Author:【アリス】と【ドードーとら】
【アリス】
自閉症の世界の探検家。
2人の自閉症児・者の母。
【ドードーとら】
自閉症の世界の案内役。
アスペルガー症候群の当事者。
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ここ数日のコメント欄でしているやり取りと重なる話。
最初に言っておくと、前にアリスさんが教えてくれたブログ(参考:http://manyissue.blog112.fc2.com/blog-entry-26.html)の人の「ニキリンコは偽自閉症」説については、俺は何とも言えない。どちらの証拠も持ってないから。
でも、彼がそう言いたくなるのはわかる気がする。彼と俺とに共通する皮膚感覚みたいなものがありそうな気がする。そういう話。
★
これは以前、他のところで書いたような気もする話なんだけど(誰かに出したメールだったかな?)。
去年の冬、初めて自閉症の話を聞いた。どうも他人事とは思えず、情報を集め始めた。きちんと診断を受けてみるのもいいかな、なんてことも考えるようになった。ニキリンコさんの『俺ルール!』を図書館から借りてきて読んだのも、その頃だった。
よく覚えている。近所のとんかつ屋さんにランチを食べに行って、注文してからの待ち時間や食後に一服している間に、読んだのだった。
読んでいる間、そして読み終えるまでずっと、一つの印象を持たされ続けた。
「バカ言え。ここに書いてあるのは全然俺のことじゃない。むしろ逆。俺以外ほとんど全員のことだ。この本に書いてあることが本当なら、この世は自閉症だらけだってことになっちゃうぜ。」
で、本を閉じて数秒後、「あ、そうか。そうするとやっぱり俺のほうががどこかおかしいのかもw やっぱり検査を受ける予約をしておいて正解だったな」と思ったのだ。
メールの履歴を調べてみると、あった。やっぱりメールだったか。『俺ルール!』を読んだのは、去年の12月10日前後だ。
県の発達障害支援センターに問い合わせをしてみたのが11月30日。そこに初めて行ってみたのが12月5日。検査を受けたのが12月15日。診断が出たのが1月30日。
話の流れとは関係ないが、記憶と記録の辻褄が合うと何だかホッとする。
ともかく、俺が持たされた印象とね、ブログの彼がニキリンコは偽自閉症だって言う背景にあるだろうものとがね、共通しているんじゃないかって感じはしているのだ。
でもわかんない。本物だけど頭悪いっていう可能性もあるw どっちにしても、俺にはどうでもいいことだけどね。
★
ブログの彼や俺のような、頭が悪くない当事者(や頭が悪くない関係者)は全部わかってるよ。
自閉症者は「俺ルール」を持てないし作れない。それがゆえに、「俺らルール」を輸入することもできない。
したがって自閉症者は、絶対的なるもの、普遍的なるもの、「自分を超えた自分」なるものの示すルールにしか従えない。
定型発達者は「俺ルール」を持てるし作れる。それがゆえに、「俺らルール」を輸入することもできる。
定型発達者はしばしば、「俺ルール」「俺らルール」を優先し、絶対的なるもの、普遍的なるもの、「自分を超えた自分」なるものの示すルールを無視する。
俺が『俺ルール!』を読んで、「俺ルール」「俺らルール」なのは俺以外のほとんど全員だろうがボケッ! と思ったのも、当たり前の話なんだ。
■ブログの彼のブログ
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/risco002/
■ブログの彼のホームページ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7498/index.html
ひぇ〜
友達に貸した「俺ルール」が手元にないので、読み直せないのだけど・・。とりあえず、ニキリンコさんはおいておいて・・・。
「俺ルール」「俺らルール」「相対的」「絶対的」「普遍的」がね、さっぱりわからない。何が何のことなのか・・・。
例があると助かるんだけど。
それと、ここのところでてくる「自分を超えた自分」も、よくわからないままなんだ。
ここは、もう少し噛み砕いて説明してもらうか、とりあえず据え置きするしかないかなって思ってます。
どうやって噛み砕いて説明したらいいか、頭のいい哲学者や思想家や宗教家らがこの何千年もかけて散々考え尽くしてきても、未だにうまく説明できないような部類の話なのです。俺にもやっぱり書くのがなかなか難しい。
だから焦らないでくださいね。一つ前のコメント欄に書いたように、引っかかりを持ち続けてると、あるときはっと気がつくときがあると思います。必要なのはユーモアね。
関西風ユーモアでも、大丈夫かなぁ〜?
うんうん。関西風OKOK。
彼が言うには、東京の笑いは「お前ってバカだな」だけど、関西の笑いは「お前アホやな〜。俺もっとアホやねん」なんだって。確かにテレビなんか見てると、彼の分析には説得力を感じます。
で、今回の記事の本文を見てもらうとちょうどいいんですけど、同じなんですよ。「『俺以外全員狂ってる!』って思う俺が狂ってるのか?」が自閉症者が持つ問いの最深部にあるのです。
それに向き合おうとしたときにはクソ真面目にやってたらダメで、ユーモアが必要なのです。関西風ならなお結構。
OK?
なんかね、自閉症の人には冗談が通じないとか言うけれど、このやりとり、全く反対で、なんだかおかしい・・・。
はかせも画伯も、ユーモアがあるし、はかせは冗談いうこと多いんですよ。
でも、始まりやパタンがいつもと一緒なので、「それ、冗談?」と私が聞いたり、「これ、冗談だからね」ってはかせが言ったりして気づくという感じなんだけどね・・・。
傾向としてですけど、定型者の言った冗談は自閉者にはシャレになってないことが多く、自閉者の言った冗談は定型者にはシャレになってないことが多いってことだと思うんですよね。
だから「自閉症の人には冗談が通じない」ってのは一方的な見方で、もっと別な説明のつけ方をしないと話がおかしくなってきます。ニセ自閉症者も増えちゃいそうだしw
俺としては、前に書いた「中心の違い」ってのを使えば、一番ピッタリくる説明ができるのではないかと思ってます。
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