これは昭和12年12月17日の南京入城の際のニュース 映像です。
南京陥落(朝日世界ニュース号外&特報)
難民収容所の映像
山田 朗/明治大学文学部教授 / 南京事件70年─南京事件の真実は/08/04/29(シネフロントより転載)
12・8映画人九条の会第2回交流集会/講演
2007年12月8日(土)東京・文京区民センター2A
山田 朗=明治大学文学部教授
南京事件は慰安婦問題の原点でもある
虐殺、それから徴発、略奪行為が相当行われていて、これがますます中国人の抗日意識を燃え上がらせました。
それから、性暴力です。これも南京事件のとき多発したことは明らかで、実は日本軍自身もこれにはちょっと困ったんです。困ったんですが、憲兵が取り締まれないんです。あまりにも無秩序な状態になっていて、憲兵も取り締まれない。もちろん、日本の憲兵と言えども性暴力を許しているわけではないので、中には捕まる人もいる。捕まえて、憲兵隊に連れてこられると、当然その人たちは、別に俺たちだけじゃない、何が悪いんだ、みたいなことを言うわけです。中には起訴される人もいましたが、それは本当にごく一部で、ほとんど野放し状態なんです。
さすがに、これは日本軍の威信を低下させることだ、と当時の日本軍と言えども考えたようで、その対策として、それだったら慰安所を置こうか、という発想になるわけです。ですから、南京陥落後、中国の戦地には非常にたくさんの慰安所が置かれるようになります。
日本側としては、そういった激増する性暴力対策として慰安所を置きます。慰安所を作っても、中に誰もいないというわけにはいかないので、当然、「慰安婦」をどこからか供給するということになり、主として朝鮮からということになるんです。ですから南京事件というのは、その後の「慰安婦」問題の、ある意味では原点でもあるわけです。慰安所自体はもっと前からありますが、南京事件以降、これが爆発的に拡大します。
南京陥落によっても戦争は終わらず、泥沼化へ
南京陥落によって、戦争はどうなったのかというと、結局どうにもならなかった。南京は陥落した、しかし戦争は終わらない。ところが日本政府は、これで戦争は終わったと思ってしまったんですね。
日本政府は、現地でどんなことが行われているのかということを正確には掴んでいませんでした。ですから、外国メディアを通じて、ここで行われたことが部分的にほぼリアルタイムで世界に流されていたのですが、これは中国側の宣伝戦であるというような解釈をして、あまり真剣にこの事態を捉えませんでした。軍の中には、いくらなんでもまずかったんじゃないのか、ということを密かに思っている人がいたようです。その結果が慰安所の設置というような、また別の歪んだ形の解決方法を取っていくわけです。
南京陥落というのは、日中戦争の大きな節目であり、このあと、翌1938年1月に、「爾後、国民政府を対手とせず」という声明を出してしまいます。国民政府、つまり蒋介石政権はもう風前の灯で、一地方政権に転落したから、もう相手にする必要はないということで、この声明を出したために、日本は自ら非常に困ることになるんです。「対手とせず」と言ってしまったものの、相手にしなければ戦争を終わらないわけです。最後には話し合いをしなければなりませんから。ところがこの声明を出したために、自ら戦争解決の方法を失ってしまい、どんどん中国奥地に進撃する。武漢三鎮(漢口など3都市)を陥落させれば参るだろう、あるいはここを陥落させたら参るだろう、ということでどんどん奥地に行ってしまうんです。
しかし、それは無理なんです、どうやっても。なぜなら、日中戦争ではピーク時、約100万の兵力が中国戦線に張り付けられたのですが、日本軍が占領した土地について、単純計算で一人当たりの支配面積を割り出すと、日本兵は1キロ四方に1人なんです。とんでもない戦争をやっちゃったということなんです。そんなの、とても占領地を維持できません。そんな状態なのに、無理やり戦争を続けざるを得ないということで、どんどん焦っていって、英米と対立を深めていって、最初の方でお話したように三国同盟を結んで、武力南進をして、挙句の果てには対英米戦争ということになってしまうのです。
映画は時代の空気を現わすことができる
今日お話した南京事件などは、若い人の中にも、そんなのはいくらなんでも考えられない、というようなことを言う人がいます。それは、当時の空気というものが分からないからなんです。確かにその時代の空気を掴むというのはすごく難しいことです。断片的な事件についてはある程度知ることができたとしても、その時代の空気がどんなものだったのかということを知るのは難しい。しかし映画は、それを再現することができます。
私は『母べえ』を試写で拝見しましたが、当時の空気をすごく上手く伝えているように思いました。
しかし、これはそう簡単にできることではありません。大変な準備をしなければいけない。体験者の話を聞けば分かることがありますが、体験者というのはその時代の空気の中にいましたから、当たり前のことを意外に思い出せなかったりします。今の人にとっては、「ええっ、そうだったの?」と思うようなことが当たり前のことだったので、意外に思い出話に出てこなかったりするんです。日記も、当たり前のことはあまり書かないですよね。そういう点で、映画として、映像として再現するというのは、大変な仕事だと思います。
しかしそれが多くの人に与えるインパクトというのは、すごく大きなものがあると思いますので、今後いろんな映画で〈時代の空気〉がリアルに描かれることを期待しています。これで私の話を終わります。どうもありがとうございました。(拍手)
(2007年12月8日)