c17a88b7.jpg 日本の、特にプロテスタントの新興キリスト教に強く見られる傾向に、北米のキリスト教を模倣しこれを無批判に追従する特徴を持つ教会が多くある。アメリカで今も政治的な影響力から猛威を奮う福音主義派(エヴァンジェリカル)に連なる系譜の教会はその典型例であるが、これらの「教会」は非常に不健全な内実を抱えている。

 かつてビリー・グラハム大会に連れて行かれ、異言を目の当たりにし、天地創造説は唯一の選択と教わる福音主義的、原理主義的傾向の強い教会で幼少期から青年期初期までを過ごした。自分の友人や他人にこれらの原理主義を紹介、推薦する人は、その相手の人生がどうなろうと最後まで自分が全責任を持つという極めて堅く重い覚悟でやっていただかなければいけない。人格形成期の可塑性に富んだ子どもにはとりわけ影響が大きい。ひとたび人格の中心部までその色が染まれば、その後一生、何らかの形でその影響が残る。ファンダメンタリズムに他人を引きずり込んでおきながら、その人がその後それゆえに苦しんだ際には放り出してしまう「福音伝道」の邁進者たちが少なからず存在していることは遺憾である。原理主義は人の心に強い影響を及ぼす。

 避けた方がよい、避けなければならない日本国内の教会の例には例えば、以下のような要素がある。

 1.十字軍(クルセード)という言葉を平気で肯定的に使っている。(キャンパスクルセード、福音十字軍など)

 2.リバイバルという言葉を使っている。特に滝元牧師によるリバイバル・ミッション運動に参加している。

 3.ビリー・グラハム、フランクリン・グラハム、アーサー・ホーランド、故本田弘慈をこれまでに招いたり賞賛したりしている。

 4.イラク戦争に賛成している聖職者がいる。

 5.大きく立派な礼拝堂や施設を建てることに熱心である。

 6.会計報告に消極的である。その報告が見づらい。

 7.献金の強要、圧迫がある。

 特に1−4に全て当てはまるようならば極めて憂慮されるべき危険な教会。すぐに脱出して他を探した方がよい。その理由についてはこのブログでも何回となく繰り返して記載してあるが、こうした異様な「教会」がこの四半世紀で大きく数を増やしたことは残念なことだ。

 数日前、筑紫哲也と対談している京都在住、鶴見俊輔の姿があった。彼は9/11テロの後、
  
 "We are Crusaders."

 と演説していたブッシュジュニアの姿を鮮明に覚えていると話し、(ブッシュジュニアが卒業した)イェール大の西洋史の教授はいったい、何を教えていたんだと怒っていた。果たしてブッシュが西洋史を受講したか、したとしてもあの虚け者がまともに勉強していたかどうかははなはだ疑わしいが、私もブッシュの十字軍発言はよく知っている。高校生でもこの言葉を使うことが地雷を踏み抜く行為だということはわかることであった。

 「十字軍(クルセード)

 とはカトリックにとってはこの2000年間において文字通り最悪の一ページであり、この言葉を積極的な意味、文脈で用いることはあり得ない。もちろん、その被害者になったイスラム教徒、ユダヤ教徒、東方正教会の人たちも同様に決して使わない。なぜかあの国の、ああいった人たち、及びそれに追随する人たちだけが使っている。

 どうしようもなくものを知らない浅はかな人たちである。