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【コラム】花札からDSまで、任天堂の歴史(上)

 世界で一番「任天堂」に忠誠を尽くしている人々がいるとしたら、それは韓国人ではないだろうか。韓国だけでなく、世界中の子供たちがポケットモンスターやスーパーマリオブラザーズといったゲームに夢中になっているが、創業時の任天堂の主要事業だった花札を、通夜をしている家にまで持ち込み、夜通し打っているのは世界中で韓国人しかいないからだ。

 日本の超大手ゲーム機器メーカー・任天堂は、よく知られているとおり花札の製造から出発し、世界の頂上に立った企業だ。日本の株式市場ではトヨタ自動車・三菱UFJ銀行に続き株の時価総額が第3位(8兆円)で、松下・ソニー・ホンダと肩を並べている。こうしたことからも、日本経済において任天堂やゲーム産業が占める地位は想像に難くない。これほどまでに成長を遂げた任天堂だが、今も日本で花札を製造・販売している。1セットで1000円から2000円ほどだ。韓国とは違い、日本で花札はあまり人気がないためそれほど利益はないが、家業を忘れてはいないのだ。

 花札からゲーム機へ。任天堂が歩んできた「飛躍的」な歴史を見ると、日本にある二つの強固な社会的基盤に気付かされる。一つはハードウェアの技術力だ。最近韓国でも高い人気を呼んでいる携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」の原型は、1980年に発売された「ゲーム&ウオッチ」だった。テレビにつないで使わなければならなかったゲーム機を、小さな液晶画面を取り付け、いつでもどこでもゲームが楽しめるようにしたものだが、液晶画面が小さいため、当時はゲーム機として十分な機能が果たせなかった。本格的な液晶技術が使われた製品が登場したのは、89年に発売された「ゲームボーイ」からだ。ゲームを楽しむのに十分な、大きく鮮明な液晶モニターを取り付けた。これは当時、世界最高を誇ったシャープの液晶技術のおかげだ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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