67年。この年はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ヒッピー・ムーブメントがピークに達した年として刻まれている。
モンタレー・ポップ・フェスティバルを皮切りにサンフランシスコを
中心に全国でヒッピーの集会やコンサートが開かれた。
これを期に全国からヒッピーがサンフランシスコ周辺に集まってくる。各地で独自のコミューンが数多く形成された。 皆、自由、平和、愛を信じ「音楽で世界は変えられる。世界はひとりの力で変えられる」ということを疑ってはいなかった。
この年の6月16〜18日にサンフランシスコ近郊で「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル」が開催される。
ラブ&ピースをキーワードに、スタッフのステージや会場設営風景が和ませて、ママス&パパスの『夢のカリフォルニア』が先陣切った。ジャニスが凄かった。
三日間のうち6月17日は特に事件だった。オーティスの後、
「ザ・フー」のピート・タウンゼントとジミー・ヘンドリックスが順番でもめ、賭けに勝ったピートが先に演奏した。当時演奏終了間際にステージセットをぶっ壊すThe Whoのステージングは熱狂的で、その後に出ることとなればオーディエンスの反応はかなり冷めたことになるのは確実であった。

ジミーは大暴れを予告した。既に「ザ・フー」はギターをブッ壊し、ドラムセットを解体した。ブライアン・ジョーンズのMCに導かれるようにジミーが登場ジミーはオイルを撒いてギターに火を付け暴れた。「アニマルズ」に誘われてイギリスへ渡ったジミーの故国アメリカでの華々しいデビューだったが、“価値観が壊される事をこの国が恐れるなら、俺は逆に挑発するために来た”とアジテートした後の曲『風の中のマリー』は遂に“血塗みれマリー”に変革した。ラブ&ピースのヒッピー・カルチャーと、ベトナムと黒人差別へ歩を進めていたアメリカへのアンチ・テーゼであった。実はジミーにとってこれがアメリカ国民の前での初演奏であった。
また出演交渉時にはビーチ・ボーイズも組みこまれていたが、
時代はサイケ全盛期、自分たちの時代は終わった感があり、
出演をキャンセルしてしまった。「サーフ・ミュージックは終わった・・」というジミヘンの言葉が思い起こされる。
また無名に近かったオーティス・レディングが出場しその歌声に大きな注目を浴びたのもこのモンタレーでのことである。それにしても、『ウッドストック』('69) などに先んじて製作されたこの劇場用フィルムは、何故か日本で劇場未公開に終っている。



 
 
The Association
The Paupers
Lou Rawls
Beverly
Johnny Rivers
Eric Burdon & The Animals
Simon & Garfunkel
Canned Heat
Big Brother & The Holding Company
Country Joe & The Fish
Al Kooper
The Butterfield Blues Band
Quicksilver Messenger Service
The Steve Miller Band
The Electric Flag
Moby Grape
Hugh Masekela
The Byrds
The Butterfield Blues Band
Laura Nyro
Jefferson Airplane
Booker T & The MG's (with the Mar-Keys)
Otis Redding
Ravi Shankar
The Blues Project
Big Brother & The Holding Company
The Group With No Name
Buffalo Springfield
The Who
The Grateful Dead
The Jimi Hendrix Experience
Scott McKenzie
The Mamas & The Papas
※演奏順ではありません。



Jimi Hendrix
JIMI PLAYS MONTEREY
’67年6月18日モンタレー・ポップ・フェスティバルの模様を収録したアルバム。
THE MAMAS & THE PAPAS
MONTEREY POP FESTIVAL
音源が多少悪く、ハモリがハモリに聞こえない部分もありますが、当時の模様を充分感じることが出来ます。
V.A.
MONTEREY POP FESTIVAL
オムニバス形式のもの。
日本発売はなく輸入盤のみです。


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