)
1999年度
(事故以前)
2000年度
(事故以後)
2001年度
当期利益 587,225 ▲373,173 272,865