梅雨です。田植えも一段落。あぜ道を歩くと、多様ないのちが見えてきます。ミジンコもオタマジャクシも人間も、みんなちがって、みんないい。
名古屋市水辺研究会代表の国村恵子さんは去年から、ジュニア会員の子どもたちと、郊外の里山で米作りに挑んでいます。
田んぼの広さは、百六十平方メートル。三分の一は、耕さずに稲を育てる不耕起栽培を試しています。
昨年の収穫は四十キロ。愛知県の平均が千平方メートル当たり約五百キロですから、随分差があります。有機無農薬、肝心の土づくりがまだできていないとはいうものの、稲作の難しさが身に染みます。豊かな土を育ててくれるのが、無数の微生物だということも。
田んぼの中の多様性
田んぼは生き物の宝庫です。その数は二千種類とも言われています。大都市の周縁でも、田植えのころには、糸くずのようなオタマジャクシが顔を出し、アキアカネの幼虫(ヤゴ)が羽化の準備を始めています。
あぜ道は、シロツメクサやヒメジョオン、おひたしにするとおいしいセリや、とげのある小さな実をつけたキツネノボタンで覆われます。時折ツバメが降りてきて、田んぼの泥をついばみます。巣作りの材料です。
「ミジンコがいて、オタマジャクシがいてカエルになって、それを狙って蛇が来て、トンボが来て、カモも来て、何が欠けても完成しない、いのちのつながりという土壌があって、そして、おいしいおコメができて、それを人がいただいている−」
その「土壌」こそ生物多様性なのだと、国村さんは考えます。
「人」に「良い」もの
田んぼというジグソーパズルがあるとします。二千ピースの生命で構成されるパズルです。ピースが欠けていくたびにその風景は傷つきます。やがて機能も損ないます。安全でおいしいコメが食べられなくなってしまいます。
森というパズルは飲み水を、川や海は新鮮な魚介類を生み出します。人のいのちを支えてくれるものばかり。
生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)が二〇一〇年十月、名古屋市で開催されることになりました。地球上の多様な生き物とその生息域を保護すること、生物資源を持続的に利用し続けること、そして、遺伝資源の利用から得られる利益を公平に分配することが、百九十の国と地域が加盟する条約の狙いです。
COP10では、生物や生態系保全のための国別数値目標が、初めて定められるかもしれません。温室効果ガス削減目標を割り当てた温暖化防止京都会議と同様、歴史に残る会議になりそうです。
しかし、せっかくの機会を加盟国代表の集まりだけで終わらせるわけにはいきません。
人間は、衣食住を他のいのちに依存して生きています。生物多様性の問題は、人間が野鳥や森林をどのように保護するか、だけではありません。他のいのちと共生しながら異常気象や食料危機を克服し、人間自身がいかに生き延びるかの問題でもあるはずです。
人間が消滅した後の世界を予見した米国の作家によるノンフィクションが、ベストセラーになっています。地球は新たな生態系をつくり出し、人類のいない世界は平然と存在し続けます。
地球のためではありません。COP10は人間のための会議です。開催地や自然豊かな農山漁村だけではなく、すべての大都市住民も無関心ではいられません。
生態系とは、いのちといのちのつながりです。人と人とのつながりが、社会です。家庭や社会を生態系に見立てれば、その中に、不要ないのちは一つもありません。「勝ち組」も「負け組」もありません。いのちはすべて等価です。
都会の若者だけでなく、地方の中高年にも自殺者が目立ちます。社会とのつながりを失うと、人はいのちを軽視します。
秋葉原で、いのちをあまりに軽んじる惨劇が起きたばかりです。多様な生き物の手触りよりも、インターネットが映し出す仮想の世界に魅せられて、現実のいのちを実感できません。
実感を伝えてほしい
「生物多様性を、文化のレベル、実感、生き物との付き合いのレベルで伝えてほしい」と、農と自然の研究所代表の宇根豊さんは、提案します。
多くの人が、いのちと向き合い、いのちを語り、いのちの重みを味わうことが可能な舞台を「名古屋会議」に期待します。
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