レコン・キスタ残党が立て籠もるダータルネス港。
広大な湖を背に広がる都市も、いまや周囲に展開した王軍により完全に包囲されていた。
「やれやれ。どうにか今回の戦も一段落つきそうですね」
「ああ。最初はどうなることかと思ったが、どうにも杞憂が過ぎたようだ」
都市周辺に建造された陣地の一画。包囲網を構成する王軍士官の二人が、いささか肩の荷が降りたような表情で、のんびりと言葉を交わしていた。
「しかし思うに……何だね。どうにも今回の戦は、妙に戦いやすかったような印象を受けるな」
「前例にない戦術が多数導入されたことですし、その影響でしょうか」
「ふむ。それもあるだろうが、どうもそれだけとも思えんのだよな」
「ああ、忘れていました。やつらの練度が低すぎた、というのもありましたね」
「ふっ、違いない」
益体もない会話がいつまでも続くかと思われた、そのとき。陣地に接敵を知らせる警鐘が響く。
「……む、随分と急だな。副長、司令部ではどう言ってる?」
「いま確認を取ってみます」
配属された使い魔の一匹に向けて、副長が何事かつぶやく。ついで虚空を見上げしばし沈黙する。
「どうだった?」
「……どうも、妙なことになってるようです」
どこか難しい表情で、副長が状況の説明を始める。
「ダータルネスから北東部に位置する山嶺から、突如、大規模な兵力が突撃を仕掛けてきたと本部は言ってます」
「なに? ……ふむ。レコン・キスタの連中、そんなところに伏兵を配置していたのか」
なかなかやるな。士官が顎先を撫で唸ったところで、伝令を受け取った方が何とも言い難い表情になる。
「ん、なんだその表情は?」
「いえ、それがどうも妙な話しでして、司令部の分析では、突撃部隊のほとんどは、トロール鬼などといった亜人達によって構成されているそうです」
「は? いや、なんで連中が人間の争いに参戦するんだ?」
「司令部も困惑しているようです。また敵はろくな統制も取れないまま、砲撃を加えるこちらの陣地に向けて、ひたすら愚直な突撃を繰り返してるとあります」
つまり砲撃の雨が降り注ぐ中、ひたすら止まることなく突き進んでいるということです。そう言って、副長は肩を竦めて見せた。報告を受けた隊長はますます怪訝な顔になる。
「……なんで迂回しようとか思わないんだ?」
「さて、なんででしょうね?」
不思議なこともあるもんだ。眉を寄せながら、士官二人は互いに首を傾げ合う。
「隊長に副長……もうちょっと、せめてこういうときぐらいは、生真面目にして下せぇや」
一人部隊の迎撃準備を押し進める下士官が、呆れ返ったような声を上げた。
まるで予期しなかった、包囲の外から行われた亜人による突撃。
これに後背をつかれる形となった王軍にもたらされた動揺は、当初かなり激しいものがあった。
しかし、ある程度の時間が経ち、応戦準備が整うと、それも次第に落ち着きを取り戻していく。
王党派の苛烈な砲撃に晒されながら、亜人たちの一団はダータルネス港に向けて、ひたすら忘我したような足どりで突撃を繰り返す。
むせ返るような血の臭いが、戦場を急速に染め上げて行った。
* * *
「あ、あぁ……な、なんということだ……」
ダータルネスから亜人達の無謀な突撃を見下ろし、クロムウェルはガチガチと自らの歯を噛み鳴らす。
次々と叩き込まれる砲撃を前に、突撃する亜人達の動きが止まることはない。加速度的な勢いで、積み重なり行く屍の山に、むせかえるような血の臭いが何よりも鼻につく。
たとえ犠牲となる者たちが亜人達といえども、目の前で展開される光景は、もとは一介の司祭に過ぎないクロムウェルにとって、あまりに凄惨すぎた。
「神よ、始祖ブリミルよ、お許し下さい……!」
「何を畏れることがある? 王になりたいと願ったのはお前よ、クロムウェル」
こんなものは大したものではないと、彼の脇に立つシェフィールドはあっさりと首を振る。
「王とは蹂躙するもの。この程度の犠牲、かつて始祖の築いた屍の山と比べれば、そう、何程のこともないわ」
クロムウェルは戦慄する。耳に届くシェフィールドの囁きは、どこか愉悦の感情を含んでいた。
そう、すべてはお前が望んだ結果引き起こされた、犠牲の一部に過ぎないと。
「うっ……あぁ……ち、違う」
自らが口にした他愛もない戯れ言。それが目の前の惨劇を引き起こした。
「違う……私は……私は……!」
改めて宣告された事実のおぞましさに、クロムウェルは自らの頭を抱え、髪を振り乱しながら、恐慌を来したように叫ぶ。
「やはり……やはり、私などには、もとより大それた夢だったのだっ!!」
そんな哀れな男の姿を冷淡に見据えながら、シェフィールドは失望するでもなく、ただ小さく腕を振る。
「そう……なら、もういいわ」
さめきった声が、クロムウェルの耳に届いた。
その瞬間、クロムウェルの全身を光が包み込む。
(身体が……動かない……!?)
身体が自らの意志に従わない。足が勝手に動く。
いったい自分に何をしたのか。縋るような視線をシェフィールドに向ける。だが、そこにあったのは、こちらに対する一切の興味をなくした、死神の眼だった。
「せめて、陛下の無聊を一時でも慰めるような最期を遂げなさい、クロムウェル」
クロムウェルの身体が行き着いた先は、レコン・キスタに残された全軍が集結する陣地を見下ろす壇上だった。
壇上に現れた盟主に向けて、熱狂的な信頼を捧げる親衛隊が歓声を上げる。だが、一部の兵士達は、どこか虚ろな表情のまま、人形のように機械的な動作で隊列を組む。ダータルネス港の巨大な湖が、不気味なまでに澄んだ湖面を湛えていた。
「諸君、敵はダータルネスを包囲している! だが、勇敢なる革命兵士諸君! 勇敢なる革命兵士諸君に余は問う! これは敗北か?」
否! 否! 否! 否! 否! 否! 否! 否!
「その通り! これは敗北ではない! 断じてないっ! 迷えるハルケギニアを導くのは神に選ばれた我等しかいない! 聖地奪還は始祖ブリミルが我等に与えた、果たすべき義務なのだ!」
革命万歳! 革命万歳! 革命万歳! 革命万歳!
(こんなこと、私は思ってなどいない……!)
「驕れる敵は我等が壊滅する! 粉砕するっ! 我等には虚無がついているのだ! 始祖への感謝も忘れ、安穏と過ごす貴族どもに、我等の突撃をもって一石を投じようではないか!」
『ぉっぉぉおおおぉぉぉぉぉぉおぉ!!』
驕敵粉砕! 意気軒昂! 古今無双! 天下無敵!
鳴り響く歓呼に包まれながら、クロムウェルは自由にならぬ身体の奥で、叫び続けた。
(いやだ……いやだ、いやだ、いやだ! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!!)
───その日、ダータルネス港において、王党派とレコン・キスタの間に最後の戦端が開かれた。
亜人達の奇襲によりもたらされた混乱に乗じる形で、一斉に杖を構え全軍でもって突撃するレコン・キスタ。これを王党派は濃密な砲火をもって容赦なく迎え撃つ。制空権を喪失したレコン・キスタ側に対抗する術はなく、次々と討ち取られていった。
だが、ひたすら何かに取りつかれたように、ただ愚直な突撃を繰り返すレコン・キスタの突撃力は凄まじいものがあった。鬼気せまるレコン・キスタの一大攻勢によって、ついに一部の陣地では砲弾の換装が間に合わなくなり、突入を許すといった事態が発生した。
だがそれでも、ダータルネス港陥落までに要した時間は、それから僅か半日足らずのことだった。
王になりたいと子供のように願っていたレコン・キスタ盟主、オリバー・クロムウェルは、死体となって、ダータルネス港湖岸付近に打ち上げられている所を発見されることになる。
ほぼ全軍が突撃により磨り潰され、盟主の死亡までもが確認された。この結果を受け、レコン・キスタ残党の実権を握るものたちは、突撃に参加することを良しとせず、砦に拘留されていた北部諸侯を中心とした一派に移る。そして、彼らは即座に王党派に対して、降伏を申し入れ───
内乱はその始まりから見れば、あまりにも呆気ない、終焉を迎えるのだった。
* * *
「げげっ!? い、いったいなんだ、この損害報告の多さは……!?」
アルビオンの宮廷。帰還した執務室で、久しぶりにウェールズの上げる悲鳴が響き渡った。
「ははは。いやぁ、敵ながらやるものですね」
朗らかな声で相槌を打つバーノンに、ウェールズは切れた。
「笑いごとじゃねぇ! ってか、あーもー笑えるかぁっ!! なんだこの数字のデカさ!?」
「ははは……いやぁ、もうむしろ、ここは笑うしかないというやつでしょうかねぇ」
内乱決着後、王軍の損害報告がウェールズの詰める執務室に提出された。
そこに記された数字を目にするや、ウェールズは一瞬、自らの意識が遠のくのを確かに感じた。
王党派の保有する艦隊にこそ被害はなかったものの、最終的にレコン・キスタの特攻を直接受ける形となった、地上に展開した包囲軍の出した損害は、そりゃもうひどいものだった。
「ぐぐっ…………」
報告書を睨み付けるが、それで数字が変わる訳でもない。これを再建するには、しばしの時間と膨大な予算が必要になるだろう。
「はぁ…………なんてこったい」
ぐてっと執務机にうつ伏せになる。もうなんというか、ため息も出なかった。
問題は王軍の損害に留まらない。
今回の戦の勝利によって、ウェールズはどうにかアルビオンからレコン・キスタの連中を叩き出すことには成功した。盟主の死亡も合わせれば、もはやレコン・キスタもこのまま瓦解する以外にないだろうと、当初は考えていた。
が、ここでウェールズにとって予想外の事態が発生する。
あまりに壮絶なレコン・キスタの最期。これを何処からか伝え聞いた、諸外国の一部貴族の中に、聖地に掛ける彼らの想いに感化される者が出てきたのだ。
結果として、レコン・キスタの名は依然として絶ち消えることなく、ハルケギニアの各国に潜む、見えない賛同者という形で広まり、その後の未来に暗い影を落とすことになる。
「……結局、ガリアの介入を押さえられたのが、唯一の救いなのかね」
ガリアに潜伏し、内乱勃発中も作戦行動に従事していた部下から送られた報告書に視線を落とす。
「『連絡会』については、引き続き存続させるおつもりですか?」
「そりゃもちろん」
「では、それぞれの優先順位の確認ですが、まずガリアが最優先、その次にロマリア、ゲルマニアと続いて、トリステインの順でよろしいですね?」
「ん。よろしく頼む」
指示を下した後で、ふと気になることを思い出す。
「ああ、それと東方にも一応探りを入れといてくれ」
「東方、ですか? 一応指示は下しておきますが、いったいどのような意図が?」
「向こうの技術は相当高いって聞いてるからな。なんとか繋ぎを持っときたいんだよ」
「なるほど……わかりました。手配しておきます」
「まあ、ようやく対外機関に関しても予算規模を拡大できそうな、今だからこそできる指示だけどな」
レコン・キスタに参加した連中から分捕った資産を使って、思う存分組織力を強化してやるよ。くくくっと黒い笑みを浮かべるウェールズに、バーノンの生暖かい視線が注がれる。その視線に気付き、ウェールズはバツが悪そうに咳払いを挟む。
「んんっ……あー、ともかくだ。何にしろ、これでようやく一息つけるってもんだな」
清々しい表情で笑うウェールズに向けて、バーノンがどこかもの言いたげな視線を向ける。
「ん、なんだよ、バーノン?」
「いえ……ただ殿下が調子に乗ってるときは、大抵、どこかで致命的な問題を見過ごしていたりするので、後が怖いなぁと」
「ははは! バカ言うなよ、バーノン。そうそう致命的な問題なんざ起こらんって! 何よりようやく最大の死亡フラグ乗り越えたんだ。こんなときぐらいは気を抜くのも有りだろうさ」
「しぼうふらぐ、ですか?」
「そうそう。というか、もうこっから先は大陸じゃなくて、海上経由で交易路を東方に求めた方が良くないか? あるいはアルビオンに引き籠もって、ずっと内政を充実させて行くとかのもアリか? もう大陸に関わって泣きを見るのはたくさんだっていうかさ、おーい、聞いてるか、バーノン?」
「はぁ……まあ、先に関する展望があるのは、それがどんなものであれ、悪いことではないですよね」
テンション上がってきたウェールズの捲くし立てるような言葉の数々に、バーノンは曖昧な表情で、自らの仕えるどこか一風変わった主君に対して、控えめな返事を寄越すのだった。
こうして、アルビオンにおける一連の騒動は終結した。
戦後処理において、賊軍に身を投じていた諸侯のほとんどは、領地没収や取り潰しなどといった厳しい処罰を下されていった。それはアルビオンにおいて、他とは一線を画する大貴族と見なされてきた、マンチェスター伯・リーヴン伯ら両家も例外ではなかった。彼らの治めていた広大な領地は、紆余曲折あった末、暫定的に王家の直轄領に編入されることになる。
くしくも、これがアルビオンにおける、中央集権国家としての礎が築かれた瞬間だった。
* * *
『───以上が、レコン・キスタが壊滅するまでの経緯です』
「そうか。御苦労だった」
告げられた報告に、男は目の前に広げられたソリティアの盤上へと視線を落とす。
「白の国に配置した駒は、すべて盤上から除かれたか」
『……申し訳ありません』
「いや、構わん。所詮は余興の一つだ。それになかなか面白みのある最期だったぞ」
傍らに置かれた人形と会話を交わしながら、男の視線は盤上に固定されている。
それにしても、これは偶然か?
アルビオンの内乱が最終局面に入るとほぼ同時に起きた、サン・マロン港における艦隊の爆破テロ事件。犯人が捕縛されることはなかったが、アルビオンの内乱が集結すると同時に、このテロも止んでいる。だが、火薬庫ごと港が吹き飛ばされた結果、湾口と艦隊の再建の目処はいまだ立っていない。
もとよりレコン・キスタ盟主のあまりの不甲斐なさに、艦隊を派遣する気など当に失せていたが、それでも我がガリア艦隊が参戦するようなことがあれば、戦局は一変していたことだろう。
仮に、レコン・キスタの裏にガリアが付いていることに気付いたものが、アルビオン王政府の中枢に居たとしよう。もしそれが自分ならば、やはりガリアを無視できない存在として捉え、何らかの手を打っただろう。
それに、我が女神からの報告もある。
「アルビオンの皇太子……か」
『やはり気になりますか? そう言えば、彼の国の皇太子は、水の国の王女と親交があるようです。内乱終結後、両国の間で頻繁に手紙の遣り取りが行われているのが確認されています』
「ふむ、そうか……ふむ、ふむ。ならば、良し!」
彼は手の平を大きく打ち鳴らし、楽しげに指示を下す。
「かねてからの仕込みもある。次は水の国に配置した駒を動かすとしよう」
姫君の窮地に駆けつける隣国の王子、しかし伸ばした手はあと一歩のところで届かない──そんな悲劇を演出してみるのも悪くない。
彼の国の姫君と、白の国の皇太子が浅からぬ仲にあるならば、何らかの動きを見せるだろう。
こちらの楽しげな調子を察してか、人形越しに指示を聞く相手の喜色が伝わってくる。
『すぐにでも手配致しますわ』
「うむ。頼んだぞ、ミューズ。我が愛しの女神よ!』
大仰な仕種で手を振りながら、これまでの経緯に思考を巡らせる。
アルビオン王政府の内乱に対するあまりに迅速な対応。予め万全の準備を整えていたとしか思えない戦略展開。
すべての動きの中心に位置する白の国の皇太子。
一連の流れを振り返るに、今回こちらの打った手は、アルビオン国内に巣くう不穏分子の影を一掃するべく、彼の皇太子によって逆に利用されたとも考えられる。
(ふふ……それもまた面白い!)
そう。対立する両陣営の駒を自らが動かし、一人で戦争を演出するのも悪くはないが、いささかそれも飽きが来た頃だ。相手を迎え望む、先の読めない『対局戦』ほど、心踊るものはない。あいつを亡くして以来、もはや自分に抗し得るような相手は存在しないと思っていたが、
『笑っているのですか、我が君?』
我が子を慈しむような優しげな声音で、その問い掛けは響いた。それに男は笑みを深める。
「ああ、笑っているとも。余はいま楽しくて仕方ない。心の底から沸き上がる愉悦の感情を押しとどめる術を知らない。たかが空の上の田舎貴族と思っていたが……くくく」
ガリアの宮殿グラン・トロワの一室で、狂王は一人盤上を見据えながら笑い続ける。
「なかなかどうして、侮れない手を打つ者も居るではないか! お前もそう思うだろ、なぁ──シャルル」
世界そのものを嘲笑う哄笑が、ただ虚ろに響く。
そして、これより更に一年後のアルビオン。
「殿下ー! 殿下ー!」
「どうした? そんな慌てて、バリー」
白の国の首都、ロンディニウムの王宮に、一つの凶報がもたらされたところから、事態は始まりを告げる。
「たた、大変ですじゃー!!」
「やれやれ。まあ、紅茶でも飲んで少しは落ち着けよ。んー……美味い」
カップを傾け、ウェールズが紅茶を口に含んだ瞬間、侍従長バリーはそれを狙ったように報告する。
「と、トリステインで内乱勃発ですじゃー!!!」
「ぶーーーーーーーーーぅっっ!!?!??」
原作の流れを根本的に覆す事態の発生を受け、ウェールズは盛大に紅茶を吹き出した。
これが、後にアルビオン、トリステイン、ガリア、ゲルマニア、ロマリア、東邦、エルフ領……ハルケギニアに存在する、ありとあらゆる国家・種族を巻き込むことになる、長い騒乱の幕開け。
後世、幾多もの歴史書に記されることになる、ウェールズ・テューダーが紅茶を吹いた、瞬間だった。
- 2007/07/19(木) 18:41:08|
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