2007年2月のエントリを再び。
万波医師が正しい
宇和島で、病人が捨てる腎臓を重症患者に移植した徳洲会病院の万波(まんなみ)医師に医学倫理学会などが反省を求めるという。倫理とは何か、広辞苑で調べると「道徳」ということらしい。その方面の専門家の友がいて聞いてみたら「わからんよ、宗教でも違うしさぁ」とのこと。倫理とはキリスト教からの考え方のようだ。万波医師は、それまで誰も気づかなかった不要の腎臓が臨床に使えることを実証した。重症腎臓病患者に移植し感謝された。感謝しないのは学会と、ご同業の面々、つまり偉い医師たちなどだ。
私は最初から万波医師の立場を肯定している。何故なら医学は実学、結果がすべてだ。目の前の患者を助ければそれでいい。救える患者を救い、快適な生活を取り戻してやることだ。また苦痛をなくしてやる。百万の言葉を尽くしても、それ以上は何もない。
あれもイカン、これもイカンと内臓移植に厳しい網をかぶせ、諸外国から非難を浴びること、知らぬとは言わせない。自分の家はぴかぴかに磨きあげ、ゴミは隣の家へ捨てるがごときじゃないか。移植手術は外国でやれというに等しい。
臓器売買はまかりならぬという。その一方、多くの日本人が、中国やフィリッピンにでかけ、出所不明の臓器を買っていると報道される。そこで倫理とはよくいえる。日本の医学倫理なぞその程度、国内だけスッキリしていればいいのだ。いっそのこと国立臓器売買センターでも作ったらどうか。説得した書類がないからケシカランという。いまどき小役人でもそうはいわない。腎臓が駄目になると人工透析となり、確か一週間に3回ほど3、4時間の人工透析を受ける。大変な労力と手間だ。受けなければ死ぬ。ずっと続くと身体に支障がでるという。親しい医師が「あれは儲かります」といった。利害関係はどうなっているのか不明だ。
田舎医師だから嫉妬しているのか。自らに面倒が及ばぬよう、問題を先送りしている。15歳未満の移植手術を一切禁止したから、一億円ほど集めアメリカなどへ渡航する。美談とされるがホントにそうか。「シヌシヌ詐欺」ともいわれたがメディアのフォローは聞いたこともない。
万波医師の言葉が気に入った「倫理より、目の前で苦しんでいる患者を救いたい」とテレビカメラに語った。こっちのほうがよほど倫理じゃないか。被害者がいないこと不二家問題と似ているが、感謝する患者がいることが違う。
ところで世界の医学者が、病気で捨てる腎臓も移植に役立つ事実に注目している。国を挙げ、この医療技術の可能性を検証するべきだ。なぜ11名の尊い命を救った万波医師に学ぼうとしないのか。ヒョットするとノーベル医学賞ものかもしれないぞ。ノーベル賞選考委員会は日本に意地が悪い。もし受賞したらどう応えるか見ものだ。日本医師レベルが低下は、上に立つ倫理委員会などが、無理をするな、楽をしろと駄目にしているためかと疑う。
2月18日、お世話になった患者たちが、万波医師を励ます会を開催した。捨てる腎臓を移植に使って欲しいと、署名六万に及び、厚生労働省へ提出される。繰り返すが、倫理委員会とやら、現実を見よ。眼前の患者が救えず、何が倫理か。
by hoihoihoi
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