2008-06-16
ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち
マーケットリサーチャーとして、ケータイ小説の背景を知ることに興味はあった。でも、いきなりで何だけども、途中で飽きてしまった。
途中で飽きた理由
自分の後に、妻も読んだんだけど、自分と一緒のところで飽きたようだ。
相田みつをが好きじゃない理由がわかった。
私、“リアル系”じゃないもん。
自分も、「あ、そういうことか」と納得した瞬間、急速にこの本に対して興味を失った。わかった後は、“リアル系”の背景の話はどうでもよくなったんだと思う。だって、俺、“リアル系”じゃないし。今思うと、飽きたというより、見たくなかったんだろうな、無意識的に。
ある種のヒトにとっては、ケータイ小説が受け入れ難い ― 不可視である ― 理由がわかる
浜崎あゆみ、相田みつを。これらがキライという部分を通り越して、まさしく、“刺さらない”タイプの人にとっては、なぜ、自分がケータイ小説を受け入れないか ― というより、どうでもいいものとして捉えているか ― がわかる。
というか、何だろう、この不明瞭な拒否感という感じ。ヤンキー文化に対する差別意識か。差別意識かもしれん。大体そういう差別意識って自分で気がつかないものだし。
考えれば、“キライ”以上に、“無視”というものの方が差別意識高いよな。“見えない”というか、“見ない”というか。
郊外文化の話
「ヤンキー文化=郊外文化=ファスト風土」というつながりの話だけども、それってニュータウンの残影だよね、と思った。いま、ニュータウンは最後の高校生達の時代になっている。もう中学生以下は少ない。もうあと10年ぐらいだったら、そうした郊外文化はなくなるのか、あるいは、逆ドーナッツ現象によるスラム化につながるのか、郊外の円が狭くなるのか。
以前、「インビジブル・ファミリー」という記事で、“都市型ゲマインシャフトの形成”という話を扱ったけども、都市型ゲマインシャフトの一つの島がヤンキー文化なのかな、と。
余談:ラスト・フレンズって、ケータイ小説的。
読んでて、腑に落ちたのが ― この本の内容にはないが ― 編成上の戦略(笑)で鳴り物入りではじまった月9ドラマ、キムタクのCHANGEを抑えて、CX系の最高視聴率ドラマになったラスト・フレンズがウケている理由である。
当初、世帯視聴率が上がっているという話を聞いて、自分は「あれは冬彦さんと同じだろ」と思っていたが、“ケータイ小説的。”だったわけだ。Wikipediaを見れば、
現在、社会問題化しているDVやセックスレスなど、人々の抱えるさまざまな問題を真正面からとらえた作品。恋に臆病だったり色々な深い悩みを抱えた者たちが、ぬくもりを求めシェアハウスに集まり、他人との共同生活を通して友情や人と人との関わりの難しさと大切さを学び悩みを乗り越えようと、自分らしく前向きに日々を懸命に生きる姿をリアルに描く青春ヒューマンストーリー。
ラスト・フレンズ - Wikipedia
とか、書いてあって、私はラスト・フレンズがはじまる前は、ドラマ界の Nice boat. こと、超失敗作「レガッタ(参考)」の二の舞なんて思ったが、どうしてどうして、CHANGE超えちゃいました!おいおい。
このなんか、ムズガユイ設定とか、どこかわからない場所とか、理解不能だったけど、自分は“刺さらない”文化圏にいたんだな、って。“リアル系”の人には刺さるんだな、このドラマ、と納得した。
kizasiの分析を見ても、さもありなん、というか。私にとっては喜劇*1でも、私以外の人にとっては悲劇なんだよな。
- 現代社会が反映された問題提起がされていて奥が深いドラマだね
- それぞれが抱える問題が複雑でひとつのテーマに偏っていないところがいい
- DVって身近に起こりうるって知った
- 性同一性障害がどんなに大変なことか少し分かった気がする
というように、キャスティングもさることながら、DV(ドメスティックバイオレンス)や性同一性障害といった社会問題をテーマにしていることも話題となっている要因のようだ。
実際、ドラマの影響か、DV(ドメスティックバイオレンス)や性同一性障害に関するブログでの書き込みも放映とともに増えている。
kizasi.jp:ミニレポート ドラマ「ラスト・フレンズ」が提起した問題
後述
id:gotanda6さんに教えていただいた、[4k]shikeさんの書評とは感じ方が逆です。3章以降が面白いってのも、なんか受け入れ難い何かがあるんです。
正直言いましょう。
第3章まで、ほんとに辛かった。
だって素材についてまったく興味が持てないんだもの。
ヤンキーなんて、あゆなんてどうでもいいんだもの僕にとって。相田みつをなんてマジで憎悪の対象ですよ。憎悪通り過ぎてパロディで遊んでましたけど。
正直、速水氏の文章の切れだけで読み進めたようなもので、他の人が書いていたら10pで読むのやめてた。
ところが。
第3章から展開は一転。まったく興味ないネタが突然輝きだす。
あ、そういうことか。
あ、そういうことか。
えー、そういうことになっちゃうのか?
裏[4k]:『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』 - livedoor Blog(ブログ)
どちらかというと、id:tanakahidetomiさんの
しかしこの本も速水氏の本を読んでも感じたことだが、なんでまた君達はケータイ小説を論じたいの? というところがまったくみえない。
みんな無理してケータイ小説語ること - Economics Lovers Live
の感覚に近い。近いというより、自分自身、理解できない何かを提示された感じである。だから、僕もまったく見えなかった。たぶん、ヤンキー文化に、ポジティブにせよ、ネガティブにせよ、思うところがある人には分かるのかもしれないけど、自分はポジネガ以前に“無反応”。
そういう意味でいうと、“踏み絵”的な本なのかもしれない。自分には3章以降の話を捉える網が、たぶん無い。妻も同じだったんだと思う。僕も妻も、郊外経験がない。まず、車に乗らない、バイクに乗らない、というか免許ない。最近は自転車にも乗らない。23区以外ありえない。
“ケータイ小説不感症”
好き嫌いではなく、無反応。そういう人が他にいるかわからないけど、これが率直な感想というか、読んで思ったところです。
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