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ハンセン病への差別や偏見をなくし、国立の療養所に暮らす人たちが安心して老後を過ごせるようにする。
そうしたことを狙いとするハンセン病問題基本法が国会で成立した。
ハンセン病ほど、長く誤解されてきた病気はない。戦後すぐに薬で治るようになったのに、国は1953年、らい予防法を制定し、強制隔離を続けた。この法律が廃止されたのは、わずか12年前だ。
01年に熊本地裁は、遅くとも1960年には強制隔離策が憲法違反だったという判決を言い渡した。政府は国としての責任を認め、最後の1人まで社会にいるのと同じような生活ができるようにするなどの約束をした。
これを受けて、入所者らが強く求めていたのが今回の基本法である。
注目されるのは、療養所の設備や敷地を外部の人が利用できるようにする規定を盛り込んだことだ。療養所を地域に開くことで末永く維持し、住民との交流も深めようというのだ。
入所者らがそう考えた背景には、療養所をめぐる厳しい現実がある。
全国に13ある療養所には、ピーク時には1万人を超す人がいたが、今は約2700人だ。平均年齢79・5歳と高齢化し、毎年約200人が亡くなっている。職員も徐々に減っている。
医療や介護のための施設をこのまま守っていけるのか。療養所の将来はどうなるのか。そこで暮らす人たちの間で不安が募ったのも無理はない。
社会復帰ができればよいが、高齢になった今、いっそうむずかしくなっている。そこで出てきたのが、社会の側に療養所に入ってきてもらおうという考えだ。いわば「いながらの社会復帰」を図ろうというのである。
これまでと違って、地域の人も診療を受けられるようにしたり、高齢者のための施設やホスピス、研究所として使ったりすることが考えられている。外部との交流は、偏見をなくすためにも役立つはずだ。
とはいえ、実行に移すには、きめ細かな目配りが必要になる。療養所ごとに立地条件や地域とのかかわり方は大きく異なる。療養所をいきなり一律に開いていけば、不安に思う入所者もいるだろう。入所者の希望をもとに、地域の実情に合わせて進めていってもらいたい。
最後の1人まで療養所で安心して暮らせるようにするのは当然だ。しかし、それだけでは孤立した生活になりかねない。「決してひとりぼっちにしない」ということを社会として心がけたい。それには、社会の側がハンセン病への理解をもっと深め、偏見をなくしていかなければならない。
強制隔離で失われた時間は戻らない。せめてこれから、心穏やかな日々を過ごしてもらえるよう支えたい。
オーストラリアのラッド首相の日本訪問は、異例の場所から始まった。被爆地、広島である。
「この廃虚でもう一度、決意を新たにしよう。核兵器のない世界を求めてともに働こう」。平和記念資料館のノートにこんな言葉を記した。
狙いははっきりしていた。
冷戦が終わって久しいのに、核の脅威は減らない。北朝鮮やイランなど新たに核への野心を燃やす国が登場する一方で、テロリストの手に核兵器が渡る悪夢が現実味を帯びだしている。
「核のない世界」への取り組みを強めなければならない。そのメッセージを送りたかったのであろう。
具体的な提案もした。オーストラリアの元外相で、著名な安全保障問題の専門家でもあるエバンス氏を共同議長の一人として、国際的な賢人会合を創設するというものだ。日本からの参加も呼びかけた。
核軍縮と不拡散、そして核廃絶への提言をまとめ、2年後に迫った核不拡散条約(NPT)再検討会議にぶつけるのだという。
いまの世界には、危機の深まりに呼応するかのように、核をなくそうという新しい動きも見える。米国のキッシンジャー元国務長官、ペリー元国防長官らが昨年、核廃絶を実現するための提言を発表した。米国の核戦略を推し進めてきた重鎮たちの名前がずらりと提案者に並んでいる。
理想論と見られがちだった核廃絶への取り組みに、新しい現実感が生まれつつあると言っていいだろう。ラッド提案はその一つである。日本政府はこれを支持し、積極的に協力すべきだ。
首相は滞日中、もう一つ、注目すべきメッセージを発した。経済だけでなく、安全保障なども視野に入れた地域協力の枠組みをアジア太平洋につくりたい、というものだ。
日豪はもちろん、中国、東南アジア、インド、ロシア、そして米国、台湾なども加わる、という構想らしい。米国も参加する形での地域協力を提唱した福田首相の共鳴外交の考え方とも波長が合いそうだ。
元外交官のラッド首相は今春の訪中で、堪能な中国語を駆使して講演するなど、中国重視の姿勢を鮮明にしている。経済、政治両面で中国のもつ重要性を考えれば当たり前のことだろう。
安倍前首相の時代、ブッシュ米大統領と親密だったハワード前豪首相との間で「中国包囲網」とも見られかねない協力を語り合ったのと比べると、隔世の感がある。
捕鯨をめぐる対立など、日豪間に深刻な懸案がないわけではない。だが、温暖化をはじめ資源や食糧など、日豪両国には共通する利益があまりにも多い。地球規模の課題を含め、ともに汗をかく仲になっていきたい。