<「人間」を知るというコト>

朝イチの新幹線に乗らなきゃのナミです皆さんこんばんわ。今回のTOPはgerakuサンからの頂きモノなんですが。

当サイトを実によく表してるなあとか思いました。本日は一人称は「私」で。

 

さて、今回はせっかくだから「G∽FORCE」で書かれていた私個人に対しての意見についてちょっと「感想」でも書いてみようかと。

今回も大部分は純粋に楽しませて頂き、勉強もさせて頂きましたが、やはり基本理念には大きな違いがあることがわかりました。

 

それは「サイトからその人間がみえる」というトコロ。

 

これは私の中で旧斬時代から変わらぬ普遍の概念なんですが、少なくとも私は「サイトではその人間はみえない」と思ってます。

これは今までも、そしてこれからも変わらないと思います。

 

厳密に言えば、特にテキストサイトというものは生身の人間が書くモノですから、ある程度の人間性はおのずと出るものだとは

思います。ですがそれは現実のその人の極めて小さな部分、数%にも満たないものだと考えています。そもそも「人をわかる」

ということ自体がとても難しいものであり、それは「自分をわかる」ということについても同じことがいえると思うのですがね。

 

物事の本質を見極めたいとおっしゃるのは至極結構だとは思います。それが無機質なモノであるならば。ですが、テキストという

モノは文字を媒体とした生身の人間の書いたモノであり、「G∽FORCE」で書かれたコトについてもあくまで「彼個人はそう思う」

という段階より先に進む事はありません絶対にね。それは何故なのか。

 

それは私の書いたテキストだけで私という人間がわかるなんてことは絶対に「あり得ない」からです。それは私に限らず、テキストを

読んだだけでその人間を理解できる人なんて存在しません。もしいたらそれこそ神ですよ。

 

これは是非読者の皆さんも一緒に考えてみて欲しいのですが、いわゆるリアルな付き合いのある他人、それは友達であったり恋人で

あったり、親兄弟であったり先生であったり教え子であったり、大勢いますでしょうが、誰それのことは100%理解していると自信を持って

言えるような方はいますか? 誰それは自分のことを100%理解してくれていると自信を持って言える方はいますか? もし一人でも

いるのならば、その人は類稀なる幸せな方だと私は思います。

 

少なくとも私は親兄弟に関しては相当の相互理解を持っているとは思いますが、友人等の基本的には他人である人間に関して、親友

と呼べる人間でもせいぜい6割の相互理解が関の山だと思います。そして、一生かかっても100%の相互理解を得られる人間なんて

存在しないでしょう。それは恐らくは私だけではなく、ほとんど全ての人に言えることだと私は思います。もちろん本人が理解し合っている

つもりってのは除いてですよ。

 

例えば結婚についてですけどね、自分の一生涯の伴侶でさえどれだけ相互理解できるか。私の中では自分の伴侶と一生をかけて

共に過ごし、子供を育て、共に生きることによって相互理解をどこまで深めていくことができるのか、ということこそ「愛を育む」ことだと

思います。ただ好きだの愛してるだの言葉だけでなく、人と人とが理解し合うことというモノはそれこそ一生かかるモノだと思ってます。

私にとってはそれくらい「人をわかる」というコトは重い位置にあるモノなのです。それは「自分をわかる」というコトに関しても同じで、

私は一生をかけて「自分をわかる」為に生きてると思ってます。少なくとも何年も生を重ねた一個の人間を理解する、というのはそれ程

難しいものだと確信しているのです。

 

もちろん私のテキストは自分でも書いてあるとおり「思い」を綴ったもので、私個人の人間性の一部は出てるのだとは思います。ですが

それは私のじつに小さな一部でしかなく、感情的な言葉を使わせてもらえばたかがテキスト読んだだけで私という「人間」をわかった風な

口を聞かないでほしいという感じですか。それは私自身も同じで、他のサイトを読んでもその人のことなんて全くわかりません。ある程度

受けとめられるのは「電脳世界という虚数の世界でのそのサイトオーナーの主張」のみであって、リアルでのその人はどんな人間だなんて

判断は私にはまったくわかりません。せめてオフなどで少しでもリアルな接触があればまだしも、文字だけの接触ではそれは所詮は

「文字という無機物」同士のコミュニケーションに過ぎず、その人のサイトという虚数世界以上の情報を得ることはないのですよ。

虚数世界の私をいくら理解してくれても結構ですが、それをリアルなモノと捉えるのは勘違い甚だしいです。それは誰に対しても同じであり、

リアルな接触のないネット上のみのテキストコミュニケーションだけで人なんてカケラ程でも理解できれば良い方なんですよ。リアルな

その人を知るためにはその人間とリアルなコミュニケーションをとらなければダメです。実際に会って話をして、その人の目を見て、その人

の持つ空気を直に感じとらなければ他人との相互理解の扉なんて開かないのです。私が「体温感じるテキスト」と呼ぶものは、生身の

人間のカケラ、文字だけの世界で一片の生身の人間の持つリアルが伝わればそれが最高であると信じて目標にしているモノなのです。

 

「人間」をわかるコトと「ネット上の人物」をわかるコトってのは似ても似つかぬモノで、文字だけ見て「人間」を判断するという概念だけは

私には絶対に受け入れかねるモノです。だから理論的には面白いモノでも、私の人間的うんぬんとかをテキストだけから判断している

トコロに関しては、私の中では結局電脳世界という「最も狭い視野」から見た上での判断に過ぎず、それで「人間的懐の狭さ」とか申され

ましても苦笑しか出てきませんでした。もちろん現実の私だってそういう人間かも知れませんよ?でもそれを判断するのは現実の私を全く

知らない人間には不可能というものです。テキストから管理人の人間像を読み取るなんて事はムリなんですよ。「読み取ったつもり」に

なることは可能ですけどね。読み取れるのはあくまでネット上の人物像のみであり、所詮は虚構に過ぎません。

 

しかしながら「斬鉄剣というサイト上のナミという人物」に関して言うならば。

 

「テキストサイト界を見渡す視野の狭さ」についてはある程度納得です。「サイト上のナミという人物」は「テキストサイト界」というモノに対して

結構テキトーだと思います。そして「影響力」ということに関しても同じでそんなに深く考えてません。基本的にテキストサイトなんてモノは

まあ侍魂みたいになっちゃうとビジネスが絡んでくるかもしれないけど多くは個人の趣味以上のモノではないと思ってます。ウチも例外なく

趣味でやってるモノであって、別にこれがデューティワークとは微塵も思っていません。だから更新も内容もあくまで私の思うまま、自由に

やっています。ただ、良くも悪くも閲覧者が増えたことによって気をつけなきゃ、と思ったコトもあります。それは例えば文中リンクによる

津波現象であったり、その他にもいろいろありますけどね。でも自分を高みにおいて他を見下してるってのは多分間違い。旧斬鉄剣時代の

天狗になりきってた頃の私ならばともかく、今時点でたかがサイトのアクセスが少々多いからって他のとこより上だなんて全然思いません。

たかがホームページですよ? 侍魂くらいの規模があるってんならともかく、所詮はごく普通の一般人でしょ。何故そんなモンでどこそこより

上だの下だの考える必要があるんでしょう? そんな電脳世界の幻想はランク制リンクの撤廃と一緒にゴミ箱に捨ててきちゃいましたよ。

 

とりあえず読解力だの洞察力だのそんなモンがたかがテキスト見ただけでわかるモンなのかってトコロが私には疑問なんですよね。文章力

については難しい国語的な概念である程度説明できても、その「人間」に起因するところのスキルなんて、リアルなその人を知らずに軽々しく

言及できるシロモノではないと私個人は思うんですけどね。ただの誹謗中傷なら便所の落書きで済むけど、少なくとも人間を知ることって

そんなに簡単では無いんじゃないかな。私には文字から人間を読むなんてスキルはありませんので、書いてることはあくまで私の「感想」の

域を出ません。でも自分は全然これでヨシと思ってますけどね。理論に関してそんなに造詣が深いワケでもなし。思いのままをつらつらと。

最後にどこかで読んだ本から引用(引用元は忘れた)。

 

大事なのは今日、もっと大事なのは明日。

 

これが「今」の「斬鉄剣」のスタンスなんですよ。過去の経験は私の大事な糧として、感謝こそすれ恨みつらみのカケラもないのです。

 

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